第140話:うずまく悪意
少し昼の休憩を挟み、三年生の試合が始まった。
結果は三勝二敗で、王国側の勝利に終わった。
帝国学園側もまさか三年生が負けるとは思っていなかったらしく、帝国の生徒たちは純粋に悔しがっていた。
帝国学園長は、今年から王国も実力主義を取り入れたとは聞いていたが、それでもまだ帝国が勝てるだろうと踏んでいたのだ。
現に最後の大将戦は、引き分けてもおかしくないほどの拮抗した状況だった。
しかし、最後の王国学園の伯爵令嬢は、なんと自爆覚悟で己の身に暴風を纏って突撃してきたのである。
対する帝国の生徒も、まさか伯爵令嬢がそのような戦い方をするとは微塵も思っていなかった。
そのため対処が遅れてまともに食らい、一気にライフゲージをゼロにされて逆転されてしまったのだ。
王国の貴族は優雅に戦うことを意識している者が多く、それを是としている。
そのため『高位の者ほど、泥臭い肉弾戦や捨て身の特攻など仕掛けてこない』という強い固定観念が帝国側にはあった。
彼女は己の身分としてのプライドを捨ててでも、泥臭くチームの勝利をもぎ取りに行ったのである。
学年選抜は王国側の勝ち越しで幕を閉じ、帝国学園はこれで二年連続、王国に敗北を喫した。
帝国の生徒たちは、己のプライドを完璧にズタボロにされていた。
ここへ来た当初、王国学園の生徒たちを見て有象無象の相手だと蔑み、王国の代表もあの5人以外はたいしたことないと、文字通り舐めてかかっていた帝国の生徒たちは、すっかり意気消沈している。
一年生の選抜メンバーは結果的に勝利したものの、王国側の先鋒と大将に関しては、明らかに勝てる未来が見えなかった。
たまたま総当たり戦だったから勝てたようなものであり、これが勝ち抜き戦であれば、たった一人に蹂躙されていただろうと痛感している。
そして明日は、いよいよ学園代表戦である。
相手の陣容には、昨年帝国を文字通り蹂躙した五名に加え、かつて帝国学園最強と謳われたセルフィリアが名を連ねている。
さらに一人、見慣れない顔がいるが、事前の情報によれば、本日の選抜でひときわ圧倒的な強さを見せたあの六人と同じ修練会の所属らしい。
驚くべきことに、王国の学園代表は半数がその『蒼白銀の翼』のメンバーで占められているという。
その事実を知った帝国の生徒の中には、プライドを捨ててでもその修練会に入り、自らを鍛え直してほしいと願う者まで出始めていた。
帝国学園長は意気消沈する生徒たちを一堂に集め、まず労いの言葉をかける。
「お前たち、結果こそ振るわなかったが、それでも最後までよく食らいついた。その点は褒めてやろう」
その言葉を聞いた生徒たちは、誰もが耳を疑い驚愕した。
帝国の学園長は生粋の軍人上がりであり、妥協や泣き言を一切許さない、まさに『鬼教官』という言葉がふさわしい厳格な女性だったからだ。
そんな彼女が温かな労いの言葉を口にするほど、今回の敗北は学園長の胸にも深く突き刺さるものがあったのだろう。
「さて、明日は学園代表戦だ。我らが同胞たちの勝利を、全力で応援しようではないか」
学園長がそう呼びかけた時、一人の三年生の男子生徒が声を上げた。
「学園長。恐れながら、あの者たちを『同胞』と呼ぶことには、いささかの不愉快さを覚えます」
彼の言い分ももっともであった。
今日の出発直前、合流した代表メンバーたちと顔合わせをしたのだが、彼らの瞳にはまるで感情が宿っておらず、ただ冷たい視線だけがあった。
全身から漂う言い知れぬ不気味さと、次元の違うおぞましいほどの魔力。
勇気を出して声をかけても、まるでそこに誰も存在しないかのように完全に無視され、彼らは無言のまま宿泊施設へと消えていったのだ。
「めったなことを言うな。あれは『特待クラス』の者たちだ。……公爵の不興を買うことになるぞ」
学園長は生徒の言葉を鋭く遮り、周囲を警戒するように声を潜めてきつく釘を刺した。
一方、王国学園の控え室は勝利の歓喜に酔いしれていた。
一年生たちは敗北こそしたものの、全力を尽くして健闘したことを素直に喜んでいる。
