第25話:紅蓮の天弓姫
ルヴィリス・ヴァレンタインの幼少期、彼女の世界は調和の取れた「秩序」の中にあった。
家庭教師から教えられたのは、高貴な義務。貴族は平民を守る剣と盾であり、平民は庇護下に置かれる代わりに税を納める。それが世界の理であり、自分もまた、いずれどこかの貴族と結婚し、その秩序を維持していくものだと疑わなかった。
だが、十歳の夏。彼女の人生観は、文字通り「ぶっ壊された」。
(……あの人は、理屈じゃなかった)
「凪の君」との出会い。自分たちでは抗う術もなかった獰猛な狼の群れを、見たこともない不思議な魔法で一掃した姿。それまでの「貴族だから強い」という教育を、彼は「強者が弱者を守るのだ」という圧倒的な実力で上書きしたのだ。
戦いだけではない。魔法のような手際で作られた、涙が出るほど美味しい料理。ソフィアが「強くなりたい」と願った時、絶大な力を持ちながらも、一人の武人として対等に向き合い丁寧に教える姿。
少し前に読んだ恋愛小説の主人公を地で行くような、優しく、けれど計り知れない背中。ルヴィリスにとって、凪の君は単なる恩人ではなく、自分の生きる指標そのものになった。
(私は、あの方のような高潔な強者になりたい。……だからこそ)
演習場の舞台上。ルヴィリスは燃えるような赤い髪をなびかせ、愛弓を構えた。
「全力で、来なさい!」
開戦の合図と共に、ルヴィリスは素早く後方へ飛び退く。逆にグランは最短距離で詰め寄るべく地を蹴った。五、六歩走った直後、グランは急制動をかけ立ち止まる。
(あぶねえ、いつの間に仕掛けた? 戦闘開始前に魔法を使うのはルール違反だ。なら、開始直後にこれほどの魔法を隠蔽して仕掛けたのか……)
「……あら、追いかけてくださりませんの?」
ルヴィリスは不敵に微笑む。弓使いである自分に対し、相手は距離を詰めようと焦るはず。セオリーはそうだが、そこは四聖華。近距格闘への対策に隙はない。
「よく言うぜ。地面に高火力の火炎魔法が仕掛けられているだろう」
グランの指摘にルヴィリスは眉を顰めた。踏めば発動し、たちまち燃え盛る炎に包める「炎の壁」。かなりの魔力を込めた自信の隠蔽魔法だった。
「……よくわかったわね。ここまで勝ち上がるのは、まぐれではなさそうね」
潔く認めるあたり、やはり誇り高き貴族だ。だが、認めたところで魔法が解除されるわけではない。グランが足止めされている間に、ルヴィリスはすでに次の一手の動作に入っていた。
「あなたに躱せるかしら? ――紅蓮百華!」
放たれた一本の炎の矢が空中で百本に分裂し、逃げ場を奪う炎の矢雨となってグランを襲う。
「まじかよ!」
グランは横に転がり込んで間一髪で避ける。しかし、立ち上がった瞬間に次弾が放たれた。
「いつまで避けられるかしら? 早々に降参したほうがよろしくてよ?」
(たしかにこのままじゃずっと撃たれっぱなしだ。なら……!)
グランは舞台の床に魔力の刃を突き刺し、力任せに石板をめくり上げた。即席の遮蔽物だ。炎の矢は起こした床に突き刺さるが、あまりの熱量に石板はすぐに朽ち果てていく。
(少しでも体勢を整えられたら近づける。行くぞ!)
崩れる石壁から飛び出したグラン。だが、ルヴィリスの反応速度は異常だった。視界を遮っているはずなのに、すでにこちらに狙い定めている。
「あなたが壁で姿を消しても私には見えます。私は『遠視』と『透視』の魔眼持ちです」
(……魔眼持ちなのか。道理で見えすぎだと思った)
防戦一方の状況に、グランは内心で自分を叱咤した。
(アンサートーカー、今をもってオリジナル魔法の使用を解禁する。威力は抑えるが、出し惜しみしている場合じゃない。彼女らは並々ならぬ努力をしてきた。これは俺の落ち度だ。師匠面して弟子の成長を見守る……なんてのは俺の傲慢だ。これからは一人の武人として相対する)
『了解しました。理から外れた魔法を解禁します』
「このままじゃ防戦一方よ、グラン・グラニアス!」
依然として猛攻は止まらない。グランは魔力を全身に纏い、ボロボロになった床壁の影から一気に飛び出した。
「無謀に飛び出して、自爆するつもり!?」
ルヴィリスが最大級の炎の矢を放つ。その矢がグランに突き刺さる刹那、グランは両手を前に突き出し、静かに唱えた。
「――イージス」
瞬間、衝突した炎の矢が粉々に砕け散った。 ルヴィリスの瞳に、今日一番の驚愕が走る。聞いたこともない防御魔法。何が起きたのか理解するよりも早く、グランが地響きを立てて肉薄する。
「今度はこっちから行く!」
「っ、近寄らせないわ!」
ルヴィリスは咄嗟に自分の周囲に炎の壁を展開した。だが、グランは勢いを殺さず、その劫火の中へと突っ込む。
(魔力浸透波、同調開始)
グランが突き出した掌が触れた瞬間、炎の壁が霧散した。魔法を分解して通り抜ける――あまりに理外の技に、ルヴィリスの背に冷たい汗が伝う。
「……捕まえた」
「まだよっ!」
至近距離。ルヴィリスは弓を縦に構え、余剰魔力を全開放して周囲を吹き飛ばそうとする。だが、グランはその手首を白い手袋越しに優しく、けれど強固に掴み取った。
その瞬間、ルヴィリスの魔力循環がピタリと止まる。魔力そのものが凪の状態へ強制的に引き戻されたのだ。
グランはそのまま彼女の重心を奪い、合気道の要領で地面へと制した。
「……チェックメイトだ、ヴァレンタイン嬢」
喉元に突きつけられた魔力の刃を宿した手刀。見上げるルヴィリスの視界には、自分を見下ろすグランの瞳があった。その瞳には、かつて自分を導いてくれた「凪の君」と同じ、深く穏やかな輝きが宿っていた。
「…………私の、負けね。完敗よ」
ルヴィリスは力を抜き、天を仰いだ。その表情には、ずっと探し求めていた背中の温もりを確信したような、安堵の微笑みが浮かんでいた。
「勝者、グラン・グラニアス!!」
静まり返っていた会場に、審判の声が響き渡る。平民が「四聖華」の筆頭を打ち倒した歴史的な瞬間に、演習場は地鳴りのような歓声に包まれた。
グランはルヴィリスを立たせるために手を差し出す。ルヴィリスはその手を取り、彼にしか聞こえない声で囁いた。
「……君は、やっぱりただの平民じゃないわね。夏休みの『聖域』……楽しみにしているわ、凪の君」
(……おいアンサートーカー、今の聞いたか?)
『完全に特定されましたね。まあ俗にいう「バレてーら!」ってやつです』
グランは溜息を吐き、居心地の悪さを隠すように、そそくさと舞台を降りた。
背後に残された他の四聖華たちは、ルヴィリスに勝ったグランに対して言い表せない疑問を抱いたまま、治療を受けるルヴィリスの待つ控室へと、重い足取りで運んだ。




