第9話:招かれざる訪問者
「……ダメ……まだ、もって……っ」
ファリス王国の令嬢、エルスメリアは蒼白な顔で必死に掌を突き出していた。
神聖を感じさせる美しい緑色の髪を持つ彼女が、自身の生まれついて授かった膨大な魔力を注ぎ込み展開しているのはドーム状の防御結界。
その内側には、彼女を含めた4人の少女が身を寄せ合っている。
結界の周囲を囲むのは、銀色の毛並みに血走った眼を持つ『狼型魔獣』の群れだ。
王立魔導学園・初等部の野外実習中だった。本来なら安全なはずの実習地に、龍脈の乱れによる「不自然な霧」と、その霧に誘われた「本来そこにいるはずのない凶悪な魔獣」が突如として現れた。
パニックに陥った実習生たちとはぐれ、彼女たちは必死に森を駆けた。だが、全力で逃げ惑う彼女たちが、いつの間にか聖域の第1層に入り込み、さらに森の中に存在する「見えない壁」に接触した瞬間、周囲の景色は一変する。そこは本来、子供の足で辿り着けるはずのない、聖域の第1層さえも突破した先の深部――「聖域」の第2層だった。
気づいたときには深い森の中、方向感覚もなくなり完全に迷ってしまった。
階層間を繋ぐ境界はまだ背後にあるはずだが、立ち塞がる魔獣の群れのせいで、戻る道は完全に断たれている。
そこには、1頭でも騎士数人がかりで相手をするオメガ・ウルフが、今は十数頭、獲物の魔力が尽きるのを嘲笑うかのように距離を詰めてきている。
「エル! 無理しないで! それ以上結界を貼り続けると、あなたの魔力核が持たないわっ!」
燃え盛るような赤い髪を振り乱し、必死に声を張り上げたのはルヴィリスだった。
幼いながらも貴族として誇り高い意志をもち、今は魔法を唱えながら結界内で何かできることがないか必死に模索している。
剣を構え、オメガ・ウルフを牽制する透き通るような白髪のディアドラ。
そして、普段は大人しく自己主張もあまり得意ではない海のように鮮やかな青い髪のソフィアですら、震える指先で攻撃魔法の詠唱を紡ぎ、何とか生き残れるように必死に抗っていた。
しかし、所詮は幼き子供の抵抗だ。
エルスメリアの魔力が底をつきかけ、結界が点滅したその瞬間。
痺れを切らした一頭が、剥き出しの牙を光らせ、消えかけた結界を維持しようと片膝で立っているエルスメリアへと跳躍した。
「――『サンクチュアリー』」
無機質な、だが聞き覚えのない幼い少年の声が静寂を切り裂いた。
次の瞬間、エルスメリアの結界を優しく包み込むように、遥かに強大で、蒼白銀の粒子を纏った結界が顕現した。
「…………え?」
一瞬の強烈な光に視界を奪われ、目を開けたとき、4人は自分たちの結界とは比較にならないほど強固で、そして不思議な温もりに満ちた輝きの中に守られていた。
結界の外には、見覚えのない黒髪の少年が一人、背中を向けて立っている。
「よく頑張ったな。……あとは任せろ。『マルチロック』」
少年――グランが低く呟き、右腕を大きく横に払う。
すると、十数頭いたオメガ・ウルフたちの体に、赤色の幾何学模様の「照準」が浮かび上がった。
自分たちの肉体に刻まれた不気味なマーキングに、魔獣たちは本能的な恐怖を感じて身をよじる。
だが、逃げることは許されない。
「これで終わりだ。『ロックオンレーザー』!」
刹那、グランの背後から十数本の青い光条が噴き上がった。
それらは空中で鋭い弧を描くと、誘導弾のように正確に、それぞれの獲物へと降り注ぐ。
逃げ惑う狼たちの速度など、光の速度の前には無意味だ。1頭、また1頭と、魔獣たちは声も上げられずに光に貫かれ、跡形もなく消滅していく。
「……すごい……」
ルヴィリスたちが呆然と声を漏らした。
狼の群れを瞬時に一掃したグランは、腕を降ろすと少女たちに声をかけた。
「……大丈夫か? ……ったく、あのくそ女神絶対わざとだろ。」
(マスター、周囲に生存個体なし。……ですが、血の匂いに誘われて第2波が来る可能性があります。聖域の第3階層への退避を推奨します)
「ああ、分かってるよ。……君たち、今から戻ろうとしても日が暮れて夜になる。かえって危険だ。大人しく朝まで待つ方がいい。安全な場所に案内しよう」
グランが手に魔力をため展開すると、少女たちの足元が光り、そして身体がふわりと宙に浮いた。
そのまま抗う間もなく、景色が猛スピードで後方へと流れていく。
