第129話:白き大地
次の日の朝。
侯爵夫妻、兄のグリフィスとグレイ、四聖華、そして王女と皇女を交えて賑やかな朝食を済ませた後、皆で揃ってヴァスティール家の執務室へと移動した。
いざ会議を始める前に、グランはヴァスティール侯爵夫妻に小声で確認を取る。
「皆の前で領地の内情について話すことになりますが、本当に大丈夫なのですか?」
すると、侯爵夫人は気にした様子もなく「ええ、大丈夫よ」と優雅に微笑んだ。
そして、本格的な会議がスタートする。
グランは、以前の夏合宿の際に夫人から受け取っていた資料をもとに、脳内の『アンサートーカー』と共に完璧にまとめ上げたレポートを取り出し、出席者たちへ配り始めた。
そこには、ヴァスティール侯爵領の財務の現状、その悪化の根本的な原因、そして『このまま何の対策も打たなければ、何年後に財政破綻を迎えるか』というシビアな予測データが克明に記されていた。
さすがに他領の令嬢である四聖華や、王族・皇族であるオリヴィアたちにまで他家の内情を見せるのはマズいのではないかと思い、グランは配る手を一度止める。
「本当に、彼女たちにも見せてしまっていいんですか?」
しかし、侯爵夫人は毅然とした態度で首を横に振った。
「いえ、彼女たちにもしっかり知ってもらった方がいいわ。自分たちの領地や国が、これから先どうなるかなんて誰にも分からないのだから。領地経営の危機と対策の『生きた参考資料』として、皆で共有して見ておきなさい」
侯爵夫人の思慮深い言葉に、ルヴィリスやオリヴィアたちもハッとして真剣な表情になる。
そして皆は姿勢を正し、グランから配られた資料に真剣な眼差しを落とすのだった。
「ヴァスティール侯爵領の財政悪化の根本的な原因は、この厳しい気候と土地の問題です。端的に言えば、農業に適していない土地である……ということになります」
グランが話を切り出すと、侯爵や兄二人も深く頷き、真剣な面持ちで耳を傾けた。
「ここからは内密にしていただきたいのですが、俺の用意したプランの中には、この寒冷地でも十分に育ち、主食にできるような作物の存在があります」
すると、グリフィスが静かに口を挟んだ。
「それに関しては、過去に何度か他国から種を取り寄せて実践したが、すべて駄目だったのだ」
「その時の記録などは残っていますか?」
グランはグリフィスの言葉を疑わなかった。侯爵の息子たちが領地のために尽力し、優秀であることはこれまでのやり取りで見て取れていたからだ。当然、寒冷地対策の農業などすでに実施済みだろうと予想していた。
すぐさま騎士の一人が資料を運び込み、グランは礼を言ってそれに目を通す。
そして、脳内のアンサートーカーに分析させると、無視できない言葉が返ってきた。
『マスター。この資料のデータによれば、マスターが用意した特製の農作物であっても、過去と同じように失敗し、枯れてしまいます』
(……原因は分かるか?)
『おそらく、【龍脈の異常】でしょう』
その言葉を聞き、グランはそのまま皆に話すべきか一瞬迷った。
しかし、侯爵夫人の鋭い観察眼はグランのそのわずかな躊躇いを見逃さなかった。
「グラン。言いたいことがあるのなら、隠さずに言ってちょうだい。あなたの言葉は、私が責任を持ちます」
威厳に満ちた声でそう言い切る夫人に、侯爵が驚いて目を見開く。
「お前、そこまで彼を……」
「グランがここまで我が領のためにやってくれているのですよ、あなた。私はこの子に期待したいのです。これから先、この領地の民が何不自由なく暮らせるようになるというのなら」
その母の覚悟を聞き、ディアドラも力強く頷く。
「私も、グラン殿なら信用できると断言します」
家族の言葉に、侯爵もついに覚悟を決めたように深く息を吐いた。
「……グランよ。お前が今から言うことは、一つの事実として聞こう」
そこまで言われて黙っているわけにはいかない。グランはアンサートーカーから聞いた通りに告げた。
「農作物が育たない根本的な原因は……『龍脈の異常』です」
「龍脈……だと?」
グリフィスとグレイが呟き、がっくりとうなだれた。四聖華や王女、皇女たちも「龍脈の異常なら、どうしようもないのでは……」と顔を見合わせる。
侯爵夫妻も「なるほど……」と呟き、もはや諦めの境地に入ってしまったようだった。
それもそのはずだ。龍脈とは、この星のいわば『血管』に当たるもの。魔素を巡らせ、大地に魔法としての恩恵をもたらす。魔素の濃い龍脈の乱れた場所には強力な魔物が出現するため、ヴァスティール家の騎士団は遠征という名目でその討伐も行っていたのだ。
