第85話:新しい翼
3日目の午後。
『蒼白銀の翼』の専用演習場には、面接を突破したトレースとクローディアの二人が、緊張で身体を強張らせながら舞台の上に立っていた。
そして対する舞台の下では、『蒼白銀の翼』のメンバーたちが勢揃いし、見定めるような視線を二人に送っている。
グランはまず互いのメンバーを紹介し合い、続けて今回の模擬戦の試験内容を説明した。
「ルールは簡単だ。試験官が『合格』を認めるか、これ以上は無理だと判断して模擬戦を終わらせるか、もしくはお前たちが『ギブアップ』するか、そのどちらかだ」
ただでさえ緊張していた二人は、その過酷なルールを聞いてさらに顔をこわばらせた。
「大丈夫だ、もちろん手加減はするから安心しろ。……で、メンバーの中で誰か、こいつらの試験官をやりたい奴はいるか?」
グランが突然振り返ってそう尋ねると、メンバーたちは事前の打ち合わせにないグランの無茶ぶりに若干呆れたような顔をした。
「俺が選んだ二人だからな。本当にうちに相応しいかどうか、俺以外の目で確かめて、試験官をしてほしいんだ」
グランが意図を説明すると、少しの間が空いた後、マルクがスッと手を挙げた。
「あのエルマンの坊主……トレースの相手は、俺がやる」
「分かった、任せる。理由は……お前のことは信用しているからあえて聞く必要もないだろう。」
グランが頷くと、それに続くように今度はソフィアが静かに手を挙げた。
「では、クローディアさんの相手は私が見ます」
「ああ、頼む。それじゃあ、まずはトレースの模擬戦から始めよう」
グランが進行を促し、マルクとトレースの二人だけを舞台に残して、他のメンバーは舞台の外へと移動した。
そして、グランが開始の合図を高らかに宣言する。
「よし。俺が相手だ」
マルクは軽く首を鳴らしながらトレースを見据え、挑発するように言った。
「先に一発、お前から入れさせてやる。俺が本気を出せばお前は一瞬で終わっちまうからな。最初にもらった一発の威力で、手加減の度合いを調整してやるよ」
トレースは突然のハンデに戸惑ったが、すぐに覚悟を決め、自身の魔力を練り上げて呪文を唱えた。
「――ファイアボール!」
放たれた火球が真っ直ぐに飛んでいくが、マルクは避けることも防御することもなく、それをそのまま真正面から食らった。
炎が弾け飛び、見学していたメンバーたちもマルクの無茶な行動に少し驚いたが、煙が晴れるとそこには無傷のマルクが立っていた。
「平民にしては、なかなかの威力だな。じゃあ、次はこっちから行くぞ」
マルクはそう言うが早いか、瞬時にトレースの目の前へと肉薄した。
「腹殴るぞ! しっかり腹に力を入れとけ!」
親切なのか容赦がないのか分からない叫びと共に、マルクの重い拳がトレースの腹部へと叩き込まれた。
トレースは咄嗟に障壁魔法を展開してガードしたものの、マルクの拳は障壁をあっさりと突き破り、トレースの体を舞台の端まで吹き飛ばした。
「おっと……少しやりすぎたか?」
マルクが頭を掻いていると、トレースは苦痛に顔を歪めながらも、ふらつく足で立ち上がり、再び両手を構えた。
「へえ、なかなか根性あるじゃねえか」
「……このくらい我慢できないと、商人として理不尽な貴族社会はやっていけませんから!」
トレースは意地を見せるように叫び、再びファイアボールを唱えて放った。
今度はマルクがその火球を素手で軽く弾き飛ばし、再び距離を詰めようとする。
しかし、トレースは魔法が防がれるのを囮にして自らマルクへと突撃し、渾身の力で顔面を殴りつけた。
マルクはわざとそれを顔で受け止め、痛がる素振りも見せずにトレースを見下ろす。
トレースはそのまま反対の腕で殴りつけるが、マルクはそれもあえて避けることなく受け続けた。
「くそっ……!」
馬鹿にされていると感じたトレースは、怒りに任せて無我夢中でマルクを殴り続けたが、マルクはまるで巨大な岩のように微動だにしない。
見学しているメンバーたちも「様子がおかしい」とざわめき始めたが、グランは「まあ、そのまま見ていよう」と制止し、静かに試合の行方を見守った。
