第133話:モテ期と修羅場
二月の半ば。学園に、またこの日がやってきた。
(去年のバレンタインデーは蒼白銀の翼の女性陣とレインからもらえたし、今年ももらえるだろうな)
朝、学生寮の自室で身支度を整えながら、グランはのんきにそんなことを考えていた。
しかし、そんな彼の平和な思考に、脳内の相棒が容赦なく冷水を浴びせてくる。
『マスター、余裕ぶっていると痛い目を見ますよ』
(痛い目って、どういうことだよ?)
『四聖華や王女、皇女が愛想を尽かしているかもしれない、ということです。考えてもみてください。全員あなたと結ばれるために服まで脱ぐ覚悟を見せたのですよ? それをのらりくらりと拒否し続けているのですから、「もういいや」と見限られることもあり得ます』
(うっ……)
『とりあえず、何も考えずに突っ込んで、そのあとで考えたらいいんですよ』
(お前、たまにすげえ怖いこと言うな……)
脳筋すぎる相棒のアドバイスに呆れつつ、グランは気を取り直して寮を出た。
しかし、学園の校門をくぐろうとした瞬間、彼の足はぴたりと止まった。
「あ、来たわよ!」
「グラン・グラニアス君ね?」
金色の襟章をつけた上級生のお姉さま方数名が、待ち構えていたようにグランの行く手を塞いだのだ。
(えっ? なんだ?)
唐突な出来事に戸惑うが、相手は年上の上級生だ。生意気な口調で応対するわけにもいかず、グランは少し警戒しながらも丁寧にお辞儀をした。
「おはようございます。どうかしましたか?」
「キャー! 可愛い!!」
その礼儀正しい態度が何かのツボに入ったのか、先輩たちは急に黄色い悲鳴を上げて騒ぎ出した。
「これ、もらって!」
「手紙、絶対読んでね!」
頬を赤く染めて恥じらう先輩たちから、次々とお菓子やチョコの包みが押し付けられる。グランは突然のことでびっくりし、あたふたしながらもそれを受け取るしかない。
「手が塞がっちゃうから、これもあげるわね」
最後に渡してきた先輩は、ご丁寧に大きめの手提げ袋まで用意してくれていた。
至れり尽くせりの対応にあっけにとられるグランだったが、ふと周囲の空気が異常に冷たいことに気づく。
登校中の男子学生たちが、親の仇でも見るかのような凄まじい殺気をグランに向けていたのだ。
これ以上、ここに留まるのは命に関わると本能で察知したグランは、手短に言葉を残した。
「あ、ありがとうございます!」
そして、そそくさとSクラスの教室へと逃げ込んだ。
「見てたぞグラン! お姉さま方にモテモテじゃねえか。羨ましいぜ!」
教室に入った途端、マルクがニヤニヤしながら近づいてきた。
「すごいな。しかも高位の貴族令嬢もいただろ?」
カロンも目を丸くして感心している。
すると、二人の後ろで会話を聞いていたレキシとニーナが、わざとらしくため息をついた。
「今年はグラン君に義理のお菓子を用意してたんだけど……あんなにもらってるなら、いらなそうだよね?」
「うん。私たちのなんて、邪魔になるだけだよね……」
悲しそうな演技でからかってくる二人に、グランは慌てて首を振る。
「いやいや! 欲しい! 欲しいです!」
「え~、どうしようかなあ?」
たっぷりと勿体ぶった後、二人は笑い合い、小さく可愛らしい包みに入ったお菓子をグランに渡してくれた。
「まあ、からかうのはここまでかな。はい、どうぞ」
「いつもお疲れ様、グラン君」
「ありがとう!」
ホッと息をつくグランを余所に、レキシはマルクへ、ニーナはカロンへと向き直る。
その手に握られているのは、先ほどの義理チョコとは明らかに気合の違う、立派な包みだった。
「いつもありがとう。これからもよろしくね」
二人の真剣な言葉と本命のチョコを受け取ったマルクとカロンは、普段のお調子者な態度を引っ込め、照れくさそうに誠実にお礼を言う。
「あ、ああ、ありがとう」
「こちらこそ、ありがとう」
Sクラスの教室内には、なんとも初々しく甘い空気が流れていた。
しかし、この時のグランはまだ気づいていなかった。
四聖華や王女、皇女、そして伏兵のベアトリクス。彼女たちが関わる今年のバレンタインデーが、予想外の展開になるということに。
午前中の授業が終わり、昼休み。
グラン、マルク、カロンの三人が食堂で昼食をとっていると、同級生の女子学生たちがわらわらとテーブルを取り囲んできた。
(なんだなんだ?)
