第36話:聖域への帰還
終業式が終わると同時に、学園内は解放感に包まれた生徒たちの歓声で溢れかえった。
グランは人混みに紛れるようにして校門を抜け、あらかじめ目星をつけていた人通りのない林の中へと足を踏み入れる。
(ふぅ……。ようやくこの窮屈な制服ともおさらばか。アンサートーカー、準備はいいか?)
『いつでも可能です、マスター。聖域・第3層、凪の里への転移門を固定しました。周囲に観測者は存在しません』
(助かる。じゃあ、帰るとするか)
グランが軽く指を鳴らすと、彼の身体は光の粒子となってその場から消失した。
次の瞬間、肺に流れ込んできたのは、学園の埃っぽさとは無縁の、透き通るように清浄な魔力の空気だった。
「……あぁ、やっぱりここが一番落ち着く。4ヶ月ぶりだけど、何も変わってないな、ついでに変装も解くか」
目の前に広がるのは、自分が発った時そのままの静かな凪の里。だが、感慨に浸っている時間はあまりない。
「さて、アンサートーカー。数日後にはあの賑やかな四人がここに押し寄せてくる。あの時のログハウスじゃ流石に狭すぎるよな」
『その通りです。マスター、彼女たちが快適に過ごせる「家」の構築プランを提案しましょうか?』
「ああ、頼む。ダンジョンコアの権限を使って建設だ。イメージは、前世で見た最高級の温泉旅館と貴族の別荘を足して二で割った感じだな」
『了解しました。第3層の空間リソースを贅沢に割き、住居エリアを拡張します。……外観はどうされますか?』
「白亜の壁に青い屋根。清潔感があって、なおかつ重厚な感じで。内装は機能性重視だが、四聖華が満足する豪華さも必要だ」
グランの指示に従い、更地だった場所に瞬く間に巨大な屋敷が組み上がっていく。
「よし、そして絶対に外せないのが『温泉』だ。大きな岩風呂と、火属性魔法で温度管理されたサウナも頼む」
『マスター、それはもはや修行の場というより、ただの高級リゾート地ではありませんか?』
「いいんだよ。あいつら、俺のために一生懸命頑張ってここまで来るんだ。それくらいのご褒美はあってもいいだろ」
一方で、王都にある各侯爵家の別邸では、四聖華たちがそれぞれ自身の父である侯爵家当主を説得していた。
「お父様、今年の夏休みは自領には戻りません。仲間と共に聖域の近くで合宿を行う予定です」
ルヴィリスの凛とした言葉に、ヴァーミリオン侯爵は目を丸くした。
「合宿だと? ルヴィリス、お前がそこまで他家の子女と親しくするのは珍しいな。……例の平民の少年への対抗策か?」
「……ええ、まあ、そんなところですわ(本当は彼に会いに行くだけですけれど)」
「よかろう。魔導大会での成長は目を見張るものがあった。四侯爵の次代が集まるのだ、他家に遅れを取るなよ」
「もちろんですわ、お父様。……(恋の駆け引きでも、絶対に遅れは取りません)」
四人はそれぞれ「秘密の合宿」という名目で、密かに、かつ迅速に王都を脱出した。
彼女たちが合流したのは、聖域から最も近い小さな町。宿屋の一室に集まった四人は、期待と緊張で頬を昂らせていた。
「明日ね……。ついに、グラン様のいる場所へ行くのね」
ソフィアが落ち着かない様子で指先をいじると、ディアドラが静かに頷いた。
「ええ。十歳のあの日は、ただ震えて待つことしかできなかった。でも今は違います」
「そうですわ。私たちの成長、グラン君にたっぷり見せつけてやりましょう!」
エルスメリアが意気込むと、リーダーであるルヴィリスがキリッとした表情で全員を見渡した。
「いい? 聖域は甘くないわ。パーティーとしての連携を忘れないこと。グランが待っている場所へ、自分たちの力で辿り着くわよ!」
