第27話:翠嵐の盾姫
「準々決勝、第1試合――開始!」
審判の鋭い号令が演習場に響き渡ると同時に、観客席の喧騒が嘘のように遠のいた。
(まずは様子見だ。この攻撃で出方を伺う!)
グランはまず魔力で作った投げナイフ数本をエルスメリアに投げつける。
エルスメリアは飛んできた数本の魔力ナイフを風の魔法で一気に吹き飛ばす。
魔法を使ったことで、起こったわずかなスキを見逃さず、グランは一拍の躊躇もなく地を蹴った。
右腕に魔力を収束させると、実体を持たぬ蒼い光の刃が、鋭利な爪のように右腕を覆う。
グランの振るった魔力の刃が、エルスメリアの首筋を狙って斜めに一閃される。
だが、エルスメリアの反応は完璧だった。
「……ふふ、見えていますよ」
彼女は片手で構えた中盾を、流麗な動作で差し出した。
ガギィッ! と鼓膜を震わせるような硬質な衝撃音が響く。
単に物理的に防いだのではない。彼女は盾の表面で風の魔力を高速回転させ、グランの刃が触れた瞬間に角度を微調整したのだ。
完璧な「受け流し(パリィ)」。
「……っ!?」 刃を逸らされた衝撃が、グランの腕から全身へと波及する。重心がわずかに浮き、体勢が崩れる。
その刹那、エルスメリアの穏やかだった瞳に、狩人のような鋭い光が宿った。
「隙あり、です! 『翠嵐旋撃』!」
おっとりとした外見からは想像もつかない、力強い咆哮。
右手に握る魔導メイスが、暴風を纏った。それは一撃で城門をも粉砕せんとする破壊の渦。
グランは本能的な戦慄に従い、咄嗟にあえて前方へと転がった。
ドォォォン――! 直後、雷鳴のような轟音が演習場を揺らした。
土煙が晴れた後に見えたのは、風の刃によってズタズタに切り刻まれ、クレーターのように抉り取られた石畳の惨状だった。
(……あんなの、ソードブレイクで受けた瞬間に腕の骨まで粉砕されるぞ。正面からの近接戦は分が悪すぎる!)
グランは即座に戦術を切り替えた。
距離を取り、魔力の投げナイフを次々と放つ。正面からの波状攻撃。
しかし、エルスメリアは軽々とナイフをはじき落とす。
距離が離れると彼女は盾を前方に突き出し、螺旋状の暴風を砲弾として放った。
「『イージス』!」
グランは空中に半透明の防壁を展開し、正面から迫る暴風を辛うじて防ぎ止める。
荒れ狂う風の圧力が、腕を通じてグランを押し戻そうとする。
その時、脳内でアンサートーカーの冷徹な警告が響いた。
『マスター、警告します。この大会用に魔力出力を絞っていることをお忘れなく。その強度のイージスは連発できません。別の手段を』
(……分かってるって。だが、今の彼女に中途半端な魔法は通じないぞ)
激しい攻防が、一瞬の静寂に包まれた。
エルスメリアがふと動きを止め、不思議そうに首を傾げた。
「……グランさん。一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか」 彼女の瞳が、薄く神秘的な光を放つ。
「私の魔眼は『鑑定』です。貴方の戦い方、そして魔力の流動には違和感がありました。だから……フェアではありませんが、ステータスを視させていただきました」
彼女の言葉に、観客席がざわつく。
「結論から申し上げます。貴方の数値は、私たちと対等に戦えるほどのものではない。……平民としてはそれなりにありますが、それでも低すぎます。偽装も疑い、私の魔力で解析しましたが、その数値は完璧に固定されています」
エルスメリアの柔和な顔から慈愛が消え、そこには一人の武人としての「怒り」があった。
「でも、おかしいのです。私の直感は、貴方が今も何か底知れない力を隠していると告げている。……貴方は私たちに本気を出すまでもないと馬鹿にしている。そうではありませんか?」彼女の纏う風が嵐のように激しさを増す。
「本気を出さないのは対戦相手への侮辱です。私を、四聖華を汚さないでください。……グランさん、もっと本気を出しなさい!」
その真っ直ぐな叱責が、グランの胸を打った。
正体を知られるリスクはある。だが、病を乗り越え、この舞台で完全復活を示すため血のにじむようなリハビリをした彼女の誇りを……。「手加減」という嘘で踏みにじることはできなかった。
「……すまない、ヴァーミリオン嬢」
