第52話:孤高の翼と百人の軍勢
11月に入り、王立魔法学園を包む空気は一変した。
黄金色だった木々は冬の訪れを前にその葉を落とし始め、代わりに学園内には焼けるような熱気が満ちていた。
学園最大の伝統行事、「修練会対抗戦」の時期がやってきたからである。
例年であれば、この対抗戦は学園が指定した遠征地を舞台に行われる。
各修練会から選抜された10名の代表が、一週間の期間中に自陣の拠点を守りつつ、相手の拠点を陥落させるという、戦略的かつ過酷なルールだ。
自拠点内の「フラグ」を奪われれば負けとなるが、一週間のうちなら何度でも奪い返せるため、前半にフラグを集めても後半に一気に取り返されることも珍しくない。
武力だけでなく、高度な戦略知識と持久力が試される、いわば軍事演習に近い実戦形式の戦いである。
だが、開催を三日後に控えたその日、主将であるグランは学園長室に呼び出されていた。
「……11人対100人、ですか」
グランは、学園長から提示された羊皮紙を眺め、呆れたように息を吐いた。
「左様だ。貴族主義の理事たちが、君たちの戦力は『過剰』だと騒ぎ立ててね。本来のルールである10名同士の選抜戦では、開始数分で広域魔法によって勝負が決してしまう。それでは対抗戦の意義がない……というのが彼らの言い分だ。ただ、人数差があるから『蒼白銀の翼』は全員出ていいということだ」
学園長は深いため息をつき、眼鏡の縁を指で押し上げた。
「事実上、君たち『蒼白銀の翼』を全修練会で包囲し、潰しにかかるための特別ルールだ。人数の差はほぼ10倍。辞退しても構わんのだよ、グラン君。これはあまりにも不当な要求だ」
しかし、グランの口角は不敵に吊り上がった。
「いいえ、学園長。面白いじゃないですか。有象無象が何人集まろうが結果は同じだと思っていますが……ちょうど、仲間たちの仕上がりを実戦で見たかったところです。その条件、呑みましょう」
「……君ならそう言うと思ったよ。だが、無理はせんでくれ。君が怪我でもしたら、私は王家と四侯爵に首を撥ねられかねんからね」
学園長は冗談めかして言ったが、その顔には疲労の色が濃い。グランはそれを見逃さなかった。
「学園長。今まで陰で俺たちを、特に平民の生徒たちを守ってくださってありがとうございます。これ、お礼です。最近、お疲れのようですから」
グランは懐から、青白く発光する小瓶を取り出し、机に置いた。
「これは……まさか、エリクサーか!? しかもこの純度……なぜ君がこのような至宝を」
「ただのエリクサーじゃありません。少し『若返り』の成分を混ぜておきました。……一気にいってください」
学園長は驚愕に目を見開き、震える手でその瓶を掴んだ。
彼は迷うことなく栓を抜き、一気に飲み干した。
直後、彼の身体を眩い光が包み込む。
「おお……おおお! これは……!」
光が収まったとき、そこにいたのは先ほどまでの枯れた老人ではなかった。
白髪混じりだった髪には艶が戻り、顔の深い皺が消え去っている。
見た目にして10歳以上の若返り。だがそれ以上に、彼から放たれる覇気が一変していた。
かつて「賢者」と称えられた全盛期の魔力が、その肉体に再燃していた。
「素晴らしい……。身体が軽い。魔導の深淵を、まだこの目で見続けられるとは。感謝するぞ、グラン・グラニアス」
「いいえ。……では、対抗戦、必ず勝ってみせます」
グランは一礼し、覇気を取り戻した学園長の背に送られながら、仲間たちが待つ演習場へと戻っていった。
演習場には、『蒼白銀の翼』の全メンバーが集結していた。
グランから対抗戦の「11対100」という無茶な条件を聞かされると、場は一時騒然となった。
「100人!? いくらなんでもふざけてるわ! 貴族主義の連中、そこまでしてグランを……私たちを貶めたいの!?」
四聖華のルヴィリスが怒りに声を震わせ、周囲の地面が彼女の魔力に反応して微かに揺れる。
同じく四聖華のエルスメリア、ディアドラ、ソフィアも、不愉快そうに眉をひそめていた。
しかし、王女オリヴィアは静かに一歩前へ出た。
「……いいえ、ルヴィ。これはチャンスですわ。学園長が仰った通り、この圧倒的な不利を覆して私たちが勝利すれば、貴族主義の理事たちも二度と手出しはできません。卒業まで、誰にも邪魔されずに誇り高く過ごすための、これが最後の大掃除ですわ」
オリヴィアの言葉に、平民組のマルクが拳を合わせた。
「ああ、王女様の言う通りだ! 100人だろうが1000人だろうが、俺たちはグランについてきたんだ。あいつが見せてくれる夢の続き、ここで終わらせるわけにはいかねえよな!」
「そうね、レキシ、カロン。私たち、あの頃の頼りなかった平民じゃないもの。今の私たちなら、上位貴族が相手でも……!」