少し時間が経ち、殴り続けたトレースの方が体力を消耗し、ついに息を切らしてへたり込んでしまった。
「もう終わりか? これが実戦だったら、お前は俺を倒せず、その隙にお前の大切な店はめちゃくちゃにされてるな」
マルクが冷酷な現実を突きつけるように煽ると、トレースの目に再び火が灯った。
「……まだ、だ……!」
トレースは最後の力を振り絞って立ち上がり、拳にありったけの魔力を込めてマルクへ渾身の一撃を叩き込んだ。
マルクは、その最後の一撃もあえて真っ向から受け止めた。
魔力も体力も底をつき、トレースはもはやその場に立ち上がることもできないほど疲弊していたが、決して諦めることなく、座り込んだままマルクを鋭く睨みつけていた。
マルクはトレースのその燃えるような瞳を見て、彼の心が完全に折れていないことを確信した。
「よし、そこまで! ここで試験終了だ!」
マルクが突然終了を告げると、トレースは驚き、悔しそうに声を絞り出した。
「ま、まだ……僕はやれます……!」
「いや、お前は合格だ」
マルクのその言葉に、トレースは目を丸くした。
「昼休みの会議で書類を見た時は、商家の跡取りが王女様たちと人脈を作りたいとか寝ぼけたこと抜かしてるから、舐めてんのかと思ったけどな」
マルクはニッと笑い、トレースの前に歩み寄った。
「どんなに実力差があっても諦めない、その根性は本物だ。お前のこと、見直したぜ」
「マルク先輩……」
「これから、理不尽に抗えるようにみっちり鍛えてやるからな。よろしく頼むぜ」
マルクはそう言って、床に座り込むトレースに向かって大きな手を差し出した。
トレースはその手を力強く握り返し、マルクに引き起こされると、彼に肩を借りながら舞台を後にし、用意されていた簡易の休憩ベッドへと横たわるのだった。
続いて、ソフィアとクローディアが舞台へと上がった。
グランは内心、ソフィアが自ら試験官に名乗りを上げるとは思っていなかったため、少し驚いていた。
(おそらく、かつて落ちこぼれだった自分を彼女に重ねたのだろうな)
優しい性格が災いして訓練があまりうまいこといかなかった過去や、それでも優しい平民のガルクや冒険者たちに励まされてきたという境遇が、今のクローディアと酷似していたからに違いない。
(あの子が、自分から後輩の面倒を見るようなことを言い出すなんて……人間の成長というのは本当にすごいな)
グランが感慨深げに見守る中、ソフィアはクローディアに向かって優しく微笑みかけた。
「あなたのこと、会議で少し聞いたわ。魔法が上手く使えないと言っていたけれど……それは『魔法が全く発動できない』ということ? それとも『発動はするけど上手くいかない』ということ? どちらかしら?」
「発動することはするのですが……どうも魔法の威力がすごく小さくなってしまうんです」
クローディアの正直な答えを聞き、ソフィアは頷いた。
「なるほど。じゃあ、まずは一度ここで魔法を使って見せてくれるかしら?」
ソフィアはそう言うと、自身の眼に魔力を集め、魔力の流れを可視化する『魔眼』を起動させた。
(なるほど、ソフィアは『それ』を確かめたくて試験官を引き受けたのか)
グランは彼女の真の意図に気づき、静かに感心した。
クローディアは頷き、手のひらを前に向けて初級魔法の呪文を唱えた。
「――ファイアボール!」
ソフィアは魔眼を通して、クローディアの体内で構築される術式と魔力の流れをじっと観察していた。
しかし、クローディアの放ったファイアボールは火の粉のように小さく、ソフィアまで届くこともなく空中で途切れて雲散してしまった。
「やっぱり……ダメです……」
クローディアが悔しそうに俯くが、ソフィアは魔眼を解き、納得したように手をポンと打った。
「なるほど、大体の原因は分かったわ。はい、試験はここで終了よ」
「えっ……! 待ってください、私、まだやれます!」
不合格になったと勘違いしたクローディアは焦って懇願したが、ソフィアは首を横に振った。
「違うわ。大丈夫、あなたは『合格』よ。これ以上無理に魔法を使う必要はないわ」
