第144話:二人の黄金
王国の勝利が確定し、試合を見守っていた帝国の観客たちの間には、重い落胆と静寂が落ちていた。
「今年も勝てなかった」という嘆きが漏れ、帝国が誇る『大陸最強』の名を返上せねばならないという焦りが広がっていく。
次に控える王国の副将はこの世代の筆頭たるオリヴィア王女、そして大将は、かつて帝国最強と謳われたセルフィリア皇女なのだ。
特待クラスがどれほどの善戦を繰り広げようとも、結果がすべてである帝国において「いい試合」に意味はない。
残る二人の代表も敗れるのではないかと、帝国の観客席にはすっかり諦めのムードが漂っていた。
その重苦しい空気の中、来賓席から舞台を見下ろしていた帝国の第一皇女は、ふと息を漏らす。
(王国の最強世代とは聞いていましたが、まさかこれほどとは……)
それに、妹のセルフィリアが婿にしたいと熱望していた少年は、目の前の彼女たちよりもさらに強いという。
一体、現在の王国の強さはどうなっているのかと、彼女は内心で首を傾げた。
彼女の思考は、眼下の『特待クラス』そのものへと向かう。
あれは野心家の公爵が父に進言し、新たに作られた秘匿のクラスだ。
皇族であっても、ごく一部の者にしかその実態は知らされていない。
皇帝である父はどうやら裏を知っているようだが、今は公爵の好きにさせている。
何が起きても対処できるという、強者ゆえの余裕なのだろう。
だが、第一皇女である彼女自身はあまり強くない。
だからこそ主戦場を社交界にし、そこから情報を得てきたのだが、特待クラスの情報だけは徹底して遮断されていた。
(公爵には強い野心がある……いつでも皇位簒奪を狙っているような、危険な気配が)
「いつでもかかってくるがいい」と余裕を見せる両親を横目に、彼女は静かな危機感を覚える。
(もし残る二試合を見て、あのクラスが国にとって危険だと判断したなら……私は皇女として、父に進言しなければなりません)
第一皇女が演習場の舞台へと視線を移すと、王国側の副将としてオリヴィア王女が静かに歩み出ていた。
対する帝国側から姿を現したのは、鮮やかな金髪を揺らす女子生徒であった。
オリヴィアは相対した相手の佇まいを見た瞬間、その力量を瞬時に把握する。
これまで先鋒や次鋒として出てきた生徒たちとは、根本的に内包している魔力の格が違っていた。
一筋縄ではいかないと判断したオリヴィアは、様子見という選択肢を思考から即座に排除する。
試合開始の合図が鳴ると同時、出し惜しみなしの全力魔法で、初手から一気に吹き飛ばす腹を決めた。
試合開始のブザーが演習場に鳴り響いた。
オリヴィアは即座に多数の魔法陣を宙に展開し、全属性の攻撃魔法を惜しみなく連射する。
対する帝国の生徒は回避すら試みず、ただ棒立ちのままその飽和攻撃を真正面から受け止めた。
凄まじい質量の魔力が一点に集中して炸裂し、激しい衝撃波とともに舞台上の粉塵が舞い上がる。
やがて魔法の嵐が止み、土煙が晴れた舞台の中央には、魔法障壁を張り何事もなかったかのように静かに佇む金髪の女生徒の姿があった。
先制の全力攻撃がまったく通じていない事実を突きつけられ、オリヴィアは驚愕に目を瞠る。
無傷の彼女が、ゆっくりと右手をオリヴィアの方へと差し向けた。
すると、先ほどオリヴィアが宙に描いたものとまったく同じ構成の魔法陣が、その周囲に無数に浮かび上がる。
敵の『模倣』を察知したオリヴィアは、瞬時に多重の魔法障壁と防御結界を展開して身を固めた。
直後、オリヴィアの放ったものと寸分違わぬ威力を持った全属性の連撃魔法が、オリヴィアの頭上へと降り注ぐ。
鼓膜を突く轟音とともに、今度はオリヴィアの立っていた座標が分厚い土煙に呑み込まれた。
やがて煙が流れると、そこには大量の汗を流しながらも、多重結界によって辛うじて攻撃を防ぎきったオリヴィアの姿があった。
オリヴィアの胸中に、これまでの対戦相手とは異なる焦りが発生する。
これまでの帝国選手は首輪の魔道具が起動してから異常な強化を得ていたが、目の前の相手はまだ首輪を発光させてすらいない。
(……首輪の強化なしの、素の状態でこれほどの出力なの)
思考をまとめる間もなく、金髪の女が一瞬でオリヴィアの眼前へと肉薄した。
そのまま無造作に振り抜かれた右拳をオリヴィアは障壁魔法で受け止めたが、強固なはずの障壁にピキリと亀裂が走る。
接近戦における打撃威力の高さに戦慄しつつも、オリヴィアは即座に敵へ向かって無詠唱魔法を連射し、強引に距離を空けた。
観客席のグランは舞台上の攻防を見やりながら、アンサートーカーに念話を送った。
(……なあアンサー。さっきの魔法の模倣はなんだ?)
