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婚約破棄された杖職人令嬢、実は唯一の天才だった件  作者: 九葉(くずは)


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10/12

第10話 証言台に立つ杖師

公聴会の朝。今度は、膝が震えなかった。


二週間前と同じ広間。同じ石畳。同じステンドグラスの光。けれど私の足取りは、あの時とは別のものだった。三週間、一人で証拠を整理し、一人で分析を検証し直し、一人で工房の夜を過ごした。その全てが、今の足の裏にある。


証言台へ向かう途中、クラウスの方に視線をやった。


目は合わなかった。彼はまっすぐ前を向いている。今日はうなずきもしなかった。


——それでいい。


今日は、見守ってもらう日ではない。自分で立つ日だ。


    *


エーリッヒが追加調査の結果を読み上げた。


「王立監査局による追加調査の結果、宮廷に納入された杖のうち、無作為に抽出した八本中五本から、規定品質を下回る核魔石が確認されました。一本の偶然ではなく、構造的かつ継続的な品質偽装であると判断いたします」


広間が静まった。前回のようなざわめきではなかった。もっと深い、息を呑む種類の静寂だった。


八本中五本。もう誰も「個体差」とは言えない。


ゲオルクの表情を見た。穏やかな笑みは——まだあった。けれどその笑みを支えている筋肉が、わずかに引きつっているのが遠目にも分かった。


「続いて、鑑定者の適格性について」


エーリッヒがこちらに視線を向けた。


私は立ち上がり、証言台に進んだ。


「前回の公聴会において、私の鑑定者としての適格性に疑義が呈されました。資格ではなく、技術でお答えいたします」


追加調査で抽出された杖のうちの一本を、証言台の上に置いた。事前にエーリッヒと調整し、実演の許可を得ている。


工具を取り出し、分解を始めた。


広間の数百の視線が、私の指先に集中しているのが肌で分かる。表層の装飾を外し、接合部を開き、伝導路を露出させていく。一つ一つの手順を丁寧に、しかし淀みなく。


前の人生で何千回と繰り返した製品分解の手つきだ。手は覚えている。頭が緊張しても、指は迷わない。


核魔石を取り出し、列席者に向けて掲げた。


「この杖の納入記録ではA級核魔石が使用されているとされていますが、結晶密度が規定値の六割しかありません。表面処理で外観を整えてありますが、断面を見ればC級品の結晶構造であることは明白です」


魔石の断面を光にかざした。A級とC級では結晶の層の数が違う。杖師であれば一目で分かる差だが、素人にも——光の透過度の違いとして、はっきりと見えた。


広間のどこかで、宮廷魔法師が低く「確かに」と呟いたのが聞こえた。


私は魔石を布の上に戻し、工具を片付けた。


「以上が私の回答です。資格の有無ではなく、この手で証明いたしました」


    *


ゲオルクが立ち上がった。


今度は笑みが薄かった。維持する余裕が削られているのが見て取れた。


「見事な実演でした。しかし——」


「証人、クラウス・ヴェルナー」


エーリッヒの声がゲオルクの言葉を遮った。証言の順番が来たのだ。


クラウスが立ち上がった。


証言台に歩く足取りは前回と同じだった。無駄のない、軍人の足取り。証言台に立ち、広間を一度だけ見渡してから、口を開いた。


「リーネ・アシェンバッハの技術分析は正確である」


短い一文だった。けれどその一文が、広間の空気を変えた。騎士団副団長が——国家の武力を統べる側の人間が、辺境の杖師の技術を「正確」と断じた。


「三年前、彼女の杖が私の命を救った」


二文目。声は揺れなかった。淡々と、事実だけを並べる声だった。


「そしてゲオルク・ベーレンの杖が、私の部下を殺した」


広間の空気が凍った。


前回の証言では「宮廷支給品」と表現した暴発杖を、今回は名指しした。ゲオルク・ベーレンの杖、と。


「以上」


それだけだった。


クラウスは席に戻った。四つの文。それだけの証言。けれどその四文の中に、三年分の喪失と、三年分の探索と、辺境の工房で見た「正しい杖」への確信が、全て詰まっていた。


ゲオルクの顔から、笑みが消えていた。


消えた後に何も浮かんでこなかった。怒りでも悔しさでもなく、ただ——空白だった。二十年かけて築いた仮面が剥がれ落ちた後に残ったのは、何もない顔だった。


国王陛下が立ち上がった。広間の全員が息を止めた。


「裁定を下す」


玉座からの声は静かだったが、広間の隅々まで届いた。


「王立杖師ギルド長ゲオルク・ベーレンの職務を即日停止する。不正に関わる資産を凍結し、王立監査局による全面調査を命じる。調査完了をもって、資格剥奪および資産差し押さえの最終処分を決定する。宮廷納入杖の総点検は直ちに着手すること」


即日停止。職務ではなく、人生の停止に等しかった。最終処分は調査後だが、この場にいる全員が結論を知っていた。二十年の独占体制が、この一日で終わる。


ゲオルクは何も言わなかった。反論の言葉を探す気力すら、もう残っていないように見えた。


広間を出る時、ゲオルクの隣にいたはずの法務担当の姿は既になかった。権力が傾く時、人がどれほど速く離れるかを見る思いだった。


公聴会の後、廊下で耳に入った断片的な会話。「ベーレン家の令嬢との婚約は、ハイデン侯爵家から破談の通達が出されたらしい」。ヴィクトルの名前は出なかったが、それが誰を指しているかは明白だった。


自分で選んだ相手の家が崩れれば、婚約の政治的価値も消える。それだけの話だ。


不思議なほど、何も感じなかった。


    *


人混みの中を歩いていた。


公聴会を終えた広間から溢れ出す人波の中で、誰かに手を取られた。


大きな手だった。硬い指先。剣を握る人間の掌。


クラウスだった。


人混みの隙間から、灰色の瞳がこちらを見ていた。


「よくやった」


一言だった。いつもの低い声。いつもの最小限の言葉。


けれど「よくやった」の三文字に込められたものが、真っ直ぐに胸に届いた瞬間、視界がぼやけた。


「……見ててくれたんだ」


声が震えた。抑えようとしたのに、抑えきれなかった。


証拠を整理した三週間。一人で工房の夜を過ごした時間。喧嘩した後のあの研磨石。そして今日、証言台から私の代わりに戦うのではなく、私の実力を事実として証言してくれたこと。


全部、繋がっている。


「ああ」


クラウスの声が、少しだけやわらかかった。


「ずっと」


握られた手を、握り返した。人混みの中で、二人の手だけが繋がっている。


涙は一筋だけ流れて、すぐに止まった。これ以上は——ここでは、まだ泣かない。


「……クラウスさん」


「なんだ」


「ありがとう。守ってくれなくて」


クラウスの指が、一瞬だけ強く握り返した。それが答えだった。


    *


宿に戻ると、一通の封書が届いていた。


差出人はルドヴィク・アシェンバッハ公爵。


封を切るまでに、少しだけ時間がかかった。


『リーネへ。話がしたい。都合の良い日時を知らせてほしい。——父より』


短い手紙だった。公爵らしい簡潔さ。あの日の広間で「認める」とだけ言った人の、変わらない筆致。


手紙を膝の上に置いて、窓の外を見た。


夕暮れの王都の空が、茜色から藍色に変わりつつある。


事件は終わった。でも——まだ終わっていないものがある。


作業台の上にはない、研磨石の手触りを掌の中に思い出しながら、私は静かに息を吸った。

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