第61話:紅日
ヴァスティール領での激動の日を終え、学園寮に帰宅してから、慌ただしくも充実した数日が過ぎていた。
ある朝、登校すると校内はいつもと違う、どこか浮き足立ったような独特の空気感に包まれていた。
廊下ですれ違う男子学生たちは、朝から意味もなくそわそわしており、落ち着きなく周囲をキョロキョロと見渡している。
一体何事かと疑問に思いながら平民クラスの教室に入ると、親友のマルクとカロンがこちらに気づいて挨拶をしてきた。
「ようグラン。今日は朝からみんなざわついてるだろ? まあ、バレンタインデーだしな」
マルクがさらっと言った言葉に、グランは思わず足を止めて驚きの声を上げた。
「……バレンタインデー? この世界にも、そんな行事があるのか?」
グランの反応に、マルクは逆に意外そうな顔をして、この世界の風習について説明を始めた。
「なんだ、知らなかったのか? この日は女性が好きな男性にお菓子を贈って想いを伝える、年に一度の勝負の日なんだぜ」
前世の記憶ではチョコを贈るのが主流だったが、希少なチョコはこの世界ではかなりの高級品だ。
そのため、平民層の間では手作りのお菓子で代用して想いを伝えるのが一般的らしい。
「なるほどな。……でも、貴族の令嬢なら本物のチョコを買ったりするんじゃないか?」
グランがそう問いかけると、すでに彼女持ちで余裕をぶっこいているマルクとカロンは、顔を見合わせてニヤリと笑った。
「カロン、聞いたか? グランなら四聖華様や王女様から、最高級の本物がもらえるだろうから心配ないってことだよな」
「そうだな。俺たち庶民は彼女からもらえるだけで満足だが、グランは『本命』が多すぎて、受け取るだけでも大変そうだな」
カロンにからかわれたグランは、苦笑いしながら話を逸らそうと「義理チョコとかはないのか?」と尋ねた。
すると二人は「なんだそれは」と不思議そうな顔をしたので、愛の告白まではいかないが、日頃の感謝を込めて渡すものだと説明した。
その話を後ろで聞いていたクラスメイトのレキシとニーナが、顔を見合わせて笑いながら近寄ってきた。
「へえ、義理チョコか。いい考えだね! それならいつも助けてもらってるグラン君にもあげないといけないね!」
二人はそう言って、おそらく自分で食べようとしてた一口サイズのクッキーが入った小袋をグランに差し出した。
「二人とも、ありがとう。もらえるだけで正直うれしいよ、大切にさせてもらう」
グランが素直に礼を言うと、二人は「いつもお世話になってるからね」と笑い、そのままマルクとカロンの前へ移動した。
「はい、こっちは本命。マルク、これからもよろしくね」「カロン君、私のも受け取って。これからも仲良くしてね」
目の前で堂々といちゃつき始めた二組のカップルを見て、グランは「はいはい、ごちそうさま」と肩をすくめてその場を後にした。
昼休みになり、食堂で昼食をとっていると、ベアトリクスが軽い足取りで俺の席までやってきた。
「グラン、これ。いつもお世話になってるお礼。あげるね!」
そう言って手渡されたのは、綺麗に包装された市販のチョコだった。
「ベアトリクス、ありがとう。……さっき学園内で聞いた『義理』みたいなものか?」
グランが聞くと、彼女は人差し指を口元に当てて、悪戯っぽく笑った。
「義理チョコなんて言葉は知らないけど、グランには日頃の感謝で渡そうと思ってたわ。あ、でも私は心に決めた相手がいるから、変に期待しちゃダメよ!」
彼女なりの冗談だと分かっていたので、グランも「それでももらえるのは素直にうれしいよ、ありがとう」と礼を述べた。
「ふふ、いいわ。その代わり、ホワイトデーのお返しは楽しみにしてるからね!」
「義理なのにしっかり催促するのかよ」
「当然でしょ!」と快活に笑いながらベアトリクスが去った後、周囲の男連中から突き刺さるような嫉妬の視線が飛んできた。
グランはそれに耐えきれず、急いで食事を済ませると逃げるように食堂を出た。
放課後、いつものように『蒼白銀の翼』で訓練を終えると、四聖華の四人とオリヴィア王女から「訓練が終わったら庭園に来てほしい」と呼び出しを受ける。
汗を流して着替えを済ませ、指定された庭園へ向かうと、そこには王女と四聖華が並んでおり、少し離れたところで侍女のレインが静かに見守っていた。
少し離れたところでは、侍女のレインが温かな眼差しでこちらを静かに見守っている。
