第64話:魔導の深淵
グロリアス帝国の第二皇女、セルフィリア・グロリアス。
実力主義を国是とする帝国において、彼女はその価値観を疑ったことなど一度もなかった。
ただ純粋に、強くなれば周囲は自分を褒め称え、皇帝である父も満足げに頷く。
その単純な図式に従い、彼女はいかなる英才教育も、過酷な修行も、持ち前の天賦の才ですべて自分の血肉に変えてきた。
転機となったのは、帝国内のダンジョンで発見され、皇帝へと献上された一振りの漆黒の魔剣だった。
皇帝一族の誰もがその強大な力を御そうとして拒絶される中、まだ幼さの残るセルフィリアだけが、まるで選ばれたかのようにその剣を自在に使いこなしてみせたのだ。
以来、漆黒の魔剣は彼女の象徴となり、その武名は帝国全土に轟くこととなる。
だが、彼女の本質は魔剣の力に依存する軟弱なものではなかった。
国内の猛者たちに次々と師事を受け、瞬く間に師を追い越していく才能は、帝国軍の将軍すら凌駕する実力を彼女に与えた。
そんな彼女が唯一、自分と対等な存在として認め、共に研鑽を積んでいたのが、当時帝国に留学中だった王国の第一王女、オリヴィアだった。
しかし、オリヴィアが原因不明の急病で倒れ、逃げるように本国へと帰還して以降、セルフィリアの周囲には再び誰もいなくなった。
同時に、皇族としての使命を担いつつも、制約に窮屈さを感じ始めていた娘を見兼ねたのか、皇帝は一つの条件を提示する。
「学園を卒業し、皇族としての最低限の義務を果たせ。それができれば、その後の身の振り方はお前の好きにさせてやろう」
それは彼女にとって、好き勝手に強さを追い求めたければ、最低限の体裁だけは整えろという父からの許可証にも等しかった。
セルフィリアはその条件を飲み、自由を手に入れるための最短ルートとして、帝国学園へと入学した。
当初は同年代との手合わせに、わずかばかりの期待を抱いていたが、現実には誰も彼女の足元にすら及ばず、ただ皇女として崇め奉られるだけの日々が続いた。
「……また、これか」
何度目かの脱走を繰り返し、近郊のダンジョンを蹂躙しても、心に空いた虚無感は埋まらない。
ただ一人の対等な親友すら失い、この退屈な日々をあと三年も続けなければならないのかと、彼女は絶望していた。
そんな折、年明けに王国から帰国した学園長が持ち帰った報告が、彼女の止まっていた心を跳ねさせた。
今年の王国の選抜はすべて一年生であり、しかも王国史上最強の世代だという。
留学中の親友であったオリヴィアや、四聖華の名は知っていたが、学園長が続けた言葉は驚愕の事実だった。
「……その最強世代をすべて、平民の少年が退けて優勝しただと?」
王女や四聖華の強さは知っている、そんな彼女たちを、貴族主義の陰謀という不利な条件の中で撃破した平民。
その瞬間、セルフィリアの中で眠っていた闘争本能が激しく脈動した。
まだ見ぬ強者であり、自分と同じように理不尽な強さを持つ者との邂逅を願い、交流戦当日を待つ日々は彼女にとって待ち遠しい時間となった。
そして訪れた交流戦当日、セルフィリアは戦慄した。
一年前、病に倒れ王国に戻り、噂では魔力核欠乏症だと言われていた親友オリヴィアは、信じられないほどの輝きを放っていた。
四聖華たちは、明らかに膨大な魔力量と精密な魔力操作が必要になる、見たこともない魔導兵装を操って、帝国の代表たちを文字通り一蹴した。
「戦慄するわね……。私が出ていたとしても、無傷では済まないわ。展開によっては、負ける」
