第194話:唯一知る者
聖域第三層「凪の里」の自室。
グランは『アンサートーカー』を通じ、ヴィジョンで公爵家嫡男のアカシックレコードを閲覧していた。
だが、その記憶の映像は要所要所で不自然に欠けている部分があった。
「この虫食いのような状態は何だ?」
グランが尋ねると、アンサートーカーは淡々と答える。
『恐らく、この公爵の嫡男がアカシックレコードの隠蔽を施した者だと思います。隠蔽されたものがまだ他にいるということですね。これは少し厄介です。探し出そうとしたら、またあの膨大なデータの中から探し出すことになりますから』
「なら、どうして隠蔽されていた公爵の嫡男は知ることができたのだ?」
『それは、私自身の解析能力です。この者は確かにアカシックレコードは隠蔽されています。しかし、スキャンや解析はまた別の解析方法です。初めのスキャンでは誰かいるとしかわかりませんでした。それがその者を知っている人間たちを何度もスキャンした結果、存在を看破したということです』
「情報の欠片を集めた結果、わかったということか。それにアカシックレコードの隠蔽は、例えるなら前世の住民基本台帳に載っていない、不法移民みたいなものか」
『ええ、そんな感じであってます。実在するが記録にはないということですね。それに公爵家嫡男はアカシックレコードにアクセスしすぎたせいか、魂が輪廻を外れていますね』
「隠蔽で外れたんじゃないのか?」
『あの特待生三名も隠蔽されていましたが、魂は輪廻を外れておりません。やはりアカシックレコードにアクセスしすぎたせいでしょう』
「そういうことか。それなら隠蔽されたそいつが誰なのか、いろいろな人間をスキャンしていくうちにわかるということか。なら、今は置いておこう。とりあえず、これで亜人の研究に関する件はすべて終わりだな」
グランがそう区切りをつけようとすると、アンサートーカーは静かに訂正した。
『あと一人、残っています』
そう、第一皇女シルヴィアだ。
彼女との初めの出会いは最悪だったが、不本意ながらも今の彼女はグランの忠実な下僕となっている。
魔法契約で縛ってはいるものの、どうもシルヴィアは『何か』に目覚めてしまったのか、グランに対してまるで好意を持っているかのような接し方をしてくるのだ。
正直なところ、あの晩餐の後に彼女が一人で寝室にやって来た時は、てっきり寝首を掻かれるのかと警戒した。
しかし、夜中にセルフィリアが合流するまでの間、シルヴィアはその恵まれた肢体を使い、執拗にグランを欲情させようと迫ってきたのだ。
隙あらば全裸になろうとするため、グランは仕方なしに「脱ぐな」と命令を下し、結果として彼女は下着姿のまま過ごすことになってしまった。
シルヴィアの考えていることが、よくわからない。
グランはたまらずアンサートーカーに尋ねた。
「俺の勘違いだと思うが……シルヴィアは俺に好意を持っているのか?」
アンサートーカーは呆れ気味に答える。
『シルヴィア様どころか、皇后陛下もマスターに好意を持っていますよ。だから以前、母姉妹丼と言ったんですよ』
悪びれもせず、さらりととんでもないことを言う。
「皇后様はともかく、シルヴィアに関しては絶対にそれはありえない」
グランが断言すると、アンサートーカーは提案してきた。
『じゃあ、本人に直接聞けばいいと思います。魔法契約をしているので嘘はつけませんよ』
「それで『殺したいほど憎い』って面と向かって言われたら、いくら俺でもちょっと凹むぞ」
『身から出た錆って言葉、知ってますか?』
アンサートーカーは平然と容赦なく切り返した。
「……まあ、そうだよな」
グランは反論を諦め、天を仰ぐ。
そしてしばらく考えを巡らせた後、グランは決意した。
「よし、シルヴィアに会いに行こう」
『合点承知の助!』
アンサートーカーは急に変なテンションになり、勢いよく返事をした。