「グラン様、私たちの精一杯の気持ちです。受け取ってください!」
五人が一斉に、それぞれの想いが詰まったチョコの箱を、宝物でも扱うかのように丁寧に差し出してきた。
「これは本命ですから。……今は返事はいりません。ただ、私たちの心を受け取ってほしいのです」
彼女たちの真剣な眼差しに気圧されつつ、グランは「待たせることになるかもしれないが、それでもいいのか?」と静かに問い返した。
「ええ。私たちは、いつまでも待っています。……ですから今日は、家でゆっくり味わってくださいね」
彼女たちの揺るがない決意を受け取り、グランは必ずホワイトデーに相応しいお返しをすることを約束して、その場を解散した。
寮に戻ったグランは、一人静かに机に向かい、もらったプレゼントを一つずつ丁寧に確認することにした。
まずはベアトリクスのチョコ。
市販品だが綺麗に包装されており、可愛らしい文字で手紙が添えられていた。
「魔導大会で初めて戦った時からの縁が、まさかここまで強くなるとは思わなかった。私を『蒼白銀の翼』に入れてくれてありがとう」
彼女らしい、飾らない素直な感謝の言葉が綴られていた。
次にルヴィリスの箱を開けると、アンサートーカーが即座に割り込んできた。
『マスター、このチョコ、王都で一番高価な限定品ですよ。手に入れるだけでも相当な執念が必要です』
手紙には「今まで何度もお礼をしてきたが、自分はまだ何も返せていない気がする。こんなに異性を好きになったのは初めて。グランは私の運命の人だと思っているから……私を選んでくれたらうれしい」と、ストレートな告白があった。
続いてエルスメリアの分を確認すると、なんとそれは手作りだった。
材料を実家のヴァーミリオン領から取り寄せたと知り、驚きを隠せない。
『原材料を取り寄せたのではなく、親御さんに頼んで最高級素材を調達したのでしょう。それでも、不慣れな調理でこの形状に仕上げた努力は称賛に値します』
手紙には、もしグランと結婚したらどんな家庭を築きたいかが、延々と妄想たっぷりに書かれていた。 アンサートーカーも『凄まじい想像力です……』と苦笑交じりに評価した。
次にディアドラの箱を開けると、意外にもシンプルな市販のチョコが入っていた。
手紙には「チョコを贈るのが初めてで、どれを選べばいいか分からなかった。でも、気持ちは誰よりもある」と綴られていた。
さらに、誕生日会での出来事や、あの夜の部屋で二人きりで過ごした時のことにも触れられ、「今はとても幸せ。これからもよろしくね」と結ばれていた。
ソフィアのチョコは、アンサートーカーによれば『ヴァレンシア領限定の希少品』だという。
彼女の手紙には、グランへの愛がいかに深いかが長文で綴られていた。
ただ、後半になるにつれて少しヤンデレ気味な執着心が滲み出ていて、グランは少し背筋が寒くなるのを感じた。
最後にオリヴィア王女の分は、王宮の料理人に最高級の材料で作らせたという、豪華絢爛な一品だった。
「魔力核欠乏症を治してくれた感謝は尽きません。魔導を探求せし者として、これからも一番近くでグランの魔法を見せてほしい。学園選抜、頑張りましょうね」
そこには、彼女らしい魔法への情熱と激励が、気高い文字で書かれていた。
全員分を開け終えたと思ったが、袋の底に一つ、レインからの小さな包みが残っていた。
王都の市販品に添えられた手紙には「お嬢様たちの前では渡せなかったが、あの日庭園で出会わなければこの幸せはなかった。この出会いに感謝したい」という温かい言葉があった。
さらに追伸で「ホワイトデーのお返しは、グラン様が作ったお菓子ならみんな喜ぶはずです」という心強いアドバイスまで記されていた。
胸の奥がじんわりと温かくなっていくのを感じたグランは、もらったチョコを一口ずつ大切に、しかし止まらぬ勢いでその夜のうちにすべて平らげてしまった。
翌朝、糖分の過剰摂取でひどい胃もたれを起こしたグランは、朝食を抜いて登校した。
しかし、授業中に強烈な空腹に襲われ、「……あんなに欲張らず、数日に分けて食べればよかった……」と心から後悔した。
そんなグランの脳内で、アンサートーカーが冷静に、どこか呆れたように突っ込みを入れる。
『マスター、久しぶりにたくさんもらえたからといって、はしゃぎ過ぎです。次からは計画的に摂取することを推奨します』