連れてこられたのは、神聖な水が流れている川と、見たこともない黄金の果実や高級回復薬の原料になりそうな高価な薬草が自生する、聖域の第3階層だ。
「ここは聖域第3層『凪の里』。セーフティーエリアだ。魔獣は一匹も出ないから安心してくれ。明日の朝、安全な場所まで送ろう」
グランはそう言うと、空いている土地に魔力を注ぎ込み、前世の記憶を頼りに清潔な簡易宿泊施設を構築した。
中には魔法で温度調整された暖かな空間が広がっている。
さらに彼はいつの間にか取り出していた食材を使ってキッチンで料理をし始めた。
「腹が減っているだろう。見たことも食べたこともないかもしれないが、腹が減っては余計に不安になるだけだ。大丈夫、毒は入ってないから。」
そう言いながらグランは手本のようにスプーンを持って料理を食べ始めた。
グランが少女たちに作ったのは、この異世界には存在しないはずの、芳醇かつ刺激的なスパイスの香りが漂う料理――『カレーライス』だった。
ルヴィリスはグランがおいしそうに食べている姿を見て、おずおずとスプーンを運び、口にする。
「美味しい……!辛いのにどこか優しくて、身体がポカポカする!」
エルスメリアたちもルヴィリスがおいしそうに食べている姿を見て一口分すくって口に運ぶ。
すると先ほどまでの死の恐怖を忘れたかのように夢中で食べ進めた。
前世の日本の家庭的な味は、幼い彼女たちの強張った心を急速に解かしていく。
食後、グランは汚れた体を拭くためのタオルやお湯を用意し、さらに魔法を使い、ふかふかの羽毛布団が敷かれた清潔な別室を用意した。
「君たちはそっちの部屋で寝ろ。極限状態で思った以上に精神は疲れている。興奮して眠れないかもしれないが、無理にでも体を休ませるんだ。俺は隣の部屋にいるから、何があっても心配ない」
至れり尽くせりの対応に、少女たちは不思議な安心感に包まれながら布団に潜り込んだ。
しかし、銀色の月明かりが部屋に差し込む頃、最も気弱だったソフィアだけが布団から抜け出した。
リビングで独り、黙々と魔力を高速で練り直す少年のもとへ、意を決して歩み寄る。
(……助けてくれた。あんなに強く怖かった狼を、不思議な魔法でそれも一撃で。……私も、あんな風に強くなりたい。人に守られるだけではなく、自分も大切な人も守れる力が、あったなら……!)
ソフィアは震える膝を叩いて立ち上がった。
貴族として、守られるだけの存在でいたくないという強い意志を、不思議な少年に背中を押されたのだ。
「あの……っ!」
油断しきっていたグランはいきなり声をかけられて体をビクッと震わせる。
「……ビックリした……どうした? 眠れないのか?」
顔を上げたグランの視線に、ソフィアは一瞬息を呑む。
だが、彼女は拳を握りしめ、魂を振り絞るように叫んだ。
「お、教えてください! どうすれば、あなたのように……強くなれますか? 私たち、今日は何もできなくて、ただ死ぬのを待つだけで……。あんな思いをするのは、もう嫌なんです!」
グランは意外そうに眉を寄せた。
記憶の中の「なろう小説」なら、感謝され惚れられるのが相場だろう。
だが、目の前の少女が求めてきたのは、媚びでもなく、ただ「過酷なまでの力」だった。
「強くなる方法、か。……強くなりたければ何事も日ごろの鍛錬だ。だが、君は今この時をもって強くなりたいと明確な意志をもち、初めてその一歩を踏み出した。それだけで進歩だ、……見たところ貴族だろう。家に帰れば整った環境で教えてくれるはずだ」
「あなたに教えていただきたいです! お願いします! 何でもしますから……!」
前世のアダルト漫画にでも出てきそうな、とんでもないセリフを言い出したソフィアに面食らったが、肉体年齢が近いとしても精神は大人を通り越している。
それに幼子を凌辱するような趣味は一切ない。
そこまで本気なのだと思ったグランは適当にあしらう気はもう起きなかった。
ソフィアの勇気に触発されたように、エルスメリア、ルヴィリス、ディアドラの3人も別室から現れ、グランを真っ直ぐに見つめた。
グランはしばし沈黙した後、観念したように言葉を紡ぐ。
「……わかった。一晩で何かが変わるわけじゃないが、これは積み重ねだ。『正しい魔力の練り方』の基礎を教える。あとは帰ってから練習するんだな。まずは……」
グランはそう言って、代表してソフィアの両手を優しく取った。
