第53話:綻ぶ包囲網
11月に入り、王立魔法学園を包む空気は冬の訪れを告げる冷気と、それとは正反対の熱気に支配されていた。
学園最大の伝統行事、「修練会対抗戦」の幕が上がると同時に、広大な遠征地を包む静寂は一変した。
「全軍、突撃! 数で押し潰せ! 『蒼白銀の翼』をこの学園から叩き出すのだ!」
連合軍の先鋒指揮を執る『獅子の盾』の幹部、ロラン伯爵家次男のゼクスが、冬の空に鋭く剣を掲げて叫んだ。
彼の背後には、連合軍の約6割、実に60名にも及ぶ重装備の兵力と魔導師がひしめき、地響きを立てて進軍を開始した。
彼らの目的はただ一つ、遠征地の最奥に陣取るわずか11人の拠点を陥落させ、そのフラグを奪うことである。
対するグランの拠点では、主将に代わり、今回の司令官を任されたルヴィリスが冷静な瞳で眼下の軍勢を捉えていた。
「……来ましたわね。エル、結界の維持をお願いしますわ」
「任せて。王女様とこの旗には、指一本触れさせやしないから」
四聖華エルスメリアが展開した不可視の魔力障壁が、拠点をドーム状に包み込み、物理・魔法両面での鉄壁の防御を敷く。
防衛の要として王女オリヴィアを中央に配し、ルヴィリスは迷うことなく部隊を左右の森林地帯へと分散させた。
「マルク、レキシ、グランは右の森へ! ベアトリクス、カロン、ニーナは左の森へ!」
「「「了解!!」」」
三名一組で組まれた二つの遊撃部隊が、音もなく左右の深い森へと吸い込まれるように消えていく。
「ディア、ソフィ、私たちは正面からあの方々を丁寧にお迎えしましょう。……まずは挨拶代わりですわ」
ルヴィリスがリンクウェポン『紅蓮』の弓に、大きめの炎の矢を展開し前方上空に構える。
「焼き尽くせ――『紅蓮千華』!」
放たれた炎の矢は空に上がりやがて下降していく。すると一筋の光が分裂し千の矢となって降り注ぐ、逃げ場のない炎の豪雨となった。
最前線で猛り狂って突撃していた連合軍の足元で爆炎が次々と上がり、阿鼻叫喚の渦の中でその進撃速度が目に見えて鈍っていく。
「くっ、怯むな! 相手はたったの三名だ! 数の暴力を教えてやれ、押し通れ!」
ゼクスの怒号に突き動かされ、火を逃れた精鋭たちがディアドラとソフィアに向かって肉薄する。
「わたくしの光は、逃れることなど決して許しませんわ」
ディアドラの放つ高輝度の光魔法が敵の網膜を焼き、一時的に視界を奪われた者たちをソフィアの極寒の冷気が足元から凍りつかせていく。
三人の四聖華は、あえて自拠点に引きつけるように戦線を下げ、殺到する敵の軍勢を縦に長く、蛇のように引き伸ばしていった。
「今ですわ! 伏兵、突撃開始!」
ルヴィリスの鋭い合図と共に、左右の森から二つの部隊が、獲物を狙う猛禽のごとき速度で飛び出した。
「おらぁぁ! 腹が空いてるんだよ、連合軍の坊ちゃん方! たっぷり可愛がってやるぜ!」
右翼から突撃したマルクとレキシが、先頭を行くグランの背を追って敵軍の後方を容赦なく断ち割る。
「……無駄な抵抗はやめて、大人しく退け」
グランが静かに振るう魔力の刃が、後方の支援部隊をまとめて薙ぎ払い、文字通り道を作っていく。
一方、左翼ではベアトリクス率いる組が、分断されて孤立した中央の軍勢を次々となぎ倒していく。
「ニーナ、カロン、行くよ! 私たちが『蒼白銀の翼』であることを、その身に刻んであげよう!」
「わかってるって、ベアトリクス様! 邪魔な盾持ちから順に片付けてあげるわ! 弾幕展開!」
ニーナの放つ正確無比な魔弾が敵の重装盾の僅かな隙間を突き、怯んだところをカロンの剛脚が重装鎧ごと粉砕していく。
