第28話:平穏の終わり
エルスメリアとの激闘を終え、熱気が冷めやらぬまま控室に戻ったグランは、一人深く椅子に身を沈めていた。
勝利の余韻に浸る暇もなく、扉が重々しく叩かれる。入ってきたのは、沈痛な面持ちの学園長と、どこか憤りを感じさせるバルトス教官だった。
「――グラン、状況は芳しくない」
学園長が切り出した言葉は、勝利を祝うものではなかった。四聖華を二人まで下した平民グラン。その存在を「異物」として排除しようとする貴族主義の理事たちが、水面下で動き出しているというのだ。
「試合中に使用したヴァーミリオン嬢の魔眼の情報を歪曲し、奴らは君が違法な魔道具を使用してステータスを底上げしているという、根も葉もない噂を盾にしている。君を失格とし、さらには退学へと追い込む算段だ」
バルトスが苦々しく付け加える。潔白を証明するには、衆目の前で「真実のステータス」を開示するしかない。
それが学園側の提示できる唯一の回避策だった。
(……ステータスの開示、か)
グランが内心でそう呟いた瞬間、アンサートーカーが冷徹な事実を突きつける。
『マスター。現在の素の数値を公開した場合、この国の、ひいては大陸全体の勢力均衡が崩壊します。未曾有の混乱を招くことは明白です。改ざんして開示しますか?』
(いや、嘘に嘘を重ねてもいずれボロが出る。すでにさっきのエルスメリアとのやり取りで、偽造していることが知れ渡っている。リスクを考えればここで引くべきだな。)
それは、この学園での「平民グラン・グラニアス」としての生活が終わることを意味していた。
学園側は好意で勧めてくれているが、真実を明かせば逃げ場はなくなる。
偽装を隠し通せばドーピングの疑いで追放。真実を明かせば怪物として追われる。
どう転んでも、ここが限界だった。
学園長たちが去った後、グランは窓から暮れなずむ学園の敷地を見渡した。
入学してから、三ヶ月が経った。
元々、この学園に来たのは不本意だった。入学当初は、いかに早く問題を起こして退学するかという「退学RTA」にすら思考を割いていたほどだ。
彼にとっての「一番楽しいこと」は、聖域で命を削り、己の限界を突破し続ける修羅道に身を投じること。ストイックに自分を追い込み、達成した時の満足感を感じることで第二の人生を楽しんでいた。
だが、どうだ。
正体を隠し、一人の「平民」として過ごしたこの三ヶ月は、思った以上に充実していた。
子供に戻り授業を受け、食堂のありふれた飯を頬張り、同年代と馬鹿げた会話を交わす。そんな些細な日常が、聖域で好き勝手に暴れていた頃には決して得られなかった「別の平穏」として、いつの間にか彼の心に根を張っていた。
(……楽しかったんだな、俺も)
前世の青春も悪くはなかったが、この二度目の青春はまた違った意味で充実していた。
自分が運命を変えてしまった四聖華に正体を悟られることなく、静かに見守り、そして穏やかに卒業の日を迎えたかった。しかし、これ以上「平民」を演じ続けるには、彼はあまりに悪目立ちしすぎた。
もうすでにボロは出はじめている。正体がバレれば、この平穏はガラス細工のように砕け散るだろう。それどころか、正体不明の化け物として平民の枠からも弾き出される。
(まあ潮時か。……元々いつバレてもおかしくなかったんだ、それが今来ただけさ)
グランは自嘲気味に笑うと、今夜中にここを去るための準備を静かに始めた。
アリスティアのノルマは達成できなかったが、こればかりは仕方がない。自分の私利私欲(聖域のネット切断)でリスティアのバランスをめちゃくちゃにするわけにはいかない。
その夜、深夜の静寂を切り裂くように、グランの自室にノックの音が響いた。
扉の先に立っていたのは、月光を浴びて佇むレインだった。「……グラン。会いたがっている人がいる。一緒に来てほしい」
彼女に導かれ、王都の最果てにある会員制高級サロンへと足を運ぶ。重厚な扉が開かれた瞬間、そこにはこの国の運命を左右する面々が揃っていた。
学園長、ヴァーミリオン侯爵。そして、現国王と回復したオリヴィア王女までもが、そこに座していた。「君が今夜にでも逃げるであろうことは察していたよ」
学園長は、王家と侯爵がグランと深い繋がりを持っていることを見抜き、密かにこの会合をセットしていたのだ。
「学園長。誰に対しても厳格なあなたが、なぜ、そこまでするのです?」
グランの問いに、学園長はヴァーミリオン侯爵を見る。侯爵が不敵に笑う。
「娘を救ってくれた恩人に、不当な泥を塗られるのを見過ごすほど、私は落ちぶれてはいない。貴族主義の理事どもの実家には、既に私から相応の『圧力』をかけておいた。あとのことは気にするな。最後まで戦い抜け」
国王もまた、威厳ある声で頷いた。
「グランよ。我も侯爵と同じだ。表立って肩入れすることはできんが、この大会が終わるまでは、君の邪魔はさせない。存分に暴れてくるがいい」
無責任に逃亡を覚悟していたグランの胸に、かつてない熱い感情が込み上げた。
そして最後に、オリヴィア王女が真っ直ぐな瞳でグランに言葉をかけた。
「もう少しだけ耐えてください。わたくしは二学期から魔導学園へ転入します。わたくしが、あなたを取り囲む悪意からすべてお守りしますわ!」
翌日、魔導演習場。昨夜の密談があったとは思えないほど、会場は異様な熱気に包まれていた。
準決勝。グランの前に立つのは、四聖華の一人にして、次期剣聖と言われている――『白閃の剣姫』ディアドラだった。
彼女は一歩前に出ると、右手を差し出してきた。
「握手を。貴方の強さには、敬意を表します」
その握手は、平民に対する慈悲ではなく、対等な強者への礼節だった。
グランは新品の白手袋を手に、その手をしっかりと握り返す。
手を離した瞬間、ディアドラは静かに告げた。
「私の魔眼は『未来視』。……数秒先の景色が見える」
最強の切り札を、開始前に明かした彼女にグランは眉を動かす。
「困惑しているようね。けれど、私は貴方の戦いをずっと見てきた。貴方もまた、理不尽なまでの予測と反射で戦っている。……なら、私もフェアにする。ただ、手の内を知ったところで、私に勝てるとは思わないことだ」
彼女が腰の剣を引き抜く。その抜刀速度は、未来視を待つまでもなく神速だった。
数秒先を予見する白閃の剣姫に対し、アンサートーカーという「演算」を持つグランはどう立ち向かうのか。
ステータスはさすがに解放できない。
しかしもう手加減ができるほど相手はあまくない。
それに、破った四聖華の二人はおそらく、正体にうすうすと気づいているのだろう。
全てがバレるのは時間の問題だった。
だが、今は目の前の礼を尽くした武人にこちらも礼を尽くそう。