そしてグランはアンサートーカーに尋ねる。
「ところで、今あいつはどこにいるんだ?」
『今は皇宮にいらっしゃいますね。どうしますか?』
「流石に皇宮には入れないだろう」
『マスターなら顔パスで入れそうですけどね』
「行けるとは思うが、王国の一平民が帝国の皇宮に堂々と入るのはまずいだろ。何かいい方法はないか?」
『夜に行けばいいのでは? シルヴィア様は喜んでマスターをベッドに迎え入れると思いますよ』
「お前、適当なこと言うな!」
ただ、グランは思案する。
セルフィリアに頼めば会うことは可能だろうが、それだと確実にセルフィリアも同席することになる。
流石に、亜人の研究を含めたこれからの裏の話をする時に、セルフィリアがいるのはあまりよくない。
できれば彼女には、すべてが終わって解決したことにしておきたいのだ。
グランはアンサートーカーに言う。
「……やっぱり夜に行くしかないか。幻零の本部に戻っていれば、すぐにでも会えるんだがな」
アンサートーカーが応じる。
『皇宮から本部までは、どれだけ急いでも数日はかかりますからね。シルヴィア様にも、これからは転移のスクロールを持たせたほうがいいかもしれませんね』
「そうだな。と言うより、これを機に幻零の装備をすべて新調しようと思っている」
それを聞いたアンサートーカーは驚いた。
『マスター、なぜ彼らの装備を新調するのですか? 今でも相当なものを使っていると思いますが』
グランはその疑問に対し、自身の考えを語る。
「どれだけ優れた人間でも、道具がいまいちなら本来の力を発揮できない。今回で改めて思ったが、あいつらは相当できる集団だ。誰かが欠けるだけで、また同じ水準まで育てるのに時間がかかる。なら、命を守るためにも装備はそれ相応のものが必要だ。……できれば、蘇生魔法はもう使いたくないからな」
『マスターの言う『相応』は、この世界の基準だと最上位クラスになりますよ?』
グランは事もなげに言う。
「そこの調整はいろいろと考えている。これからも恐らく付き合いが続くと思うしな」
今のうちに装備を渡せるよう手配しようと言うグランに、アンサートーカーは『わかりました』と同意し、さらに尋ねる。
『では、マスターはしばらく装備の作成にかかりきりになりますか?』
グランはふっと笑って言った。
「いや、ちょうどいい適任者がいるだろう」
その言葉の意図を察し、アンサートーカーが返す。
『……まさか、アルメイダ様ですか?』
グランが「そうだ」と頷くと、アンサートーカーは納得したように答えた。
『なるほど。この世界の人の手で作られたものなら、全く問題ないですね』
グランはとりあえず凪の里から帝国学園の寮へと戻り、翌日からは通常通り学園生活を再開した。
今日は帝国の生徒たちとの模擬戦の日だった。
グランは演習場で帝国の一年生たちを相手取る。
身分も性別もバラバラだが、彼らの実力は拮抗しており、おそらく仲のいいグループだろう。
お互いが切磋琢磨しているような感じに見えた。
模擬戦が終わった後も、互いの強みや弱点について熱心に意見を交わし合い、帝国の生徒たちはグランへ礼儀正しく頭を下げて去っていく。
グランたちSクラスの面々は、この留学期間中で帝国学園の生徒ほぼ全員と模擬戦を行っており、明日明後日には全校生徒との手合わせを終える予定だった。
そして、放課後。
グランはSクラスのみんなを演習場の会議室に集めた。
全員が揃ったのを確認すると、グランは部屋に強固な結界を張る。
そのただならぬ様子に、重要な話だと察した皆の表情が真剣なものへと変わった。
「みんな、聞いてくれ。亜人の研究に直接関わっていた関係者は、俺がすべて処分した。これで、亜人に関する非道な研究はすべて終わった。その報告だ」
それを聞いた皆は、一様に神妙な面持ちになった。
