第195話:黒百合
シルヴィアの寝室内が突如光り輝く。
その魔法の輝きは見たことがあった。
主様の使う転移魔法だ。
まさか、本当に直接ここへ参られるとは思っていなかった。
シルヴィアは慌てて、しかし可能な限り完璧に身だしなみを整える。
いつでも最高に美しい自分を見てもらいたいからだ。
そしてゲートからグランが姿を現すと、彼女はすぐに小走りで近づき恭しく膝をついた。
「そこまでしなくていい」
グランがそう告げると、シルヴィアはすぐに立ち上がる。
そしてグランが訪れた用件を聞くため、彼がベッドに腰掛けるよう艶然と案内した。
しかし、グランはそれを完全に無視し、部屋にあった椅子に座る。
シルヴィアは少し残念そうな表情を浮かべたが、主様の話をしっかりと聞こうとすぐに背筋を正した。
「まず、公爵領にいた嫡男は始末した。そしてそこにあった研究資料などもすべて回収し、最後に地下にあった研究施設を含め、屋敷を跡形もなく爆破した」
グランの報告を聞いたシルヴィアは、彼に対してさらに深い敬意を抱く。
あの長年攻めあぐねていた公爵を、主様は文字通り無に帰したからだ。
彼女は恭しく、グランの次の言葉を待つ。
「特待クラスの生徒も保護した。もうあの研究を知る者はいない」
そう言うと、グランはシルヴィアを見つめた。
シルヴィアはグランの目を真っ直ぐに見て、はっきりと口にする。
「いえ、まだ終わっていません。私がいます」
「……前のお前ならともかく、今のお前は魔法契約を結んでいるから、殺すつもりはない」
それを聞いたシルヴィアは、少し遠慮がちに尋ねる。
「本当にそれでよろしいのですか?」
以前のグランであれば、幻零の仲間たちと共に躊躇なく彼女を殺していただろう。
だが、今は違う。
「魔法契約がある以上、お前は俺の前で絶対に嘘をつけない。今も俺に逆らうつもりはあるのか?」
それを聞いたシルヴィアは静かに首を振った。
「逆らうつもりなど毛頭ございません。今の私は主様のために働く下僕です。次のご命令をお願いいたします」
グランは少し頭を掻き、シルヴィアに向かって遠慮がちに切り出した。
「少し前から聞きたかったんだが、シルヴィアは俺のことをどう思っているんだ?」
シルヴィアは迷いなく答える。
「主様は主様です。私は主様に従うことに喜びを感じております。そしてできれば私にも慰みを与えてくださればと思っております」
グランは少し引き気味に言葉を返す。
「あれだけ痛めつけて残酷なことをしたんだぞ。恨みつらみを持つのが普通だろ。どうしてそうなったんだ?」
シルヴィアはグランの目を真っ直ぐに見て、真摯に訴えかけた。
「私の昔話を聞いていただけますか?」
グランはそれを聞いて静かに頷いた。
シルヴィアは自身の幼い頃の記憶を語り始める。
「私は皇族でありながら、文字通り力がありませんでした。この国はずっと実力主義という名のもと、弱者にはとても居心地の悪い場所だったのです」
シルヴィアは当時のことを思い出したのか、少し伏し目がちに言葉を続ける。
「帝国の強さの頂点である、お母様の血を引いているにもかかわらず、才能を継げなかった哀れな女とずっと陰口を叩かれていました。それでも私はめげずに努力をしました。ですが、私には本当に才能がありませんでした」
彼女は一つ息を吐くと、さらに言葉を紡ぐ。
「転機が訪れたのは、妹のセルフィリアが生まれた時です。妹はお母様の黒髪や才能を色濃く受け継いでいました。数年が経つと、妹はその才能の片鱗を見せつけるかのようにめきめきと頭角を現したのです。そして、私たち兄妹の誰も扱えなかった漆黒の魔剣を、まるで選ばれたかのように、あの子は自分の一部として扱えるようになりました」
シルヴィアは深い溜息をつき、そこからはより一層自嘲気味に話し始めた。
「そこからは地獄でした。この実力主義の国では、力がある者が絶対的な上位者です。私はずっと妹と比べられ、惨めな思いをし続けました。私がお母様から受け継いだのはこの恵まれた体だけ。なら将来は傾国の魔女にでもなるのだろうと、心無い陰口を叩かれていたのです」
グランは彼女の過去を聞き、静かな怒りを覚えた。
確かにこの国は実力主義だが、それは身分に関係なく皆が平等にチャンスを与えられるようにという意味合いだ。
圧倒的な力で弱者を一方的に押さえつけるようなことがあってはならない。
それだと王国の貴族至上主義と一緒で、身分に笠を着て平民をいたぶるようなものと一緒だ。
「私はとても悔しかった。そして、この国に生まれたこと自体を呪いました。それと同時に、私がこの国でやるべきことを決めたのです。そう、私が皇帝になってこの国の実力主義を廃止し、今までの恨みを晴らす。ただそれだけでした」
