第180話:実力主義がもたらす弊害
帝国学園へ短期留学をしてから、はや一ヶ月程経とうとしていた。
季節はすでに、五月の半ばに差し掛かる。
Sクラスの面々は、帝国の生徒たちからの連日の手合わせの申し込みで、とても忙しい日々を送っていた。
『蒼白銀の翼』の過酷な鍛錬と比べれば、肉体的な疲労感はそこまででもない。
ただ、こうして連日手合わせばかりをしていると、肝心の自分たち自身の鍛錬がおろそかになっていく感覚があり、皆は少し自重してほしいと思い始めていた。
とはいえ、実力主義を掲げる帝国学園の生徒たちは、決してただの脳筋というわけではない。
むしろ学業のレベルも非常に高く、総じて王国の学生とは一人一人の質が違うという事実に、Sクラスの面々は驚きを隠せなかった。
大陸最強の帝国という名声も頷ける。
自分たちはたまたまグランという規格外の存在に出会えた幸運があっただけで、ただ環境に恵まれていたのだと、皆は改めて再確認していた。
一方、当の本人であるグランは、連日の手合わせにも嫌な顔一つせず、淡々と相手をこなしていた。
それどころか、手合わせの中で相手の得手不得手を的確に把握し、指導すら行っているため、帝国の生徒たちからは深い尊敬と畏怖の念を抱かれていた。
そして今日の放課後もすべての手合わせが終わり、Sクラスの面々は演習場に集まって話し合いの場を設けた。
マルクがため息混じりに口を開く。
「こう連日手合わせばかりじゃ、自分たちの鍛錬が思ったようにできないな」
オリヴィアもそれに同意するように頷いた。
「たしかに、初めの頃は新鮮さもあり、自身も学べるところがあると思っていましたが、こう毎日来られると少し困りますね」
ベアトリクスも困ったような表情で付け加える。
「かと言って、断っちゃうとちょっと気まずくなるしね。何かいい方法はないかな?」
グランはみんなの意見を聞きながら、内心で深く同意していた。
皆をこの帝国学園への留学に巻き込んだが、グラン自身の真の目的は、残った特待クラスの生徒たちの保護だ。
初めは帝国でいろいろ学んでもらうつもりだったが、さすがにこれでは惰性で手合わせをしているだけの感覚になってしまう。
皆に申し訳ないと感じたグランは、決意を固めて宣言した。
「明日、学園長に直談判してくる」
それを聞いたルヴィリスは、少し心配そうにグランへと言った。
「グラン、私たちのために行ってくれるのは嬉しいけど、手合わせを断ることで、王国学園が怖気づいたとか、あらぬことを言われる可能性があるわよ」
エルスメリアも真剣な表情で意見を述べる。
「少し疲れてきましたが、私としては侮られるくらいなら、このままでも構いません」
ディアドラも腕を組みながら頷いた。
「そうだな。敵前逃亡という言葉もあるように、強者として挑まれたら受けなければならないという気持ちになってしまう」
ソフィアがそこで、冷静な提案をした。
「いっそ、手合わせの人数制限や日時を決めたほうがいいのでは?」
グランはソフィアの提案がもっともだと思った。
自分たちは、決して帝国の生徒たちの鍛錬相手になるために来たわけではない。
ここで学べることを学び、もっと強くなろうと思ってやって来たのだ。
オリヴィアがグランの顔を覗き込みながら尋ねる。
「グランはやはり、特待クラスの動向が気になっているのでしょ?」
グランは彼女の問いに真っ直ぐに答えた。
「たしかにそれも大事だが、せっかくみんなが俺と一緒に帝国学園に留学してくれたんだ。無駄な時間を過ごしていると思われるのは、本当に申し訳なく思う」
その言葉を聞いて、セルフィリアが俯きがちに謝罪した。
「グラン、ごめんね。私が余計なことを言わなければ……」
ルヴィリスたちはすぐにセルフィリアのそばに寄り、優しくフォローする。
「セルフィリアは何も悪くないわ。そんなこと言わないで」
皆の温かい言葉に、セルフィリアは少しだけ笑顔を見せた。
「みんな、ありがとう」
グランは改めて、皆に向かって言い放つ。