去年までの王国とは次元が違う強さに歓喜し、そしてそれを全員退けたという平民の少年の存在。
おそらく今までの人生で一番歓喜したであろう彼女は、はやる気持ちを抑えきれず、敗北に沈む帝国の空気など無視して舞台へと飛び降りた。
指名に応じ、目の前に降り立ったのは、自分と同じ黒髪の少年だった。
皇帝の隠し子かと疑うほど、王国では珍しい髪色だったが、本人は王国の田舎者だと笑う。
「……考えすぎかしら。だが――」
あらためて至近距離で対峙した瞬間、セルフィリアの背筋に氷柱を突き立てられたような悪寒が走った。
見た目はどこにでもいる平民の少年で、魔力量も帝国学園の平均レベルにしか見えない。
しかし、彼女の研ぎ澄まされた本能だけが、最大級の警鐘を鳴らし続けている。
(なんなの、これは……。かつて元剣聖に師事を受けた時以上のプレッシャーだわ。いいえ、比べるのも失礼ね。この男は、それ以上よ)
冷や汗が止まらず、目の前の少年は、まるで底の見えない奈落そのものに思えた。
確信した、始めから全力で殺しに行かなければ、恐らくこちらが殺される。
セルフィリアは震える手で漆黒の魔剣を引き抜き、凛とした、それでいて獰猛な笑みを浮かべた。
「ふふ……、最高じゃない。始めから全力でいかせてもらうわよ。死ぬ気で、私を愉しませてちょうだい!」
対峙するグランは、意識の海でアンサートーカーに最終確認を行っていた。
(今回の学生選抜、さすがにステータス値は調整しよう。四聖華並みにする)
『了解しました。ステータスを四聖華と同等に設定。マスター、それでも本来の力は発揮できませんから気を付けてください』
アンサートーカーの忠告を背に、グランが構えを取ると同時にセルフィリアが突撃を開始した。
漆黒の魔剣が鋭い音を立てて空気を切り裂き、回避したグランの動きを読んでいたかのようにセルフィリアの激しい蹴りが放たれる。
グランはそれを腕で受け止めるが、思った以上に重い一撃に身体が後ろへと大きく吹き飛ばされた。
しかし空中ですぐさま体勢を立て直し、グランは何事もなかったかのように難なく着地を決める。
「ふふ、まあ、あの程度で死ぬわけないわよね」
「……平民相手に手心なしなのか?」
「冗談! こっちこそ手心を加えてほしいくらいだわ!」
セルフィリアは笑いながら答え、グランは魔力のナイフを数本作り出して彼女へ向けて投じる。
セルフィリアはそれを漆黒の魔剣で難なくはじき落とし、鋭い視線でグランを射抜いた。
「そんな様子見の攻撃じゃ当たらないわよ。私はあんたの強さは感じている、初めから本気で行くわ! 黒剣の切れ味、受けてみなさい!」
セルフィリアが叫ぶとともに魔剣の力が解放され、分裂した魔剣の剣先がグランを中心に周囲3メートルほどの地点に次々と突き刺さった。
魔剣の特性なのか、彼女は刺さった剣先を軸に自在な転移を繰り返し、死角から鋭い斬撃を間髪入れず浴びせ続ける。
グランは魔法障壁『イージス』を展開しながらかわしていき、最後の一撃として空中から切り落としてきたセルフィリアを魔力の刃で迎え撃つ。
演習場に凄まじい剣戟音が鳴り響き、あまりの激しさに観客たちがどよめきに包まれる。
渾身の一撃を防がれたセルフィリアはすぐに距離を取るが、その額には冷や汗が浮かんでいた。
しかしセルフィリアは間髪入れずに、再び魔剣へと膨大な魔力を溜め込み始める。
(アンサートーカー、あれは……!)