二年生のマルクたちは全勝という輝かしい戦績に沸き立ち、三年生は拮抗した状況から捨て身の特攻で勝利をもぎ取った大将の伯爵令嬢を、もはや英雄のようにもてはやしていた。
学園選抜である『四聖華』や王女、皇女やベアトリクスも彼らの勝利を心から祝福し、明日は自分たちの出番だと気合を入れ直す。
そこへ王国学園長が姿を現し、各学年の代表たちへ惜しみない労いの言葉をかけた。
「明日は君たちのさらなる躍進と勝利を祈っている」
学園長は笑顔でそう告げ、控え室を後にする。
やがて興奮冷めやらぬ生徒たちが一人、また一人と帰路につく中、部屋の隅でただ一人うなだれているルークの姿があった。
姉であるルヴィリスは心配そうな視線を向け、静かに歩み寄る。
「ルーク。最後の突撃、結果は失敗に終わったけれど、あの思い切りの良さは悪くなかったわ。今日の敗北を糧にして、さらに精進しなさい」
「……姉上、ありがとうございます。ですが、今は少しだけ一人にしておいてくれませんか」
「……わかったわ」
ルヴィリスは短く応じ、それ以上は踏み込まずに部屋を出ていった。
一人残されたルークは、己のあまりの不甲斐なさに、思いのほか深く精神を参らせていた。
一学期の魔導大会では見事優勝を果たしたというのに、帝国の、それも格下であるはずの伯爵家の者に終始押し込まれ、無残に敗北したのだ。
思い返せば、あの魔導大会の時点では『蒼白銀の翼』のあの二人はまだ修練会に入会すらしていなかった。
たった半年くらいで、人間はここまで劇的に変わってしまうものなのかと、ルークは底知れぬ恐怖を覚える。
このままでは、平民が貴族の絶対的な実力を凌駕していくのも時間の問題ではないか。
自分には何かが決定的に足りていない。
魔導大会の直後、Sクラスの平民の男に完膚なきまでに叩きのめされてから、人一倍鍛錬の量を増やしてきたはずだった。
しかし、修練会対抗戦では『蒼白銀の翼』による理不尽な蹂躙に巻き込まれただけで、大した見せ場を作ることもできなかった。
そして迎えた今回の学年選抜戦でも敗北を晒した。
ヴァレンタイン侯爵家の正当な後継ぎとして厳格な英才教育を受け、貴族としての完璧な振る舞いや実力を身につけ、ゆくゆくはこの王国の屋台骨を支える重臣として歴史に名を残すはずだった。
そんな己の輝かしい人生の設計図が、こんな学生の親善試合ごときで根本からひび割れるとは夢にも思っておらず、ルークは己の圧倒的な甘さを痛感した一年を呪うように両手を握りしめた。
その時、静寂に包まれた部屋の扉が突然ノックされる。
ルークはそれを無視したが、訪問者は断りもなくガチャリと勝手に扉を開け放った。
不快感を露わにして鋭い視線を送ると、そこには一人の初老の男が立っていた。
男の顔を見た瞬間、ルークは驚きに目を見開いた。
「……先生」
その男はかつてルークの専属家庭教師を務め、幼い彼に歪んだ『貴族至上主義』の価値観を骨の髄まで植え付けた張本人であった。
「ルーク様、この度の試合は大変残念な結果でございましたね。しかし、何も悲観なさることはありません。あなた様はまだ、偉大なる飛躍への発展途上におられるのですから。ささ、このような薄暗い部屋にいつまでもおらず、本日は『集会』へと参りましょう」
男は柔和な、しかしどこか底の知れない粘着質な笑みを浮かべてそう誘う。
ルークがまだ初等部に通っていた頃、この家庭教師に連れ出されて一度だけ参加した秘密の集会。
男はルークがまだ幼く判断能力に乏しいことを利用し、そこから定期的に集会へ参加させては、過激な選民思想の洗脳を施していったのだ。
もちろん、当主である侯爵にその事実を知られれば、家庭教師など即座に破門・解雇される。
だからこそ男は綿密な計画を練り上げ、周囲に悟られぬよう、じわじわと時間をかけてルークの精神を貴族至上主義の猛毒で染め上げた。
実はかつて、姉であるルヴィリスに対しても同じ洗脳を試みた時期があった。
しかし、彼女は十歳の頃に経験したある野外実習での出来事を境に、男の説く思想に全く染まらなくなってしまったのだ。
それどころか男の理屈に鋭く反論するようになり、己の立場が危うくなることを恐れた家庭教師は、早々に彼女への思想誘導を諦めた。
