第107話:白百合
来客たちの挨拶も一段落し、少し時間が取れたグランはエルスメリアに「食事でもしないか」と提案した。
エルスメリアは嬉しそうに承諾し、彼らのために専用のテーブルが一つ用意されることになった。
招待されていたルヴィリス、ソフィア、ディアドラの四聖華たちに加え、オリヴィア王女とセルフィリア皇女も同じテーブルに座り、皆で談笑しながら食事を楽しむ。
テーブルには、ヴァーミリオン領で採れた豊富な食材をふんだんに使った絶品料理がずらりと並んでいた。
グランはそのあまりの美味しさに感動し、目を輝かせながら次々と料理を平らげていく。
美味しそうに食事を頬張るグランの姿を見たヒロインたちは、内心で「かわいい」と微笑ましく思い、すっかり母性本能をくすぐられていた。
食事が終わり、和やかに談笑を続けていると、ヴァーミリオン侯爵が会場全体に向けて声を張り上げた。
「娘であるエルスメリアの誕生日会というこの良き日、良き場を借りて、皆様にご報告したいことがある。我がヴァーミリオン家の次期侯爵、ヴェルデの結婚式の日取りが正式に決まった」
侯爵の言葉に、会場に集まった貴族や領民たちから一斉に祝福の拍手が巻き起こる。
ヴェルデも皆の前に立ち、力強い声で挨拶を始めた。
「将来は父上と同様に、いや、それ以上にこの領地を発展させていきたいと思っております。それには、弟であるリケーネの力がどうしても必要不可欠です。私が侯爵の座を継ぎますが、弟も私と同じ立場であり、これからも兄弟仲良く、領民の皆様のために尽力していく所存です」
続いてリケーネも前に進み出ると、彼らしい気さくな笑顔で口を開いた。
「政策などの難しいことはヴェルデ兄さんが責任を持ってやってくれるから、私は今まで通り、現場でみんなと一緒に汗水流して頑張るよ。これからもよろしくね」
二人の挨拶が終わると、彼らの婚約者たちも並んで立ち、「私たちもそれぞれの夫を全力で支えてまいります」と皆に向けて力強く宣言した。
その温かくも頼もしい光景を眺めていたエルスメリアや四聖華、そして王女と皇女は、「この領地の団結力は本当にすごいね」と深く感心し合うのだった。
そして少し時間が経ち、当然のようにエルスメリアとダンスを三曲続けて踊った後、誕生日会は終始平和な雰囲気のまま幕を閉じた。
四聖華と王女、皇女を見送るためにグランが会場の入り口へ向かうと、エルスメリアは皆に見せつけるようにグランの腕を取り、豊かな胸を押し付けるようにしっかりと絡めてきた。
それを見た五人はこめかみに青筋を浮かべ、ルヴィリスが代表して「協定を忘れたわけじゃないでしょうね」と小声でエルスメリアに詰め寄る。
しかし、エルスメリアは余裕の笑みを浮かべて言い返した。
「もちろん忘れていませんよ。グラン君の方から手を出してくれればいいのですから」
それを聞いた五人は『今夜確実にグランの貞操が奪われる』と本気で危機感を覚え、グランに向かって「今日はここに泊まるのはやめなさい!」と必死に忠告してくる。
だが、グランはその提案を首を横に振って却下した。
「せっかく侯爵家が気を遣って部屋を用意してくれたんだ、断るわけにはいかないだろう。それに、俺は何があっても卒業までは絶対に手は出さない」
その力強い宣言を聞いて五人は少しだけ安心したものの、それでも『相手がエルスメリアでは何があるかわからない』と内心で危惧しつつ、「それじゃあ、また学園でね」と言い残してそれぞれの馬車に乗り込み、帰路に就いた。
皆を見送った後、屋敷の中に戻ると、エルスメリアは「では後ほど」と意味深な言葉を残してグランと別れた。
グランは与えられた客室に戻って着替えを済ませ、レインの案内で広々とした浴場へと向かい、一日の汗と疲れを洗い流す。
部屋に戻ってしばらくすると心地よい眠気が襲ってきたため、グランは「今日はもう寝よう」とベッドに横になり、そのまま深い眠りに落ちてしまった。
少し時間が経った頃、グランは体が重いと感じて目を覚ます。
目を開けると、そこにはエルスメリアが馬乗りになって、至近距離から自分の顔をじっと見つめていた。
グランが起きたことを確認すると、エルスメリアはふわりと微笑んで口を開く。
「ごめんなさい、グラン君。ノックしても返事がないから、心配で勝手に入ってきちゃった」
