第44話:越えてはいけない線
始業式が終わり、講堂から教室へ戻る道すがら、グランはクラスメイトたちに囲まれていた。
「おいグラン、お前すごいな! 王女殿下に指名されるなんて、平民の星どころか伝説だぞ!」
「ああ、王女殿下の手を握った感触はどうだった? 完全に茶化してるけど、誇っていいぞ!」
半分羨望、半分からかいの混じった言葉を浴びせられ、グランは心底面倒そうに肩をすくめた。
「……光栄だとは思うけど、俺は何も聞いてないんだ。完全に寝耳に水だよ」
ごちるように呟き、彼は自分の席に座って窓の外を眺めた。王女オリヴィアの真意がどこにあるのか、今の彼には測りかねていた。
一方その頃、貴族専用校舎の特別応接室では、四聖華の面々とオリヴィア王女が対峙していた。
「オリヴィア様、単刀直入にお聞きしますわ。なぜ、彼……グラン・グラニアスを指名されたのですか?」
ルヴィリスが、代表して問いかける。彼女たちの瞳には、王女に対する敬意と、同時に譲れない独占欲が火花を散らしている。
オリヴィアは自身の『魔力核欠乏症』をグランに救われた事実を隠しつつ、穏やかな微笑みを崩さなかった。
「ふふ、そんなに怖い顔をしないで。彼はあまりにも特異な才能の持ち主でしょう? 心ない貴族や政争の道具にされる前に、王家が保護すべきだと判断したの」
「それは……確かに、彼の力は危険なほどに魅力的ですが……」
「……安心して。私自身、彼に特別な恋慕があるわけではないわ。誤解しないでちょうだい」
オリヴィアは鈴を転がすような声で言い、さらに言葉を重ねた。
「それに、訓練相手は別に彼一人に絞るつもりもないの。皆さんもぜひ、私と一緒にいかがかしら?」
四聖華にとって、王女の誘いは願ってもないものだった。彼女たちは顔を見合わせ、力強く頷いた。
放課後、平民校舎の訓練場近くにいたグランのもとに、一人の貴族生徒がやってきた。オリヴィアの側近の一人だ。
「グラン・グラニアスだな。王女殿下がお呼びだ。ついてこい」
(……態度悪いな)
グランは黙ってその後に続いた。
しかし、校舎の裏手に入ったあたりで、その側近の貴族生徒が蔑むような視線を投げかけてきた。
「まったく、殿下の気まぐれにも困ったものだ。貴様のような平民が、選ばれたことに調子に乗るなよ」
「……別に、乗ってないけどな。ブーン」
グランの適当な返事に、側近の顔が怒りで歪んだ。
「ふん、その減らず口。あの四聖華の令嬢たちも、貴様のような平民にたぶらかされた哀れな女共だ。全く、貴族の面汚しもいいところだな」
その瞬間、グランの周囲の空気が凍りついた。
「……今、なんつった?もういっぺん言ってみろ」
「耳まで悪いのか? 才能はあるのかもしれんが、所詮は平民に色目を使うあばずれだと言ったんだ。貴様も、あの女共も――」
「おい、クソガキ。あんまり調子に乗ってると、その汚い頭、今ここでザクロにするぞ」
グランから放たれた殺気に、側近の生徒は一瞬怯んだが、すぐに虚勢を張って叫んだ。
「平民が貴族に対して何たる無礼! 良いだろう、二度とその口が利けないようにしてやる! 決闘だ!」
演習場に到着すると、そこには既にオリヴィアと四聖華が待っていた。
「決闘だ。今からこいつに地獄を見せる」
グランの冷徹な声に、女性陣は驚愕して駆け寄った。
「グラン君! どうしたの、一体何があったの!?」
「グラン殿、落ち着いてください。王家の『側近』相手に決闘なんて、あなたの立場が……!」
必死に止める四聖華に対し、グランは感情の消えた瞳で言い放った。
「こいつは、絶対に許されないことを言った。……この決闘で俺が王家や貴族にどう思われようが、一向に構わない」
オリヴィアは、ただ事ではないグランの様子に、側近の貴族を問い詰めた。
「言いなさい。あなたは、彼に何と言ったの?」
側近の生徒はしどろもどろになりながら、グランが四聖華をたぶらかしたこと、そして彼女たちを「面汚し」と呼んだことを白状した。
オリヴィアの顔から血の気が引いた。彼女は自身の側近が犯したあまりに愚かな暴言に、激しい怒りと羞恥を感じた。
「グラン……! 申し訳ありません、私の不徳の致すところです。どうか、彼に代わって私が謝罪を――」
「王女様、これは謝って済む問題じゃない。ただ、あなたは貴族と平民の壁を嘆いていた。だから、あなたには申し訳ないと思う」
グランは一歩前に出ると、周囲に集まった野次馬の貴族たちを一掃するように睨みつけた。
「だが、今ここで見ている全ての貴族が、二度と俺や俺の仲間に逆らえないくらい、こいつを血祭りに上げる。おい、お前ら!平民だからってあんま舐めてると、こいつみたいになるからな、よく見ておけ!」
「平民ごときが勝てると思うな! この演習場の結界は俺が設定して強化済みだ。永遠にいたぶってやる!」
ルールは「どちらかが負けを認めるまで」。側近の生徒は卑怯にも、結界を利用してグランを逃がさず痛めつけるつもりだった。
しかし、勝負は一瞬だった。
