第106話:翠の思い
ルヴィリスの誕生日会が終わり、一ヶ月が経った頃、グランはエルスメリアから自身の誕生日会の招待状を手渡された。
「もちろん参加するよ」と返事をすると、エルスメリアは当日のエスコートをお願いしてきた。
ルヴィリスの時だけエスコートをして他の四聖華からの頼みを断れば、間違いなく自分の命に危機が訪れると本能で察知したグランは、しぶしぶそれを承諾する。
だが、エルスメリアの喜びようがあまりにも凄まじかったため、グランは「まあいいか」と少し温かい気持ちになった。
そして当然のごとく、送迎の馬車と屋敷での宿泊部屋が用意されていた。
馬車に揺られ、ヴァーミリオン領の豊かな農地をのんびりと眺めながら、グランは脳内でアンサートーカーに話しかける。
「ルヴィリスの時はひと悶着あったけど、今回は大丈夫なのか?」
『エルスメリア様には二人の兄がいらっしゃいます。油断はできませんね』
「え、マジで? なんで去年の誕生日会には参加してなかったんだ?」
『どうやら、国外で領地経営や農業の研究をされていたみたいですよ』
「お前、やけに詳しいな」
『前回のルヴィリス様の弟君の一件がありましたからね。それに意図せずディアドラ様のお兄様にも会いましたから、出来る限りの情報収集はしておこうと思いまして』
それを聞いたグランは「頼りになるな」とアンサートーカーを褒め称える。
『マスター、早くハーレムを築いて私を楽にさせてください』
「なんで俺がハーレムを築いたらお前が楽になるんだよ?」
『女神アリスティア様からの強烈な突き上げがなくなりますので』
「なるほど……」
グランはその切実な理由に納得し、少し申し訳なさそうな気持ちになった。
そして馬車はヴァーミリオン侯爵邸に到着する。
出迎えてくれたのは、エルスメリアと専属メイドのレインだった。
エルスメリアはグランの姿を見るなり「グラン君!」と嬉しそうな声を上げ、すぐさまその豊満な体を密着させて強く抱き着いてくる。
「グラン様、ようこそいらっしゃいました」
レインが恭しく挨拶をし、手際よくグランの荷物などを持ってくれた。
エルスメリアの熱烈な抱擁で身動きが取れなくなったグランは、「とりあえず屋敷に入ろうか」と優しく声をかける。
それを聞いたエルスメリアは元気な声で「はい!」と答え、グランの腕をしっかりと取り、わざと自分の豊かな胸を押し当てながら屋敷へと入っていくのだった。
屋敷に到着し、ヴァーミリオン侯爵の執務室に案内されて中に入ると、侯爵夫妻と見慣れない男性二人がいた。
グランは少し戸惑ったが、エルスメリアは遠慮なく彼の腕を抱え込んだままソファーに腰を下ろす。
侯爵夫妻は微笑ましく見守りながら二人を迎え入れたが、男性二人はじっとグランを観察するように見つめていた。
「お兄様方、この方が私の愛しき人、グラン・グラニアス様です。とてもかっこいいでしょう?」
エルスメリアが誇らしげに紹介する。
兄二人に紹介されたグランは緊張しながらも立ち上がって礼をし、「ご紹介にあずかりました、平民のグラン・グラニアスと申します」と挨拶をした。
すると、兄二人はしばらく無言だったが、急に大笑いし始めた。
「うむうむ、聞いていた通り真面目そうな子だな! 私はヴァーミリオン侯爵家嫡男で次期侯爵の、ヴェルデ・ヴァーミリオンだ」
「そして私は次男のリケーネ・ヴァーミリオンだ。君のことは両親からよく聞いているよ。まずは、エルを二度も助けてくれたことに深く感謝する。本当にありがとう」
二人はそう言って、平民であるグランに対し深々と頭を下げた。
「それと、君がとてもモテるという話も聞いているぞ。男はモテてこそだ、女性を傷物にしない限り私たちは何も言わないさ」
(この人たち、器がでかすぎだろ……)
「も、もちろん、エルスメリア様とは清いお付き合いをさせていただいております」