自分自身の魔力をゆっくりと、かつ精密に彼女の手を通して流し込む。
「あっ……」
「今、俺の魔力が君の体を流れている。この感覚を忘れるな。自身の魔力でこれと同じルートをなぞるように操作して、魔力路と魔力核を鍛え、体をめぐる魔力を操作して常に意識しろ。それを、体内の魔力が空っぽになるまで続けるんだ」
グランは続ける。
「魔力切れになれば、抗うことのできない睡魔に襲われるが、起きたら魔力量は全快して魔力の上限値が増えている。これを反復練習すれば魔力の最大値も上がり魔力を練るスピードも上がる、これによって魔法を使う時の様々な要素が自ずと鍛えられ強くなる。才能なんて言葉に逃げるな、大事なのは日々の努力の積み重ねだ」
それから他の3人にも同様に魔力を流し込み、回路の「感触」を掴ませる。
4人はもともと筋がいいのだろう、グランの指導を受けるとすぐにコツを掴み始めた。
「まあ、眠れないのなら部屋に戻ってベッドでやるんだな。魔力が切れれば、嫌でも自然と眠れる」
グランの言葉を聞いた4人は、瞳に強い決意を宿して互いにうなずき合い、部屋に戻ってそれぞれのベッドで魔力操作を開始した。
それから1時間ほどで、部屋から静かで安らかな寝息が聞こえ始めたことに安心し、グランもまた眠りについた。
翌朝。
朝日が森の木々を黄金色に染める頃、彼女たちの瞳から昨日とは違い絶望の色は消え、代わりに小さくとも消えない「力」の灯火が宿っていた。
「……ここを真っ直ぐ行けば、君たちを探している大人たちがいる街道に出る。二度とこんな場所まで迷い込むなよ。それと、俺のことは忘れてほしいかな」
学園の野外実習野営地に近い街道でグランは足を止めた。
「あの、お名前を……っ!」
ルヴィリスが振り返って叫ぶ。
だが、そこには既に陽炎のように揺れる空間だけが残り、少年の姿は影も形もなかった。
「…………ありがとうございます。いつか、あなたに追いつけるくらい強くなって、必ずお礼を言いに来ます……!」
ソフィア、ルヴィリス、エルスメリア、ディアドラは、誰もいない道に向かって深く頭を下げた。
彼女たちの手には、別れ際に夜遅くにグランが即興で書き記した「魔力操作の極意」の羊皮紙が、何よりも大切な宝物のように握られていた。それを各々大切に仕舞い込んだ。
街道の先から、必死の面持ちで捜索していた大人たちが彼女たちを見つけ、狂喜乱舞して駆け寄ってくるのを、グランは高い木の上から冷めた目で見守っていた。
「……よし、合流したな。行くぞ、アンサートーカー。これ以上ここにいたら、面倒な連中に囲まれる。よりによって貴族の娘を助けたんだ、変に取り込まれたり、冤罪をかぶせられるのも勘弁願いたい」
(了解しました。……マスター。アカシックレコードの記述が完全に書き換わりました。彼女たちの死の予定が消滅し、代わりに『四聖華』という新たな記述が、黄金の文字で発生しています)
「……四人の聖なる華で、四聖華か。まあ、確かにあの子たちは将来、見目麗しい女性になるだろうが……どうせまた、アリスティアの野郎が悪ノリして名付けたんだろ。安直すぎないか」
グランは鼻で笑うと、音もなく背を向け、住み慣れた聖域の第3層へと転移した。
神界では、アリスティアが「これよ! ピンチからの華麗な救出劇。餌付けからの師弟愛! 物語の導入として200点満点だわ!」と、スナック菓子の袋を放り出して拍手喝采していた。
だが、この時のグランはまだ知らない。
彼が無自覚に運命を捻じ曲げ、生き残らせた四人の少女たちが。
彼女たちが、グランの授けた「魔力操作の極意」によって、国を揺るがすほどの天才児『四聖華』として成長してしまうことを。
そして、それによって生じた世界のバグの責任を取らされる形で、愛する引きこもり生活を強制終了させられる日が来ることを。
アラフォーの魂を持つ最強の隠者が、女神の理不尽な命令によって「王立魔導学園」へと放り込まれるまで……あと、5年。
サンクチュアリー:広範囲結界魔法。エリア指定の為、一度発動すると動かすことができない。
マルチロック&ロックオンレーザー:レ〇フォースのあれです。ロックオン数は魔力依存なので実質無限です。
リスティアには転生者は何度か来ていますが、カレーを作れる人はいなかったようです。
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