第40話:地獄の夏合宿
親たちが聖域に乗り込んできてから、早いもので10日が経過した。
凪の里の演習場では、今日も今日とて凄まじい魔力の奔流が渦巻いている。
そこには、グランの指導のもと、見違えるような動きを見せる四聖華と、それに負けじと魔力を振るう四侯爵と夫人たちの姿があった。
当初、出自不明の少年に対して疑いの目を向けていた当主たちだったが、今やその懸念は霧散していた。
グランの圧倒的な実力、そして彼が授ける「魔力操作の極意」は、長年魔法を極めてきた彼らでさえ驚愕するほど理にかなったものだった。
「ふぅ……。これほどまでに魔力がスムーズに循環するとは。今までの鍛錬は何だったのかと思わされるな」
ヴァーミリオン侯爵が、自身の掌を見つめながら感嘆の声を漏らす。
日頃、貴族同士の牽制や政務に追われ、精神を削り合っている彼らにとって、この聖域で全力を出し切る修行は最高の気分転換でもあった。
魔物をなぎ倒し、自身の限界を突破していく感覚は、忘れかけていた武人としての誇りを呼び覚ましていたのだ。
同時に、彼らの胸中には新たな野望が芽生え始めていた。
(これほどの逸材、もし我が娘と結ばれ、我が家に取り込むことができれば……家運は数百年安泰どころではないな)
四人の侯爵たちは、互いに視線を交わしながらも、腹の底では同じことを考えていた。
しかし、ヴァーミリオン侯爵がふと、重い口調で共通の懸念を口にする。
「……だが、彼は『女神の遣い』を自称している。無理に家に取り込もうとすれば、神罰が下るかもしれんぞ」
その言葉に、他の侯爵たちも頷かざるを得なかった。王家も絡んでいる以上、下手に動けば神罰による天変地異の引き金になりかねない。
「ならば、成り行きを見守るしかないな。……娘たちが自力で彼を『堕とす』分には、文句は言われまい」
いつの間にか、四侯爵の間には「親として娘の恋を温かく見守る」という名の、奇妙な不可解条約が結ばれていた。
当のグランは、自分が「親公認」の状態になっていることなど露知らず、ストイックに訓練を続けていた。
だが、そんなグランに待ったをかけたのは、意外にもアンサートーカーだった。
『マスター、提案です。女神アリスティアからも「いつまで訓練ばかりしているのか」と苦情が来ています。このままでは「いちゃらぶ」ではなく、単に修羅の道を突き進む集団が増えるだけです。休暇を推奨します』
グランはついに来たか、と天を仰いだ。見目麗しい少女たちが好意を隠さず接してきているのに、いつまでもあやふやにしているのは、男として不誠実かもしれない。
そこへ、タイミングがいいのか悪いのか、侯爵たちが「学生らしく青春を謳歌してほしい」と、グランに娘たちとの親睦を深める休暇を願い出てきた。
グランはその要求を受け入れ、その日の訓練を早めに切り上げた。
その日の晩、新築された城郭仕様の別館では、各家で「親子会議」が開かれていた。
ヴァレンタイン侯爵の部屋では、娘のルヴィリスが呼び出されていた。
「ルヴィリス。グランを無理やり取り込むことはできんが、向こうからこちらに来る分には問題ないはずだ。……いいか、彼を堕とせ」
「なっ、お父様!? 何を仰っていますの!」
真っ赤になるルヴィリスに対し、負けるつもりはないと強がる彼女を見て、傍らで微笑んでいたヴァレンタイン侯爵夫人が立ち上がった。
「うふふ、ルヴィリス。お母様が、あのお父様を一撃で落とした時の秘術としぐさを教えてあげますわ」
「おい、お前!? 何を教えるつもりだ!」
慌てる侯爵を、夫人は「男の人は黙っていなさい」と笑顔で部屋から追い出した。
一方、ヴァーミリオン侯爵の部屋。
「エルスメリア。お前が二度も彼に助けられたのなら、惚れるのは当然だ。お前の幸せを願っている」
「お父様……」
感動的な空気になった瞬間、ヴァーミリオン侯爵夫人がエルスメリアの肩を抱き、自信満々に微笑んだ。
「大丈夫よ。私譲りのその素晴らしい体があれば、男なんてイチコロよ。さあ、レクチャーの時間よ」
「おい、何を教えるつもりなんだ……!」
ここでも、夫人はうろたえるヴァーミリオン侯爵を無慈悲に部屋から放り出した。
ヴァスティール侯爵の部屋では、少しばかり空気が異なっていた。
「ディアドラ。今は楽しめばいいが、お前には貴族としての立場がある。あの者は惜しいが、将来の婚約者候補もいることを忘れるな」
釘を刺されたディアドラが少し悲しげな表情を浮かべると、ヴァスティール侯爵夫人が割って入った。
「あら、今はそんな無粋な話は忘れてしまいなさい。お母様が学生時代の情熱的な恋のお話を聞かせてあげますわ」
そう言って、夫人は夫を部屋から追い出し、ディアドラの隣に座り込んだ。
最後に、寡黙な当主が治めるヴァレンシア家。
氷の魔術師として有名な侯爵夫人が実権を握るその部屋で、ソフィアは真っ直ぐに答えていた。
「グラン様は、私のすべてです。彼がいない世界なんて考えられません」
「出自不明の平民は認めんと言いたいところだが……」と漏らした当主に、夫人が冷たく微笑む。
「あら。私も元は平民でしたわよね? 文句がありますの?」
当主は言葉に詰まり、さらに夫人が「どうしてあなたが私を妻に迎え入れるために必死になったか、娘に話してあげましょうか」と追撃する。
居心地が悪くなったヴァレンシア侯爵は、そそくさと部屋を出ていった。
ほぼ同時刻、廊下で再会した四人の侯爵たちは、互いに「追い出されたか……」と苦笑いを浮かべた。
「……さて。女たちの秘密会議には加われそうにない。温泉でも行って、男同士の付き合いでもするか」
四人は示し合わせたように、大浴場へと向かった。
脱衣所を抜け、立ち上る湯気の中に足を踏み入れると、そこには先客がいた。
一日の終わりに、一人静かに温泉を堪能しようとしていたグランだった。
「あ、これは……侯爵様たち。失礼しました、すぐに出ます」
遠慮して立ち上がろうとするグランに、四人の屈強な侯爵たちが立ちはだかる。
「待て待て、グラン殿。これも何かの縁だ。男同士、裸の付き合いをしようじゃないか」
強引に湯船へと連れ戻され、グランは四人の大物貴族に囲まれる形で、肩までお湯に浸かることとなった。
しばらくの間、静かな湯の流れる音だけが響いていたが、ふいにヴァーミリオン侯爵が、正面に座るグランを真っ直ぐに見据えて口を開いた。
「……グラン殿。単刀直入に聞く。……お前、うちの娘をどう思っている?」
その問いを皮切りに、残りの三人もまた、鋭い、しかしどこか父親としての情を含んだ視線をグランに向けるのだった。
平和な休暇が始まるはずの夜。グランにとっての「本当の戦い」は、ここから始まろうとしていた。