聖域の時もそうだったがそれはつまり、グランが自らの手を汚し躊躇なく命を奪ってきたということを意味している。
だが、あの時とは違った。
実際に非道な実験の犠牲になっていた、特待クラスの生徒たちを目の当たりにしている彼らは、グランの決断に対して何の忌避感も抱いていなかった。
むしろ、こんな重い十字架をグラン一人に背負わせてしまったことに、不甲斐なさを噛み締めていたのだ。
沈黙を破ったのはセルフィリアだった。
「……じゃあ、あとはお姉ちゃんだけね」
その言葉に、場にわずかな緊張が走る。
マルクが口を開いた。
「グラン……どうするつもりだ?」
「それについては、近々直接話をしに行くつもりだ」
オリヴィアも静かに言葉を添える。
「彼女は帝国の第一皇女です。もちろんグランなら何の心配もしておりませんが、どうかご注意を」
「グラン。私はどんな結果になっても受け入れるわ」
セルフィリアも覚悟を決めたように言った。
セルフィリアとオリヴィア以外のメンバーは、グランがシルヴィアとひと悶着合った末に、魔法契約を結んでいる事実を知らない。
そのため、二人は無難かつ慎重な言葉選びをしていた。
「流石に、セルフィリアの姉である第一皇女を殺すようなことはしないさ」
グランがそう明言すると、皆はホッと胸を撫で下ろし、安堵の息を漏らした。
ルヴィリスが代表するように微笑んで言う。
「それならあとはグラン次第ね。私たちはどんな結末もすべてを受け入れるから、あなたの好きなようにして」
「……みんな、ありがとう」
グランは短く礼を言い、その場の会議を解散した。
そして、夜。
自室に戻ったグランは、アンサートーカーにシルヴィアの現在位置を確認した。
『ちょうどご自身の寝室にいらっしゃるようですね』
「なら、今からゲートを開いて行こう。念には念を入れて、隠蔽魔法を最大限に展開した状態にする。もし皇后に魔力反応を悟られでもしたら、途端にややこしいことになるからな」
グランの慎重な判断に、アンサートーカーも同意する。
『それがいいでしょう。では、ゲートを開きます』
空間が歪み、ゲートが展開される。
グランは周囲の気配を完全に絶ったままゲートをくぐり抜け、シルヴィアの待つ寝室へと足を踏み入れた。
シルヴィアは晩餐を終えて寝室に戻ると、ヴェルシュタット公爵領に向かったグランのことを想っていた。
あの公爵はずっと皇位簒奪を企てていた。
確かに皇族の遠縁ではあるが、その血筋に幻想を抱き、身分不相応な野望を持っていたのだ。
だが、到底皇帝になるような器ではない。
いつかは皇帝の地位をめぐり、雌雄を決する時が来るだろうとは思っていた。
しかし、主様という規格外の存在がそのすべてを無に帰した。
そう、文字通り『無』だ。
公爵の野望も、そして私自身の驕り高ぶった精神も、主様は文字通り無に帰した。
主様のあの強さを見て私は、もうこの帝国の頂点に立とうなどとは思わない。
私は今までこの実力主義という都合のいい言葉のせいで、何度惨めな思いをしてきたことか。
それに対して復讐しようとして、皇帝の座を狙っていた。
だが、もうどうでもよくなった。
今の私には最強の主様がいる。
この圧倒的な強さを誇るお方の下僕となったことで、自身の身の安全が保障され、皇族という重圧からも解放されたような気がしたからだ。
もう力がないと蔑まれてもなんとも思わない。
私はあの方に一生お仕えし、あの方のために身も心もすべて捧げる。
もうそれが、私の生きる道なのだ。
それに少し前の主様の言葉が私の胸を熱くする。
お前の政治的な立場が悪くなっては困る。
ああ、主様……早くこの哀れな下僕にお慰みを。
シルヴィアは自身の受けた過去の凄惨な仕打ちもすべて忘れ、恋焦がれるように己が唯一の絶対者を待ち続ける。
シルヴィアがそう熱っぽく思慕を募らせていると、不意に寝室が光り輝いた。




