第169話:幻の零
翌朝。目を覚ましたセルフィリアは、隣で安らかに眠るグランの横顔を静かに見つめながら、昨夜のことを思い返していた。
昨日の夜、グランから「姉の隠密部隊に監視されている」という報告を受けた。
私は、グランほどの強者であれば、なんかにわざわざ許可を取る必要などないと思っていた。
しかし彼は、相手が私の身内だからと、ちゃんと筋を通すために夜更けの王城まで会いに来てくれたのだ。
最初はびっくりしたけど。
もしあの時、私が「姉には危害を加えないでほしい」と言えば、グランはきっとその通りにするだろう。
口では過激なことを言うが、彼の根本はとても優しい人なのだ。
現に本気を出せば、たとえ相手が姉の精鋭部隊だとしても、一瞬で終わらすことなど容易にできるはずだ。
それなのにグランは、律義に私のもとへ会いに来た。
その事実が、私はたまらなく嬉しかった。
端から見れば身内への危険な宣告だが、姉ももういい大人であり、立派な政治家でもある。
姉は、自分が皇族として、ある程度守られている立場なのだということを、忘れてしまっている節がある。
それに自分の目的のためなら、相手を殺すことも厭わない冷徹な思考を併せ持っている。
ただ、姉には幼少期に「皇族なのに実力がない」と、蔑まれていた過去があった。
その時の屈辱がトラウマになったのか、姉は政治面で強くなろうと執着し、皇族の権力を駆使して最精鋭の私設隠密部隊を組織したのだ。
その部隊は帝国では無敵の諜報部隊として名を馳せ、実質的に姉の最強のカードとなった。
そして姉は、それを自身の絶対的な力なのだと、今は過信してしまっている。
帝国の徹底した実力主義が、姉の性格をここまで歪ませてしまったのだ。
だからこそ、私は姉の立場や苦悩も理解できた。
母の圧倒的な強さを色濃く受け継いだのは、姉ではなく、妹である私だったからだ。
姉は今はまだ私を「妹」として接してくれているが、私が成人すれば、権力闘争の果てにいつ誅殺されてもおかしくはない立場にいる。
ただ、私は決して負けるつもりはない。
私はこの天性の才能に恵まれ、帝国の強者たちから厳しい師事を受け、そして今、隣で眠っている愛する男から一生ものの武器と鍛錬法を授かった。
姉に無様にやられるつもりなど、ない。
しかし、それでも私には、自分の手で実の家族を斬る覚悟はなかった。
だからこそ、グランに私の気持ちという都合のいい言葉で覚悟をすべて受け取ってもらったのだ。
私はなんてずるい女なのだろうと、セルフィリアは自嘲する。
自分の手を汚したくないからと言って、最も愛する男にその罪を着せようとしているのだから。
だからこそ、私はこれから先何があっても、この愛する男をとことん守り抜こう。
それがたとえ皇族、ひいては帝国そのものと敵対することになったとしても……。
セルフィリアがグランの寝顔を見つめながらそんな強い決意を抱いていると、やがて彼が目を覚ました。
思考を切り替えたセルフィリアは、満面の笑みを浮かべて元気に挨拶をし、彼へと抱きつく。
「おはよう!」
「……ふわぁ、おはよう」
グランはまだ寝起きで頭がボケているのか、寝ぼけながら言葉を返し、セルフィリアの体を優しく抱きしめ返した。
予想外の甘い行動にセルフィリアは心から感激し、幸福感に包まれながらそのまま彼を強く抱きしめた。
そして完全に覚醒したグランは、自分が抱きしめているセルフィリアの顔をじっと見つめた。
「すまん、寝ぼけていた。……苦しくなかったか?」
グランがそう尋ねると、セルフィリアははにかむように微笑んだ。
「ううん、とっても幸せだったわ」
「……そろそろ出ないとまずいな」
グランはそう言うと、ベッドから起き上がって自身の服を整える。
セルフィリアもベッドから体を起こすが、名残惜しいのか寂しそうな声で語りかけた。
「そうね……またしばらく会えないなんて、やっぱり寂しいわ」
身支度を終えたグランは、真剣な眼差しでセルフィリアへと尋ねる。
「セルフィリア、しつこいようだが……第一皇女に関しては、本当にそれでいいんだな?」
その言葉に、セルフィリアは一度静かに間を置き、それから力強く頷いた。
「何があっても、私は何も言わない。そして、それによってあなたの立場が悪くなったとしても……私が絶対にあなたを守るわ」
「お前が背負うことはないさ」
その覚悟を聞いたグランは優しく言い、彼女の頭をそっと撫でた。
