第126話:白の思い
始業式が終わって数日が経った頃。
グランは、ディアドラから彼女の誕生日会の招待状を受け取った。
今年は大雪になる可能性が高いとのことで、例年よりも早めに誕生日会を開催するのだという。
もちろん、グランはその招待に快く応じた。
すでにグランを送迎するための馬車の手配や、当日泊まるための部屋まで完璧に用意されており、さらにディアドラからは直接「エスコートをお願いしたい」と頼まれた。
ルヴィリス、エルスメリア、ソフィアの誕生日会でエスコートをやっておいて、ディアドラの時だけ「なし」にするなど、絶対に無理な話である。
そもそも断る理由も全くないため、グランは二つ返事で快く引き受けた。
その返事を聞いたディアドラは、これ以上ないほど嬉しそうな満面の笑みを浮かべた。
「ありがとう、グラン殿。去年と違って、今年はちゃんとグラン殿のことを認めている人たちばかりだから、安心してくれ」
ディアドラはグランを気遣うように、そう優しく付け加えた。
そして指定された日、グランは手配された馬車に乗り込んだ。
御者は去年と同じ人物だった。彼は出発する前、グランに向かって深く頭を下げた。
「去年の件は、本当に申し訳ございませんでした。あの時、我々がご一緒していればすぐにでも解決できたこと……今年は絶対に、何事もなくお送りいたします」
「いや、あれは御者さんたちのせいじゃないですから、謝らないでください。それでは、道中よろしく頼みます」
グランが優しく声をかけると、御者たちは再び丁寧に頭を下げ、馬車を走らせた。
今年は大雪で立ち往生するようなトラブルもなく、馬車は順調に進み、無事にヴァスティール領へと到着した。
ここは王国の中でも特に雪深く、厳しい環境の領地だ。だが、王国の最前線を担う騎士団は規律に厳しく、皆が強い誇りを持っている。貴族至上主義の思想は根強いものの、決して平民を蔑むようなものではなく、むしろ『平民を守るための模範となるべき』という態様が徹底されていた。
(なあ、アンサートーカー。去年のあいつらが特殊すぎただけで、本当はこんなにまともな騎士団だったんだな)
『おそらく、多額の援助をしていたことにかこつけて威張り散らしていた一部の者たちが異常だったのでしょう。その者たちがいなくなれば、このように誇り高き騎士たちだけが残るということです』
アンサートーカーの分析に納得しながら、馬車はヴァスティール侯爵邸へと到着した。
出迎えてくれたのは、ディアドラと、彼女の兄であるグレイだった。
グランが馬車を降り、御者たちに礼を言うと、ディアドラが嬉しそうに駆け寄ってきた。
「今年は無事に間に合ったようだな」
「ああ、天気も悪くなかったし、よかったよ」
グランが微笑むと、隣にいたグレイが一歩前に出て頭を下げた。
「グラン君、久しぶりだな。いつぞやは本当にすまなかった」
「謝罪はあの時にしっかり受け取りましたよ。それに、あの時のグレイ様の立場なら、俺も同じようにしていましたから」
グランがそう返すと、グレイは安堵したように柔らかく微笑んだ。
「さあ、立ち話もなんだし中へ入ろう」
グレイが促すと、ディアドラは自然な動作でグランの腕に自分の腕を絡め、ぴったりと寄り添って邸内を歩き始めた。
それを見た邸内の使用人や騎士たちは、目を丸くして驚いている。
グレイもさすがに少し驚いたようで、呆れたように妹に声をかけた。
「ディアドラ、お前が人目も気にせずそこまでするとはな……」
「別に、何も恥じるようなことはしていません」
ディアドラは胸を張り、凛々しい態度で言い切った。
その堂々たる姿にグレイも少し圧倒されつつ、今度はグランの方をキッと睨みつける。
「グランよ、妹を泣かしたら承知しないぞ」
「じゅ、重々承知しています……」
凄まじいシスコンの圧を感じ、グランは冷や汗を流しながら焦って返事をした。
すると、ディアドラが兄をたしなめるように口を開く。
「兄上。グラン殿が最後に誰を選ぼうと、私はそれでいいのです。その時が来るまでは、こうやって彼との逢瀬を楽しみたいのです」
「そ、そうか……」
妹のあまりにも潔く、そして真っ直ぐな想いを聞かされ、グレイはそれ以上何も言えなくなってしまった。
そして三人は、ヴァスティール侯爵夫妻が待っている応接室へと入る。
部屋の中には、見知った侯爵夫妻の他に、見慣れない男性が一人、険しい表情で立っていた。
グランが席に着き、ヴァスティール侯爵夫妻、グレイ、ディアドラ、そしてその見慣れない男が一堂に会する。
ヴァスティール侯爵が、その男を紹介した。
「紹介しよう。我がヴァスティール家の嫡男、グリフィス・ヴァスティールだ。次期侯爵となる男だよ」