「え……? ご、合格……?」
突然の合格宣言に、クローディアは完全に混乱してその場に立ち尽くした。
「大丈夫よ。グラン様の特訓に任せれば、あなたもちゃんと魔法が使えるようになるわ」
ソフィアは優しくそう告げ、舞台の下にいるグランへ向かって「後で事情を説明しますね」と視線を送った。
クローディアはあっけにとられていたが、次第に『自分は本当に合格したのだ』という事実が胸に伝わり、安心感からその場でへたり込み、ボロボロと泣き崩れてしまった。
「辛かったね。もう大丈夫よ、よく頑張ったね」
ソフィアは泣きじゃくるクローディアの隣にしゃがみ込み、その背中を優しくさすって労った。
しばらくして二人が落ち着きを取り戻したのを見計らい、グランは舞台へと上がり、改めて合格者である二人に言葉をかけた。
「改めて発表する。今回の入部試験の合格者は、トレースとクローディア、この2名だ。二人とも、終業式まで基礎鍛錬を行うから、放課後はこの演習場に来るように」
二人は嬉しさと安堵で顔をほころばせ、深く頭を下げた。
「だが、これで終わりじゃない。お前たちの本当の戦いは、今日から始まるんだ。覚悟しておけ」
グランが引き締めるように言うと、二人は力強く「はい!」と返事をした。
「よし、今日はこれで解散だ。二人とも疲れただろうから、先に帰ってゆっくり休んでくれ」
グランの労いの言葉を受け、トレースとクローディアは充実した表情で演習場を後にした。
二人が帰った後、『蒼白銀の翼』のメンバーたちは演習場に併設された会議室に集まり、今後の育成方針について意見を交換していた。
「トレースの訓練は、ベアトリクスさんを中心に、俺たち平民組でみっちりしごいてやるよ」
マルクが腕を鳴らしながら言うと、グランも頷いた。
「ああ、トレースの基礎体力と実戦経験についてはお前たちに任せる。終業式の日に『魔力操作の極意』を教えるから、あいつには夏休みの間、ひたすらそれを反復してもらうつもりだ」
方針が決まると、グランはソフィアへと向き直った。
「それでソフィ、クローディアの魔法が使えない原因は何か分かったのか?」
グランが尋ねると、ソフィアはエルスメリアに目配せをした。
「クローディアさんのステータスを密かに鑑定させてもらいましたけれど、魔力量などの数値は高位の伯爵令嬢と全く遜色ない素晴らしい値でしたわ。やはり、魔法を行使する段階のどこかに問題があるのだと思います」
エルスメリアの報告を受け、ソフィアが自身の見解を口にした。
「あれは多分、『魔法の出力』の部分に問題があると思います。魔眼で彼女の魔力の流れを見ていたのだけど……術式を構築して、体から魔力が外部へ放出される瞬間に、何か詰まっているような違和感がありました。そしてその詰まった魔力は体に戻っていました。」
「なるほど、魔力はあるのに、出口がなぜか詰まっているせいで威力が極端に落ちていたのか。じゃあ、その詰まりを改善すればいいのか」
グランが納得すると、ソフィアも「ええ。おそらく、グラン様の『魔力操作の極意』を習得して魔力回路を鍛えて拡張させれば、治るような気がします」と同意した。
すると突然、話を聞いていたセルフィリアが頬を膨らませて駄々をこね始めた。
「ちょっとグラン! その『魔力操作の極意』ってやつ、私まだ教えてもらってなーい!」
「お前は素の魔力もフィジカルも規格外に強いから、教える必要がないと思ってたんだよ」
グランが呆れながら答えるが、セルフィリアは食い下がる。
「私だって知りたいわ! ねえ、私にも教えてちょうだい。教えてくれたら……すっごく『いい思い』、させてあげるわよ?」
セルフィリアは妖艶な笑みを浮かべ、自身の胸を強調するようなポーズをとってグランを誘惑してきた。
「あら、そんな子供騙しのポーズでグラン君を誘惑できるとでも思って? ……『いい思い』なら、こうやりますのよ」
負けじと隣にいたエルスメリアが、さらに布地を引っぱって刺激的で扇情的なポーズをとって対抗してきた。
「ぐぬぬ……っ、さすがお胸の暴力ね……!」
