第59話:貴族主義
三学期が始まり一月末になる頃、グランたちは「蒼白銀の翼」の面々と共に、学園選抜に向けた特訓に明け暮れていた。
演習場には、本来ならここにいないはずの顔ぶれ――「獅子の盾」の主将と副主将、そして「白光の杖」の主将と副主将の姿があった。
上級生の彼らは既に卒業後の進路が内定しており、本来ならインターンとして職場に赴いている多忙な時期である。
「……ふぅ。やはり一年生といえど、ステータス値だけで言えば君たちは既に我々を追い越しているようだな」
近衛騎士団への内定を決めている「獅子の盾」の主将が、額の汗を拭いながら感心したように木剣を収めた。
「ですが先輩、実戦における絡め手や、土壇場での経験の差には、まだ到底及びませんわ」
王女オリヴィアが、乱れた息を整えながらも気品ある態度で、敬意を込めて礼を返す。
「本当ね。力押しでは勝てても、いざ実戦形式となるとこうも手玉に取られるなんて……。上級生の意地を見せつけられたわ」
エルスメリアもその鮮やかな緑髪を指先で整えながら、心地よい疲労感を滲ませて後に続いた。
もし彼らが選抜に選ばれていれば今頃特訓に明け暮れていただろうが、今回は後輩たちのためにあえて稽古相手を買って出てくれたのだ。
グランは無償で協力してくれた四人へのお礼として、自身の「魔力操作の極意」を伝授することにした。
「この感覚は……! 魔力の流れが、まるで自分の手足のように明確に制御できるぞ!」
魔導師団への内定を持つ「白光の杖」の主将が、驚愕に目を見開いて己の手のひらを見つめる。
「……君という男は、本当に底が知れない。もっと早く君に出会い、これを知りたかった。そうすれば我々の学園生活も全く違ったものになっただろうに」
「先輩、強くなるのに遅すぎるなんてことはありません。卒業までの残り数ヶ月でも、これを意識するだけで全然違いますから」
「……はは、違いないな。君にそう言われると、まだ自分たちが強くなれると確信できるよ。ありがとう、グラン殿」
確かな強さの感触を掴んだ四人は、満足げに、そして誇らしげな表情で演習場を後にした。
訓練の終わり、ディアドラがその白金色の髪を揺らし、顔を林檎のように真っ赤にしながらグランの元へ歩み寄ってきた。
「あ、あの、グラン殿……。みんなからはもう手渡しでもらっているからわかっていると思うけど、これ、受け取ってほしいの」
彼女が震える手で差し出したのは、ヴァスティール家の紋章が刻印された、白く気品のある招待状だった。
「私の誕生日パーティー、ヴァスティール領の本邸で行うの。……グラン殿にぜひ来てほしい」
「もちろん。誘ってくれてありがとう、ディア。君の晴れ舞台だ、必ず行くよ」
「本当……!? よかった……! 当日は馬車を用意させるから、安心してこちらへ向かってほしい。待っている!」
その日の夜、グランは王都にある工房で、アンサートーカーと共にディアドラへ贈る「リンクウェポン『白閃』」の最終調整に入っていた。
剣一筋の彼女のために選んだのは、聖域の素材で打った唯一無二の白い剣である。
「よし、分離機構の噛み合わせも完璧だ。これでソフィアの時のように二刀流としても扱える。それにディアドラが演習場で俺の『魔導無双剣』を必死に模倣しようとしていたのを見たからな。あの向上心には応えてやりたいんだ」
『マスター。あの技はあなた専用の魔力構成ゆえのもの。彼女に使えるようになるとお考えで?さらに前世のゲームにあった「ソードビット」まで再現するとは。遠隔攻撃まで可能にするおつもりですか? 』
「『魔導無双剣』は使えないかもしれない。でも、それがきっかけで彼女だけのオリジナル技が生まれるかもしれないだろ? それが楽しみなんだよ」
『……相変わらず、合理性とは別のところにこだわりますね。ですが、武器としての出来は最高値。文句のつけようもありません。それにしても、第6層で目当ての素材が出るまでジュエルゴーレムたちを虐殺し続けたのは、彼らが少し不憫でしたね』
「まあ、ドロップ率が低いからな、目当てのものがなかなか出なかったな」
