第1話「勇者と魔王」
第1章はプロローグの延長みたいなものなので短めです。
「ほらほら、グラン! 早く座って。もうすぐ始まるわよ、私の最高傑作、今期一番の神回が!」
真っ白な無機質の空間に、場違いなポップコーンの弾ける音が軽快に響く。 女神アリスティアは宙に浮かべた巨大なホログラムウィンドウを前に、まるで人気アニメの最速上映を待つオタクのように足をバタつかせていた。彼女の背後には神性を誇示するかのような純白の翼が広がっているが、その言動からは威厳など欠片も感じられない。
「……これが、お前の言う『転生』のチュートリアルか?」
俺は、彼女が用意した無駄に豪奢なソファに深く腰掛け、冷めた目でその画面を見つめた。 前世では総合事務職として、それなりに充実した日々を送ってきたつもりだ。困難なプロジェクトを裏方として支えたり、複雑な人間関係の相談に乗ったりと、自分の人生には一定の満足感を持っていた。だからこそ、この女神の身勝手な気まぐれ――自分を雷で焼き殺して転生させるというデタラメな理由で命を奪われたことには、怒りしか湧いてこなかった。
(マスター、視覚情報の同期を完了。これより対象世界の解析を開始します)
脳内に直接、アンサートーカーの声が響く。 俺の魂と融合したこの演算能力は、単なるスキルを超えた俺の半身だ。女神が用意した「エサ」を、俺が管理者権限で強引に再定義した最高傑作。前世で扱い慣れたどんな管理システムよりも頼もしい。
「そうよ! これから君が向かう世界『リスティア』のメインストーリー。あ、このポップコーン食べる? 聖王国の特産品を再現したんだけど、バター多めで美味しいわよ!」
「バター味かよ。センスねえな。……それよりさっさと始めろ。お前の『神回』とやらをな」
アリスティアが指を鳴らすと、ホログラムが鮮明な色彩を帯びた。映し出されたのは燃え盛る村の光景――「地獄」そのものだった。
画面の中では一人の青年が絶望の咆哮を上げていた。名はライキス。 聖王国ファリオンの辺境にある、慎ましくも平和な村で暮らしていた平民の青年だ。その顔には泥と血がこびりつき、瞳には信じがたい現実を受け入れられない拒絶の色が浮かんでいる。
「うわああああああ!」
ライキスの視線の先では、かつて慈しみ育ててくれた家族や、共に笑い合った村人たちが魔物の爪に貫かれ、物言わぬ肉塊へと変わっていた。家々は焼け落ち、幼い子供の泣き声も魔物の咆哮にかき消されていく。
(事実確認完了。事象:村の壊滅。原因:女神アリスティアの神力による人為的災害。補足:国王アレクシアによる公文書改ざんの実行を検知しました)
アンサートーカーの声はどこまでも冷徹だ。 俺は隣で暢気にポップコーンを咀嚼する女神を横目で見た。この女は、一人の男の人生を粉砕する凄惨な「演出」を、ドラマとして楽しんでいるのか。
画面の中では白銀の鎧を纏った一団が、計ったようなタイミングで姿を現していた。中央に立つのは聖王国国王、アレクシア。その傍らには、慈愛に満ちた表情で涙を浮かべる聖女ミレーユが控えている。
「おお、なんという惨状だ……。魔王の毒牙が、これほどまでに平穏な村を侵していたとは」
アレクシア王は大仰な身振りで嘆きながら、呆然とするライキスの前で立ち止まった。
その瞳の奥には憐れみなど一欠片もなく、獲物を見つけた狩人のような冷酷な光が宿っている。
「魔王軍が……やったのか。……みんなを殺したのか……っ!」
「左様だ。だが案ずるな、私には見える、お前の魂に宿る聖なる光が。ライキスよ、お前こそが伝説に謳われる『勇者』だ。私が神の権能をもって、お前を今代の勇者に指名する!」
「ライキス様、共に魔王を倒しましょう。失われた命は戻りませんが、これ以上の悲劇を止めることはできます」
聖女ミレーユは国王の嘘を一点の疑いもなく信じ、ライキスの泥だらけの手に、そっと自分の白く清らかな手を重ねた。復讐心に火を灯された若き勇者と、それを利用しようとする老獪な王。そして純粋な善意で勇者を支える聖女。
「うふふ! いいわぁ! このアレクシアの胡散臭い演技! そして聖女の『だまされている自覚ゼロの善意』! これよ、これこそが視聴者が求めてるドラマよ!」
アリスティアは画面を一時停止させ、クスクスと笑った。
「見てよグラン、この勇者の顔! 復讐心という名の燃料が満タン! これで序盤のレベリングは爆速ね。……あ、次は魔王側のパートいくわよ。こっちはちょっと陰気な感じだから盛り上がりには欠けるけどね」