『相手は、対象の魔法を一度目にしただけで完璧に再現できるほどの、並外れた技量を持っているようです』
(へえ……あれほどの魔導師はなかなかいないな)
素直に感心した様子のグランの思考に、アンサートーカーは密かに胸を撫で下ろした。
あの金髪の女生徒の正体が、まだマスターに知られていないことに。
一方、演習場の中央では、完全にオリヴィアが防戦一方へと追い込まれていた。
王国の控え席で見守っていた四聖華や皇女、ベアトリクスたちは、防戦に必死なオリヴィアの姿に驚愕を隠せない。
日々の鍛錬において、オリヴィアが誰かに敗れること自体はこれまでにもあった。
だが、これほどまでに手も足も出ず、一方的に追い詰められる彼女を見るのは全員にとって初めてのことだった。
目の前の金髪の女は、どう客観的に見ても自分たちと互角、あるいはそれ以上の能力を有している。
そして何より恐ろしいのは、彼女の首元にある不気味な魔道具がまだ一度も起動していないという事実だった。
あれが発動してさらなる強化が施されたとき、敵の能力は一体どこまで跳ね上がるのか。
王国の控え席に、これまでにない静かな恐怖が広がっていた。
絶え間ない魔法の連撃を防ぎながらも、オリヴィアの思考は極めて冷静に盤面を分析していた。
グランから叩き込まれた『魔力操作の極意』により、現在の彼女たちが内包する総魔力量は、一般的な魔導師の次元を遥かに超えている。
目の前の相手がどれほど高度な術式を連発しようとも、ステータス上の魔力総量において自分を上回っているとは考えにくい。
このまま防御結界を維持し続け、相手の魔力枯渇を誘発させれば確実に勝機は見出せると結論付けた。
現に、開戦直後に比べて相手の放つ魔法の威力と手数がわずかに落ちてきている。
おそらく自身の魔力残量を逆算し、意図的に出力を絞り始めたのだろう。
敵対する立場でありながら、オリヴィアの胸中には相手の精緻な魔法行使に対する感嘆が芽生えていた。
これほどの才能が帝国に存在していたのかという、魔導の深淵を目指す者としての純粋な興味と好意。
優れた術士への敬意を込めて、オリヴィアは静かに決断を下す。
まだグランたち仲間の誰一人にも披露していない、彼女だけの『奥の手』をここで解禁することを。
帝国の生徒による怒涛の猛攻が、ふっと途切れた。
オリヴィアは、その一瞬の隙を絶対に見逃さなかった。
彼女は防御障壁を張り続けながらも、自身特有の並列演算術式を水面下で駆動させ、反撃の魔力をひたすらに練り上げていたのだ。
オリヴィアの両腕に、極限まで圧縮された全属性の魔力が解放される。
次の瞬間、彼女の身体が爆発的な推進力を得て、金髪の女の眼前へと瞬時に肉薄した。
王国の控え席で見守っていた四聖華や皇女、ベアトリクスたちが驚きに息を呑む。
オリヴィアといえば魔法一辺倒の戦術が定石であり、身体強化を用いた格闘戦も人並みにはこなせるが、自らここまで完全に間合いを潰しにいく姿を見るのは全員にとって初めてのことだった。
「――『九界・魔導無双剣』!」
それは彼女の魔導の師であり、愛する男が振るう理外の業、グランの『魔導無双剣』へと王女独自のアプローチで辿り着いた絶技であった。
リンク・ウェポンを用いたディアドラの解釈とは異なる、全属性の魔力を超高密度に纏わせた神速の二本貫手。
帝国の生徒は即座に防御障壁を展開したものの、その盾はいとも容易く粉砕され、白銀の光を纏ったオリヴィアの両腕が相手の胸部へと深々と突き刺さる。
