第110話:紅華の憧れ
皆が帰った後、グランが一人で工房の後片付けをしていると、ルヴィリスがこっそりと戻ってくる。
「みんなは?」
グランが尋ねると、ルヴィリスは「そのまま各自の馬車に乗って帰ったわ」と答えた。
「そうか。じゃあ、ちょっと後片付けが終わるまでそこの席で待っててくれないか」
グランは先ほどまでお茶会をしていたテーブル席に彼女を座らせた。
ルヴィリスが少し緊張しながら待っていると、ようやく後片付けを終えたグランが戻ってくる。
「待たせたな」
「……それで、どうして私だけ残したの?」
ルヴィリスは少し期待を滲ませながら尋ねた。
「さっき、エルの誕生日会の夜の話を聞いただろう?」
グランがそう切り出すと、ルヴィリスは途端に不機嫌な顔になった。
「ええ、聞いたわ。……エルだけずるい」
「あの時は、ああするしかなかったんだ」
「エルの強引さは私だってよくわかっているわ。……それでも、やっぱり……」
ルヴィリスが少し落ち込んだように俯くと、グランは思い切って提案した。
「じゃあ、今日は泊まっていきなよ」
「えっ……!?」
予想外の誘いに、ルヴィリスは激しく驚いて目を見開いた。
しかし、このチャンスを逃すわけにはいかないと思い直したルヴィリスは、収納魔法の中にしっかりと着替えを用意しており、意気揚々と泊まりの準備を始めだす。
そしてグランが晩御飯の準備を始めようとすると、ルヴィリスが「私も手伝いたい」と申し出てきた。
「料理なんてできるのか?」
「実は、最近こっそり練習しているのよ」
ルヴィリスが顔を少し赤くしながら答えると、グランは驚いて「どうしてなんだ?」と尋ねる。
「夏合宿の時に、ベアトリクスとグランが一緒にロールケーキを作っているのを見て、少し羨ましく思って……。それに、あの夫婦みたいな雰囲気にずっと憧れていたの」
「そうだったのか。……ちなみに、どこまでできるんだ?」
「……包丁は、まだあまりうまく使えないわ」
「じゃあ、練習がてら一緒にやってみるか」
グランの指導の下、ルヴィリスは不器用ながらも一生懸命に野菜や肉を切っていく。
そしてそれをフライパンに入れ、さっと焼き上げて普通の炒め物を完成させた。
ただの炒め物ではあったが、それでもルヴィリスはグランと一緒に料理ができたことに心から喜び、二人きりで並んでご飯を食べた。
食後、グランに案内されたお風呂場で、ルヴィリスはこれからの展開にかなりの期待を抱きながら、念入りに体を綺麗に洗う。
その後グランも風呂に入り、いざ寝るという時間になった。
グランは『どうせ別の部屋を用意しても、絶対にこっちの部屋に潜り込んでくるだろう』と予想し、最初からルヴィリスを自分の部屋へと連れて行くのだった。
いつもと違って積極的なグランの態度に、ルヴィリスは少し焦りを感じながらも彼の部屋へと足を踏み入れた。
そこはグランが前世で住んでいた部屋をそのまま再現した空間であり、ルヴィリスは珍しそうに辺りを見回していた。
「どうしたんだ?」
グランが尋ねると、ルヴィリスは興味深そうに答える。
「王国の貴族の家では見ない間取りですわね。それに、部屋の作りも庶民的でありながら、どこか洗練されていますわ」
「そうか。……居心地は悪いか?」
「いいえ。グランがいるなら、どこだって大丈夫ですわ」
グランは彼女をソファへと案内し、冷たい飲み物を出しながら他愛もない談笑を始めた。
しかし、ルヴィリスの頭の中は、今から起こるであろう展開への妄想で完全に支配されていた。
(昔、メイドから借りて読んだ恋愛小説の展開だと……グランが優しくリードしてくれて、ベッドまで運ばれて、そこから……っ!)