グランが内心で感心しながら慌てて答える。
「でも、キスはしたんだろ?」
ヴェルデがニヤッと笑いながら核心を突いてきた。
「え!? なんでそれを……」
「兄様たちに『どこまで進んだのか教えて』と聞かれたので……」
驚くグランの横で、エルスメリアが顔を真っ赤にしながらも確信犯のように答えた。
『ここでもしっかりと外堀を埋められていますね。マスター、本当に人生が短くなるのでは?』
脳内でアンサートーカーが楽しげにおちょくってくるのだった。
そして二人の兄は、自分たちは去年国外でヴェルデは領地経営を、リケーネは農業を学んでいたため去年の誕生日会には間に合わなかったのだと語った。
「ただ、その時にはエルの完治の報せは聞いていたし、両親からは余計な詮索は無用と言われていたからな。エルには会いたかったが、いずれちゃんと話してくれると思っていたんだ。……まあ、まさかエルと同じ年の子が治したなんて聞いた時は、ひっくり返りそうになったがな」
リケーネも「その時ばかりは、神は本当にいるんだなと心から思ったよ」と深く頷く。
それを聞いたグランが確認するように侯爵夫妻へと視線を向けると、ヴェルデがその意図を察知して力強く口を開いた。
「もちろん、君の出自やその背負っている使命についても両親から聞いている。代が変わろうとも、我がヴァーミリオン家は全霊をもってグラン・グラニアスに協力すると約束しよう」
執務室を退出した後、グランは一向に腕を離してくれないエルスメリアと、メイドのレインと共に案内された客室へと向かった。
部屋に荷物を置いて一息つくと、エルスメリアから「明日の準備までまだ時間があるから、少し領地を見て回りませんか?」と提案される。
見て回ると言っても屋敷からそう遠くは離れないというので、グランも快くそれを承諾した。
メイドのレインも同行することになり、三人は早速屋敷の外へと出た。
ちょうど作物が実る時期なのだろう、見渡す限りに黄金色の畑が美しく広がり、領地の民たちが一生懸命に農作業に励んでいる。
エルスメリアがグランの腕に抱きつきながら歩いていると、すれ違う領民たちから微笑ましいものを見るような優しい視線を向けられていた。
グランはまたしても外堀を完全に埋められつつある現状に内心で頭を抱えていたが、もっとも、エルスメリアはそんなグランの内心などとっくにお見通しのはずで、それでいてレインと嬉しそうに談笑しながら領地の景色を楽しんでいるのだから、始末に負えなかった。
すると、ヴァーミリオン家の次男であるリケーネが、領民たちに混ざって一緒に農作業をしているところに偶然出くわした。
エルスメリアが大きな声で呼びかけると、リケーネも気づいて手を振り返してくる。
彼は周りの領民たちに一言声をかけてから、こちらへ向かって歩いてきた。
ヴァーミリオン家の貴族たちが平民との距離が近いことはグランも知っていたが、まさか平民と一緒に汗水流して農作業をしているとは思いもよらず、少し驚いてしまった。
リケーネはそんなグランの心中に気づいたのか、どこか自慢げに口を開いた。
「うちは兄さんが家督を継ぐからね。それに、私は領地経営には向いていないと初めから思っていたから、それならばと兄の目がなかなか届かない現場の状況を身をもって知ろうと思ったんだ。最初は将来のためのつもりだったけれど、だんだんと楽しくなってきて、今じゃこれが本業みたいなものさ。」
リケーネはあたりを見回しながらさらに言葉を続ける。
「領地の状態や民の顔を直接見ていると、優先すべき政策などが自ずと見えてくるんだよ。ヴェルデ兄さんは、私が領民や領地の状況を見て、問題点や意見をまとめた資料をちゃんと読んで、いろいろと相談しながら進めてくれるからね、本当に尊敬しているんだ。兄さんは私に対してすごく感謝してくれているのもよくわかるんだ。本人はうまく隠しているつもりみたいだけど、私から見ればバレバレだからね。それに、領主じゃなければ煩わしい貴族の社交界にあまり参加しなくていいのも役得さ」
