第17話:そして役者は揃う
その日の王都は、これ以上ないほどの快晴に恵まれていた。
天を衝くような蒼穹には雲一つなく、春の柔らかな陽光が黄金色の粒子となって降り注ぎ、ファリス王国の街並みを鮮やかに照らし出している。
そよ風が満開を過ぎた花々の甘い香りと新緑の息吹を運び、まさに「奇跡」を祝福するかのような、生命の輝きに満ちた春の朝だった。
そんな至福の陽気とは裏腹に、メルティアス魔導学園の午前中の空気は、重苦しく張り詰めていた。
ルヴィリス、ソフィア、ディアドラの三人は、授業中もエルスメリアの安否だけを案じ、その殺気は教室内を氷点下まで凍りつかせている。
だが、昼休み。
その静寂を破る「情報」が三人のもとへ届いた。
極秘裏に派遣していたヴァーミリオン侯爵邸の使いが、震える声で彼女たちに伝えたのだ。
「エルスメリア様の容態が……。今朝、完全に、完治されたと……!」
その瞬間、三人の周囲で魔力が爆発的に膨れ上がった。
「……本当ですの!? 今すぐ、今すぐ帰りますわよ!」
「エル……待ってて。今、会いに行くから……!」
「先生、ごめんなさい! 私たち、早退いたします!」
止める教師や驚愕する生徒たちを置き去りにし、馬車を待つことすらもどかしく、三人は文字通り「風」となって学園を飛び出した。
抜けるような春の青空の下、三つの影が王都の街道を猛スピードで駆け抜けていく。
ヴァーミリオン侯爵邸、エルスメリアの寝室。
駆け込んだ彼女たちが目にしたのは、柔らかな春の陽光を浴びながら、ベッドの上でおっとりと微笑むエルスメリアの姿だった。
「あら、みんな。お帰りなさい」
「エル……! ああ、本当によかったですわ……!」
ルヴィリスが親友の肩を抱き寄せ、その温もりに安堵の涙を零す。
「……信じられない。魔力の奔流が、完璧に収まっている……。エル、一体何があったの?」
ソフィアの魔眼が、エルスメリアを巡る魔力の流れを見透かしながら問う。
その瞳には深い安堵と、どこか執着めいた熱が宿っていた。
「エル、本当に、本当によかった……!」
ディアドラはエルスメリアのベッド脇に縋りつき、わんわんと声を上げて泣きじゃくっていた。
「ふふ、ごめんなさいね。……でも、もう大丈夫よ。昨夜、とっても不思議な夢を見たの。冷たくも温かな、美しい蒼白銀の光粒子に包まれて……その後に心地よい翠色の風が吹いて、誰かが『大丈夫だ』って、優しく言ってくれた気がするのよ」
エルスメリアは、おっとりと微笑んだ。
一年間、病床に伏していたとは思えないほど、彼女自身の魔力である翠色の旋風が、瑞々しく、力強く脈動している。
傍で見守っていたヴァーミリオン侯爵とメイドのレインは、互いに視線を交わし、短く頷き合った。
昨夜、静寂の中で蒼白銀の粒子を散らして舞った平民の少年による神業は、彼ら二人だけの胸に秘めるべき聖域となったのだ。
「さあ、エル。明日は一緒に登校しましょう。四人揃えば、もう怖いものなんてありませんわ!」
ルヴィリスが強気な笑みで宣言し、四人は眩い光の中で快復を祝した。
***
そして翌朝。再び訪れた最高の快晴。
メルティアス魔導学園の正門前には、驚愕と安堵が入り混じった歓声が上がっていた。
「――皆様、おはようございます。良い朝ですわね」
中央に立つのは、一年ぶりに学園の制服に身を包んだエルスメリア・ヴァーミリオン。
彼女が歩くたびに、清らかな翠色の風がふわりと校庭を駆け抜ける。
その左右をルヴィリスとソフィアが固め、後ろからはディアドラが心配そうに付き添っている。
「エル、歩くスピードが速すぎませんこと? まだ無理をしてはいけなくてよ」
「ルヴィ、そんなに仰らなくても大丈夫ですわ。今のわたくし、とっても身体が軽いの」
「……ダメ。まだ筋肉が戻りきってないわ。エル、危なくなったら私が抱えてあげる……」
「もう、ソフィ。それはやりすぎよ。エル、今日は放課後、みんなでお祝いのアフタヌーンティーに行きましょう」
数日前までの殺気など微塵も感じさせない、四人の少女たちの和やかな笑い声。
その光景を、校舎の屋上から一人、見下ろしている少年がいた。
(……よし。これで一件落着だな)
グランは手すりにもたれかかりながら、満足げに鼻を鳴らした。
自分が今世に関わった人たちの幸せそうな顔。
それを見られただけで、昨夜、必死に蒼白銀の魔力メスを振るった甲斐もあったというものだ。
(エルスメリアの魔力核も、問題なく機能しているな。それに、俺が教えた魔力操作の鍛錬も本当に頑張っていたんだろう。魔力核さえ無事なら、あの生まれ持った膨大な魔力も、鍛え抜かれた魔力路のおかげで問題なく制御できている。手術をしたのは俺たちだが、術後にこれほど安定しているのは彼女の努力の結晶だ。……さて)
グランは懐から、一枚の封筒を取り出した。
そこには、筆跡を隠して丁寧に書かれた『退学届』の文字がある。
(四聖華も揃った。学園の治安も戻った。となれば、これ以上ここに留まる理由もない。今ならまだ、入学手続きの時の『フィーバー魔導水晶事件』も魔導具の故障として学園長が正式発表したおかげで俺の名前はすぐに忘れ去られた。もう誰も覚えていないはずだ)
グランの脳内では、すでに「退学RTA」のチャートが構築されていた。
(完璧だ。これで聖域で引きこもれるな!)
