第151話:深海の神威
グラン一行は、光の届かない漆黒の海中をさらに深くへと進軍していく。
グランはその間も襲い来る凶悪な深海獣たちを歯牙にもかけず、ただ淡々と魔法の一撃で屠り続けた。
途中、凶悪な水竜種が複数体同時に群れを成して襲来した際はさすがにメンバー全員がパニックに陥ったが、グランは焦る様子もなく一体一体を確実に即死させていき、ドロップした貴重な竜鱗や竜牙、超高純度の魔石を淡々と自身の亜空間収納へと回収していく。
クローディアはそのすさまじい光景を目の当たりにし、以前にグランが語っていた「聖域のドロップ品がそのまま市場に出回れば世界の経済が崩壊する」という言葉を思い出し、だからこそ探索者たちの持ち帰り戦利品にも厳しい個数制限が設けられているのかと腑に落ちた。
大商家の出身である一年生のトレースも、深く納得したように声を漏らす。
「これほど神話級に貴重な素材や最高クラスの魔石が市場へポンポンと流出したら……経済が崩壊するどころか、人々の生活基準や魔道具の相場そのものが根底からめちゃくちゃになってしまいます」
「まあ、そうだな。……ただ、今こうしてグラン殿があまりに簡単かつ作業のように魔物たちを屠っているからそう錯覚するだけであって、現実問題として他の人間には絶対に不可能な所業だろうがな」
ディアドラが極めて冷静な現実論を突きつけると、蒼白銀の翼のメンバーたちは全員が深くため息をついて同意した。
そうしてしばらく暗黒の海中を進んでいると、まるで神殿のようなものが見えてきた時、先頭を泳いでいたグランがふと足を止めた。
「グラン、どうしたの?」
セルフィリアが背後から声をかけると、グランは少し不思議そうに眉を寄せる。
「いや……この海底神殿に階層ボスがいるんだが、向こうから襲いくる気配がまったくないんだよな」
グランが自身の相棒へと視線を向ける。
「アンサートーカー、広域スキャンを頼む」
『了解しましたマスター』
アンサートーカーがぷるんと体を揺らすと、その蒼いスライムの体から超高密度の蒼白銀の光波が同心円状に海中へと広がっていった。
『スキャン完了。……どうやらこちらの隠密性が高すぎるのか、まだターゲットはこちらの存在に気づいていないようです。現在地より神殿の反対側、斜め右方向に滞留しております』
「なるほどな。じゃあこっちから出迎えてやるか」
グランはそう呟き、再びゆっくりと海中を泳ぎ出す。
後ろをついて行く仲間たちは、あの規格外のチョウチンアンコウや水竜種をはるかに凌ぐ『第五層の階層ボス』とはいったいどれほどの絶望なのだろうかと、深い畏怖とわずかな好奇心を胸に抱きながら進んだ。
そしてしばらく進んだ、その時。
グランが急に泳ぐ手を止め、右手に蒼白銀の魔力を集中させて臨戦態勢を取った。
「……あいつら、ようやくこっちに気づいたな」
グランの視線の先から、信じられないほどのプレッシャーを纏った『二頭の超巨大獣』が、並走しながら猛スピードでこちらへ滑空してくる姿が現れる。
グランは後ろにいる全員へはっきりと聞こえるように解説した。
「ここの階層ボスは、今迫ってきてるあの二頭だ。……レプンカムイというオルカ種の最上位を超えた神話クラスに片足突っ込んでる魔物だ。どちらも固有名称持ちでそれぞれ『右舷』『左舷』と呼ばれている。」
グランを発見した二頭のレプンカムイは、それぞれ左右へと別れた。
そして背びれが右に曲がっている個体『右舷』が魔力を纏いながらグランへと突進し、グランがそれを躱したのとほぼ同時――背びれが左に曲がっている個体『左舷』が、回避先を完全に先読みした完璧なタイミングで噛み砕こうと口を開けながら突進してきた。
グランは結界魔法『イージス』を展開してそれを受け止めるが、すかさず右舷が水魔法を発動させ、強大な渦潮を発生させてグランの機動力を奪う。
そこへ左舷が自ら渦潮の中へと突っ込み、一直線にグランへと体当たりをかまして、そのまま彼を押し込むように深海から海面まで一気にブチ上げた。
常識的な生物であれば、急激な水圧の変化と減圧によって肉体が一瞬で崩壊し絶命する深度である。
だが、グランは自身に環境適応魔法『アダプテーション』を構築しているため、減圧による身体ダメージは完全にゼロだった。