ニーナが瞳を輝かせ、仲間たちと頷き合う。
その横で、男爵令嬢のベアトリクスは、グランの服の裾をそっと掴んだ。
「……グラン。私、あの日『獅子の盾』に入らなくて本当に良かったと思ってる。あのままだったら、私は貴族主義に飲まれ腐ってしまってた。だから……今回は、グランのために頑張る。」
ベアトリクスが告げる言葉に、エルスメリアら四聖華とオリヴィアはピクリと反応した。
(……またライバルが増えましたわね)
(ベアトリクスさん、意外と積極的ですわ……)
彼女たちは内心で頭を抱えつつも、すぐに真剣な表情に戻り、グランへ視線を向けた。
「グラン君、貴方は私たちの光です。今度は、私たちがその恩を返す番。……みんな、対抗戦まで徹底的に鍛え直しましょう」
開戦までの三日間、演習場にはこれまでの比ではない、凄まじい魔力の奔流と気合が渦巻くこととなった。
その頃、学園の会議室では、もう一つの「異変」が起きていた。
『連合軍』となる各修練会の主将たちが一堂に会していたが、そこには重苦しい沈黙が流れていた。
「……正直、100人で囲んだところで勝てるとは思えん」
口を開いたのは、最大勢力『白光の杖』の主将だ。
彼は魔導大会で四聖華とグランの戦いを見ており、そしてヴィクトールの一件もありその底知れなさを肌で感じていた。
「臆病風に吹かれたか、白光の主将ともあろう者が。数こそが力だ。しょせん平民だ。魔法学園の歴史で、100人がかりで負けた例などない」
『獅子の盾』の幹部が鼻で笑う。
その傲慢な態度に白光の杖の幹部も対抗し、会議室が殺気立つ。
ドォン!
凄まじい衝撃音が響いた。
『獅子の盾』の主将――将来の近衛騎士を約束された学園最強格の騎士が、机に拳を叩きつけたのだ。
頑丈な造りの机が、一撃で真っ二つに割れる。
「……修練会費で直しておきますね、主将」
隣で冷静に副主将が呟くが、主将の目は笑っていなかった。
彼はその場にいる全員を、射殺さんばかりの鋭い眼光で見回した。
「お前ら……相手を舐めすぎだ。俺は1年生の魔導大会、そしてこれまでのグラン・グラニアスの動きを見てきた。四聖華や王女が規格外なのは言うまでもないが、あの平民は次元が違う。100人どころか、全校生徒を集めてぶつけたところで、あれに勝てると本気で思っているのか?」
会議室の空気が氷結した。
学園騎士の頂点に立つ男が、これほどまでの敗北宣言にも似た評価を下したのだ。
「……では、どうする?」
『白光の杖』の主将が問う。
すると、『獅子の盾』の主将は立ち上がり、右手を差し出した。
「共通の敵を倒すために、すべての修練会の垣根を取り払い、死物狂いで連携する。個人の実力で勝てないなら、兵法を尽くすまでだ。……まさか卒業間際に、お前と手を組むことになるとはな」
『白光の杖』の主将は一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに不敵な笑みを浮かべてその手を握り返した。
「奇遇だな。俺も、貴殿の実力には敬意を抱いていた。……面白い。学園史上、最も熱い一週間にしようじゃないか」
かつて反目し合っていた二大修練会。
グランという巨大な壁を前に、彼らの間には奇妙で、それでいて強固な絆が生まれつつあった。
対抗戦当日。
遠征地の最奥の拠点に、『蒼白銀の翼』の面々は立っていた。
眼下には、完璧な陣形を組み、規律正しく進軍してくる100人の連合軍が見える。
「……さて。今回の作戦だが」
グランの声に、10人の視線が集まる。
「相手は100人。1週間も期間があるが、それでも本来ならオリヴィア様の全属性魔法、ルヴィの火炎魔法、エルの暴風魔法、ディアの光魔法、ソフィの氷結魔法……これの大規模広域魔法の乱発でほぼ終わるが、それでは何の意味もない。だから今回は、大規模広域魔法の使用を禁止する。あえて不利な条件で、敵を倒しつつ拠点を攻め、フラグを持ち帰る。数の暴力で押し負けるかもしれないが、それをカバーして勝つのが今回の鍛錬の集大成だ」
グランはメンバーを一人ひとり見つめた。
「ルヴィ、お前を全体の司令塔に指名する。俺はお前の指示に従って動く。……いいな?」
「……はい! 了解しました、主将!」
ルヴィリスは緊張と高揚の混ざった表情で背筋を伸ばした。
他のメンバーも、かつてないほどのプレッシャーを感じながらも、その瞳にはグランへの絶対的な信頼と、闘志が宿っていた。
「さあ、始めよう。――俺たちの強さを、世界に刻むぞ」
グランの言葉と同時に、開戦を告げる魔導信号が空高く打ち上げられた。
赤く染まった空の下、11対100の伝説的な戦いが、今、幕を開ける。