「初めまして、グランと申します」
グランが丁寧に挨拶をすると、グリフィスは鼻で笑い、値踏みするような視線を向けてきた。
「ふんっ。この程度の少年に、あのグレイが負けたというのか? にわかに信じられんな」
明らかな挑発だったが、グレイは落ち着いて兄をたしなめる。
「兄さん、彼を見た目で判断したら痛い目に遭うよ」
「グリフィス兄様。グランはわたくしよりも強いです。そこは、わたくしが保証いたします」
ディアドラもはっきりと断言した。
侯爵は深くため息をつき、長男に苦言を呈する。
「グリフィスよ、お前はもう少し相手の実力を測れるように目を養わないといけないな」
一方、侯爵夫人は一連のやり取りをニコニコしながら楽しそうに見守っている。
応接室の空気が少し重くなったところで、グリフィスが忌々しそうに口を開いた。
「去年まで多額の援助をしてくれていたオルタ伯爵家と手を切ってから、我が領の財政は悪化し始めている。父上の存命中はまだいいが、私が跡を継ぐ頃にはもっと大変なことになっているだろう」
「グリフィス! 客人の前でなんということを言うか!」
嘆くような長男の言葉に、ヴァスティール侯爵が厳しく叱責する。
グランはそれを聞き、あの事件のきっかけを作った身として少し申し訳ない気持ちになった。だが、実はグランはすでに『いろいろな用意』を進めていたのだ。
時は遡り、夏合宿の最中。
グランはヴァスティール侯爵夫人と二人で話す機会があり、その時に領地の状況について聞いていた。
夫人は「あなたは何も気にしなくていいのよ」と優しく言ってくれたが、話を聞く限り、問題の根本は明確だった。
要は、ヴァスティール領の厳しい土地柄と気候のせいで農業がうまくできず、食料の自給率が低いことにある。
足りない分は外から買うしかない。しかし、自領にこれといった特産品もなく、外貨を得る主な手段であった『騎士団の派遣』も、今の平和な時代ではほとんど需要がない状態だった。
「代々伝わる蓄えがあるから、今すぐどうこうなるわけではないけれど……将来的には苦しくなるというのは事実ね」
そう語る侯爵夫人に、グランは尋ねた。
「なら、農業の問題さえ解決できればいいんですか?」
すると夫人は、グランに強い期待を寄せるような目で「そうね」と答えた。
「わかりました。こうなったのは俺にも責任があります。必ずどうにかすると約束します。……ですから、夫人もこちらの条件を呑んでください」
グランがそう切り出すと、夫人は今までのほわほわとした雰囲気から一変した。
スッと背筋を伸ばし、高位貴族としての振る舞いを正す。
「条件を述べなさい、グラン・グラニアス」
先ほどまでの柔らかさは消え失せ、領地を預かる者としての威厳に満ちた声が響く。
その圧力に負けず、グランははっきりと伝えた。
「俺の実験用の土地として、これくらいの広さの農地を用意してください」
「分かったわ。ちょうどいい場所がある」
夫人は即答し、グランから具体的な農業改革の計画を聞き始めた。
そして一通りの説明を聞き終えると、夫人はパァッと顔を輝かせた。
「それが本当にできれば、我が領の食料問題は解決するわね!」
そう言った瞬間、夫人は元のほわほわとした雰囲気に戻り、「じゃあ、お願いね!」とグランを思い切り抱きしめた。
ヴァスティール侯爵夫人は小柄な体型だが、出るところはしっかりと出ている。
年上の女性特有の豊かな包容力と柔らかさに密着され、グランは思わず顔を真っ赤にしてあたふたしてしまう。
グランのそんな純情な反応を肌で感じ取った侯爵夫人は、意地悪そうにクスクスと微笑むのだった。
「それに関する具体的な話は、誕生日会が終了してからお話しします」
グランがそう言うと、ヴァスティール侯爵夫人は静かに微笑んで頷いた。
「ええ、分かったわ。さあ、今日は長旅で疲れたでしょう。あなたの部屋を用意してあるわ。ディア、案内してあげなさい」
「はい、お母様」
ディアドラは嬉しそうに返事をし、グランを案内する。
そして、再びグランの腕に自分の腕をしっかりと絡ませて応接室を出ていく。その様子を見たグリフィスは、信じられないものを見るような目つきになった。
「あのディアが、男にあそこまで好意を寄せるとはな……」
「グランはお前が思っている以上の実力を持っているぞ」
ヴァスティール侯爵が静かに告げると、グリフィスは少しだけ鋭い覇気を漏らした。
「……そこは、いずれ私自身の目で確認いたします」
「兄さんも、一度彼と手合わせしてみた方が納得すると思うよ」
グレイが苦笑しながらフォローを入れ、その場の空気はひとまず落ち着いた。