グランは身構えた。マルクとカロンも少し驚いていたが、朝の校門前での騒動を見ていたため、どうせグラン目当てだろうと軽く考えていた。
「あの……蒼白銀の翼の皆さんですよね?」
代表らしき女子学生が口を開く。
「そうです。どうしましたか?」
なぜか敬語で答えるグラン。すると、彼女は頬を染めながら、お菓子の入った包みを差し出した。なんと、マルクに向けて。
「これ、もらってください!」
「私のも、お願いします!」
それを皮切りに、他の女子学生たちも次々とマルクとカロンにお菓子を渡していく。
両手いっぱいにお菓子をもらい、ニヤケ顔が止まらない二人。
(……あれ?)
グランはからかおうとしたが、ふと、自分にはただの一つも渡されていないことに気がついた。
「おいおいグラン、お前は一つももらってないな!」
マルクが調子に乗って逆にからかってくる。しかし、カロンはすぐさま真顔になり、冷静な声で言った。
「いや、マルク。よく考えろ。俺たちの同世代に、誰がいるのかを」
「同世代? ……あ」
マルクの顔からスッと笑みが消える。
「四聖華様だろ……それに、オリヴィア様にセルフィリア様……」
「そうだ。あのメンツがグランと恋仲なのは周知の事実だ、そこに喧嘩を売るような真似をする女子生徒がいると思うか?」
「い、いないな。絶対殺される……。むしろ、朝の上級生たちは相当根性あるな……」
戦慄する二人を前に、グランはただ遠い目をするしかなかった。
しかし、食事を終えて教室へ戻る途中。
ふと、マルクとカロンの顔面がみるみるうちに蒼白になっていく。
「お、おい……。この状態を、レキシやニーナに見られたらどうなる……?」
マルクの呟きに、カロンも絶望的な表情を浮かべる。
「やばい。レキシはああ見えて嫉妬深いぞ!」
「ニーナも、これを見たらマジで数日は落ち込んでしまう……! どうすればいい、グラン!?」
あたふたする二人に、グランは適当なアドバイスを送った。
「堂々と持って帰ればいいじゃないか」
「バカ! だから怒られるって言ってるだろ!」
「いやいや。これほどモテる男どもが『唯一愛している女』だと知ったら、逆に彼女たちの承認欲求が満たされて喜ぶだろ?」
自分のことを棚に上げて素人以下のグランが放った、根拠のない持論。
しかし、パニックに陥っていた二人は……。
「な、なるほど……!」
「じゃあ、このままでいいか!」
なぜか謎の自信を取り戻し、大量のチョコを抱えたまま意気揚々と教室へ戻ってしまった。
教室に戻ったマルクとカロンを見て、レキシとニーナは目を丸くした。
そして、室内の温度が急激に下がったかのような、ひどく低い声で尋ねる。
「……それは、どうしたの?」
グランのアドバイスを信じきっているマルクは、胸を張って答えた。
「同級生の女子たちに、食堂でもらったんだ!」
「俺もだ!」
「「……そう」」
地獄のような沈黙が落ちた。
レキシは、底冷えするような恐ろしい声でマルクに告げた。
「マルク。ちょっと放課後、話があるんだけど」
「あ、はい……」
マルクはようやく事の重大さに気づき、項垂れて席に戻る。
ニーナもまた、光を失った瞳でカロンを見つめた。
「カロン君、モテるんだね……。私はもう、用済みなのかな?」
「ち、違う! そんなことないぞ、ニーナ!」
必死にフォローするカロンだが、ニーナはそれ以上話を聞いてくれない。泣きそうな顔ですがりつき、放課後に二人きりで話す約束をどうにか取り付けるのが精一杯だった。
(……すまん、ちょっと予想外だった)
グランは心の中で軽く手を合わせた。しかし、そんな彼に相棒が冷酷な事実を突きつける。
『マスター。他人事のようにしていますけど、今日、まだ四聖華や王女、皇女、ベアトリクス様と一度も喋っていませんよ』
(……え? そういえば)
言われてみればと、グランは教室内を見渡した。
ルヴィリスたち本命のヒロインたちは、それぞれ女子同士で集まり、楽しそうに雑談している。だが、そこには明確な壁があった。
まるで、グランという存在が教室にいないかのような、完全な無視。
(ま、まさか……本当に愛想を尽かされたのか?)
グランは話しかけようと立ち上がりかけたが、もし冷たい瞳で「は? 話しかけないでくれる?」などと言われたら立ち直れないと思い、すぐに座り直してしまった。
(こ、怖い……!)