『はい。かつての深淵の騎士が放った絶技、「オーバーエンド」です。マスター、イージスを展開してください!』
魔力の塊となった巨大な剣がグランに向かって振り下ろされ、辺り一面を衝撃波で吹き飛ばして激しい白煙が上がる。
白煙が晴れると、そこにはイージスを張って無傷で立ち、アンサートーカーに語りかけるグランの姿があった。
(……凄まじいな。深淵の騎士ほどではないが、あれは間違いなくオーバーエンドだ)
「……あれを防ぐの? 受け止めるというの? ⋯⋯どうやらあなたは、格上どころではないようね」
セルフィリアはそう認めると、急に姿勢を正し、先ほどまでの荒々しさを消して静かに佇んだ。
「……急にどうしたんだ?」
「以前師事を受けた尊敬する元剣聖に教えられたの。格上の相手が自分の相手をしてくれる時は、礼を尽くせと。あなたを強者として、改めて手合わせ願いたいわ!」
(アンサートーカー、ここまで言われて出し惜しみは失礼だな。構えるぞ)
『了解しました。マスター、油断なきよう』
セルフィリアが左手に魔力を溜めて横に振るうと、数十個の黒くて小さい結晶が空中にばらまかれた。
警戒するグランに対し、セルフィリアの魔剣から数本のレーザーが放たれる。
グランがそれを避けると、レーザーは空中の黒い結晶に当たって反射し、死角からグランへと襲いかかる。
グランはイージスで防ぐが、レーザーを撃ち続けるセルフィリアが声を張り上げた。
「防御に徹してばかりじゃ、いずれ魔力がなくなってくらうわよ!」
(これだとジリ貧だな)
『マスター、どうするつもりですか?』
(とりあえずあの黒い結晶たちが厄介だから、あれを先に壊す)
『あれを壊したところで、彼女ならまた無限に生み出すと思われますが?』
(いや、一瞬で全部破壊すれば隙ができるはずだ)
『わかりました。……演算を開始します』
セルフィリアが「これで終わりね!」とレーザーの数をさらに増やして一斉射を放った瞬間、グランはイージスでそれを防ぎつつ、右腕を大きく横に払った。
「『マルチロック』」
すると、滞留していた数十個の黒い結晶のすべてに、赤色の幾何学模様の「照準」が浮かび上がった。
「なっ……!? 何よこれ、私の結晶に何をしたの……!?」
自分の術式に刻まれた不気味な赤色のマーキングに、セルフィリアは本能的な戦慄を感じて目を見開く。
だが、逃げることは許されない。
「『ロックオンレーザー』!」
刹那、グランの背後から数十本の蒼白銀の光条が噴き上がった。
それらは空中で鋭い弧を描くと、誘導弾のように正確に、赤色の照準が刻まれた空中の黒い結晶へと降り注ぐ。
結晶の自律機動など、光の速度の前には無意味だ。
バリン!バリン!と、ガラスが割れるような音とともに、すべての結晶が一点の狂いもなく同時に粉砕され、消滅していく。
セルフィリアはロックオンレーザーの余波に巻き込まれないよう、ほうぼうに逃げ回る。
体勢を立て直そうとした瞬間、目の前にはすでに至近距離まで踏み込んでいたグランが立っていた。
「くっ……! まだよ!」
セルフィリアはとっさに、漆黒の魔剣でグランを切り裂こうと腕を振るう。
グランはその攻撃を冷静に見切り、両手を突き出し魔剣をつかむ。
「『ソードブレイク』」
バキィィィィィン! という乾いた音とともに、帝国最強の象徴たる漆黒の魔剣が、根元から鮮やかに粉砕された。
一瞬の静寂の後、折られた魔剣を見て呆然としていたセルフィリアが、ぺたんと座り込む。
しばらくの静寂のあと、目に涙を浮かべ、人目をはばからずわんわんと大泣きし始めた。
「……えっ!? ちょ、ちょっと!?」
突然の出来事にグランはおろおろし、会場の帝国生たちもあの誇り高き皇女が大泣きする姿に驚愕する。
帝国の学園長は唖然として固まり、王国学園の学園長は「王国の力を見せてやれとは言ったがやりすぎだ」と頭を抱えた。
「わ、悪い! 折ってしまった! すまない、大丈夫か?」
慌てて近づくグランに対し、セルフィリアは涙を拭うと、唐突に彼に抱きついた。
「ぐすっ⋯⋯私の象徴である漆黒の魔剣を折った。あなたは私より強いことが証明された。⋯⋯私は、もし結婚するなら、自分より強い男と決めていた。⋯⋯だから、ちゃんと責任取ってちょうだいね!」
「な、何を言ってるんだお前は!?」
抱きついて離れない皇女の姿に、観客席から殺気を放つ面々が飛び出してきた。
「審判、勝負は決したわ! 早く宣言しなさい!」
「……そうです、早く! さもないと、あの泥棒猫を物理的に引き剥がしてしまいますよ!」
慌てて審判がグランの勝利を宣言するが、王女と四聖華はグランへ殺到し、皇女を引き剥がしにかかる。
「グランは私たちのものなんだからダメ! 離れなさい!」
「あら、⋯⋯だったら私もその輪に入るだけだわ!」
再びグランに抱きついてくる皇女と、それを阻止しようとするヒロインたちの乱闘が始まった。
『……マスター。王国だけでなく帝国にまで嫁を作るなんて、まるで乱世の姦雄ですね』
(なんでだよ! お前までそんなこと言うな!)