だからこそ、次なる標的となった弟のルークに対しては、細心の注意を払って思想を誘導した。
その結果、彼を完璧な『貴族至上主義の信奉者』として仕立て上げることに成功し、男は深い安堵と暗い暗躍の喜びを噛み締めていたのである。
しかし、ルークは『集会』の名を聞いて少し思い悩んだ。
「……先生。本日は、このまま屋敷へ帰ります」
先生と呼ばれたその男はわずかに目を見開いて驚いたが、ここで無理に連れ出すのは得策ではないと瞬時に判断した。
「わかりました。では、この親善試合がすべて終わって、落ち着いてからにいたしましょう」
男は恭しく一礼し、そのまま部屋を退室しようとする。
「待ってください、先生。……平民とは、無力で脆弱で庇護しなければ生きていけない卑しい存在だと、かつて私に教えましたよね」
ルークがその背中に向かって問いかけた。
「ええ、もちろんでございます」
男は足を止めて振り返る。
「ならば、今の私の周りにいる者たちは何です。あの枠組みに到底当てはまらない、規格外の平民が多すぎる……あれはどういうことなのですか」
その問いに、家庭教師の男は内心で強く警戒した。
ここで下手な答え方をし、彼に植え付けた貴族至上主義の根幹が揺らいでしまえば、これまでの長きにわたる計画がすべて水泡に帰す。
「……平民の中にも、ごく稀に強い力を持つ者が現れるのは事実です。本日の王国選抜や帝国選抜に平民が混ざっていたように。しかし、所詮は紛れ物。正統なる高位貴族の血脈と比べれば、それこそ天と地の差がございます」
「だが、私は今日、相手の伯爵家の者に押し負けたぞ!」
ルークはやり場のない苛立ちをぶつけるように叫んだ。
「いえ、あの者は帝国の苛烈な実力主義を勝ち抜いてきた特異な存在。我が王国の基準に当てはめれば、侯爵家の上位にすら食い込むほどの血のにじむような努力をしたのでしょう。……よく考えてもみてください。もし帝国が真の実力主義を謳うのであれば、あのような強い力を持つ者には、すぐさま爵位が授けられるはずです」
先生と呼ばれた男はさらに言葉を続ける
「しかし、現実にはそのような話は一切聞きません。なぜか? 所詮は実力主義と謳っている帝国とて、貴族としての絶対的な権威が失墜し、国家が乱れ、崩壊へと脅かされることを恐れているからに他なりません」
もっともらしい詭弁を並べ立てて、男はルークの思考を強引に押さえ込んだ。
ルークもそれ以上は反論する言葉を持たず、ただ黙り込む。
「……とにかく、今日はもう家で休みます」
ルークはそう言い残し、足早に部屋を出ていった。
誰もいなくなった控え室に、家庭教師の男だけが一人取り残される。
「……少し、再教育を施さねばならないようですね」
男の声音から先ほどの温和な響きは完全に消え失せ、底冷えするような冷徹さだけが響いた。
そして男もまた部屋を後にし、己の足跡を消すように、大勢の人間がひしめく観客席の喧騒の中へと紛れ込んでいった。
そしてまた別の場所――王国が今回の親善試合のために用意した、宿泊施設の一室。
帝国の公爵であるその男は、精巧な変装を施し、王国の監視の目を完全にすり抜けて秘密裏に潜り込んでいた。
一人の使いの者から、本日の学年選抜戦の全結果を報告された男が、傲慢に喉を鳴らす。
男の背後にある深い暗がりには、まるで命のない人形のように一切の感情を消された『特待クラス』の七人が、物音ひとつ立てずに佇んでいた。
「……ふん。前座が終わっただけのことだ。明日こそが本番――我らが長きにわたる研究の成果を、存分に試させてもらおうではないか」
変装の奥にある男の口元が、底知れぬ暗い野心と狂気に満ちた歓喜の形へと歪んだ。
光り輝くはずの親善試合の裏側で、王国と帝国の双方に渦巻く底知れぬ悪意。
それらはすでに、誰の手にも負えぬほど濃密に絡み合っていた。
やがてその漆黒のうねりが大陸全土を覆いつくし、後世の歴史に絶望の『大災厄』として刻まれることになる未来を――
この祝祭の夜に酔いしれる若き英雄たちは、まだ誰も知らない。




