第18話:平穏の指針と凪の誓い
クソ女神アリスティアによって「退学届」が文字通り花びらに帰してから、数日が過ぎた。
屋上での絶叫から数日、グランは驚くほどに切り替えの早さを見せていた。
(……まあ、いいさ。死ぬわけじゃないんだしな)
購買で買った安っぽい紙パックのジュースを啜りながら、グランは学園のベンチに深く腰掛け、春の木漏れ日を眺めていた。
前世では特に不満もなく人生を謳歌していたが、女神によって無理やり転生させられたこと以外は、この世界でなら無限に転生できる夢のような状況であることを思い出していた。
(アンサートーカー、よく考えたら悪くない話だ。食うに困らず、宿も保証され、周りを見れば若さが溢れている。一度目の人生で経験した『青春』を、もう一度おかわりできると思えば、案外悪くない福利厚生だろ?)
『……ポジティブな解釈で何よりです、マスター。その『おかわり』の中に、四聖華との学園ハーレムが含まれている点を除けば、ですが』
(それを言うな。俺は徹底的に、これ以上あいつらとは関わらない。これ、絶対な。基本はリスクマネジメントだ。無理のない範囲で、そこそこの青春を楽しめればそれでいいんだ)
目立たず、騒がず、平均的な成績で、卒業までの残り三年間を無風でやり過ごす。
あとで詳しく調べて知ったことだが、この世界にもちゃんと義務教育があった。しかも日本と一緒だ。
6歳から入学する「初等部」が六年間。
12歳から入学する「中等部」が三年間。
15歳から入学する「高等部」が三年間。
現在、高等部の一年生である十五歳のグランにとって、十八歳になる春の卒業までには、丸三年間という長い『忍耐』が必要だということだ。
前世の感覚でいえば、高校卒業をもう一度繰り返すような、長いプロジェクト。グランは自らにそう言い聞かせ、不本意ながらも二度目の学園生活に順応し始めていた。
季節は巡り、新緑が色濃くなる五月。
メルティアス魔導学園に入学して二ヶ月目に入ろうとしたとき、ついに一学年のカリキュラムは「魔法実技」の段階へと入った。
これまで平民クラスで行われていたのは、徹底した座学だった。
魔導学園は平民は初等部では基礎的な文字の読み書きや簡単な計算、王国の情勢などを学ぶため、魔法的な授業は中等部からとなっていた。
しかし高等部からの入学者には魔法は一ヶ月は徹底的に座学をしなければならなかった。
その魔法の授業も、はじめは退屈していた魔力の構成、術式の基礎理論、そして歴史の授業。
だが、日が経つにつれ、意外にも新鮮に感じ、何よりその教育方針には内心で感心していた。
(貴族のように幼少期から家庭教師がつくわけじゃない平民にとって、まずは理論で土台を作る。現場の勘に頼らせず、マニュアルで基礎を固めさせる。案外、まともな学園じゃないか)
そして迎えた、初めての屋外実習場での授業。
平民クラスの担当教官は、厳格な中年魔導師のバルトス。
彼は並べられた木標を指差し、生徒たちを見渡した。
「いいか、貴様ら。今日が初めての『発動』だ。座学で学んだ魔力の循環を意識しろ。無理に威力を出そうとするな。まずは『火球』の形を保ち、的に当てることだけを考えろ」
周囲の生徒たちが緊張と興奮で顔を上気させている中、グランは一人、冷静に自分の順番を待っていた。
(さて、俺の番だな。ここは『なろう系』のテンプレなら、強化して的を破壊して、校舎の壁まで消し飛ばして、『あ、俺また何かやっちゃいました?』って言うところなんだろうが……)
グランは内心で鼻で笑った。
(そんな不手際、俺はやらかさない。俺が目指すのは、完璧なる平均だ。全提出物を『期限通り』かつ『不備なし』で出すような、誰の記憶にも残らない及第点こそがプロの仕事だ)
自分の番が来た。グランは一歩前に出る。
バルトス教官が鋭い視線を送る中、グランはあえて「教科書通り」のぎこちない動作を演出しながら、短く呪文を唱えた。
「――『火球』」
放たれた火球は、真っ直ぐに木標の中央に吸い込まれた。
威力は最小限。
音も控えめ。
木標の表面が少し焦げた程度で、まさに「初歩の初歩」をクリアしただけの結果。
「……ふむ」
だが、バルトス教官は火球が当たった跡をじっと見つめ、眉をひそめた。
「グラン、と言ったか。貴様」
「……はい。何かダメでしたでしょうか」
グランは「魔法に慣れていない少年」を演じるため、少し不安そうな表情を作ってみせる。
だが、バルトスのような歴戦の魔導師の目は誤魔化しきれなかった。