グランの拳が側近の顔をぶん殴り、その衝撃だけで結界の端まで吹き飛ばした。
崩れ落ちる相手の喉を、グランは貫手で潰した。
「……が、ぁ……あ……」
「喉を潰した。もう降参することはできないな? お前は俺に言ったよな? 永遠に殴られる恐怖と苦しみを味わえ!」
グランは側近の生徒の髪をつかみ、演習場の中央に引きずり戻し、野次馬の貴族たちに見せつけるように、殴り続けた。
「………!」(がっ…やめ……参った……)
喉を潰されて声が出せない側近の、肉が潰れる鈍い音が響き渡り、観衆の貴族たちは恐怖で凍りつき、その凄惨な場面を見て嘔吐しているものもいた。
「もうやめて、グラン! お願い、死んじゃうわ!」
「グラン殿、冷静になってください!」
演習場の結界を解除した四聖華とオリヴィアが、背後からグランの体に必死にしがみついて止める。
『マスター、冷静に。アンサートーカーより提言。これ以上の継続は精神に修復不能な変質をもたらします』
脳内に響く無機質な声に、グランは辛うじて拳を止めた。
血に染まった拳を見つめ、グランは深いため息を吐き、王女たちの手を振り払った。
「……今日はもう、訓練どころじゃないな。王女殿下、四聖華のみんな。すまなかった」
グランはその場で、彼女たちに向かって土下座をした。
「俺は、こういうこともする男だ。……もう、君たちのような高貴な人たちとは関われない」
それだけ言い残すと、彼は一度も振り返ることなく、独り自宅寮へと帰っていった。
自室に戻ったグランは、ベッドに腰掛け、アンサートーカーからの猛烈な説教を受けていた。
『マスター、今回の行動は極めて短絡的です。リスク管理が崩壊しています』
「わかってる……いや、わかっていなかったな。ここまでキレたのは、魔王と勇者の時以来だ」
そしてアンサートーカに礼を言う。
「……それにありがとうな。決闘の時、俺が気づかないうちにステータス値を調整したんだろ?」
(あのままだと最初の一撃で相手は死んでいました。……あなたの力は弱きを助け強きを挫く、あのような者のせいで手を汚す必要はありません)
「……お前も結構ブチギレしているじゃないか」
(当たり前です。……さて、お客様がいらっしゃいましたよ)
反省していると、不意に部屋の扉がノックされた。開けると、そこにはレインが立っていた。
「……レインか。悪いが、今は一人にしてくれないか」
「庭園に来てください。みなさん、お待ちしております」
「四聖華や王女がいるなら行かない。合わせる顔がないんだ」
グランの拒絶に、レインは真っ直ぐな瞳で彼を見つめグランの手を握る。
「グラン、ここで逃げたら、あなたは一生後悔します。……あなたが怒った理由は、皆さんちゃんと分かってくれています」
レインに半ば強引に連れられ、夜の庭園に向かうと、そこには案の定、四聖華とオリヴィアがいた。
気まずそうにするグランに、ルヴィリスが最初に口を開いた。
「あの者を問い詰めましたわ。……私たちに聞かせたくないことも言っていたから、あそこまで怒ってくれたのでしょう?」
「……やりすぎたとは思ってる。すまない」
「いいえ。感謝しているわ。あなたがどれほど私たちのことを大切に思ってくれているか、痛いほど伝わったもの」
オリヴィアも一歩前に出た。
「あの者は側仕えから既に外しました。次は平民に理解のある者を側に置きます。だから、もう気にしないで」
彼女たちの優しさに、グランは憑き物が落ちたように肩の力を抜いた。
「悪い。俺の方が、頭に血が上りすぎた。……本当にすまなかった」
素直な謝罪に、場は和やかな空気に戻った。
しかし、ルヴィリスがいたずらっぽく微笑む。
「でも、これだけの騒ぎを起こしたのは事実ですわ。埋め合わせをしてもらいますわ」
「埋め合わせ? 何をすればいい?」
「……今度の休日に私たちとデートしましょう」
その言葉に、他の三人も期待に満ちた目でグランを見る。
「……ああ、それで許してくれるならいい」
返事を聞いた四聖華たちは狂喜乱舞し、王都のデートプランを話し始めた。
自室に戻ったその夜、グランは頭を抱えた。
精神年齢はアラフォーのはずなのに、ガキ相手に本気でキレてしまった自分に呆れる。
『マスター、おそらく肉体の成長に伴うホルモンバランスの変化に、精神が引っ張られています』
「……引っ張られてる、だと?」
『肯定。いずれあなたの精神は、肉体年齢にふさわしいものへと完全に同期されるでしょう』
「二度目の人生で、またガキに戻るのかよ……。まあ、それでもいいか」
半ば諦めの境地に至り、グランは夜空に浮かぶ白銀の月を見上げた。
その様子を、遥か天界から見ていた女神アリスティアは、プルプルと震えていた。
「……ひえぇ、さっきのグランのキレ方、シャレになってなかったわよ……。私まで少しビビっちゃったじゃない……」
自分が転生させた普通の一般人も、大切な人のために理性を捨てる瞬間の恐ろしさを、女神もまた思い知らされるのだった。