「……そうか、心配をかけたな」
グランは必死に平静を装って返したが、エルスメリアの寝間着姿がどう考えてもヤバすぎた。
大事な部分こそかろうじて隠れているものの、彼女が身に纏っているのは薄く透き通るようなネグリジェだったのだ。
「その格好は、いくら何でも刺激的すぎるぞ……」
「ふふっ、誘惑しに来たのですから当然です」
エルスメリアはそう言って、さらに自分の豊かな胸をグランに押し付けるように強調してくる。
『ふふっ。ついにここまでですね。マスター、大人の階段卒業おめでとうございます』
脳内でアンサートーカーが楽しげにおちょくりまくってくる中、グランは冷や汗を流しながら問いかけた。
「いったい、どうするつもりなんだ……?」
「このまま既成事実を作って、学園を卒業したと同時に結婚式を挙げるの。それから、私とグラン君は王都の教会で何年か一緒に働いて、子供ができたらこの領地に戻ってずっと一緒に暮らすのよ。子供は五人で、男の子が二人、女の子が三人。長男は特にグラン君に似ていて……」
エルスメリアは完全に恍惚とした顔になり、自分の中で出来上がっている幸せな妄想を嬉々として語り始めた。
(これは本当にヤバい!)
貞操の危機を察知したグランは、いつぞやの時と同じようにプレイボーイモード(大人の余裕)でこの場を回避しようと試みる。
グランはエルスメリアの腕を掴むと、瞬時に体を入れ替え、今度は自分が上になって彼女をベッドに押し倒す形になった。
しかし、エルスメリアもこれで三度目となりすっかり慣れたのか、動じることなくグランの腕を振りほどき、彼の体に両腕を回してさらに密着してくる。
(もうプレイボーイモードが効かない……!)
最大の回避手段が通用しなくなったことを悟ったグランは、いよいよ逃げ場がなくなったと焦る。
だが、グランは『こうなったら……!』と覚悟を決め、あえて自分からエルスメリアの体に密着し、彼女の唇を塞ぐように濃厚なキスをした。
どれくらいの時間が経ったのか、グランは必死にエルスメリアと濃厚なキスを交わし続ける。
エルスメリアも負けじと応戦してくるが、彼女はまだまだ成人にも達していない少女だ。
いくら体が大人顔負けに発育していても、前世を含めてそれなりに人生経験を積んできた大人の男性であるグランには、やはり敵うはずがなかった。
次第にエルスメリアの体からふっと力が抜け、最後にはグランのキスを受け入れるかのように、すっかり大人しくなった。
グランはそのタイミングでそっと唇を離した。
普通ならここからさらに踏み込むところだが、あいにく彼女はまだ未成年だ。
それに、自分自身が未成年であるという理由もあるが、何より『学園を卒業するまでは絶対に手は出さない』と固く心に決めている。
女性からこれほどの大胆な誘いを受けて手を出さないのは、『据え膳食わぬは男の恥』という言葉もあるように、もはや意気地がないのと同じだ。
グラン自身も情けない男だと内心で自嘲したが、やはり前世で培った日本人の倫理観や恋愛観が、意識の奥底にしっかりと根付いているのだ。
熱いキスが終わり、エルスメリアは少し潤んだ瞳でグランをじっと見つめてくる。
グランはそんな彼女の頭を優しく撫でながら、静かに口を開いた。
「君の気持ちは、男として本当に嬉しい。結果的に二回も君の命を救うことになったんだから、俺に無条件で好意を寄せてくれるのも痛いほどよくわかる。だけど、だからといって今すぐ俺にすべてを捧げるのは違うと思うし、もっと自分自身を大事にしてほしいんだ。君がそこまで俺を想ってくれていることは、男冥利に尽きる。俺だって、エルのことは好きさ。だけど……他の皆にも、同じように大切な感情を抱いている。だからこそ、俺がきちんと誰か一人を決めるその時までは、どうか待っていてほしいんだ。……本当にすまない」
グランの真摯な言葉を聞き、エルスメリアは少しだけ悲しそうな顔を浮かべた。
「確かに私は、あなたに二度も命を救われたわ。もちろん、私からの好意の始まりはそこから来ている。あなた以上の男は今までも、そしてこれからも絶対に現れないと思う。ただ、勘違いしないでほしいの。私が自分を捧げたいと思うのは相手がグラン君だからであって、そこはあなたが気に病むことじゃないわ。本当に今は、体だけの関係からでもいいのよ」