そんな星の血管を、人の手でどうにかできるはずがないというのが常識だった。
「ですが」
沈み込む一同に向かって、グランは言葉を続ける。
「龍脈の異常箇所を特定し、そこを正せば、この寒冷地でも俺の農業プランは必ず成功します」
「あなた……まさか、龍脈を調整できると言うの?」
侯爵夫人が目を見開いて尋ねると、グランははっきりと「できます」と答えた。
それを聞いた兄二人は「馬鹿な、そんなこと人にできる所業ではないぞ!」と驚愕し、四聖華たちも信じられないといった顔をする。
「だが、龍脈に異常があるのなら、領地内でも何かしらの異変に気づくはずだが……」
侯爵の疑問に対し、グランは答える。
「おそらく、普段は人が確認できないような深い場所にあるのだと思います」
その言葉に、グリフィスとグレイが「まさか」と顔を見合わせた。侯爵夫妻も思い当たる節があったのか、グランに向かって語り始める。
「……この王国の建国以前、『ファリオン聖王国』と呼ばれていた時代に存在したとされるダンジョンがある。今は入り口が崩落で塞がれており、雪深い険しい崖の底にあるため魔物も出てこない。誰も立ち入らない不可侵の場所となっているが……あそこの龍脈がおかしくなっているというのなら、話の筋は通るな」
「そこを調査しましょう」
グランが即座に提案すると、グリフィスが頷いた。
「ならば、精鋭の騎士団を編成して調査に当たらせよう」
「俺も連れて行ってください」
グランがそう申し出ると、グリフィスは少しの逡巡の後、「確かに、龍脈を弄れるというのなら、お前を連れて行かない道理はない」と言い、そして――深く頭を下げた。
「よろしく頼む」
次期侯爵としてのプライドを捨てての懇願。それを見たグランは慌てて「頭を下げないでください!」と制止する。
「この領地のために危険を冒してくれるのだ。礼を言わない奴などいない」
グリフィスは真っ直ぐな目でグランを見つめ返し、騎士としての誇りと誠実さを見せた。
すると、そのやり取りを見ていた四聖華や王女、皇女たちも一斉に立ち上がった。
「私たちも行きます!」
「だめだ!さすがに危険だろ!」
グレイが反対するが、侯爵夫人がそれをピシャリと制した。
「いえ、あなたたちもついて行きなさい。グレイ、心配なのは分かるけれど、これは彼女たちが将来、自領や国の経営を見る上で必ず体験しておかなければならないことよ」
夫人の厳しくも愛のある言葉に、ルヴィリスたちも気を引き締めて深く頷いた。
「はい。よろしくお願いいたします」
かくして、ヴァスティール領の未来を懸けた、前人未到のダンジョン探索が幕を開けようとしていた。
準備を整えた一行は、ヴァスティール侯爵邸を出発した。
グリフィスとグレイが指揮を執り、グラン、四聖華、王女、皇女、そして騎士団の中でも特に選りすぐられた精鋭二十名が、大昔のダンジョンがあったと言われる場所へと向かう。
天候はまだ荒れていなかったため、雪深い道中とはいえそれほど苦労することなく進むことができた。
だが、明日から猛吹雪になる可能性があるため、現場近くに野営地を設置することになった。
騎士たちが手際よく野営の準備を始める中、グランも率先して手伝い始める。すると、それを見ていた四聖華や王女、皇女たちも一緒に作業を手伝おうと動き出した。
「王女様方や高位貴族の令嬢に、このような雑用をさせるわけにはいきません!」
騎士たちは慌てて遠慮するが、彼女たちは譲らなかった。
「私たちは遊びに来たわけではありません。これも領地経営や有事の際の貴重な経験です」
その真剣な眼差しに気圧され、騎士たちは「ならば」と、野営のやり方やテントの設置方法などを丁寧に教え始めた。皆は真剣に話を聞き、自分たちが寝泊まりするテントを協力して立てていく。
グランも自身のテントの設置を終えた頃、グリフィスとグレイに呼ばれた。
「ダンジョンがあったと思われる場所は、ここからそう離れていない。今、騎士たちを斥候に出しているから、どういう状況かはもうすぐ分かるはずだ」
「具体的な行動は、その報告を聞いてからになりますね」
グランが頷くと、二人は意を決したような真剣な表情でグランを見つめた。
「グラン。お前の実力はもう疑っていない。だが……屋敷で話していた『龍脈を調整できる』という点だけが、どうしても納得いかないのだ。説明してくれないか?」
グリフィスの問いに、グレイも同じように気になっているらしく静かに頷く。
(なあ、アンサートーカー。話しても大丈夫か?)
