第120話:氷狂の魔女
「お待ちなさい!」
そんなお祝いムードの中、突然凛とした声が響き渡る。
声を上げたのはヴァレンシア侯爵夫人であり、彼女自らお祝いムードに水を差したのだ。
ソフィアからすれば、侯爵夫人はグランとの関係を認めていたはずなのに、なぜこのタイミングで水を差したのか理解不能だった。
ヴァレンシア侯爵夫人は言葉を続ける。
「グラン・グラニアス、闘武祭勝ち残りおめでとう。あなたは名実ともにヴァレンシア領に受け入れられたわ。それは事実よ。だからここからは、私のわがままよ」
そう言うと、ヴァレンシア侯爵夫人は自ら舞台に飛び降り、そして杖を召喚する。
「さあ、私とも戦ってもらうわよ」
その言葉に、観客たちが大きくどよめいた。
「お母様、おやめください!」
ソフィアは侯爵夫人に叫ぶが、侯爵夫人はグランと初めて会った時から、いつか自分とも戦ってほしいとずっと思っていたのだ。
彼女は今でこそ侯爵夫人という高位貴族だが、もとは平民出身、この街で冒険者としてずっと研鑽を積み、努力の末にSランクまで上り詰めた過去を持つ。
その過程で、強さに対して並々ならぬ思いを抱いていた。
そして目の前の少年は、強者として頂点に立つ一人だ。
この舞台を逃したら、またしばらくチャンスは来ないと思うと、もう戦いたいという気持ちは止められなかった。
グランはアンサートーカーに助けを求める。
(どうすればいい?)
『すべてはマスターの意思、戦うも戦わないも自由です。ただ、女性にここまで言わせて、付き合わない選択肢はないでしょう』
(お前、意味合いが全然違うだろ……)
アンサートーカーがそう答えると、グランは呆れるが、戦士としてここまでされているのだから、断ることは出来ないと思うと、グランは無言で構えた。
侯爵夫人は笑みを浮かべる。
「それでこそよ!」
言い終わるや否や、早速広範囲の氷結魔法をぶっ放してきた。
グランは『サンクチュアリー』を繰り出し、その魔法をやり過ごす。
一方、ヴァレンシア侯爵は夫人の突然の暴走にあたふたしていた。
出会った頃から、女性にしては強さに対して並々ならぬ思いがあるとは知っていたが、まさかこの舞台で、しかも年下の少年に自ら挑むとは全くの予想外だった。
ソフィアが侯爵の近くに来て尋ねる。
「お母様は、なぜ急にあんなことを?」
侯爵はため息をつきながら答える。
「お前の母はもともとあんな感じだ。私と結婚してから収まったが、もともとは強い人間に片っ端から挑むくらい戦闘狂だったんだ」
侯爵は続ける。
「それが今回の闘武祭を見て、抑えていた気持ちが爆発したのだろう。見てみろ、あの嬉しそうな顔を」
四聖華と王女と皇女はヴァレンシア侯爵の言葉を聞き、満面の笑みを浮かべながら容赦なく魔法を繰り出している夫人を見て少し引いていた。
グランは『サンクチュアリー』を発動して侯爵夫人の猛攻を凌ぎながら、心の中でアンサートーカーに相談する。
(今のステータス値で勝てるか?)
『聖域でのデータを照合した結果、現在のマスターのステータス値でも勝機はあります。ですが、彼女は元Sランク冒険者です。聖域でのデータが本気でなかった場合、前提が崩れるため勝敗は未知数となります』
アンサートーカーの冷静な分析を聞き、グランは覚悟を決める。
(なら、今はこのステータス値のままで戦おう)
『それが賢明な判断かと存じます』
グランとアンサートーカーが会話している間も、ヴァレンシア侯爵夫人は絶え間なく広範囲の氷結魔法を放ち続けていた。
演習場の舞台は急激に温度が下がり、尋常ではない冷気が立ち込める。
「みんな、こっちへ入って!」
ルヴィリスが咄嗟に炎の結界を張り、四聖華や王女、皇女たちはその中で暖を取った。
しかし、他の観客たちはあまりの寒さに耐えきれず、演習場から逃げ出す者も出始めていた。
グランは結界の中で、この猛攻が終わるのが先か、自分の魔力が尽きて『サンクチュアリー』が解除されるのが先か、全く読めずにいた。
そんなグランの思考を見透かしたように、侯爵夫人が楽しげに声を張り上げる。
「魔力切れを狙っているのかもしれないけれど、このペースなら丸一日は休みなしで撃ち続けられるわよ!」
その言葉を聞き、グランは冷や汗を流す。
(これはもう、刺し違える覚悟で行かないと駄目だな)