「やっぱり明日、学園長と話すよ。今のままじゃ短期留学の意味がない。留学生なのに帝国で学べることがないとまでは言わないが、これじゃあ王国で鍛錬していたほうがマシだと言うつもりだ。そこで学園長がどう反応してくれるかだがな。挑発するような形になるが、俺たち自身が一番大事だ」
それを聞いたセルフィリアは、顔を上げて力強く宣言した。
「私も一緒に行くわ」
「いいのか?」
グランが確認すると、彼女は自信満々に胸を張った。
「私を誰だと思ってるの? この国で一番偉い皇族よ」
「そうだったな。……セルフィリア、明日は一緒に来てくれ」
「任せなさい!」
グランは微笑み彼女にそう頼むと、セルフィリアは満面の笑みを浮かべて自身の胸を叩いた。
マルクたちはそれを見て、自分たちの予定を口にする。
「なら明日は、グランが話をつけてくるまで、俺たちはいつも通り帝国の生徒たちを相手にするぜ」
ルヴィリスたちも同意して頷いた。
「そうね。グランと学園長の話が終わるまでは、いつも通りにしましょう」
こうして方針が固まり、その日は解散となった。
次の日。
グランは「今日は学園長と話があるから」と理由を告げ、自身への手合わせの申し込みをすべて断った。
そして授業が終わった放課後、セルフィリアと共に学園長室へと向かう。
グランが学園長室の扉をノックすると、中から低い声が響いた。
「誰だ?」
「王国学園生徒、グランです」
「入りたまえ」
学園長の許可を得て、グランはセルフィリアと共に学園長室へと足を踏み入れた。
学園長は、訪ねてきたグランのそばにセルフィリアがいるのを見て、内心で少し警戒を強めた。
ただ、元軍人である彼女はそれを一切表情に出さず、淡々とした態度で口を開く。
「ふむ、どうしたというんだ?」
グランは誤魔化すことなく、単刀直入に切り出した。
「単刀直入に言います。今のこの環境だと、我々王国学園の生徒は帝国学園で何の成果も得られません。なので、その話し合いをしに来ました」
学園長はそれを聞くと、ついに来たかというように天を仰いだ。
セルフィリアがその反応を見て、鋭く指摘する。
「学園長、今の状況に気づいていましたね?」
そう問われ、学園長は観念したように話し始めた。
「ええ。最初はお互いに良い刺激になると思っていました。」
そしてグランを見て言葉を続ける。
「だが、蓋を開けてみれば、帝国の生徒たちにとっては絶好の鍛錬相手だが、君たちからしてみればそうではないな。いつか言いに来るとは思っていたよ。もう少し早いと思っていたがね」
セルフィリアは少し不満そうに返す。
「なら、少しはそっちで何とかしてくれてもよかったんじゃない?」
「皇女殿下、学園を預かる学園長として、そういうわけにはいかないのです」
学園長は言葉を区切り、さらに続ける。
「この二年間、帝国学園は王国学園に無様な負け方をしております。それは大陸最強という帝国の威信を根幹から揺るがす事態です。そしてこの状態はあと一年はこれが続くでしょう。しかし、今ならカリキュラム以上の成長が見込めるのです。現に手合わせをした者たちが自身の実力を見直すことができ、かなりの成果を感じたと言っているのです。今のこの環境、私の立場なら手放せないでしょう」
グランもその意見にはある程度共感できる部分があり、冷静に妥協案を提示する。
「なら、せめて手合わせの日時と制限時間、それと一度手合わせした者はもう手合わせできないようにしてもらいたい。血気盛んな者が、連日のように相手をしろと言ってきていることもあります」
学園長はそれを聞き、そこが妥協の落としどころだろうと納得した。
「わかった、ならその通りにしよう。君たちの希望を聞きたい」
グランは少し考え、条件を口にする。
「まず、手合わせをするのは週三日です。人数は俺たち王国学園の生徒一人につき一日五人まで、休日はもちろんなし。それと残りの二日は留学生たちだけで鍛錬するので、演習場には誰も入れないようにしてください」
それを聞き終わると、学園長は少し考え込んだ。