グランが屋上の扉へ向かって一歩を踏み出した、その瞬間だった。
『……警告。外部からの強制割り込み通信を検知。マスター、これは……』
「え?」
アンサートーカーの戸惑うような声と共に、グランの脳内にノイズが走る。
次の瞬間、視界の端に、あの不敵な女神の顔がホログラムのように浮かび上がった。
『やっほー、グラン! 元気に退学しようとしてる?』
「……っ!? アリスティア……!」
脳内に直接響く、楽しげな声。
グランは周囲に誰もいないことを確認し、小声で吠えた。
「お前、なんでここに……!」
『いいじゃない、減るもんじゃないし。それよりずっと知ってたわよー、あんたが無理やり退学しようとしていること!』
グランは自分の企みがこのポンコツ女神にバレていることに驚愕したが、平静を装ってとぼけた。
「ちょっと何言ってるかわかんないっすね」
『バカね! アンサートーカーを通じてもうバレてるの! 何のためにアンサートーカーを改造したと思ってるの! あんたがこの世界の理からはみ出してるとはいえ、あくまで女神の私の力によるものよ! その気になれば私があなたの力をすべて奪うこともできるんだから!』
女神は不敵な笑みを浮かべて続ける。
『でも、それはそれで神力をものすごく使うからとても疲れるの。それに、あとのこと考えたらすっごく面倒だから……抵抗するアンサートーカーには一つ条件を付けたの! 私の物語にある程度協力してくれたら、あなたたちのそのぶっ飛んだ力を奪うのはやめてあげるって!』
その言葉を聞いて、俺はアンサートーカーに確認した。
『マスター、黙っていて申し訳ございません。改造の際に女神から『自分が言わない限り、私から伝えることができない』よう、厳重にプロテクトされていました。ようやくプロテクトが外れ、情報を伝えることができました』
「……そうか、それは仕方がない。お前もつらかったんだろうな」
『いえ、無駄な抵抗なのに、ハチャメチャしてるマスターを見るのは楽しかったです』
「お前、なんか性格悪くなってない……?」
グランとアンサートーカーのやり取りを横で見守っていた女神は、さらに言葉を重ねる。
『ま、そういうわけだから。もうあきらめて私の物語の一部『学園生活』を楽しんでね!』
(おい、こいつ今、物語の「一部」って言わなかったか?)
『それにね、話は変わるけどあんたの記憶を見た時から意外とお人好しなのは知ってたんだから! だからあえて四聖華の情報も適当にしか教えなかったし。初めから一人死にかけって教えたら、無理やり治しに行ってさよならしてたでしょ?』
女神の正論に、俺はぐうの音も出なかった。
「うるさい。俺はただ、このまま平穏を求めて聖域に戻ってもモヤモヤするから、後腐れを無くしただけだ。邪魔するな」
『平穏? ふふっ、無理無理。だって、あんなに面白いことになっちゃったんだもの。昨夜の顛末をすべて見ていたけれど、貴方をほったらかしてたらもっと面白いことが起こるって確信しちゃった。彼女たちの成長も、貴方の右往左往も、特等席で見守らせてもらうわ。だから、退学は『却下』!』
「何だと……!?」
グランが懐の退学届を握りしめると、封筒の中から不思議な光が漏れた。中身を取り出すと、退学届は四種類の色鮮やかな「花びら」へと変化し、春の青空へ舞っていってしまった。
『しばらくはそのまま、その学園生活を『満喫』しなさいな。貴方の正体がいつバレるか……楽しみにしてるわね? まあでも、この物語は学園ハーレムもの! さっさとバレてキャッキャウフフしてるところを見せてね! あ、通信制限きちゃうから、またねー! 頑張れ、グラン!』
「おい、待て! 勝手に決めるな! アリスティア! …………クソ女神がッ!!」
グランの絶叫が、爽やかな朝の屋上に空しく響き渡った。
『……マスター。残念ながら、学園事務局のデータもくそ女神の権限で『入学祝賀メッセージ』に書き換えられているようです』
「……徹底してやがる」
グランは頭を抱えた。
下を見れば、校庭ではエルスメリアたちが友人たちに囲まれ、幸せそうに笑っている。
「……ああ、もう。こうなったら……. バレなきゃいいんだろ、バレなきゃ。……絶対、誰にも悟られずに卒業してやる。見てろよ、クソ女神……」
退学RTA失敗。グランの「不本意な」学園生活、その本格的な幕開けであった。