『聖域の設定を弄ればドロップ率は一瞬で変えられたのですが。マスターの妙なこだわりには呆れます。まぁ、苦労して取ったほうが愛着が湧くし、贈り物としての重みが違うという理屈も、分からなくはありませんが』
そして当日。グランは学園前に用意された高級馬車に乗り込み、雪深いヴァスティール領へと向かった。
しかし、不運にも途中で猛烈な大雪に見舞われ、馬車は立ち往生を余儀なくされてしまう。
「グラン様、申し訳ありません……。全力で進めてはおりますが、間に合うにしても、パーティー開始時刻ギリギリの到着になりそうです」
『マスター。転移魔法の使用を推奨します。このままではディアドラ様の期待を裏することになりますよ』
「いや、転移は俺の正体を知っている者以外の前では使わない方がいい。それに、今使えば間に合うけど、この御者さんたちが仕事を放棄したと侯爵に責められるかもしれないだろ。彼らが侯爵に罰せられるのは忍びない。御者さんの言葉を信じてゆっくり待つとしよう。アンサートーカー、この領地について教えてくれ」
アンサートーカーは、ヴァスティール領がかつて帝国との最前線であり、高潔な騎士道精神が根付いた土地であることを解説した。
『約200年前までは帝国との小競り合いが絶えなかった地です。ゆえに騎士団の規律が強く、秩序があり、帰属意識が非常に高いのです。本来、それは平民を守るための高潔な精神であり、そこまで貴族主義的ではありませんでした。ですが、最近は何やら歪んだ「貴族主義」が蔓延しているようです。平民には少し暮らしづらい土地になってしまったようですね。秩序の高さが裏目に出ているのかもしれません』
ようやく屋敷へ到着したのは、パーティーが始まった直後だった。急いで会場へ向おうとしたグランの前に、門番が立ち塞がる。
「待て。平民は招待していない。ここは貴族の聖域だ。身の程をわきまえろ」
「ディアドラ様から直接招待を受けて参りました。これが招待状です。確認してください」
門番は差し出された招待状を奪い取ると、中身を少し見ただけでビリビリと破り捨て、雪の上に放り投げた。
「……っ! 何をするんだ! それはディアドラ様がわざわざ書いてくれたものだぞ!」
「黙れ。偽造した招待状で、平民が栄えあるヴァスティール家の敷居を跨げると思うな。消えろ、ゴミめ」
門番は冷酷に告げると、以降グランを無視して門を閉ざした。御者は既に去っており、グランはその場に立ち尽くす。
『マスター。ぶっ飛ばしますか? 私が演算をサポートすれば、この門番ごと門を消滅させることも可能ですが?』
「……いや、さすがにディアドラの家の門をぶっ飛ばすのは、彼女に申し訳ない。……ここで待つしかないな」
一方、会場内ではオリヴィアや四聖華の面々が、一向に現れないグランの身を案じていた。
「グランがまだいらっしゃらないなんて……。大雪で遅れているだけだといいますが、どうも嫌な予感がしますわ」
不安に揺れる彼女たちの前に、一人の傲慢そうな若い貴族がワイングラスを片手に近づいてきた。
「王女殿下、そんなに心配しなくてもよろしいかと。大雪なのです、身の程を知る平民なら、自分から出席を辞退したのでしょう」
「……あなたは誰? 失礼ですわ、グランが約束を破るような方ではないことは私たちが一番よく知っています」
オリヴィアが冷たく言い放つが、その男は今回のパーティーで発表される予定の「ディアドラの婚約者候補」を名乗った。
「私は今回の誕生パーティーの警備などを任されている身です。ゆくゆくはディアドラと共にこの領を盛り上げる男です。汚らわしい平民の心配など不要」
オリヴィアたちは、貴族主義が鼻につくその男を適当にあしらい、グランが来るのを待ち続けた。
しかし、ディアドラと侯爵が入場してきても、グランの姿は一向に見えない。
ディアドラは四聖華の三人に目配せをするが、三人は悲しげに首を横に振る。
その顔には深い落胆が滲んでいたが、ディアドラは壇上で「歴代最強の剣聖を目指し、この国とヴァスティールの剣になる」と力強く誓った。
続く「献上の儀」で、次々と貴族たちから贈り物が送られるが、グランはやはり現れない。