画面が切り替わる。冷たく、暗い魔王城の一室。そこに座っていたのは、およそ「破壊の化身」とは程遠い、山積みの羊皮紙と格闘する事務仕事に追われる一人の男だった。
魔王ヴィランドル。かつて人間だった彼は、事故によって大量の魔素を浴び、魔人へと変異した。しかし、魔人としての強大な力を得た一方で、彼は至って冷静だった。
「……ヴィランドル様。北部の開拓地より報告です」
彼の右腕である竜人、サリアが沈痛な面持ちで報告書を差し出す。ヴィランドルはそれを一瞥し、深い溜息をついた。
「またか、サリア。……今度はジャガイモの芽が出なかったのか?」
「はい。この地の魔素を浄化してもすぐに高濃度になり大地が汚染され、種芋が育つ前に変異して腐ってしまいます。……このままでは、冬を越せない亜人の集落が出てきます」
ヴィランドルは椅子に深く背を預けた。 魔王領は大地が痩せ、魔素が濃すぎるためにまともな農業が成立しない。彼が人間の領地へ侵攻を続けている最大の理由は、殺戮でも支配でもなく、「飢えた部下たちを食わせるための、まともな土地の確保」だった。
「人間との和平交渉は?」
「使者は一人も戻りません。それどころか、聖王国が『勇者』を立てて総攻撃の準備をしているとの情報が」
「……そうか。ならば、私も戦場へ出ねばならんな。平和主義者だと名乗っていても、部下が飢え死ぬのを待つのは王の仕事ではない」
ヴィランドルは静かに立ち上がり、壁に掛けられた漆黒の魔剣を手に取った。その背中には、血を好む狂気など微塵もなく、ただ「生活」を守らなければならない家長の悲哀だけが漂っていた。
「あー、こっちはやっぱり地味よねぇ。魔王ならもっと村を焼く命令とか出してほしいんだけど。まあいいわ、この『農業に失敗して困ってる魔王』が、さっきの『嘘の憎悪で燃える勇者』に討たれる姿も、ギャップがあって面白いでしょ!」
女神の言葉を聞きながら、俺は沸々と湧き上がる不快感を感じていた。 これは物語じゃない、生きた人間の人生だ。俺は事務職として、物事を円滑に進めるための調整や、不備を取り除くための根回しを信条としてきた。だが、目の前のこの女が仕組んだ「物語」は、あまりに理不尽で、あまりに美しくない。
「アリスティア……お前の言う『エンディング』は、誰が決めるんだ?」
「え? 私に決まってるじゃない、作者なんだから! さあグラン、私が用意したその体を使ってあなたは勇者パーティーの五人目として、魔王軍に故郷を焼かれた悲劇の青年が、過酷な修行の末に圧倒的な力で無双しながら『俺、何かやっちゃいました?』なーんてトボけちゃう、最強の『便利キャラ』を演じてもらうのよ! まあ最後は死ぬけど大丈夫。あなたは死んでもまたこの世界で転生できるから!」
その瞬間、俺の中の何かが完全に「限界」を超えた。
「おい、アリスティア」
「んー? なに、グラン。感動した? 脚本家のサインでもほしい?」
「三流脚本家のサインなんかいらん」
俺はソファから立ち上がり、アリスティアの手からポップコーンの袋を奪い取った。まだ少し中身が残っていた袋を逆さまに掲げ、残りのポップコーンを口の中へ一気に流し込む。
「ひゃっ!? ちょっと、私の唯一の楽しみが! 何するのよ!」
「……まっず……女神様よぉ、こんな趣味の悪いもん、これ以上観てられるか。……アンサートーカー、座標を固定しろ。女神の用意した地点は無視だ。俺が快適に過ごせて、なおかつ奴らの茶番をじっくり観察できる場所だ」
(了解。……空間転移座標を『忘却の森』へ固定。転送準備、完了)
「え? ちょっと、グラン? まだ説明終わってないんだけど!」
「うるせえ。女神様、あんたの描いた物語は今、この瞬間打ち切りだ!」
ポップコーンのバターで汚れた手で、追いすがろうとする女神を適当にあしらい、俺は光の渦へと飛び込んだ。
(了解。……目的:『打ち切り』。定義:『自由』。マスター・グラン、これより全ての不条理に『正解』を提示します)
視界が白濁し、次の瞬間。 俺が降り立った場所は、木々が空を覆い、そこら中に強力な魔物の気配がする深い森だった。
「よし。まずはここを拠点にして周辺の安全を確保する。……アンサートーカー、調整を頼む」
女神が「あわわわ」と慌てふためく顔を思い浮かべながら、俺は不敵に笑った。
女神の掌の上で踊る勇者と魔王。その悲劇という名のエンディングを、俺が八つ当たりでぶち壊してやる!
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