「日数と人数はそれでいい。だが、君たち同士で訓練する時に立ち入り禁止にするのはなぜだ?」
その問いに対し、グランは少し真面目なトーンで告げる。
「放課後の手合わせの時、部外者が様子を見に来ていますよね?」
それを聞いた学園長は、内心で激しく焦燥した。
そう、四聖華のリンク・ウェポンを調べるために、帝国の技術専門官たちが連日のように見学と称して足を運んでいるのだ。
セルフィリアがリンク・ウェポンを手に入れたことは、親善試合を見た者なら全員が知っている事実だった。
当然、帝国側は彼女がその武器を快く提供してくれると思っていたが、セルフィリアは頑なにそれを拒否した。
それでもあきらめきれない大人たちは、皇帝を通して命令してもらおうとしたこともあった。
だが、それを察知したセルフィリアは皇帝に対し、こう言ったのだ。
「もしそんな命令をしたら、お父様とは一生口を利かないし、王国に亡命する。そしてお母様にすべてを話します」
「あいつ(皇后)にだけは言うのやめてくれ!」
これには皇帝もセルフィリアに懇願し、結局彼女の意見を尊重することになり、調査には一切協力してくれなかった。
グランもまた、不自然に視察へ来る大人たちがリンク・ウェポンを調べに来ていることにいち早く気づいていた。
見ただけで再現出来るとは思っていないが、帝国の技術ならこれをヒントにして、強力な魔導兵装を作ってしまうかもしれない。
だからこそ、手合わせの際は皆に最低限の装備で挑むよう、事前に指示を出していたのだ。
学園長は、その思惑がそこまで正確にバレていたことに驚愕した。
ここで下手にごまかせば、留学生たちは間違いなく抗議し、帝国を出ていくだろう。
しかも今回は、横にセルフィリア殿下が控えている。
もしこの件が皇后陛下の耳にでも入ってしまえば、自分は確実に今の地位から外される。
地位を失うだけで済めばまだいい方だ。
最悪の場合、皇后陛下が直々に出てくる可能性すらある。
帝国の真の最強は皇后陛下だ。
そうなれば自分の人生は完全に終わりだ。
皇后陛下は、自分の生き写しのような第二皇女セルフィリアをとても溺愛している。
しかし、甘やかすだけではなく、皇族らしく強さにストイックなところを含めて可愛がっているのだ。
もしセルフィリア殿下の不興を買い、それが皇后陛下に伝われば、間違いなく殺される。
学園長は完全に観念した様子で、グランの案をすべて受け入れた。
「わかった。その条件で明日公示しよう」
グランはそれを聞いて深く安堵し、丁寧にお辞儀をした。
「生意気な提案をして申し訳ありません」
学園長もその言葉に対して、真摯な態度で頭を下げる。
「私は、自身の帝国学園の学園長としての立場を優先しすぎたようだ。反省する」
交渉が無事に終わり、セルフィリアがグランの顔を覗き込む。
「グラン、これでよかった?」
「ああ、ありがとう」
グランが素直に感謝を伝えると、セルフィリアは嬉しそうに彼の腕に自分の腕を絡ませた。
その後、グランは学園長に別れを告げ、その足で演習場へと向かった。
ちょうど放課後の手合わせが終わったタイミングを見計らい、Sクラスの面々を集めて先ほどの学園長との話し合いの結果を報告する。
ルヴィリスが労いの言葉をかけた。
「グラン、お疲れ様。セルフィリアもありがとう。グランの案で私はいいと思うわ」
エルスメリアも安堵の笑みを浮かべる。
「さすがグラン君ね。これなら無理なく自分たちも鍛錬できそう」
ディアドラも嬉しそうに腕を組んで頷いた。
「これでやっと、リンク・ウェポンをフルに使って鍛錬できるな」
ソフィアは、演習場の観客席に陣取っている帝国の大人たちをちらりと見やりながら口にする。
「これであの人たちの目を気にせず本気で鍛錬できますね」
すると、オリヴィアはセルフィリアに向かって、友人としての本音を漏らした。
「みんなのことを思うと、あまり使いたくないけど、王家を通して正式に抗議しないといけないのかと思ってたから、本当によかったわ」
「みんな、本当にごめんね」
セルフィリアが再び申し訳なさそうに謝ると、マルクが冗談めかして笑う。