エルスメリアがそこまで言い切るが、それでもグランは「もっと自分自身を大事にしてくれ」と譲らない。
グランの決して揺るがない鋼の意思に根負けしたのか、エルスメリアは「むぅ」と不満げに口を尖らせた。
「……わかったわ。グラン君から手を出してこないというのなら、今日は私がグラン君をたっぷりと堪能させてもらうわ。安心して、最後まで一線を越えるようなことはしないから」
そう宣言するなり、夏合宿でのディアドラの武勇伝でも聞いていたのか、エルスメリアは容赦なくグランの服の中に手を突っ込んできた。
「うひゃあっ!?」
思わず情けない声を上げるグランをよそに、エルスメリアは彼の引き締まった体をあちこちまさぐりまくり、時折思い出したように甘いキスを落としてくる。
結局、グランはエルスメリアが完全に満足するまで、なすがままに全身をまさぐられ続ける羽目になった。
とはいえ、彼女自身が宣言した通り、一線を越えるような決定的な触り方だけはしてこなかった。
グランの体を十分に堪能したエルスメリアは、仰向けになってぐったりと寝そべる彼の胸元にコテンと頭を乗せた。
「こうしてあなたの鼓動を聞いているだけでも、すごく幸せだわ……」
エルスメリアがはにかみながら見上げてくるので、グランは「それなら初めからこれだけでよかったんじゃないか?」とツッコミを入れた。
すると彼女は、「それだけじゃとても満足できないわよ。でも、グラン君には悪いけれど、私はこれからも隙あらば誘惑していくからね」と再び口を尖らせる。
「頼むから勘弁してくれ……」
とんでもない宣言にグランが疲労困憊で嘆いていると、ふとエルスメリアに誕生日プレゼントを渡すのを忘れていたことを思い出した。
「そうだ、これを渡しておかなくちゃな」
「え? プレゼントはいらないって言ったはずなのに、わざわざ用意してくれたの?」
「そんな大したものじゃないさ」
グランはそう言うと、収納魔法の中から見事な白百合の花束を取り出して彼女に手渡した。
それは以前、メイドのレインと初めて出会った時に縁を繋いでくれた花と同じものだった。
「私がこの花を好きだってこと、ちゃんと覚えていてくれたのね……!」
エルスメリアは花束を見るなり驚き、顔を真っ赤にして嬉しそうにその花束を抱きしめる。
「あの白百合が、君との再会を呼んでくれたからな。ちなみにそれは、レインから種をもらって凪の里で育てたものだ。ちゃんと世話すれば永遠に枯れることはないぞ」
その事実を聞かされた瞬間、エルスメリアはピタリと固まった。
「……永遠に枯れない花束なんて、十分とんでもないものじゃないですか。明日、私の部屋に大切に飾りますね」
エルスメリアは呆れたように笑いながらも、大事そうに花束をテーブルの上へと置いた。
そして、再びベッドに戻ってきたエルスメリアは、甘えるようにグランにお願いをしてきた。
「さっきはあんな形でキスしちゃったけど……もう一度、グラン君の方からキスしてほしいな。今日はそれでちゃんと満足するから」
(これで貞操の危機が免れるのなら安いものだ)
そう思ったグランは、エルスメリアの肩を抱き寄せ、正面から優しく口づけを交わした。
しばらくその甘い時間を堪能した後、二人は並んでベッドに寝転がる。
「腕枕、してください」
エルスメリアは嬉しそうにグランの腕を取ると、そこに自分の頭を乗せ、「それでは、おやすみなさい」と幸せそうに目を閉じた。
少しすると、彼女からは安らかな寝息が聞こえ始めた。
グランは心底安堵して、「ふーっ」と深く一息をつく。
『あれだけまさぐられて濃厚なキスまでしておいて、もうほとんど既成事実が作られたようなものでしょう』
(馬鹿言うな、まだちゃんとやってないだろ!)
『いやいや、あの状況で「やってない」は世間一般には通用しませんよ』
(いいや、まだ俺は正真正銘の童貞だ!)
グランが心の中で力強く叫ぶと、アンサートーカーは心底呆れたような声を返す。
『そんなこと力強く宣言されても、何の自慢にもなりませんよ』
(うるさい……)
容赦ない脳内のツッコミに悪態をつきながら、グランも激動の一日の疲れに身を委ね、そのまま深い眠りへと落ちていくのだった。