グランは低く構え、纏っていた魔力の質を変えた。
「俺が間違っていた。君の武人としての覚悟に応えよう。……一度だけだ。俺のオリジナルを見せる」
グランが深く腰を落とし、右の拳に全身の魔力を一点集中させる。
エルスメリアはかつてない悪寒に襲われた。目の前の少年が、巨大な深淵に変貌したかのような錯覚。
彼女は即座に両手で魔導盾を構え、全身の全魔力を注ぎ込んで、三重の防壁を展開した。
グランが地を蹴る。目にも留まらぬ速さでエルスメリアに肉薄し、その掌底が魔導盾へと叩きつけられた。
「――『魔導虚空掌』」
激突。しかし、衝撃音は驚くほど小さかった。
それは盾を砕く物理的な衝撃ではない。魔力を特殊な振動へと変換し、物質を透過して「内部」へと直接作用させる、グラン独自の技。
「……あ、が、っ!?」
エルスメリアの悲鳴が上がる。
鉄壁の盾も、三重の結界も、何一つ機能を果たさない防御無視の攻撃。
衝撃は彼女の外殻を完全にすり抜け、内側の肉体に直接叩き込まれたのだ。
防御の上から衝撃波を流し込まれた身体は、砲弾のような勢いで後方へ弾け飛んだ。
彼女は場外の壁面へと激しく激突した。
「……カウント、開始!」 審判が我に返り、声を張り上げる。
演習場が静まり返る中、グランは血の気が引く思いで舞台の端まで駆け寄った。
(やりすぎた……!? 万が一、エルスメリアの魔力核に異常が出たら……!)
焦燥に駆られたグランは、周囲の目を気にする余裕もなく、アンサートーカーの演算を全開にする。
「アンサートーカー、エルスメリアの容態は!?」
『……安心してください。魔力核は無傷。彼女自身、衝撃の瞬間に魔力を散らし、あえて場外へ吹き飛ぶことでダメージを逃がしたようです。さすが四聖華ですね』
「……よかった、本当に」
グランは安堵の息を吐き、確認のために指先から微細な魔力を放って彼女のスキャンを続行した。
だが、その安堵が命取りとなった。
意識を取り戻し、薄く目を開けたエルスメリアと、近距離で目が合う。
彼女の視線は、自分を診ているグランの手に宿った魔力に釘付けになっていた。
それは、透き通るような、美しく神々しい蒼白銀の輝き。
(……この、魔力の色……。あの絶望から私を救い出してくれた、あの奇跡の……)さらに、見つめ合うことで確信は完成する。
少年の、慈愛を帯びた瞳の形。心配そうに自分を見つめるその眼差しは、幼き日に出会った憧れの主、「凪の君」そのものだった。
「……な、ぎ……」 彼女がその名を震える唇で紡ごうとした瞬間、審判の非情な宣告が響き渡った。
「――カウント10! 勝者、グラン!」
試合終了後、控室には四聖華たちがエルスメリアの心配をするため集まっていた。
エルスメリアはソファに座り、自分の手を見つめていた。
だが、ルヴィリスと目が合った瞬間、無言の対話がなされた。
(……エル。貴女、もう気づいたのね)
(……ええ。あなたも気づいて、黙っていたのね)
二人はお互いに沈黙の意思を確認し合う。
グランが正体を隠している以上、今ここで暴露するのは独占欲が許さなかった。エルスメリアは表情を引き締め、次の対戦相手であるディアドラを真っ直ぐに見つめた。
「ディア。次、貴女が彼と戦う時は……絶対に『平民』だなんて思わないこと。格上に挑むつもりで戦うのよ。少しでも油断すれば、一瞬で終わりますわ」
ディアドラは腕を組み、真剣な眼差しでエルスメリアを見返した。
「……格上か。そこまで言わせるとはね。ですがエル、忠告は不要です。私は最初からそのつもりです」
ディアドラは静かに腰の剣に手をかけ、言葉を継いだ。
「ルヴィだけでなく、防御に秀でた貴女までもが完敗を喫した。もはや彼は、私たちが侮っていい次元の相手ではありません。四聖華を二人も下した、真に警戒すべき『強者』……。私は、持てる力の全てを投じて戦うことを誓いましょう」
真面目な決意を口にするディアドラを余所に、エルスメリアは内心で情熱的な溜息を吐いた。
(二度も私を救ってくださり、試合が終わった後も、私の体ばかりを心配してくださるなんて……。本当に、罪な御方)
エルスメリアの瞳の奥には、確信と、愛しの主への狂おしいまでの執着だけがあった。
(もう、絶対に逃がしませんからね。私たちの『凪の君』)