「これは何かあったに違いないわ。……ディア、少し席を外させてもらうわね」
王女と四聖華の三人は、意を決して会場を抜け出し、正門へと走った。
そこには吹雪の中、破られた招待状の前に、たった一人で耐えるように立ち尽くしているグランの姿があった。
「グラン! ……ひどい、門番に招待状を破り捨てられたなんて……!」
事情を聞いた四人は激昂し、門番に詰め寄ったが、門番は「自分は役目を果たしているだけだ」と平然と言い放つ。
そこへ、会場から先ほどの婚約者候補の男が現れ、勝ち誇ったように笑いながら近づいてきた。
「王女殿下、間もなく私とディアドラの婚約候補発表がされます。是非聞いていただきたい。……おい平民、お前のような者がヴァスティールと繋がろうなど身の程を知れ」
「……なるほど。そういうことか。みんな、悪いが今日は入れそうにないよ。俺がいるとまたややこしくなるだろうし」
「ダメよ! 今日はディアドラにとって一生に一度の特別な日なの! 私たちが何とかするから、グランはここにいて!」
四人は会場へ戻ると、王女は侯爵夫人に、四聖華はディアドラにそれぞれ事情を猛烈に説明した。
「夫人、入口でグランが不当に足止めされていますわ! すぐに案内するように衛兵に命じてください!」
「ディア、門番がグランの招待状を破り捨てたそうなの! あの男の仕業よ!」
激昂する彼女たちの声に会場がざわめく中、婚約者候補の男が割って入り、冷酷な声を張り上げた。
「平民を入れるなどヴァスティールの名が汚れる! ここは栄えある場所であり、貴族の聖域なのだぞ!」
「……勘違いしないでちょうだい。私はあなたを婚約者候補として認めた覚えなど一度もありませんわ。わたくしが認めている婚約者候補なら、他に相応しい方がいらっしゃいます。衛兵、今すぐグラン殿を案内しなさい」
ヴァスティール侯爵夫人が、周囲を凍りつかせるような冷徹な声で一喝した。
「なっ……! 夫人、平民に肩入れするなど貴族としてありえませんぞ! 侯爵、これでは神聖なパーティーが汚染されます!」
男が侯爵に縋り付くが、ヴァスティール侯爵は地を揺るがすような重圧を持って口を開いた。
「⋯⋯お前にそんなことを決める権限はない。私は貴族主義を否定はせん。⋯⋯だが、それは平民を虐めるためのものではなく、平民を守るための貴族としての精神だ。今まで多少は目をつぶっていたが、お前がここまで愚かだとは思わなかったぞ。⋯⋯今この瞬間、お前を候補から外す。二度と面を見せるな」
「侯爵、何を仰るのです! 私を外せば、我が一族からの支援が止まるのですよ!」
「そうなれば別の道を考えるまでだ。お前のような男とディアドラが結ばれる方が、我が家にとっては最大の衰退であり汚辱だ」
侯爵の峻烈な宣告に男が絶句している間に、グランが衛兵と共に会場に到着し、心配していた四人に囲まれた。
「……みんな、ありがとう。大丈夫。オリヴィア様、夫人に伝えてくださって感謝します」
グランは四聖華を伴い、壇上のディアドラたちの前へと進み出た。
「誕生日おめでとう、ディア。……今日の君は、誰よりも綺麗だよ」
「グラン殿……っ! 来てくれないかと……本当に、怖かった……!」
その言葉を聞いた瞬間、ディアドラの目から大粒の涙が零れ落ち、グランはそっとそれを指で拭ってやった。
「ごめん、遅くなった。……君のために、リンクウェポン『白閃』を持ってきたんだ。受け取ってくれるかな」
グランが収納魔法から、聖域の魔獣の皮で装飾された重厚な白箱を取り出した、まさにその時だった。
「……動くな!」
元婚約者候補の男が、会場中に響き渡るような狂気に満ちた叫び声を上げた。
グランはあえてその怒号を完全に無視し、ディアドラに武器の説明を続けようとした。
「ディアドラ、この剣は、君の剣技をさらに高みへと導くために――」
「貴様ぁぁぁ! 平民の分際で俺を無視するなぁぁぁ!」
男は突如として剣を抜き放ち、殺意を剥き出しにして、背後から全力でグランに向かって切りかかった。
静寂に包まれていた会場に、金属が擦れる鋭い音と、周囲の悲鳴が同時に鳴り響いた。