「な、なんだこの強さは……!? 平民の攻撃が、なぜ伯爵家の魔法障壁をいとも容易く貫通するんだ!?」
悲鳴と共に、プライドの高い上位貴族たちが次々と戦闘不能に陥り、拠点へと敗走していく。
その戦況報告は、後方で待機していた連合軍主将たちの元にも、驚愕と共に届けられていた。
「報告します! 前衛60名、壊滅的な打撃を受けて後退中! ……特に、グラン・グラニアスではなく、平民出身の数名によって伯爵家を含む令息たちが10名以上、一瞬で戦闘不能にされました!」
「馬鹿な……。聞き間違いではないだろうな?」
『獅子の盾』主将、ガウル・ヴォルフラムは、眉間に深い皺を寄せ、戦慄を隠しきれなかった。
「グランや四聖華が化物じみているのは分かっていた。だが……あの平民共はなんだ? 入学してから魔法もろくに使えなかった平民だろうが!」
『白光の杖』主将のアルフォンスも、冷静さを欠いた手つきで眼鏡を押し上げた。
「……ありえない。伯爵家の血筋が持つ魔力量と術式の精度が、たかだか三ヶ月程度の特訓を受けただけの平民に力負けするなど、学園の歴史始まって以来の異常事態だ」
「ガウル主将、アルフォンス主将! 敗走してきた者たちの証言によれば、彼らは魔法だけでなく、強力な身体強化術と魔力を物理的な打撃に変換する戦闘術を習得しているとのことです!」
「……あのグランという男、自分たちが強くなるだけでなく、平民を短期間で騎士並みの戦力に仕立て上げたというのか」
ガウルは拳を握りしめ、震える声で絞り出した。
「おのれ……。あいつは個人ではなく、一個の『軍隊』をその手で作り上げていたのか。恐ろしい男だ」
「だが、ガウル. まだ焦る段階ではない。我々にはまだ無傷で健在な精鋭40名が残っている」
「……あいつらに、これ以上の後れを取れというのか、アルフォンス」
「冷静になれ。今日離脱した60名も、数日休養すれば戦線に復帰できるルールだ。数の優位で押し潰すという当初の策を遂行するしかない」
一方、初戦で鮮やかな勝利を収めた『蒼白銀の翼』の拠点では、勝利の歓喜に浸る者は誰一人いなかった。
「……皆、お疲れ様。見事な働きでしたわ。ですが、本当の地獄はこれからですわよ」
ルヴィリスが司令部の地図を見つめながら、帰還して息を整えるメンバーたちに告げる。
「今の衝突で、相手の主戦力である各修練会の主将クラスは、ただの一人も表に出てきませんでした。これは単なる威力偵察、あるいは私たちの魔力と体力を削るための冷酷な消耗戦ですわ」
「長期戦になる、か. ……へっ、望むところだ。受けて立とうじゃねえか」
マルクが顔の汗を乱暴に拭いながら不敵に笑うと、他のメンバーもそれぞれの持ち場に戻り、厳重な夜の警戒態勢に入った。
深夜、冷え込む拠点の司令部では、魔法灯の微かな光の下でルヴィリスが一人、地図と睨み合っていた。
敵の夜襲の可能性、進軍ルートの再計算、再合流の時間……あらゆる変数を思考の海に沈め、彼女は自身を追い込んでいた。
そこへ、冷えた空気を切り裂くような静かな足音が背後から近づいてきた。
「……ルヴィ、あまり根を詰めるな。これ、暖かい飲み物だ」
「あ、グラン……。ありがとう、ちょうど温かいものが欲しかったところよ」
差し出されたカップを受け取ると、スパイスの効いたミルクの柔らかな香りが、彼女の張り詰めた心を優しく解かした。
「休むのも指揮官の重要な仕事だ。お前が常に元気でいなければ、従う者たちの心に迷いの雲が生じることになる」