セルフィリアが悔しそうに唸る中、グランは深いため息をついた。
「いい思いとかそういうのはいらないから……分かった、じゃあ今教える」
グランはそう言うと、セルフィリアの向かいに立って彼女の両手を強く握り、自身の魔力を直接彼女の体内へと流し込んだ。
「あっ……んっ……ふぁっ……! な、何これ……すごく、熱いのが入って……」
体内を駆け巡る異質な魔力の感覚に、セルフィリアは顔を赤らめて少しだけ艶っぽい声を漏らした。
「おい、変な声を出すな。……これが『魔力操作の極意』だ。今、お前の体内に魔力が流れた感触がしただろう?」
グランは真剣な表情で説明を続ける。
「その感覚を意識して、自身の魔力を体中に魔力路を意識して巡らせるんだ。それを限界まで続けて魔力が枯渇すると、回復するために体が強制的に睡眠を促してくる。そして起きた時には、魔力の最大値と魔力路が鍛えられる。これをひたすら繰り返すんだ」
「なるほど……そういう仕組みだったのね」
「これを続けることで、魔法を使う時の威力や速度、様々な要素の基礎が相対的に鍛えられる。地味だが継続するんだ。強くなるには日ごろの積み重ねが大事だ。」
「すごいわ! 完全実力主義の帝国にもこんな非常識な鍛錬法はないわよ! ありがとうグラン、早速今日から始めてみるわ!」
セルフィリアは感激し、「でも、こんな凄い鍛錬法、どうして王国や帝国に広まっていないの?」と純粋な疑問を口にした。
「どうも、最初の感覚を掴ませるための『魔力を他人に流す行為』が、俺以外の他の人じゃ上手くできないらしいんだ」
グランは首を傾げながら答える。
「ルヴィや侯爵様たちも、それぞれの家で騎士たちに伝授しようと試してくれたんだが、なかなか上手くいかないみたいでな。原因は未だに俺にも分からないんだ」
(『実は、マスターの魔力はすべての属性や人固有の魔力を内包し、他者の魔力と反発しないという異常な性質を持っているおかげなのですが……それを知られると色々とまずいため、マスターが血の滲むような鍛錬の末に編み出した独自の秘術だということにしてあります』)
グランの脳内で、アンサートーカーが真実を淡々と解説していたが、グランはそれを口に出すことはなかった。
「よし。クローディアに関しては、しばらくは貴族組で重点的に基礎を鍛錬していこう」
「明日から終業式までは、二人にはひたすら体力作りと基礎訓練を中心にやらせる。異論はないな?」
グランの提案にメンバー全員が力強く頷き、その日の会議と三日間にわたる入部試験は無事に幕を閉じた。
次の日、学園の中央掲示板にて『蒼白銀の翼』の入部試験の合格発表が掲示された。
新入生の半分以上が受験したにもかかわらず、合格者がたったの『二人』だけという事実に、学園中の生徒たちは改めてSクラスという壁の異常な高さを実感して絶望していた。
そんな中、一部の貴族の生徒たちがグランのもとへと押しかけ、クローディアが合格した理由について執拗に問い合わせてきた。
「なぜ、Dクラスの落ちこぼれであるアシュクロフト家の次女が合格したのだ! 納得がいかん!」
「交流パーティーでも言ったはずだぞ。俺は今の強さなんか見ていない、強くなろうとする『心』を見ただけだ」
グランが冷静に答えるが、貴族の生徒は顔を真っ赤にして食い下がった。
「平民ごときが偉そうに! 所詮はお遊びの修練会だろうが!」
「……なら、平民が作ったお遊びの修練会になんか、初めから入ろうとするな」
グランの冷ややかな一瞥に、貴族の生徒は怯んで一瞬言葉を詰まらせた。
「どうしても文句があるなら、11月に開催される『修練会対抗戦』で直接決着をつけてやる。そこまで待てないなら、いつでも、今すぐにでもかかってこい」
グランが静かに、しかし圧倒的な威圧感を込めて語気を強めると、貴族の生徒たちは分が悪くなったのか、青ざめた顔で一目散に逃げ出していった。
(……さて、もうすぐ夏休みが来る。新入生二人の育成に向けて、色々と準備を始めないとな)
逃げていく生徒たちの背中を見送りながら、グランは来るべき熱い夏に向けて、静かに闘志を燃やすのだった。