グランは腹を括り、まだ誰にも見せたことのないオリジナル技の準備を水面下で始めた。
四聖華や王女、皇女たちは、グランのわずかな魔力の変化から彼が何かを仕掛けようとしていることに気づき、その一挙手一投足を食い入るように見つめる。
そして、歴戦の強者であるヴァレンシア侯爵夫人もまた、グランが反撃の機をうかがっていることに気づき、ピタリと広範囲魔法を止めた。
その一瞬の隙を突き、グランは『サンクチュアリー』を解除して前に出ようとする。
しかし次の瞬間、ヴァレンシア侯爵夫人の体から先ほどとは比べ物にならないほど膨大な魔力が膨れ上がった。
危険を察知したグランは、即座に踏みとどまり再び『サンクチュアリー』を展開する。
ヴァレンシア侯爵夫人は杖を高く掲げ、自身の最大魔法の詠唱を完了させていた。
「アブソリュートゼロ!」
その名の通り、まさに絶対零度、氷結魔法の最高峰の一つだ。
瞬く間に侯爵夫人の周囲から極寒の波が広がり、演習場の舞台すべてが凍り付いた。
観客席まで凍結しなかったのは、単純に侯爵夫人の凄まじい魔力操作がなせる業なのだろう。
しかし、四聖華や王女、皇女たちは、舞台の中央でその魔法をまともに食らったグランの姿を見て絶句する。
これほどの規格外の魔法では、さすがのグランの防御魔法でも防ぎきれないと思ったからだ。
「グラン様ぁぁぁっ!」
たまらずソフィアが悲鳴を上げ、大泣きし始めた。
舞台が完全に凍り付き、演習場に不気味なほどの静寂が流れる。
ただ一人、ソフィアの悲痛な慟哭だけが響き渡っていた。
演習場の舞台はヴァレンシア侯爵夫人の周囲を除いて分厚い氷に覆われ、中の様子は全く見えなくなっている。
観客たちや四聖華、王女と皇女もあまりの出来事に唖然として言葉を失っていた。
さすがに侯爵夫人もソフィアの泣き叫ぶ声を聞いて我に返る。
(少し……いや、完全にやりすぎたわね)
取り返しのつかないことをしてしまったかもしれないと、急に心配になって氷の塊へ近づこうとした。
しかしその直後、静まり返った演習場に静かな声が響き渡る。
「空牙」
次の瞬間、ヴァレンシア侯爵夫人の体に一筋の鋭い斬撃が走った。
「え……?」
侯爵夫人の体から、おびただしい量の血が噴き出す。
それは、かつてグランが見せた『空破』と同様の規格外のオリジナル技だった。
対象に『致命傷の斬撃を喰らわせた』という結果を、アカシックレコードへ直接書き込む回避不能のチート技である。
己に何が起きたのか理解する間もなく、ヴァレンシア侯爵夫人は力なくその場に崩れ落ちた。
パリンッ!と甲高い音を立てて舞台の氷が粉々に割れる。
中からグランが出てくるが、侯爵夫人の魔法のダメージなのか、凍傷で足を引きずりながら、血だまりに倒れるヴァレンシア侯爵夫人のもとへ急いで駆け寄る。
そしてすぐさま最高級の回復薬であるエリクサーを口に流し込み、全力の回復魔法を放った。
「レイラ!」
血相を変えて叫び、観客席から舞台へ飛び降りたのは夫のヴァレンシア侯爵だった。
侯爵は猛スピードで倒れる妻の元へ駆け寄る。
侯爵はグランが必死に夫人に回復魔法をかけている姿を見て、すべてを察し自身もすぐさま妻の体に手を当てて回復魔法を重ねていく。
その様子を見ていた四聖華や王女、皇女たちも慌てて舞台へと飛び降りた。
大粒の涙を流すソフィアは真っ直ぐに母である侯爵夫人の元へ駆けつける。
ルヴィリス、エルスメリア、ディアドラ、オリヴィア、セルフィリアの五人は、満身創痍のグランを取り囲み、一斉に癒しの魔法をかけ始めた。
「グラン、無茶しないで!」
「今治しますわ!」
五人の献身的な魔法に包まれ、グランの傷も徐々に癒えていく。
ほどなくして、ヴァレンシア侯爵夫人がゆっくりと目を開けた。
「……あなた?」
「レイラ……っ! 無事でよかった!」
ヴァレンシア侯爵は皆が周りで見ているのも構わず、目を覚ました妻を力強く抱きしめた。
その温かい光景を見て、グランは心底安堵の息を吐く。
「……よかった。みんな、回復魔法をかけてくれてありがとう」
グランが五人に礼を言うと、彼女たちは心配と安堵が入り交じったような表情でグランに抱き着いた。
舞台での凄まじい戦いを見届けていた観客や闘武祭の参加者たちは、一瞬の静寂の後、割れんばかりの大歓声を上げた。
ヴァレンシア侯爵は夫人が無事なことを確認すると、闘武祭の終了を高らかに宣言し、皆を誕生日会場へと案内する。