グランはシルヴィアのその言葉の裏にある深い悲しみと動機に、ある程度の理解を示していた。
「そこからはもう必死でした。皇族の力を使い、各地の隠れた実力者を秘密裏に迎え入れ、自身の私設隠密部隊として育て上げて、今の幻零が出来上がったのです。幸いにも、皆は私の志に賛同してくれていました。力のない者が日陰ではなく、日向でも平和に暮らせるような世界を作りたい。その理想の実現のために、幻零の皆にはかなり手を汚してもらっていました。今考えれば、とても愚かなことをさせていたと思います」
グランは静かに言葉を待つ。
「そして、私自身が政治面でも社交界の面でも皇帝の下まで手が届くところまできた時、ヴェルシュタット公爵が特待クラスを皇帝に進言して作ったことを知ったのです」
グランはそれを聞いて口を開いた。
「だが、皇帝は研究内容を知っていなかったぞ」
シルヴィアは頷く。
「そうです。お父様とお母様は、公爵が反旗を翻しても受けて立つおつもりでした。現に、私が初めて進言した時はそのように返答されましたので」
そしてシルヴィアはまたグランに目を合わせ、熱を帯びるような目で見つめる。
「そして、あの特待クラスを調べようと幻零を向かわせたところ……そこから先は、主様の知る通りとなります」
「そうか、今までつらかったんだな」
グランがそう言って立ち上がり、近づいてシルヴィアの頭を撫でると、シルヴィアは途端にグランに抱き着き、目を潤ませて感情を爆発させた。
「……はい!とてもつらかったです!何度死にたいと思ったか!こんな国、滅びてしまえと何度思ったことか!」
シルヴィアはそう言って泣き叫んだ。
グランは黙ったまま、シルヴィアの気が済むまでずっとその頭を撫でていた。
シルヴィアは落ち着いたのか、グランに抱き着くのをやめて少し離れた。
「お見苦しいところをお見せしました。申し訳ございません」
グランは静かに首を振る。
「いや、気にしていない。シルヴィア、これからはどうするつもりなのだ?」
シルヴィアは答える。
「あの晩餐でご一緒した時にも申した通りですが、次期皇帝となる兄を支えようと思います。今だから言いますが、兄の実力と人格は皇帝として何ら問題ありません。なら、私はこの歪になってしまった実力主義の思想を政治面や社交界で正すために、兄に進言するつもりです。もちろん、主様からのご命令が最優先ですが」
そう言って、シルヴィアは頬を赤く染めた。
シルヴィアの隣にグランは座る。
そして脳内のアンサートーカーと話す。
(とりあえず、俺は嫌われていないってことでいいな)
アンサートーカーは呆れ気味に話す。
『だから言ったじゃないですか。例えばここで肩を抱き寄せ、抱かせろと言えばシルヴィア様は喜んでマスターと事に及びますよ』
(お前はそんなことばかり言って、何を考えているんだ)
『私はとりあえず、マスターが卒業するところを見たいのです』
(この色ボケ野郎が)
『いいから早く言ってみてくださいよ』
アンサートーカーはそう言って煽ってくる。
グランはそれを無視して、シルヴィアに話しかけた。
「なら、俺からの命令は今のところ何もない。シルヴィアの思う通りに動け。ただ、無益な殺生は絶対にするな。それだけは約束しろ」
「拝命いたしました」
シルヴィアは恭しく礼をする。
グランはその後、公爵領にいた例の三人には特別手当を出すと言い、シルヴィアにそのまま金を渡した。
「それと、幻零の全員に装備を支給する」
グランの言葉に、シルヴィアは驚く。
「発言の無礼をお許しください。主様、幻零にはすでに高価な装備を与えております。過剰な厚遇はあまりよろしくないとは思います」
グランはそれを聞いて静かに答える。
「シルヴィアが集めた幻零はとても優秀だ。これからも付き合いが続くと思う。なら、装備を整えて出来るだけ生き残ってもらう必要がある。蘇生魔法はあまり使いたくない」
それを聞いたシルヴィアは、自分が集めた幻零が褒められたことが嬉しくなり、グランに体を寄せた。
「かしこまりました。主様の仰せの通りに」
そう言って、シルヴィアはグランにしなだれかかる。
グランはそれを優しく引き離し、シルヴィアにもう用事は終わったと告げる。
「私にはご褒美はございませんか?」
グランは確かにそうだなと思い、何がいいんだと尋ねた。
「主様の愛がほしいです」
それを聞いたアンサートーカーは煽り散らかす。
『ほら言ったじゃないですか。ついでにセルフィリア様と皇后陛下も呼んで母姉妹丼にしましょう』
(お前、最近そればっかり言うよな)
『留学が終わったらあまり会えませんからね。ここで子種をばらまきましょう』
アンサートーカーがとんでもないことを言う。
