第8話:次の物語へ
神界、アリスティアの神殿。
かつては荘厳な空気が流れていたはずのその場所は、今や完全に「引きこもりオタクの部屋」と化していた。
宙に浮かぶ無数のホログラムパネル。そこにはグランの記憶から抽出された『なろう系』のタイトルや、物語のテンプレートが整理されたフォルダが乱舞している。
さらにはアニメ化した映像を垂れ流しているその中心で、女神アリスティアはポテトチップスを模した神界の供物を齧りながら、メインモニターに映し出される「ライブ映像」に噛みついていた。
「ちょっと! 引きこもってないで早く学園に行きなさいよ!」
前世の日本で聞けば、親が子に放つ悲痛な叫びにしか聞こえない台詞だが、目の前の光景はそれとは程遠い。
モニターの中では、10歳の姿になったグランが、聖域の奥深くで巨大な魔獣(ランクS相当)の眉間を、鋭い魔力剣で容赦なく突き刺していた。
転生から4年が経ったが、華麗な学園生活の予兆など微塵もない。
過酷な環境で泥にまみれ、血を流しながら、ひたすら効率的にレベルを上げ直し、スキルを再構築する修行僧の姿がそこにあった。
「普通、若返って聖域に戻されたら、まずは『おぉ、この若々しい身体! 前世の知識とこの魔力があれば学園で無双間違いなしだ!』って、鼻息荒く外界に向かうものでしょ!? なんでさらに引きこもって基礎トレーニングからやり直してるのよ!」
(くそ女神様、マスターはアラフォーの慎重さと、かつてのゲーマーとしての効率主義を併せ持っています。出力制限のある現在の身体で、万全の準備なしに外界へ出る確率は0.2%以下です)
画面の隅から、アンサートーカーの音声が神界へも中継される。
300年間眠っていた間に、アンサートーカーはアリスティアによって設定を勝手に弄られ、目を離せばすぐ暴走するグランに女神の意向を伝えるための通信回線を無理やり開通させられていた。
グランにしてみれば、脳内に消せない広告ポップアップを常時埋め込まれたようなものだ。
女神の強力なプロテクトにより、設定端末をいじることができなくなったグランは、せめてもの抵抗でアンサートーカーと通信の際はアリスティアのことを『くそ女神様』と呼ばせるようにしている。
「慎重すぎるのよ! このままだと第1話から『修行シーンが10話続く』っていう、超スロースターターな物語になっちゃうじゃない! 私が見たいのは、あなたがキラキラした学生たちに囲まれるキャッキャウフフな学園生活なの!」
アリスティアは地団駄を踏んだ。
彼女にとって、グランの記憶から得た『なろう系』の知識は、自身の評価にもつながる神世界の革命だった。300年前のように、自分が無理やり運命の糸を操って悲劇を作る必要はない。
ただ、「そういう状況」を用意しておけば、主人公が勝手に面白おかしく解決してくれるはずなのだ――そう、彼女は信じていた。
「……あ、でも待てよ。この『修行してたら迷い込んできた女の子を助ける』っていうのも、王道のフラグよね?」
アリスティアの瞳が怪しく光る。彼女は手元のキーボード――神の権能をブラウザベースに変換したインターフェース――を猛スピードで叩き始めた。
「えーっと、現在のリスティアの情勢は……。お、ちょうどいいじゃない。旧聖王国の跡地にできた『ファリス王国』の王立魔道学園の初等部の子たちが、聖域の近くで野外実習中? しかも、不慮の事故で侯爵家の子女たちがはぐれる可能性……ありありね! グランにばれないようにちょっとだけ龍脈を捻って、っと」
女神が悪魔のような笑みを浮かべ、運命の確率変動を操作する。だが、彼女が見ていたのは表面上の「面白そうな展開」だけだった。アリスティアが傍らに浮かぶ『アカシックレコード』を真面目に読み込んでいれば、そこに刻まれた「冷酷な真実」に気づいたはずだ。
『――大陸暦642年。ファリス王国の令嬢4名、演習地付近にて魔獣の襲撃に遭い、救助間に合わず死亡。これを機に王国内の貴族間のパワーバランスが崩れ、権力争いが激化し内乱が起こる』
女神にとっては「面白いイベント」でも、世界にとってそれは「確定した死の記録」だった。
一方、聖域。グランは、アンサートーカーの補助を受けながら、短くなった手足で放出系魔法のズレを修正していた。
「……くそ。体幹が出来上がってないのか、以前の感覚で発射すると微妙に体勢が崩れる。これじゃ精密射撃が狂う」
(マスター。肉体の成長に伴い、この誤差は常に変動します。……それよりも、聖域内に生体反応。人間種が4名、魔獣に追われています。……意図的な『迷い込み』である可能性が極めて高いです)
グランは動きを止め、不快そうに空を見上げた。
雲の向こう、神界でニヤニヤしながら「イベント発生!」とでも叫んでいるであろう駄女神の顔が容易に想像できた。
「あの野郎、さっそく『イベント』をぶっ込んできやがったか……」
「パクるな」と念を押したはずだが、あの女神に著作権意識やプライバシーへの配慮、あるいは倫理観を期待するのが間違いだった。
「アンサートーカー。その4人、放っておいたらどうなる?」
(解析中。……現在の進行方向に配置されているのは、『狼型魔獣』が群れ単位でいる地域です。装備の貧弱な子供の個体であれば、生存確率は5%未満。文字通りの意味で、物語が始まる前に完結します。……いえ、訂正。アカシックレコードには、ここで彼女たちが『死亡する』と明確に記載されています)
「………それは、女神の台本が原因ではなく、もともとそういう運命ってことなのか?」
グランの目が険しくなる。
リスペクトやオマージュと言っていたアリスティアは、この少女たちの「死の運命」に気づいているのか。それとも、気づいていながら「主人公が助けるだろう」と楽観視しているのか。
「……どっちにしろ、趣味が悪すぎる」
理不尽が嫌いなアラフォーにとって、子供が死ぬのを放置するという選択肢はない。
ましてや、それが星の記録アカシックレコードに書かれた予定だというのなら、なおさらだ。
「ヤラセは嫌いだが、寝覚めが悪いのはもっと嫌いだ。……助けに行く。女神の台本通りに動くのは癪だが、あいつに説教する口実にはなるだろ」
(了解しました。……マスター。これを行うことで、彼女たちの運命は本来の軌道から大きく逸脱します。おめでとうございます、マスター。『運命の出会い』フラグ成立です)
「おめでとうとか言うな。……ったく、やれやれだぜ。……あ、くそがああああああ!うおおおおおおお!オラオラオラオラオラァ!!」
グランは、自分でも気づかないうちに女神のプロット通りの台詞を吐き捨ててしまった。
それにすぐ気づいて八つ当たりで魔力弾をそこら中に乱射することで、羞恥心をごまかした。
そして気が済んだのか、十歳の小さな背中から、300年前の「理不尽を粉砕した男」と同じ圧倒的なプレッシャーが溢れ出す。
神界では、アリスティアが「キターーー!」とガッツポーズを決めていた。
女神のパクリ……もとい、オマージュ全開の「次の物語」が、グランの理不尽を嫌う心によって強制的に動き出そうとしていた。
世界が定める「死」と、一人の男の「意志」。
その衝突が、後に「四聖華」と呼ばれることになる少女たちの、そしてこの世界の運命を塗り替えていくことになる。