そして左舷と共に海面へと飛び出したグランは、その一瞬の隙を突いて左舷の巨大な胴体へと掌を当て、オリジナル魔法『魔導虚空掌』を叩き込む。
体内組織を直接破壊された左舷は、苦痛に悶えながら再び海へと逃げ帰っていった。
グランも即座に蒼白銀の魔力で推進力を跳ね上げ、海中へと舞い戻って猛追する。
しかし、左舷が深海へ戻ってくることを見越していた右舷が、自身の膨大な魔力を弾丸のように纏い、追ってきたグランめがけて神速の体当たりを仕掛けてきた。
右舷はその凶悪な顎を大きく開き、グランを真っ向から噛み殺そうとする。
グランは迫る巨体の口内めがけて両腕を突き出し、蒼白銀の魔力で形成された極厚の剣閃を両腕に纏わせた。
そしてそのまま右舷の口内へと両腕を深く突っ込み、上下に渾身の力で押し広げて――文字通り、巨大な鯱の肉体を上下に真っ二つへと引き裂いた。
オリジナル技『魔導無双剣』である。
致命傷を受けた右舷はピクリとも動かなくなったが、不思議なことにまだ光の粒子となって消滅しない。
その戦いを見ていた蒼白銀の翼のメンバーたちの中にも、なぜ完全に絶命しているはずの魔物が消えないのかと疑問を抱く者が出始める。
だがグランはそれを意に介さず、逃げようとする左舷の背中へと、今度は超高圧縮の風属性を乗せた「プレッシャー・カノン」を放った。
「ストーム・カノン」
放たれた暴風の弾丸は、周囲の深海水を圧倒的な質量で吸い込みながら超高速で左舷へと着弾し――その尾びれから頭部めがけて、全身を抉り取るように消し去った。
「さっきのボスは1頭を倒すと、別の1頭が逃げ出すんだ。2頭を倒さないと、片方は死体が残ったままになって、時間をかけると生き返るんだ。だから倒すときはなるべく同時に倒すんだ」
そして二頭目の左舷が絶命した瞬間、海中に佇んでいた右舷の肉体も連動するように崩れ落ち、二頭は同時にまばゆい光の粒子となって消滅していく。
あとに残されたドロップアイテムは、先ほどのヨルムンガンドのものと比べればはるかに小ぶりな、海のように青く美しい二つの魔石だった。
サイズこそ小さいものの、その内部に高密度に圧縮された魔力や純度は、先ほどのボス魔石とは比べ物にならないほど上等な代物である。
その人智を超えた神話級の死闘を目撃し、蒼白銀の翼のメンバーたちは完全に唖然としていた。
深海であのような神速の連携を受け、おまけに深海から海面へと一瞬で打ち上げられれば、普通は減圧症だけで即死だ。
それをただ一つの魔法で完全に無効化し、正面から捻り潰したグランという男がいかに自分たちの想像を絶する規格外であるかを、全員が改めて思い知らされる。
やがて二頭のボスが消え去ると同時に、目の前の海底神殿の周りの海が真っ向から左右へと真っ二つに割れ、入り口に三つの光のゲートが姿を現した。
グランは振り向き、皆へと順に指を差して解説する。
「あっちが凪の里に戻るゲートで、そこのゲートが聖域から外へ出るゲート……そしてこれが、次の第六層へと進むゲートだ」
しかし、そこでソフィアが一歩前に出ると、どこか思い詰めたような悲痛な声でグランへと語りかけた。
「グラン様……。先ほどあなたは、私のやり方でもこの層を踏破できると仰ってくださいました。……ですが、たった今あの階層ボスを目にして、私にはとてもじゃないですが勝てる未来が想像できません」
「何も一人でソロ踏破しなくていいんだよ。みんなで協力して挑めば、絶対にいつか突破できるはずさ」
グランが優しく諭すが、ソフィアは俯いたままさらに踏み込んで尋ねる。
「私たちが……いったいどれほど強くなれば、この第五層を踏破できるのですか?」
「第五層がそんなに気になるのか?」
「私は……ただ、グラン様に追いつきたいだけなのです」
「……なんでそんなに生き急ぐみたいに焦ってるんだ?」
グランが不思議そうに眉を寄せた、その瞬間だった。
ソフィアはまるで胸の奥に抑え込んでいた感情が爆発したかのように、涙を浮かべて強く叫んだ。
「グラン様!あなた……これが終わったら、私たちの目の前から消えるつもりなのでしょう!?」
そのあまりに哀切な叫び声が静まり返ったあとには――ただ、左右に真っ二つに割れた第五層の海が作り出す、轟音の滝の音だけが空しく響き渡っていた。