セルフィリアはそのままグランの胸へと抱きつき、自身の誓いを口にする。
「あなたに、身内殺しの罪を被せることになるかもしれない。だから、私も一緒に背負うわ」
彼女の強い決意に、グランは穏やかな声で答えた。
「できる限り、穏便にすませる」
そう約束して、グランは学園寮へと繋がるゲートを開く。
セルフィリアは立ち上がると、ゲートに向かう彼を真っ直ぐに見つめて言葉を贈った。
「グラン、気をつけてね」
グランは無言で片手を上げてそれに返事をする。
そしてそのままゲートをくぐり、彼の姿は光の中へと消えていった。
残されたセルフィリアはグランを静かに見送った後、彼の匂いと体温がまだ微かに残っているベッドへと再び寝転び、愛する人の余韻をいつまでも感じ取っていた。
学園の学生寮へと戻ったグランは、そこで重要なことを一つ思い出した。
そういえば、神聖鍛冶師であるアルメイダのことをすっかりほったらかしにしていたのだ。
「すぐに迎えに行こう」
『今ここでアルメイダ様と接触すれば、尾行している監視の者たちがすぐに皇女へ報告すると思います』
「いや、ゲートを使う。ここから王都の工房に直接行くぞ」
『承知しました。少しお待ちを……王都の広域スキャン完了。アルメイダ様は変装して、工房の近くで待機しております』
「いくら弟子とはいえ、少し雑に扱い過ぎたな……すぐに迎えに行かないと」
グランはそう反省し、「俺も念のために変装しよう」と言って、魔法で自身の見た目をなんと女性の姿に変えてしまった。
驚いたアンサートーカーが、すぐさま脳内で問いかける。
『マスター、その格好は一体?』
「万が一、あの隠密部隊と鉢合わせても、性別が違えばさすがに気付かないだろう」
『なるほど。念には念を入れたのですね。ただ、その格好は他の皆さんが見たら本当に驚くと思いますよ。記念に保存しておきますね』
「おいバカ、やめろ!」
相棒に文句を言いながらも、グランは部屋から直接ゲートを開いた。
王都にある工房の中へと転移してゲートを閉じると、そのまま玄関を開けて外へ出る。
そして、工房の近くで露店を開いて待機していた男に変装したアルメイダのもとへ歩み寄り、静かに声をかけた。
「いい剣ね。……次期剣聖の兄も喜んでいるわ」
変装している彼女にしか聞こえない微かな声でそう呟く。
それを聞いたアルメイダは驚いて目を見張り、「まさか……」と言いかけたが、グランは自身の人差し指を唇に当ててその言葉を遮った。
「ついてきて」
女性の姿のグランにそう促され、アルメイダはすぐに露店を片付けて後を追う。
そして二人で工房の中に入ると、グランは魔法を解いて元の姿へと戻った。
「すまない、アルメイダ。迎えが遅れてしまって」
するとアルメイダも自身の変装を解き、真摯な眼差しでグランに語りかける。
「いえ、師匠なら必ず迎えに来てくれると信じていましたから。一日や二日遅れたくらいで、どうとも思いませんよ」
「これを先に渡しておくべきだったな」
グランはそう言って、工房の部屋と玄関の合鍵を彼女へと手渡した。
アルメイダはその鍵を見て、自分が本当に弟子になれたのだと感極まったのか、大事そうに鍵を収納魔法へとしまう。
それを見届けたグランは、彼女をそのまま席へと案内し、これからの話を始めた。
「アルメイダ、これからの約束事を決めよう。まず、俺への敬語は無しだ。俺のほうが年下だし、神聖鍛冶師に敬語を使われるのはどうも恐れ多いからな。それに、アルメイダのその話し方は個人的に頼りになるお姉さんっぽくて、気に入ってるんだ」
その言葉にアルメイダは少し頬を染めながら、「分かった。じゃあ、師匠の言う通りにしよう」と頷き、素直に敬語をやめた。
「それと、次に不便をかけるが、外出するときは必ず変装をしてくれ」
「ああ、もちろんだ」
「それから、当面の生活費はここから使ってくれ」
「心配ない。自分の生活費は自分で出す」
グランがそう言って収納魔法からお金を出すが、アルメイダは辞退した。
「アルメイダは俺の弟子なんだから、俺が出すのが当たり前だ」
「それでもだ。私には、金なら腐るほど余っているからな」
「それだとさすがに俺が少し気が引けるよ……」
二人が押し問答をしていると、アンサートーカーが脳内でグランへと話しかけてきた。
『マスター、聖域で採取した素材を彼女に売ればいいのでは?』
(……いいのか?)