「一度、事故に見せかけてあの観客席に魔法を放とうかと思ってたぜ」
「あら、別にやってもよかったのよ?」
セルフィリアがニッコリと微笑んで返すと、マルクは慌てて手を振った。
「い、いやさすがに冗談です!」
カロンも苦笑しながら肩をすくめる。
「でも、これである程度は自由がきくな。さすがに休日も手合わせを言われたときは、ちょっと勘弁してくれと思ってたからな」
しかし、レキシは皆とは違う話題を口にし始めた。
「そうね、実は手合わせが終わった後に結構口説かれるのよね」
それを聞いたマルクは驚愕の声を上げる。
「お、おい。レキシ、嘘だろ! なぜ言ってくれないんだ!」
レキシは悪びれる様子もなく、あっけらかんとして答えた。
「もちろん断るからよ。私はずっとマルクがいいんだもん」
その言葉を聞いたマルクは、顔を真っ赤にして照れくさそうにした。
すると、ニーナも同意するように口を開いた。
「私もなのよね。なんかね、平民だからか王国では不遇なんじゃないかって、勝手に思われているみたいで」
カロンが真剣な表情でニーナに告げる。
「そうなのか。これは普段から一緒にいたほうがいいかもな」
ニーナは嬉しそうに微笑んだ。
「そうね。一緒にいてくれるとうれしいな」
カロンも力強く頷く。
「ああ、任せとけ」
四聖華の面々や王族であるオリヴィアには、さすがに身分や実力の差もあり、手合わせの後にそのようなことを言いに来る根性のある者はいなかった。
そのため、彼女たちはレキシやニーナがそんなふうに言い寄られていることにまったく気づいていなかったのだ。
ここで、ベアトリクスも唐突に爆弾発言をぶっこんできた。
「私も何回か言われたことがあるけど、もちろん断ってるよ。……今はグラン以外考えられないし」
思いがけない言葉に場が少しざわつくが、ベアトリクスは構わずに続ける。
「あと、私の『波動』をすごい珍しがるね。帝国の文献にも載ってないかもって言われたよ。それに一度だけ、たぶん部外者なんだろうけど、その力を少し見せてくれって言われたね」
グランはそれを聞き、心配そうに尋ねた。
「何か変なことされなかったか?」
ベアトリクスは首を振って答える。
「そこはちゃんと断ったよ」
グランは皆の顔を見渡し、真剣な声音で注意を促した。
「実力主義の帝国だから、結構なりふり構わず強引に来る大人もいるかもしれない。セルフィリアがいるが、ここは王国と違うからみんな普段からちょっと警戒しよう」
その言葉に、皆は表情を引き締めて深く頷き、解散した。
翌朝、学園の掲示板に学園長名義での新たなルールが公示された。
それを見た帝国の生徒たちはざわつき、一部の血気盛んな者たちが学園長へと直接抗議の声を上げた。
しかし、学園長は元軍人らしい凄まじい威圧感をもって彼らを一喝する。
「貴様ら、留学生に頼りすぎだ。少しは自分たちでどうすれば強くなれるか考えるんだな」
その痛烈な一言で生徒たちは完全に沈黙し、大きな混乱もなく事なきを得た。
そしてその日の放課後、演習場ではSクラスのメンバーだけによる貸し切りの鍛錬が始まった。
皆、これまで手合わせばかりで抑圧されていた鬱憤を晴らすかのように、持てる力を存分に振るっていく。
魔法や剣撃が激しく交錯し、リンク・ウェポンの力も惜しみなく解放される、非常に重厚で密度の濃い鍛錬となった。
一方、その頃の演習場の出入り口には、学園側が手配した屈強な警備の者が立っていた。
連日のように見学と称して王国の生徒たち、とりわけリンク・ウェポンを調べに来ていた帝国の大人たちが次々と集まってくる。
彼らは突然の立ち入り禁止措置に不満を漏らし、警備員に対して激しく抗議した。
しかし警備員は「学園長の命令です」と頑なに言い張り、決して彼らを中へ通すことはなかった。
外で起きているそんな大人たちの醜い騒動など知る由もなく、グランたちは久方ぶりの本気の鍛錬で心地よい汗を流す。
彼らは誰の目も気にすることなく、大いに充実した時間を過ごした。




