第41話:今の思い
白濁とした湯気が立ち込める大浴場。
そこには、一国の軍隊に匹敵する、あるいは凌駕するほどの戦力を持った五人の男たちが、一堂に会していた。
ヴァーミリオン侯爵の放った「娘をどう思っている」という、重い問いが、空間を支配する。
グランは湯船の縁に頭を預け、天井から滴る雫を見つめながら、逃げ場がないことを悟った。
ここで適当な誤魔化しを言えば、この鋭い洞察力を持つ親たちが納得しないことは目に見えている。
「⋯⋯わかりました。今の正直な気持ちを話します」
グランは意を決して、四人の侯爵たちの視線を正面から受け止めた。
「まず、ルヴィリス様。彼女の貴族としての高潔な精神、そして仲間をまとめ上げるリーダーシップは本当に素晴らしい。彼女が前を歩くだけで、誰もが背中を預けたくなる、そんな魅力があります」
ヴァレンタイン侯爵が、鼻を鳴らしながらもどこか満足げに口角を上げた。
「エルスメリア様は、その柔らかな物腰とは裏腹に、仲間を守るという意志が誰よりも強い。彼女の優しさは、戦場において何よりも強固な盾になります」
「ディアドラ様は、剣に対してどこまでも実直だ。その迷いのない剣筋と、凛とした立ち振る舞いには、武人として尊敬の念を抱いています」
最後に、グランは一番変化の大きかった少女を思い浮かべた。
「そしてソフィア様。彼女は自分のことを落ちこぼれだと言いますが、それは過去の話です。今の彼女があるのは、俺が教えたからじゃない。彼女自身が、人の何倍も、何十倍も血の滲むような努力を重ねたからです。その努力の才能は、四人の中でも随一だと思っています」
娘たちの本質を見抜き、手放しで称賛するグランの言葉に、侯爵たちは互いに視線を交わし、深く頷いた。
しかし、ここで終わるほど甘くはなかった。ここでまさかの寡黙なヴァレンシア侯爵が追い打ちをかける。
「⋯⋯評価はわかった。だが、それはあくまで『仲間』としてのものだろう。⋯⋯単刀直入に言う。恋愛対象として、娘たちをどう見ている?」
(⋯⋯ですよねー)
グランは思わず湯を飲み込みそうになった。この親たちは、魔物の弱点を突くよりも正確に、こちらの逃げ道を塞いでくる。
「⋯⋯確かに、四人とも女性として魅力的すぎます。正直に言えば、今の俺に誰か一人を決めることはできません」
グランは観念したように、隠していた本音を吐露し始めた。
「それに、俺は平民という立場で学園に入っています。高位の爵位を持つ皆様の令嬢が、俺のような出自不明の平民と結ばれるなど、外聞が悪くなるのではありませんか?」
その言葉に、ヴァレンタイン侯爵が豪快に湯を跳ね上げながら笑い飛ばした。
「外聞だと? 笑わせるな。お前のような規格外の、神の遣いを自称する男が身内に加わるのだ。そんなくだらん体裁、俺たちの力でいくらでも捻り潰してやるわ」
「我々も貴族の前に人の親だ。娘の幸せを願うのは当たり前。無理に今すぐ選べとは言わんが、あの子たちの気持ちを無碍にすることだけは、この俺たちが許さんぞ」
その後、男たちの話題は魔法の術理や武勇伝へと移り、裸の付き合いという名に相応しい、奇妙で熱い連帯感が生まれた。
翌朝、聖域に眩い朝日が差し込む。今日から四日間の休暇だ。
侯爵夫妻たちは、「若い者だけで羽を伸ばすがいい」と言い残し、自分たちは第2層へ鍛錬に出かけることを宣言した。
「皆様、念のためにこれを持って行ってください」
グランは各家に、自分が錬金術で作った、聖域限定で効果を発揮する「蘇生薬」、「エリクサー」そして緊急用の「転移スクロール」を手渡した。
その希少価値を知る侯爵たちは目を丸くしたが、ヴァレンタイン侯爵が代表して、グランの肩を叩いた。
「恩に着るぞ。⋯⋯それと、娘を頼んだぞ」