(……この感覚は何だ。威力こそ底辺だが、術式の構成に一切の無駄がない。初級魔法なのに違和感を覚える。平民が初めて魔法を使う時は、どこか必ずほころびが出るはずだ。平民にも学園に来る前から魔法を使えるものはいるが、それでもほとんど独学だ、ましてや高等部からの入学者、粗は必ず出る。それが全くない。確かに教科書通りの魔法であればこうなるが、しかしそれでも、この魔法は不自然に綺麗すぎる……)
バルトスは教官として勤務しているが、もとは軍部に所属していた魔導師だ。
それなのに背筋にわずかな寒気が走った。
目の前の少年は、平凡な顔をして立っている。
だが、その背後に計り知れない「深淵」があるような錯覚に陥る。
追求すべきか。
バルトスが口を開こうとしたその時、ふと脳裏を過った。
学園長から、全ての教職員に通達された極秘の「かん口令」の内容。
『今年高等部から入学した平民の少年、グランという者がいる――。彼がいかなる挙動を示そうとも、公序良俗に反しない限り、詮索は一切無用である。これは、私の意向である』
そういえば、自分の息子である次男が、入学手続きの時に平民と揉め、学園長に事の一部始終を見られて大変な目に遭ったと報告を受けていたことも思い出した。
まさかあの時の平民が、この少年なのか。
バルトスは飲み込みかけた言葉を無理やり胃の奥へ押し戻した。
生きる伝説とまで言われ、貴族や平民、はては王族ですら厳格に接する学園長が、一介の平民のために動くなど前代未聞だ。つまり、この少年は触れてはいけない「聖域」なのだ。
「……いや、悪くない。教科書通りだ。次、行け」
「……? 失礼します」
グランは軽く一礼し、列に戻った。事なきを得たことに安堵する。
(よし。やっぱりマニュアルを忠実に守るのが一番だぜ。アンサートーカー、俺の演技はどうだった?)
『……マスター。客観的なデータに基づき申し上げます。先生の心拍数は一瞬で二十上がりました。あまりに魔法が綺麗すぎて、逆に怪しまれています。『教科書通り』を完璧にやりすぎて、逆に違和感バリバリで不自然でしたよ』
(……マジか。加減って難しいな)
昼休み。グランが食堂の隅でクラスメイトと一緒に定食を食べていると、学園内が騒がしくなった。
「聞いたか? 夏休み前に行われる『学年別魔導大会』の詳細が発表されたぞ!」
「ああ、今年は例年以上に豪華らしい。今年は王国の至宝とまでいわれている四聖華様たちもいるから、王家や外国からも視察が来るとか……」
グランは箸を止めた。
(学年別大会……。おい、アンサートーカー。それって、もしかして強制参加か?)
『はい。一学年の全生徒、平民・貴族の区別なく参加義務があります。個人の実技評価の大きなウェイトを占める、事実上の前期試験ですね』
グランは天を仰いだ。
(……最悪だ。そういう行事は一番目立つんだよ)
グランはクラスメイトたちの話を余所に、上の空でご飯を口に運んでいた。
ところ変わって、貴族専用学舎。
庭園が一望できるお気に入りの部屋で、「四聖華」たちは華やかな空気を振り撒きながら食後のティータイムを楽しんでいた。
全快したエルスメリアを中心に、ルヴィリス、ソフィア、ディアドラが談笑している。
ふと、エルスメリアが発表されたばかりの行事を思い出し、口を開いた。
「皆様、聞いてください。医者の許可が下りました。今年度の学年別魔導大会……わたくし、出ようと思います」
エルスメリアの凛とした声が響く。
「この身体が治ったこと、そして私たち四聖華の誓い――『私たちを助け導いてくれた聖域の凪の君に、自力でたどり着いて感謝を伝える』。これが私たちの生きる意味。これを成し遂げるため、今の強さを確かめるために、私は出ます」
「そうね、四聖華の誓い、今まで忘れたことないわ。一時はどうなるかと思ったけど、すべて元通り。やるからには手加減しないわよ!」
「……エルが出るなら、私ももっと仕上げてこないと……」
「四人が本気でやり合うのも久しぶりね。私も腕が鳴るわ」
いつか四人で会いに行く。
各自、他の三人には言えない秘めた想いや「抜け駆け」を胸に、不在の間のことやこれからの展望、それから戦術についての意見交換も行い、一年の鬱屈を吹き飛ばすように四聖華の輪は熱く盛り上がっていた。
そして――自分が『凪の君』などという大層な名で呼ばれているとは露ほども知らないグラン。
(大会、か……。とにかく、適当なところで負けて、さっさと夏休みを迎えよう。そうだ、それがいい)
グランは自分に言い聞かせるように呟いた。
だが、女神アリスティアが「学園ハーレムもの」と銘打った物語が、一人のアラフォーサラリーマンの思惑通りの敗退を許すはずもなかった。
春の陽光が、グランの歩む道を皮肉なほどに明るく照らしていた。
グランの「無難な卒業」への道は、すでに大きく歪み始めていたのである。