『一度その素材を見せて、これを買い取ってくれと提案すれば、彼女なら喜んでお金を払うと思いますよ』
そのアドバイスを受け、グランは試しに提案してみることにした。
「アルメイダ、君のお金はこれから俺が提供する素材を買い取ってもらうことにしよう。だから生活費とかは俺が払う」
グランはそう言って、聖域の第六層で手に入れた最高品質のミスリル鉱石とオリハルコンを、収納魔法からテーブルの上に並べた。
それを見た瞬間、アルメイダの目の色が劇的に変わり、身を乗り出してくる。
「師匠! これ、鑑定してもいいか!?」
「ああ、いいぞ」
グランが許可を出すと、アルメイダから微量な魔力が放たれるのが感じられた。
そしてしばらくの間、彼女はグランが出した素材を隅々まで食い入るように見つめ、やがて感嘆の声を上げる。
「ここまでの品質の素材は、めったにお目にかかれないぞ……! 本当に、これを私が買い取ってもいいのか?」
「ああ。これを使って、自由に鍛冶をしてくれたらいい。……ちなみに、相場はいくらなんだ?」
「この二つを合わせれば、市場なら最低でも4000万Gはつくな」
「じゃあ、身内割引で3000万Gでいいよ」
しかし、その提案にアルメイダは慌てて首を横に振った。
「そんな安い金額では買えない! それに、この素材を使って私が剣を作れば、売値としては最低でも9000万Gはもらうことになるぞ!」
「じゃあ、その売却益の2割を俺にもらおうか」
「せめて半分はもらってくれ!」
「素材も買ってもらうのに、売却益の半分まで俺がもらったら、アルメイダの儲けがなくなってしまうだろ。そこは譲らない」
グランにそう強く言われ、アルメイダは少し考え込んでいたが、やがて「師匠、ありがとう」と感謝を口にし、その条件を飲むことにした。
「あとは何か確認することはある?」
グランが聞くと、アルメイダは今は特に思いつかないと答えた。
「何か気づいたら、その都度言うことにするよ」
「じゃあ、ここでの生活のことはこれくらいかな。……それとアルメイダ、一つ教えてほしいことがある」
グランの声色が少し真剣なものになったことに気づき、アルメイダは背筋を正す。
「師匠、何が聞きたいんだ?」
「帝国第一皇女の私設隠密部隊のこと、知っていることがあれば教えてほしい」
アルメイダはその言葉を聞き、すぐに事態の深刻さを把握した。
「師匠、まさかそいつらに狙われているのか?」
「狙われているかどうかはわからない。ただ、王国建国祭の最終日の夜から、どうも尾行されているようなんだ」
「私と接触したことがバレたら、すぐに報告が行ってやばいぞ」
「大丈夫だ。そこは見つからないようにしている」
グランがそう断言すると、アルメイダは師匠がそう言うなら大丈夫なのだろうと納得した。
そして、質問された部隊についての情報を語り始める。
「第一皇女の私設隠密部隊、通称『幻零』。帝国の全土から集められた、まさに諜報部隊の最高峰さ。帝国一の情報収集能力と戦闘能力、そして様々な技能のスペシャリストが揃った部隊だと言われている。狙われたら最後だと言われているな。実際に、帝国の有力者も何人も始末されていると聞く」
少し間を置き、彼女は言葉を続けた。
「だが、奴らは証拠を全く残さないんだ。だから、本当に存在するのかどうかも分からないような部隊さ」
「存在自体は、表でも知られているんだな」
グランの問いに、アルメイダは首を振る。
「いや、実はその噂を流したのが第一皇女の主導らしいんだ。だから、初めは誰も信じていなかったのだが、表立って皇女と敵対していた勢力が、謎の不審死を相次いで遂げたことがあってね。そこで初めて、『本当に存在するのでは?』ということになったわけさ」
「いるかどうかも分からない部隊か。……まあ実際、後をつけられているのは確実なんだけどな」
「……師匠、私は弟子入りしてすぐだが、それなりに武芸もできる。自分で打った剣の切れ味や使い勝手を試すためにも、普段から力をつけているからな。それに、力で無理やり私の作品を奪い取ろうとする奴らに対抗するためにも常に鍛えているんだ。だから、師匠のことを私が守ることもできるぞ」
アルメイダの頼もしい申し出に、グランは温かい感謝を伝える。
「ありがとう。だが、俺なら大丈夫だ」
アルメイダも、確かに以前に見た時も思ったが、グランの立ち振る舞いを見たら自分よりもかなりの実力者だと気づいていた。
あれほどの魔導兵装を作成した人だ。実力は推して知るべしだ。
むしろ足手まといになるかもしれないと思い直した。
「分かった。じゃあ私は、ここでもらった素材でいろいろ作ろう」
「ありがとう。……お腹すいただろう? 飯を作るよ」
「いや師匠、私が作るよ」
「じゃあ、お言葉に甘えようかな」
そうしてアルメイダはキッチンに立ち、肉を使った豪快な料理を作り出した。
グランがそれを美味しそうに食べる姿を、アルメイダはニコニコと嬉しそうに見つめていた。
やがてグランが「ごちそうさま」と手を合わせると、アルメイダが片付けを申し出る。
「師匠、後片付けは私がやろう。師匠はそいつらの問題に集中してくれ」
「ありがとう。この問題が解決したら、アルメイダに会わせたい人たちがいるんだ」
「師匠が信頼する人たちなら、誰でも歓迎するさ」
そしてグランは、自身の学園寮へと繋がるゲートを展開した。
「じゃあ、俺は学園寮に戻るよ」
「まさか、転移魔法……!?」
アルメイダは目の前で開いたゲートを見て唖然とし、目を見開いたままグランを見送る。
グランがゲートをくぐり、その光が消えた後、アルメイダはボソッと独り言を漏らした。
「私は、とんでもないお方の弟子になったのかもしれないな……」
そう呟きながらも彼女は気を取り直し、買い取ったばかりの最高品質の素材を使って、さっそく作品を作り始めるのだった。