そしてグランがシルヴィアを見ると、彼女は少し涙を浮かべながら口を開いた。
「だめですか?」
グランは静かに話す。
「俺には大切に思っている人たちがいる。それに卒業するまでは、そういうことはしないと決めている」
「なら、いつかその大切な方たちをリードするためにも練習が必要だと思います」
そう言うと、シルヴィアは服に手をかけ脱ぎだした。
グランは慌てて止める。
「やめろ。俺はお前にそんなことは求めていない」
すると途端に、シルヴィアは悲しそうな顔をする。
「この体はお好みではないのですか? すぐにそぎ落とします」
シルヴィアが物騒なことを言うので、グランは慌てた。
「そうじゃない。別に魔法契約をしているからと言って、お前を性奴隷のようにするつもりはない」
グランの言葉に、シルヴィアはきょとんとして話す。
「主様、私は奴隷以下の契約です。何をされても文句を言えない立場です。もちろん文句などありません。ぜひ私にその欲情を発散してめちゃくちゃにしてください」
グランは少し遠慮しながらも話す。
「何度も言うがそういう風にしたいわけじゃない。最初のお前のやらかしでこういう契約になっただけだ。それに今はもうその心配もない。何なら契約も緩めるか、信用できそうなら解除しようとも思っている」
それを聞いたシルヴィアは鬼気迫った顔でグランに迫る。
「それだけは絶対ダメです!私と主様の唯一のつながりです!緩めるのもダメです!どうかこのままでお願いします」
グランはとても困った。
セルフィリアの姉シルヴィアの心の闇を、違うカタチで昇華してしまったからだ。
アンサートーカーは脳内で煽り散らかしてくる。
『これは完全にマスターのせいですね。高依存の精神疾患だと言われてもおかしくありません。責任を取ってぶちこみましょう』
グランはため息をついてシルヴィアと話す。
「なら、契約はこのままだ。ただ、それでもお前のことをそういう風にするつもりはない。だが、今回の働きで確かに褒美を与えなければいけない。他のことにしてくれ」
そう言うとシルヴィアは渋々わかりましたと言い、しばらく考える。
そしてなにか思いついたのか話し始めた。
「では、私と1日一緒に過ごしてくれませんか?主様と男女の逢瀬を楽しみたいです」
「……お前にはそういう相手はいないのか?」
グランが尋ねると、シルヴィアは顔を赤くして話す。
「今までそういう人はいませんでした。そういうことに時間を割いている場合ではありませんでしたので。ただ、主様と出会ったことにより、自分の中で人生の一区切りがつき、ある意味落ち着いたのです。そして皇宮で主様と仲睦まじくしている妹を見てうらやましいと思いました。そこで私も誰かと考えた時に真っ先に浮かんだのが主様だったからです」
それを聞いたグランは(えぇ……)と思っていた。
あれだけ残虐なことをしたのに、憎まれるならまだしも、まさか好意を持たれるなんて想像もつかなかった。
しかもソフィアとはまた違うヤンデレ系になってしまっている。
グランはここで断ってもさらに悪化する一方だと思ったため、しぶしぶ了承した。
シルヴィアは大喜びしており、年甲斐もなく子供のように声を上げて喜んでいた。
「じゃあいつ行くんだ」
「主様のご都合に合わせます。しばらくは皇宮にいますのでいつでもお部屋にてお待ちしております」
グランは言う。
「いや、それならアジトにいてくれたほうがいいかな。皇宮だとどうしても夜にしか会えない」
シルヴィアは恭しく頷き、答える。
「かしこまりました。では明日に戻るようにいたします」
するとグランは収納魔法から転移スクロールを取り出す。
「これを使え。アジトと皇宮を行き来できる。前の魔道具と違って割る必要もなく、念じるだけで転移できる。相当強い隔離結界じゃない限り妨害もされない。これを渡しておく」
それをグランからもらったシルヴィアは目を見開き驚愕していた。
裏社会で取引されている最高級の転移用魔道具は、使用している素材もかなり高価なのか値段も高く使い捨ての為、めったに使わないようにしていた。
それが利便性が格段に上がり、何度も使えるようなものを渡してきたからだ。
シルヴィアはグランがここまで信用してくれたことに、内心で飛び上がるように喜んでいた。
しかしそこはさすが大人のお姉さん。
それを表に出さず、膝をついて震える両手で受け取る。
「ありがとうございます」
そしてグランはゲートを開き学生寮へと戻った。
その後ろ姿を見送ったシルヴィアはベッドにそのまま倒れこみ、主の姿を想像しながらその日はとても幸せそうに眠った。
怜悧な政治家と民衆や政敵に恐れられていた彼女は、理外の男に完全に堕ちてしまったのであった。




