第35話:波紋と招待状
魔導大会が幕を閉じ、学園には表向きの静けさが戻っていたが、グランを取り巻く環境は劇的に変化していた。
平民が貴族部門で優勝するという前代未聞の快挙に加え、あの四聖華を四人抜きにしたという事実は、貴族子女の学生たちに大きな衝撃を与えていた。
「実はどこかの王族の隠し子ではないか」「帝国の高位貴族の血縁者だという噂を聞いたぞ」
貴族子女たちの間では、グランの出自に関する憶測が飛び交い、交流パーティーで着た礼服のせいで、彼の存在は一種のミステリーとして扱われていた。
しかし、肝心の平民クラスの面々は、そんな浮世離れした噂などどこ吹く風であった。
「おいグラン! 大会中、稽古をつけてくれるって約束したよな!」
クラスメイトたちは大会前と変わらず、グランを一人の友人として、対等な立場で接していた。
グランもその期待に応え、放課後には平民専用の演習場で、汗を流しながらクラスメイトたちに稽古をつけていた。
その噂を聞きつけた他のクラスの平民や、様子を見に来た上級生までが集まり、演習場はかつてないほどの熱気に包まれていた。
指導の合間に一息ついていると、教えを乞う生徒たちから感謝と尊敬の眼差しを向けられ、グランは少しだけ照れくさそうに笑った。
終業式まで残り数日という日、午前の授業が終わり、食堂で食事を摂っていると、そこにレインが姿を現した。
彼女の手には、一般の生徒が目にすることのないような、金縁の装飾が施された豪勢な封筒が握られていた。
「グラン様、お疲れ様です。四聖華の皆様から、お茶会の招待状を預かって参りました」
レインがその言葉を口にした瞬間、喧騒に包まれていた食堂が、水を打ったように静まり返った。
「……おい、今『四聖華のお茶会』って言ったか?」
「あそこは高位貴族ですら誘われることがないという、絶対的な神域だぞ……」
周囲の生徒たちが一斉にざわつき始め、驚愕と羨望の入り混じった視線がグランに集中する。
グランは定食を前に、困惑した表情で招待状を見つめた。
「レイン、これ……間違いじゃないのか? 俺みたいな平民が行くような場所じゃないだろ」
レインは困ったような、しかしどこか楽しげな苦笑いを浮かべて首を振った。
「そんなことはありません。皆様、ぜひグラン様に来てほしいと、並々ならぬ熱意で仰っていましたから」
「それに……」とレインは声を潜め、グランの瞳を真っ直ぐに見つめた。
「私からもお願いします。断られてしまうと、皆様がどれほど落ち込むか……どうか、参加していただけませんか?」
信頼するレインにそうまで言われては、グランに拒否権など残されているはずもなかった。
「……わかったよ。そこまで言うなら、お邪魔させてもらう」
「ありがとうございます。では放課後、庭園にてお待ちております。」
放課後、グランは庭園でレインと待ち合わせをし、彼女の案内で貴族専用舎へと足を踏み入れた。
平民一人が歩くにはあまりに場違いな豪華絢爛な廊下を、グランは落ち着かない様子で進んでいく。
すれ違う貴族子女たちは、一様に不快そうな表情を浮かべ、露骨な嫌悪感を隠そうともしなかった。
「おい見ろよ、平民がこんなところを歩いているぞ。衛兵は何をしているんだ?」
一人の男子貴族が立ち塞がり、グランを追い出そうと声を荒らげる。
「ここは選ばれた者のみが許される聖域だ! 薄汚い平民はさっさと演習場にでも帰れ!」
しかし、横にいた別の貴族が、焦った様子でその男の肩を掴んだ。
「待て、やめておけ! こいつは貴族部門で優勝したあの平民……グランだぞ!」
「優勝したところで何だというのだ! 身分の差は魔法の腕前で埋まるものではない!」
なおも引き下がらない男の前に、レインが一歩前に出て、静かに例の招待状を掲げた。
「こちらは四聖華の皆様からの正式な招待状です。これ以上の妨害は、四聖華……ひいては四侯爵家を敵に回すと見なしますが?」
四侯爵家という言葉の重みに、立ち塞がっていた男は顔を青ざめさせ、言葉を失った。
彼らは捨て台詞を吐く余裕すらなく、蜘蛛の子を散らすようにその場から退散していった。
「レイン、苦労をかけてすまない。俺のせいで君まで悪く言われて……」
申し訳なさに肩を落とすグランに対し、レインは柔らかい笑みを浮かべて寄り添った。
「いいえ、これが私の仕事ですから。それに……」
レインは周囲に誰もいないことを確認すると、大胆にもグランの腕に自分の腕を絡めてきた。
「こうして合法的に、貴方の隣を歩けるのですから。私にとっては役得というものです」
「……レイン、君、絶対におちょくってるだろ?」
「あら、バレましたか?」
茶目っ気たっぷりに微笑む彼女の横顔を見て、グランの緊張も少しだけ和らいだ。
やがて二人は、貴族舎の中でも一際重厚な装飾が施された扉の前へと辿り着いた。
レインは一度だけ深く頷き、扉を軽やかにノックした。
「四聖華の皆様。グラン様をお連れいたしました」
レインの手によって扉が静かに開かれ、その先に待つ「神域」が姿を現した。
扉を開けると、そこには優雅に準備を整えていた四聖華が待っていた。
グランの姿を認めるなり、四人は一斉に席を立ち上がり、貴族としての最高礼をもって彼を迎える。
「グラン、よく来てくれました。貴方を招待できて、私たちは本当に嬉しいわ」
代表して口を開いたルヴィリスは、いつもの凛とした表情を少しだけ崩し、はにかむように微笑んだ。