最強無敵を誇る彼が、かつてないプレッシャーに冷や汗を流す。
完全無視という名の恐怖に苛まれ、午後の授業は全く頭に入ってこないまま、ただ時間だけが無情に過ぎていった。
そして放課後。
レキシとニーナは「ちょっと用事があるから鍛錬は遅れる」と宣言し、そばにいたマルクとカロンを連行していく。
「ほら、行くわよ!」
(ガンバレー)
グランはそれを見て、マルクとカロンの無事を祈ってエールを送った。
そして演習場に到着すると、なんとそこには一年生のトレースとクローディアしかいなかった。
「あれ? みんなは?」
グランが尋ねると、クローディアが不思議そうに首を傾げる。
「あれ? 先輩方は『今日は用事があるから、鍛錬は二人で自由にやってて』と言ってましたよ?」
その言葉を聞き、グランの全身から一気に冷や汗が溢れ出し、ずーんと気分を落ち込ませる。
「グラン先輩は用事ではないのですか?」
トレースが傷口をえぐるような質問をする。
隠すわけにもいかず、グランは今日の出来事を正直に話した。
「そうなのですね。グラン先輩、モテすぎますものね」
クローディアは妙に納得したように頷く。
「それは……私では何のアドバイスもできません」
トレースも苦笑いして匙を投げた。
「じゃあ今日は、もうお前ら二人の鍛錬の時間にするか」
考えてもしょうがないと開き直ったグランが言うと、トレースとクローディアは複雑な気分になりつつも、普段とは違う貴重な時間だと割り切り、時間が許す限り教えを乞うのだった。
そして、鍛錬が終わる。
結局、マルク、レキシ、カロン、ニーナの四人は戻ってこなかった。
(南無~)
グランは心の中で親友たちの冥福を祈る。
『ついに放課後が終わっちゃいましたよ。どうするんですか?』
アンサートーカーの言葉に、グランは半ば諦めムードでうなだれた。
「身から出た錆だ。この人生の教訓として一生忘れないよ……」
演習場で着替えを済ませ、いざ寮に帰ろうと校門に向かって歩いていると、今度は銅の襟章をつけた下級生たちに囲まれた。
(まさか……)
グランが身構えていると、去年の魔導大会の交流パーティーで一緒に踊った貴族の女子学生が進み出てくる。
(あの子、下級生だったのか)
「グラン様、交流パーティーでは一緒に踊ってくれてありがとうございました。グラン様が四聖華様や王女様、皇女様の想い人なのはわかっています。でも、自分の気持ちは抑えきれませんでした。お返事はわかっているのでいりません。ただ、私の気持ちを伝えたかったのです」
そう言って、彼女は真っ直ぐな瞳でチョコを差し出した。
今日一日で精神をすり減らしていたグランは、その純粋な好意に少し涙ぐむ。
「ありがとう。大切に食べるね」
「ありがとうございます!」
彼女は顔をぱぁっと明るくさせ、嬉しそうに走り去っていった。
それを皮切りに、物陰で様子を窺っていた他の下級生たちが一斉に殺到してくる。
「グラン先輩! 私のも受け取ってください!」
「いつも応援してます!」
朝の上級生のお姉さま方と同じように、今度は年下の可愛らしい後輩たちに囲まれ、それぞれお菓子やチョコをもらった。
しかし、周囲の男子学生たちがグランのことを恨めしそうに睨んでいることに気づく。
下級生の女子学生たちがいなくなったと同時に、グランは急いで寮へと戻った。
自室に帰り着いたグランは、大きく息を吐いた。
四聖華や王女、皇女からもらえなかったことは自身の戒めとして刻み、もらった戦利品を一つずつ確認する。
レキシとニーナからもらった義理のお菓子。
そして、上級生と下級生たちからもらった本命のチョコとお菓子。
手紙には、「可愛らしい子だと思ったわ。お姉さんが色々教えてあげる」など、なかなか扇情的なことも書いてあった。
一方で、あのダンスをした子からの手紙には、グランのどこが良かったのかがびっしりと書かれており、その純粋な恋心に今日の精神的ダメージが癒されていく。
ちゃんとお返しを用意するために、グランはもらった全員の名前などを確認してノートに記録した。
そして、去年はその日のうちに全部食べ切って翌日に胃もたれしたことを反省し、今年はすべて収納魔法に保存した。
もう寮から出る用事はなかったので、早い時間だが日課の魔力操作の極意をして、傷心のままグランはベッドに寝転ぶ。
「もう寝よう……」
『だから、抱いていればよかったのです』
アンサートーカーが最後までおちょくってくる。
精神的に参っていたグランは、反論する気力もなく寂しそうに呟いた。
(お前の言う通りかもな……)
そうして、最強無敵の男は傷ついた心を抱えたまま眠りについた。