そして、オリヴィアは一切の躊躇いなく、突き刺した両腕をそのまま左右へと力強く引き裂いた。
金髪の女の身体が大きく弾け、ライフゲージの数値が瞬時に『0』へと反転し、試合終了のブザーが演習場に鳴り響く。
そのあまりにも苛烈な一撃決着に、控え席の面々は唖然として言葉を失っていた。
特にディアドラは、自身がグランとの特訓の末に認めてもらった『魔導無双剣』の領域へ、オリヴィアが独力で辿り着いていた事実に驚愕し、わなわなと唇を噛んで悔しがっている。
だがすぐに、王国側が副将戦を制したという確かな喜びに包まれ、全員が安堵の息を吐いた。
結果として相手の首輪が起動する前に仕留めきれたが、もしあの猛攻を耐え抜かれた上で首輪の強化が入っていたら盤面がどう転んでいたか、誰にも予測がつかない恐ろしさが残る勝利だった。
演習場の舞台で、オリヴィアは自身の術式を静かに解除し、ライフゲージの復元機能によって起き上がった相手へと優雅に微笑みかける。
「素晴らしい試合でしたわ。貴女には、魔導を極める者として心からの敬意を表します」
しかし、立ち上がった金髪の女はオリヴィアを一瞬見つめただけで、何の感情も宿さない瞳のまま、すぐ背を向けて退場していった。
「……残念ですわ、あなたとは魔導師として語り合いたかったのに」
オリヴィアは寂しげに小さく息を吐くと、すぐに王族としての毅然とした微笑を貼り直し、仲間たちの待つ自陣へと歩み渡る。
観客席のグランは決定的な決着を見届けながら、内なる相棒へと念話を送っていた。
(……オリヴィアのやつ、いつの間に魔導無双剣なんて練習してたんだ)
『ディアドラ様がリンク・ウェポンとソードビットで多角的に再現したのに対し、オリヴィア様はご自身の全属性魔力を極限まで練り上げる物理的解釈でアプローチされましたね。アプローチは違えど、どちらも甲乙つけがたい素晴らしい威力です。……もっとも、マスターのオリジナルにはまだ遥か及びませんが』
(……みんな、俺の見えないところで勝手に練習してるんだな)
どこか嬉しそうなグランの思考に、アンサートーカーが理知的に応じる。
『『蒼白銀の翼』において、マスターは強さの頂点ですから。彼らが貴方を目指すのは極めて自然な感情でしょう』
(いや、俺を目指すんじゃなくて、俺をヒントにしてあいつらだけのオリジナル技を目指してほしいんだけどな)
一方、凱旋したオリヴィアを迎えた王国の控え席は、大変な騒ぎになっていた。
「ちょっとオリヴィア様! あんな物理特化の技ができるなんて聞いていませんわ!」
「そうだ! 『魔導無双剣』は、私とグラン殿だけの神聖なものだぞ!」
詰め寄る四聖華たちを前に、オリヴィアはふふっと涼しげに微笑んだ。
「あら。なら今日からは、私たち三人のものということですわね」
「ぬぐぐ……っ!」
火花を散らして睨み合う二人だったが、やがてディアドラのほうからふっと毒気を抜かれたように微笑みをこぼし、オリヴィアの勝利を心から祝福した。
その頃、演習場を埋め尽くす帝国の観客たちの間には、ある共通の、極めて深刻な戦慄が走っていた。
(……おい、聞いてた話と全然違うぞ。あれのどこが『病弱な王女』なんだ……!?)
昨年の親善試合に続き、本日の「相手の胸を素手で引き裂く」という物理的すぎる猛威を目の当たりにした帝国民は、かつてまことしやかに囁かれていた『王国第一王女・病弱説』が、他国を油断させるための悪辣な大嘘だったのではないかと本気で疑い始めていた。