彼女は顔を真っ赤にしながら、一人で勝手に期待を膨らませていく。
グランは、目の前のルヴィリスが完全に上の空になっていることに何となく気づいていた。
『マスター。まさか、ここまで来ておいてルヴィリス様を抱かないなんてことはないですよね?』
脳内でアンサートーカーが問いかけてくるが、グランは即座に否定する。
(いや、抱かないぞ)
『嘘でしょう!? どう考えても、そういう雰囲気じゃないですか!』
さすがのアンサートーカーも驚愕の声を上げた。
(だから、そういうのは学園を卒業してからだと決めているんだ。今日は、ルヴィに好きにさせるつもりだ。もちろん、一線を越えそうになったら全力で止めるがな)
『なぜわざわざ、彼女に期待させるようなことをするのですか?』
(このままじゃ、いつ夜這いをかけられて襲われるかわかったもんじゃない。いわゆる、ガス抜きってやつだよ)
『そんな回りくどいことをせず、さっさと抱いてあげればいいんですよ』
(馬鹿言うな、大切な相手を卒業前に傷物にはできないだろう)
『何を今更。もうすでに、様々な意味で擦り傷くらいは付いてますよ』
(お前、そんなこと言うなよ……)
グランは容赦ない脳内のツッコミに頭を抱えそうになりながらも、気を取り直して上の空のルヴィリスに声をかけた。
「ルヴィ、なんだか眠たそうだな?」
「えっ……あ、はい。少しだけ」
「じゃあ、もう寝ようか」
グランはそう言うとルヴィリスのそばに近づき、そのまま彼女の体をふわりと抱き上げた。
「きゃっ……!? グ、グラン!?」
突然の出来事にルヴィリスは驚いて慌てふためくが、グランは気にせず彼女をベッドまで運び、シーツの上に丁寧に寝かせた。
見上げるような体勢になったルヴィリスは、これからどうなるのかという不安と、爆発しそうなほどの期待で胸をいっぱいにする。
そしてグランはベッドの上に上がり、ルヴィリスのすぐ横に移動して彼女をじっと見つめた。
ルヴィリスも彼を見つめ返すが、すぐに顔を真っ赤にして目を逸らしてしまう。
グランはすかさずルヴィリスに近づき、「一緒に寝るのはこれで四回目だな」と声をかけた。
「ルヴィが一番一緒に寝ていることになるな」と続けると、ルヴィリスは少し嬉しそうに微笑む。
「ふふっ、これで私が一歩リードですわね」
そこでグランは、「ここまでしておいてなんだけど、最後までするつもりはないぞ」と釘を刺した。
ルヴィリスも、いくら彼が積極的とはいえそう言うだろうと薄々気づいていたため、少し残念そうにしながらも「……それでも、今はこれでいいわ」と受け入れる。
「でも、ディアとエルがしたことは私もさせてもらうからね」
そう宣言するなり、ルヴィリスはグランの服の中に容赦なく手を入れた。
グランはさすがに慣れてきたのか情けない声を上げることもなく、ルヴィリスは彼の引き締まった体を思い切りまさぐり始める。
気づけばルヴィリスはグランの上に馬乗りになり、何度も熱いキスを落としながら彼の体をたっぷりと堪能していた。
なすがままになっていたグランがルヴィリスの頭を優しく撫でると、彼女は「……抱きしめて」と甘えるようにねだり、グランはそのまま彼女の体を強く抱きしめた。
ルヴィリスは心底幸せそうな顔をしてグランを見つめ、さらに甘いキスを繰り返す。
そうして甘い時間が過ぎ、ようやく満足したのか、ルヴィリスはそっとグランから体を離した。
「こんなに心が満たされるなんて……。もっと早くこうしていればよかったわ」
「ぶっちゃけ、卒業まではこういうこともさせるつもりはなかったんだがな。ディアもエルも急に仕掛けてくるから、お前だけ何もないのはフェアじゃないと思ったんだ」