「……耳が痛いですわね。グランの言う通りだわ。指揮官が弱音を吐くわけにはいきませんもの」
ルヴィリスは自嘲気味に苦笑し、少しだけ肩の力を抜いて、置いてあったソファに深く体を預けた。
グランは傍らに置かれていた厚手の毛布を手に取り、彼女の華奢な肩に優しく掛けた。
「被っておけ。この時期の夜風は体に毒だ。明日からの戦いに障る」
「……もう少し、隣にいて、 グラン」
毛布の端をギュッと掴んだルヴィリスが、今にも消え入りそうな、いつになく弱気な声で呟く。
グランは無言で首を縦に振り、彼女の隣に静かに腰を下ろした。
二人は一枚の毛布に身を寄せ合い、肩を並べて、暗い森の向こうで光る敵軍の篝火を見つめていた。
「……グラン。私、本当にこの11人で、あの100人の軍勢に勝ちきれるのか、不安なの」
「ルヴィらしくないな。今日の初戦、お前の立てた策は完璧に機能していた。敵を翻弄し、最小の犠牲で最大の戦果を上げたじゃないか」
「それは、皆さんが私の想像以上に強かったからよ。でも、向こうにはまだ温存されている実力者が山ほどいて、数でも圧倒されているわ……」
ルヴィリスの言葉を遮るように、グランは彼女の燃えるような紅い髪を、大きな手で優しく、慈しむように撫でた。
「俺はお前の指揮を信じている。そして、この過酷な鍛錬を共に生き抜いてきた『蒼白銀の翼』の全員を信じている。自分に自信を持て。俺が、全権を託した司令官なんだからな」
「……ずるいわ、グラン。そんな風に言われたら、もう一歩も引けなくなるわ」
ルヴィリスは頬を林檎のように赤らめながら、安堵したようにグランの肩に頭を預け、そのまま数分もしないうちに、静かな寝息を立て始めた。
グランは彼女を起こさないよう細心の注意を払い、そっとソファに横たわらせ、毛布の隙間がないように整えた。
静まり返った室内で、グランは意識の奥底に潜む、相棒へと語りかける。
(アンサートーカー、今回の戦い、お前の力を借りないでおこうと思うのだが、どうだ?)
『……マスター。それは、ルヴィリス様の軍略、そして仲間たちの成長を最後まで信じ抜く、ということでよろしいのですか?』
(ああ。俺だけの知識や力で勝つのは容易いが、それじゃ意味がない。仲間たちが、自分たちの足で立ち、自分たちの手で勝利を掴み取ることに、この対抗戦の本当の価値がある。……それに、お前の全知を使うのは、少々公平じゃないだろ?)
『了解しました。マスターの意思を尊重いたします。では、前回の魔導大会時と同様、思考の加速や最低限の戦闘補助機能のみを維持し、戦局への直接的な干渉は控える形にします。』
(ああ、それで頼む。最高の舞台を汚したくないからな)
思考を現実へと切り替えたグランの元へ、暗闇を割って二つの馴染み深い人影が近づいてきた。
「グラン、見張りの交代だ。……おっと、司令官様は夢の中か」
マルクとレキシが、ルヴィリスを起こさないよう極限まで足音を殺して現れた。
「ベアトリクスたちの組と交代だ。あいつら、明日こそ平民組の意地を見せて、貴族の鼻を明かしてやるって息巻いてたぜ」
「そうか。悪いがここから警戒を頼んだぞ. ……ルヴィリスを起こさないように、静かにやってくれ」
「ああ、わかってる。グランも今まで起きてたんだ、少しは休みな」
グランは眠るルヴィリスの寝顔をもう一度だけ優しく見守り、結局、明け方まで自らも哨戒に立ち続けた。
暗い森の奥で蠢く連合軍の不気味な静寂を感じながら、伝説として語り継がれることになる対抗戦の初夜は、刻一刻と朝へと向かっていく。