親たちが意気揚々と転移門をくぐり、凪の里には五人の若者だけが残された。
「さて、久しぶりの休暇だけど、みんなは何をしたい?」
グランが尋ねると、ソフィアが少し控えめに、しかし期待に満ちた瞳で手を挙げた。
「あの⋯⋯以前のお茶会で食べた、グラン様特製のロールケーキが、また食べたいです」
その提案に、他の三人も一気に賛成の声を上げた。それならばと、今日はお茶会を楽しむことに決まる。
グランは厨房で手際よく生地を焼き、聖域で採れた新鮮な果実をふんだんに使った特製ロールケーキを完成させた。
四聖華の少女たちは、手慣れた様子でテラスにテーブルをセッティングし、極上の茶葉を淹れる。
甘い香りと和やかな会話。血生臭い鍛錬の日々が嘘のような、穏やかなひと時が流れていった。
そして夜は、凪の里に初めて来たときに食べた、カレーライスが食べたいと言い、グランは腕によりをかけて作り、みんなは幸せそうに食べていた。
だが、グランはこの時、まだ気づいていなかった。親たち、特に夫人から背中を押された少女たちが、もはや「待ち」の姿勢ではないということに。
その日の夜、心地よい疲れと共に自室で眠りにつこうとしたグランの耳に、控えめな、しかし確かなノックの音が届いた。
扉を開けると、そこには寝間着姿で顔を赤らめたルヴィリスが立っていた。
「ルヴィ? こんな時間にどうした?」
「⋯⋯今日は、一緒に寝てくださらないかしら」
「はぁ!? さすがにそれは色々と不味いだろ。侯爵たちにバレたら⋯⋯」
「お母さまは許可してくれたわ。⋯⋯それに、何が起こっても大丈夫よ。私が、そう決めたんだから」
有無を言わせぬルヴィリスの勢いに押され、グランは渋々と、本当に渋々と彼女を部屋に招き入れた。
同じベッドに入ると、至近距離で彼女の甘い香りと体温が伝わってくる。ルヴィリスはグランの腕を抱きしめ、じっと見つめてきた。
「⋯⋯さっきは、ああ言ったけど⋯⋯続きは、まだ早いって。でも今日はこうして、あなたの隣にいられるだけで満足なんだから」
そう言って幸せそうに微笑む彼女の横顔に、グランは激しい動悸を抑えながら、一晩中素数を数え続けることになった。
翌朝、悲劇は起きた。
グランが重い瞼を開けると、ベッドの横には仁王立ちするソフィア、エルスメリア、ディアドラの三人がいた。
三人の背後からは、見るからに禍々しい「静かな怒り」のオーラが漂っている。
「⋯⋯ルヴィ、抜け駆けとはいい度胸ですわね」
「まだ、体の関係はないわ! でも、私が一歩リードしたのは事実よ!」
「そんなの認めません!」「次は私の番です!」
結局、休暇の残りの三日間は、公平を期すために残りの三人が交代でグランと一緒に寝るという、ある意味での「夜の地獄特訓」となった。
グランは毎晩、悟りを開くかのような精神状態で、ただひたすらに天井を見つめ、己の理性を繋ぎ止める戦いに明け暮れた。
休暇が明け、第2層から戻ってきた侯爵夫妻たちは、見違えるように血色の良い娘たちを見て満足げに頷いた。
「どうだ、休暇は楽しめたか?」
「ええ、お父様! とっても、とっても充実していましたわ!」
ルヴィリスの輝くような笑顔の横で、一人だけ目の下に深い隈を作り、魂が抜けたような顔をしたグランが立っていた。
「⋯⋯グラン君、どうしたのかしら? あまり休めなかったのかしら?」
ヴァーミリオン侯爵夫人のクスクスとした笑いに、グランは力なく「⋯⋯いえ、十分休めました」と答えるのが精一杯だった。
こうして、凪の里の騒がしくも温かい、忘れられない夏休みの一幕が幕を閉じた。
しかし、グランの疲労とは裏腹に、少女たちの絆と「覚悟」は、以前よりも遥かに強固なものへと変わっていた。