その言葉にルヴィリスはジト目になり、「その言い方だと、ソフィやオリヴィア様、セルフィリア様の残りの三人にもさせるつもりなの?」と問い詰める。
グランは「ソフィはともかく、王女や皇女には身分的に無理だろ」と苦笑し、「逆にルヴィがソフィの立場だったら、一人だけ我慢できるか?」と聞き返した。
痛いところを突かれたルヴィリスは口を尖らせ、「むぅ」と不満げに拗ねてみせた。
グランはそんな彼女の可愛らしい態度を見て、今度は自分がルヴィリスの上に覆い被さった。
急な反撃にルヴィリスは驚いてギュッと目をつむるが、グランはそのまま彼女の唇を優しく塞ぐようにキスをした。
最初は体をビクッと震わせたルヴィリスだったが、やがてその熱いキスを受け入れ、お互いが求めるように何度も唇を重ね合わせた。
そっと唇を離すと、ルヴィリスはしばらく呆けたようにしていたが、やがて自分のしたことを理解して限界まで顔を赤くした。
グランは「今日はここまで。もうそろそろ寝よう」と優しく告げ、彼女のために腕枕の腕を差し出す。
ルヴィリスは少し名残惜しそうにしながらも、出された腕にコテンと頭を乗せ、自分の体を密着させるようにグランに抱き着いて静かに目を閉じた。
少しすると、彼女からは安らかな寝息が聞こえ始めた。
グランがホッと息をつくと、脳内でアンサートーカーが語りかけてくる。
『……ルヴィリス様が相手で本当によかったですね。これがエルスメリア様なら、間違いなく既成事実が作られていましたよ』
(もし相手がエルなら、また違うやり方で強引に終わらせるさ)
『以前、マスターの力は弱きを助け強きを挫くためのものだと言いましたが……いっそ、ハーレムを作るためにその力を振るったほうが、世界は平和になるんじゃないですか?』
アンサートーカーが冗談めかしておちょくってくる。
(俺個人の欲で、リスティアの人たちの運命をめちゃくちゃにするわけにはいかないだろう)
グランはそう呆れたように返し、(そのままもう寝るぞ)と宣言して意識を沈めた。
そして次の日の朝。
グランが目覚めると、腕の中のルヴィリスはまだ気持ちよさそうに眠っていた。
グランがそのまま彼女の美しい寝顔を見つめていると、やがてルヴィリスもゆっくりと目を覚ます。
「おはよう、ルヴィ」
「……おはよう、グラン」
ルヴィリスは寝起きのとろけた笑顔を見せ、自然な流れでグランの唇に朝のキスを落とした。
ルヴィリスは少し頬を赤らめながら、「昨日はとても濃密な夜だったわ」と呟き、「もうここまでしたのだから、いつでも既成事実が作れるわね」と小悪魔のように微笑む。
「だから、それは卒業してからだ」
「ふふっ。私が最後に選ばれるように、これからはもう遠慮しないからね」
「お手柔らかに頼むよ」
グランが苦笑いしながら「朝ご飯を作るよ」と立ち上がると、ルヴィリスも「私も手伝いたいわ」と続き、二人でキッチンに立つことになった。
グランが食パンを焼いてサラダを準備する隣で、ルヴィリスはハムエッグ作りに挑戦する。
昨日よりも火の扱いに慣れたのか、彼女は焦がすことなく見事にハムエッグを焼き上げ、嬉しそうに目を輝かせた。
そして二人でまったりと手作りの朝食を食べ、だらだらと帰り支度を済ませた後、昼前にルヴィリスは迎えの馬車に乗って侯爵家へと帰っていった。
グランはルヴィリスの馬車を見送った後、王都の工房を戸締まりして学園の寮へと戻る。
激動の週末を終えたグランは、明日の授業に備え、自室のベッドに倒れ込むようにして泥のように眠りにつくのだった。