翌朝、四人は装備を整え、かつて絶望を味わった聖域の入り口の前に立った。
「……行きましょう。あの日、彼に救われただけの弱い私たちではないことを証明するために」
第1層の森に足を踏み入れると、さっそく肉食の植物魔獣や、鋭い爪を持つ野獣たちが牙を剥いた。
「エル、防御魔法を! ディア、左から来るわよ!」
「任せてください! 風よ、拒絶の盾となれ! 『ウィンドシールド』!」
エルスメリアの放つ緑の障壁は、魔獣の突進を無造作に弾き返す。以前とは強度が比較にならない。
「隙だらけですね。……ふっ!」
ディアドラが影を縫うように動き、一瞬間で三体の首を跳ね飛ばす。その動きに迷いはない。
「こっちも負けてられないわ。ソフィ、合わせて!」
「了解、ルヴィ! 『アイスバレット』、多重起動!」
ソフィアが放つ氷の弾丸が魔獣の足を止め、そこへルヴィリスの放った炎の矢が突き刺さる。
第1層の魔獣など、今の彼女たちにとってはただの露払い。苦労する様子もなく、最短距離で第2層へと駆け抜けた。
だが、第2層に足を踏み入れた瞬間、四人の空気が一変した。
目の前に現れたのは、十歳の時のトラウマそのもの――「オメガ・ウルフ」の群れだった。
「……来ましたね。あの時、私たちを死の淵まで追い詰めた獣たち」
ルヴィリスが愛用の弓を構え、瞳に冷徹な勝利の意志を宿す。
「エル、あえて結界は最小限にして。今回は守るだけじゃなく、真正面から殲滅するわ」
「望むところですわ。 あの時の借りを、100倍にして返してあげます」
ウルフたちが一斉に咆哮を上げ、四人を目掛けて殺到する。だが、彼女たちは動じない。
エルスメリアのメイスが先陣を切った一頭の頭蓋を粉砕し、ソフィアの氷魔法が背後から迫る群れを凍り付かせる。
ディアドラは剣を振るうたびにウルフたちの懐へ肉薄し、一撃で命を刈り取っていく。
「これで終わりよ! 焼き尽くせ、『ファイアトルネード』!」
ルヴィリスの放った巨大な炎の竜巻が戦場を呑み込み、あれほど恐ろしかった群れはわずか数分で静まり返った。
かつては絶望の象徴だった光景を冷ややかに見つめ、ソフィアがふぅと吐息を漏らす。
「……私たち、本当に強くなったのね。あの時はあんなに怖かったのに」
「ええ。でも、これで満足してはいられませんわ。私たちの目的は、あくまでグラン君のいる場所ですもの」
「そうだな。さあ、行こう。グラン殿が待つ、あの『凪の里』へ!」
自信を確かな自負に変えた四人は、迷いのない足取りで第2層の深部へと突き進んでいく。
その様子を、第3層の屋敷で魔法ヴィジョンを使いながら、グランは満足そうに眺めていた。
「第2層の「オメガ・ウルフ」を完封か。正直、思っていたより数段早いな。あいつら、休みなしで訓練してたのか?」
『そのようですね、マスター。特に連携の精度が向上しています。……ですが、感心している場合ではありませんよ』
「わかってる。第2層の最奥には、例の『聖域仕様の熊』を配置してるからな」
『私の計算では、今の彼女たちでも勝率は五分五分といったところですが?』
「いや、あいつらならやるさ。今の顔、負ける奴の顔じゃないだろ」
グランはヴィジョンを消し、エプロンを締め直してキッチンへと向かった。
「それより、晩飯の準備だ。苦労して辿り着いた後に食う飯が一番美味いからな。最高級の肉を解凍しておけ」
『了解しました、マスター。……炭おこしと、温泉の温度確認も完了しています』
グランは鼻歌を歌いながら包丁を握り、愛弟子たちが来るのを待ち構えていた。