『グリフィス様もグレイ様も口が堅い人物です。この先の行動を円滑にするためにも、明かしてしまって問題ないという決断になります』
相棒の許可を得たグランは、他の侯爵夫妻や『蒼白銀の翼』のメンバーに話した時と同じように説明することにした。
「これは内密にしてほしいのですが……俺は、女神の遣いです」
「なっ……」
「いずれ来る災厄に備えて『聖域』で鍛錬していたところ、運命のいたずらか、こうして王国の人たちと深い縁ができました。龍脈を調整できるのも、その女神の遣いとしての能力の一端です」
それを聞いた二人は、まるで信じられないものを見るような顔をした。だが、すぐに自分たちの両親やディアドラ、そして王族までもがグランに対して特別に接している理由に思い至り、深く納得したようだった。
「……わかった。これ以上は聞かない方がいいだろうな。その時は、よろしく頼む」
グリフィスは短くそう言い、グランへの信頼を新たにした。
ちょうどその時、斥候に出ていた騎士たちが戻り、報告を上げた。
やはりダンジョン前と言われている場所は崩落した岩や雪で塞がれており、まずはその撤去が必要だという。さらに、周辺にはそこそこ強い魔獣が十数頭徘徊しているとのことだった。
「ならば王道のやり方でいく。まず周囲の魔獣を討伐して安全を確保し、それから崩落箇所の撤去を行おう」
グリフィスの作戦に、グランが申し出る。
「もちろん、俺たちも手伝わせてください」
「兄さん。彼らは『王国史上最強世代』と呼ばれているんだ。貴重な戦力として数に入れていいと思うよ。現に、兄さんはもうディアドラには勝てないだろう?」
グレイのからかうような言葉に、グリフィスは苦笑する。
「そうだな。グランよ、あの令嬢たちは全員、ディアドラ並みに強いのか?」
「ええ、そうです」
グランが即答すると、グリフィスは「本当に、最強世代と呼ばれても違和感がないな」と頼もしそうに笑った。
「よし。今日は行軍の疲れを癒し、明日の朝から取り掛かろう。解散!」
解散後、グランが自分の寝泊まりするテントに戻ると――そこにはなぜか、四聖華と王女と皇女の六人が集まってくつろいでいた。
「おいおい、自分たちが建てたテントに戻れよ……」
グランが呆れて突っ込むと、ルヴィリスが当然のような顔で言い返す。
「ええ、分かっているわ。でも実際、私たちが建てたテントで寝られるのは四人よ。必然的に二人はあぶれるわ」
「だから、グランのテントがまだスペースが余っているのだから、一緒に寝るのは当然でしょ? 今、誰が一緒に寝るか話し合っていたの」
「お前たち……遊びに来たんじゃないんだからな! 今は俺たち以外にも騎士団の人たちがいるんだぞ!」
グランが頭を抱えると、ディアドラがしれっとテントに居座ろうとする。
「ヴァスティール家の騎士たちはそんなことを気にしないし、誰にも口外しない。ただ、世間体を考えるなら私が一緒にいた方がいいだろう」
それに気づいたエルスメリアが、すかさずグランの腕に抱きついた。
「グラン君、私と一緒に寝たら温かいわよ?」
「グラン様。私はヴァレンシア領の厳しい冬を越してきました。必ずやお役に立てると思います」
ソフィアも一歩も譲らない。さらに、いつの間にか手を組んだらしい王女と皇女も加勢する。
「私たちの身に何かあっては大変です。やはり、この中で一番強いグランが一緒のテントで守ってくれないといけませんわよね?」
「ええ、そうよ」
このままでは埒が明かない。グランはため息をつき、すぐさま女性騎士たちのテントへと向かい、彼女たちを引き取ってくれるよう頼み込んだ。
「あらあら……こちらへどうぞ」
女性騎士たちが苦笑いしながら六人を案内する。四聖華と王女、皇女は不満げに頬を膨らませてグランを睨みつけた。
「この任務が終わったら、ちゃんと埋め合わせするから!」
グランが苦し紛れのフォローを入れると、六人はパッと笑顔になり、大人しく女性騎士たちのテントへと移っていった。
「はぁ……」
グランは深いため息をつき、明日の激戦に備えて早めに眠りにつくのだった。