グランは前世の癖で、つい入り口に近い最下座に座ろうとしたが、それをソフィアが鋭く制する。
「グラン様、何をしているのですか? 貴方がそこに座るなら、私はその隣に座ります」
「あら、それなら私も隣を譲りませんわ」とエルスメリアも参戦し、いきなり席の取り合いが始まってしまう。
グランは苦笑いしながら、部屋の横に置かれた大きなソファが二つ並ぶ特等席を指差した。
「……みんな落ち着いて。俺はあっちのソファに一人で座るから、みんなは対面のソファに座ってくれないか?」
四聖華はそれが妥当な落としどころだと判断し、しぶしぶ向かい合わせの席に腰を下ろした。
それを見届けるや否や、控えていたレインが鮮やかな手つきでお菓子を並べ、芳醇な香りの紅茶を注ぎ始める。
「テーブルマナーなんて全く知らないんだ。もし粗相があったらすまない」
「気にしないで。今日は身内だけの集まりなのだから、気楽にしてほしい」
ディアドラの言葉に甘え、しばらくは紅茶や菓子の世間話で穏やかな時間が流れていった。
ふとグランは、自分が食べるために「収納魔法」に入れていた、前世の有名店の味を再現したロールケーキを思い出す。
「これ、俺が作ったデザートなんだけど……レイン、みんなと俺、それから君の分も切り分けてくれるか?」
差し出された見慣れぬロールケーキを受け取り、レインはすぐさま準備に取り掛かった。
「グラン殿が作ったのか? 貴殿が料理まで嗜むとは驚きだ」
「たまに甘いものが食べたくなった時に作る程度だよ。……レインも、そこじゃなくてここに座って食べなよ」
離れた場所で控えようとするレインを隣に誘うと、四聖華たちの視線が一瞬だけ鋭くなった。
しかし、レインが申し訳なさそうな顔をしていることと、ここで騒げばグランに嫌われると悟り、彼女たちはあえて寛大な態度を装った。
そうして運ばれてきたロールケーキを一口食べた瞬間、女性陣からは感嘆の声が漏れる。
「……っ! なんですの、このとろけるような食感は……!」
「今まで食べたどんな高級菓子よりも、ずっと美味しいわ……」
前世でトップクラスの人気を誇った店の味だ、外れるはずがないとグランは内心で自負していた。
ケーキに満足し、他愛もない話で場が和んだ頃、四聖華の四人が互いに目配せをして頷き合った。
彼女たちは唐突に立ち上がり、ソファから離れて改めてグランと向き合う。
「グラン、改めてお礼を言わせてください。あの時、聖域で私たちを助けてくれてありがとう」
「私にいたっては、貴方に二度も命を救われました。このご恩は一生をかけてお返ししますわ」
ディアドラは魔眼の絶望から救われた感謝を、ソフィアは落ちこぼれだった自分を引き上げてくれた恩義を、それぞれ言葉にする。
彼女たちは、貴族の最上位である感謝の礼を捧げ、深く頭を下げた。
「やめてくれ。助けたのは運が良かっただけだし、強くなったのは君たちの努力の結果だろ」
グランの謙虚な言葉に、四人はさらに胸を熱くし、これからの学園生活での親交を誓い合った。
「夏休み、私たちは再び聖域へ向かいます。今度は自分たちの力で、貴方の元へ辿り着くために」
「危ないから俺も同行しようか?」との申し出にも、彼女たちは首を振った。
「これは私たちの誓いです。どうか、信じて待っていてください」
その強い覚悟に、グランも介入を控えることを約束したが、「本当に死にかけた時は助ける」とだけ付け加えた。
「でも、侯爵家の令嬢が四人だけで外出なんてできるのか?」
「そこは大丈夫ですわ」と微笑む彼女たちに、グランは一抹の怪しさを感じつつも、「凪の里で待ってる」と告げた。
お茶会がお開きになる間際、ソフィアが上目遣いで「最後に抱きつかせてほしい」とねだってきた。
周囲の三人も期待の眼差しを向けてくるため、グランは「減るもんじゃないしな」と半ば諦めて了承した。
次々と抱きついてくる少女たちの香りと体温、特にエルスメリアの破壊力に、十五歳の少年は激しい刺激を浴びせられた。
後片付けを終え、庭園まで送ってくれたレインが、静かな声でグランに語りかける。
「今日は本当にありがとうございました。……聖域でお嬢様たちを救ってくれたのは、やはり貴方だったのですね」
レインは、この事実が公になれば他の侯爵家からの接触や干渉が避けられないだろうと忠告した。
現在、十歳の聖域でのことは彼女たちが自力で逃げ切ったことになっており、グランのことをずっと隠しているのだと語った。
「ヴァーミリオン家は協力的ですが、他はわかりません。どうか気を付けてください。ただ、四聖華様たちが貴方の防波堤になってくれていますから、そこまで心配はいらないかもしれませんね」
レインと別れて自室に戻ったグランは、脳内のアンサートーカーに学園長たちへの報告について相談した。
『まだ良いでしょう。あと三年の猶予があります。いつか適切なタイミングで話せば事足ります』
(そうだな。終業式が終わったら掃除をして、夏休みは聖域でゆっくり過ごすか)
『マスター。四聖華の方々が来るのですから、夏休み中は相当騒がしくなるでしょうね』
(……え、あいつら夏休みずっといるつもりなの?)
『当然でしょう。そうでなければ、あのような覚悟を口にするはずがありません』
会話に割り込んできたアリスティアが「やっとキャッキャうふふが見れるわね!」と狂喜乱舞している。
グランは、自分の貞操と平穏な夏休みが危機に瀕していることを感じながら、深い眠りに落ちていった。