そしてそこからは、凄まじいほどのどんちゃん騒ぎが始まった。
グランはヴァレンシア領の領民や冒険者たちにもみくちゃにされ、口々に勝利の祝いを受ける。
冒険者たちは皆、グランとソフィアの仲を祝福し、中には弟子入りを志願してくる者までいた。
その中にはあの『烈震のボロス』の姿もあり、グランは対応にとても困り果てていた。
一方、四聖華や王女、皇女たちも、最後に見たあの『空牙』の一撃が目に焼き付いて離れなかった。
彼女たちはグランに詰め寄り、「私たちをもっと鍛えて!」とさらに目を輝かせて迫ってくる。
そして誕生日会も終盤に差し掛かり、恒例のダンスの時間となった。
名実ともにヴァレンシア領に受け入れられたグランは、皆からの温かい祝福を受けながら、ソフィアと三曲も続けて踊った。
大盛況のうちに誕生日会が終わり、グランは四聖華や王女、皇女と一緒に、ヴァレンシア侯爵夫妻が待つ応接室へ向かう。
応接室に入ると、まず侯爵夫人が皆に向かって先ほどの騒ぎを起こしたことを素直に謝罪した。
「お母様ったら、もう!」
ソフィアが頬を膨らませて抗議すると、侯爵も苦笑いしながら「まあまあ」と娘をなだめる。
そこで王女が、なぜ急にあのようなことをしたのかと尋ねると、侯爵夫人はゆっくりと語り始めた。
「……去年の夏、私たち四侯爵夫妻の八人で、あなたたちを連れ戻す為に聖域に突撃した時のことよ」
あの時は八人の最高戦力が揃っていたから突破できたようなもので、聖域なんて普段なら入ることすら躊躇するような危険な場所よという。
「私たち四侯爵夫妻は皆涼しい顔をして突破したと思われているけれど、普通にやばかったのよ」
そして何とか第三層へたどり着いた時、娘たちと一緒に鍛錬しているグランを初めて見て、彼女の心に衝撃が走った。
「聖域で見る前は娘をたぶらかした悪い虫だと思っていたのに、いざあなたを初めて見た時、雷が落ちたわ」
それを聞いた侯爵夫人以外のみんなは、予想外の言葉に混乱し始める。
「そしてあなたがあの時、聖域の第一層と第二層をたった一人で突破したところを見て、まだまだ強さに上限はないのだと知って、本当に感動したわ」
夫人はさらに頬を染めて、うっとりとした表情で続ける。
「それに私にはソフィアがいるけれど、本当は男の子も欲しかったのよね」
聖域で一緒に鍛錬しているうちに、母性本能をくすぐったのかグランを本当の自分の息子のように感じ始めていたと夫人は語る。
「だから、あなたが私の息子になってくれないかなって、ずっと思っていたの」
しかし、そこから夫人の様子が少しおかしくなる。
「でも、それとは別に、あなたとは一度本気で死合いをしてみたいともずっと思っていたのよ」
そして、とんでもないことを言い出した。
「だから、この闘武祭を利用してまず、あなたと本気で戦って、もし勝ったらあなたを強制的に養子として迎えいれて、ヴァレンシア侯爵家をソフィアと一緒に継いでもらおうと思っていたのよね」
グランをはじめその場にいた全員の頭上に「?」マークが浮かび、完全に理解不能に陥った。
そこへ、頭を抱えたヴァレンシア侯爵がたまらず突っ込みを入れる。
「レイラ、お前はいったい何を言っているんだ……?」
全員が侯爵夫人の常軌を逸した理屈に頭を抱えるが、とりあえずその場はお開きとなる。
ソフィアとグランは、帰路につく四聖華と王女、皇女を見送るために屋敷の外へ出た。
エルスメリアは別れ際、ソフィアに鋭い視線を向けて念を押す。
「あくまでも、グラン君から手を出させないといけなませんよ」
「わかっています」
ソフィアは涼しい顔をしてそう返すだけだった。
ルヴィリスもディアドラもエルスメリアも、すでにグランの体を堪能している身であるため、ソフィアにはそれ以上強く言えない。
しかも、彼女たちの間ではすでに『グランを堕とす会』と称して情報共有が行われており、ソフィアが何を狙っているかなどお見通しだった。
今回は完全に親公認の状況であり、うかうかしていると本当にそのまま既成事実を作られてしまうという焦りがあったのだった。
しかし、グランは「何があっても卒業までは絶対に手を出さない」と明言している。
エルスメリアの時も鋼の精神で乗り切った彼を信じて、五人はヴァレンシア領から帰路につくのであった。