リケーネはとても楽しそうに笑いながら語ってくれた。
「だから、グラン君がエルと結ばれた暁には、君にもたっぷりと手伝ってもらうからね。肉体労働だけど、君の強さはいろいろと聞いているから、激務にも余裕で耐えられそうだ」
「……マジか。肉体労働か……」
グランが思わず嘆息すると、脳内でアンサートーカーがすかさず口を挟んできた。
『前世と違ってマスターには凄まじいステータスがありますから、まさに適材適所ですね』
(お前、ひでえな……)
グランが内心で呆れていると、隣のエルスメリアが何やら顔を赤くしてモジモジし始めた。
彼女の頭の中では、肉体労働で疲れ切って帰ってきたグランに回復魔法をかけながら、優しくマッサージをしてあげて、そこからそのままの勢いで……という甘い妄想が繰り広げられていたのだ。
「もうっ! リケーネ兄様ったら!」
照れ隠しにエルスメリアがバシッ!とリケーネの背中を叩く。
しかし、鍛え抜かれた彼女の力強い一撃に、リケーネは「グフッ!?」と激しくむせ込んでしまった。
「だ、大丈夫ですか!?」
グランが心配そうに声をかけると、リケーネは必死に手をかざして大丈夫だとアピールする。
「そ、そろそろ戻らないといけないから、また明日の誕生日会でね……!」
リケーネは息も絶え絶えに言い残し、領民たちの元へと戻っていった。
「本当に平和で、いい領地だな」
グランがリケーネの後ろ姿を見ながらしみじみと呟くと、自身の領地を褒められたエルスメリアとレインはとても嬉しそうな顔をした。
「そろそろ屋敷へ戻りましょうか」
エルスメリアの提案で、三人は来た道を引き返し始めた。
その道すがら、グランはふと気になったことを尋ねる。
「そういえば、さっきリケーネ様が『社交界に出なくていいのが役得だ』って言っていたけど、そんなに面倒なのか?」
エルスメリアは苦笑いを浮かべて聞き返した。
「グラン君から見て、私のお兄様たちはどう見える?」
「すごく立派な人たちだと思うぞ」
「ううん、中身じゃなくて見た目の話よ」
「男の俺から見ても、二人とも侯爵様に似てすごくかっこいいと思う」
グランが素直に答えると、エルスメリアは深く頷いた。
「そうなのよ。だから、社交界に出るとご令嬢たちがものすごく群がってくるの。それこそ、既婚者の方から『愛人にしてください』って迫られたりもするくらいよ」
「侯爵家の男に愛人になってくれって迫るのか……」
「もちろん裏でこっそり隠れての話だけどね。侯爵家が相手だから、たとえバレても兄様たちに直接文句を言える人も限られているわ。さっき男はモテてこそだとか言ってたけど、ああ見えて、兄様たちは二人とも真面目だから、そういう誘いには一切関わらないし、すでに婚約者も決まっているのよ」
(イケメンで人柄も良くて真面目とか、天は二物も三物も与えてるな……)
グランは内心でそう思いつつ、以前侯爵が社交界で苦労したと言っていたのを思い出し、きっと息子たちにもそういう教育をしっかり施したのだろうと納得した。
その日の夕食はヴァーミリオン侯爵家全員で囲み、明日の誕生日会に備えてグランは自室で眠りについた。
翌日、例によって女神アリスティアから新たな礼服が送られてきた。
基本的なデザインはルヴィリスの時と同じ黒を基調としたものだが、差し色がエルスメリアを象徴する翠となっており、黄金色の装飾が施された見事な仕上がりだった。
「収納魔法の中に礼服がかなり溜まってきているんだが、これ、どうにかならないか?」
『素材が神の領域のものですから、仮に市場に流れるだけで大騒ぎになりますし、何より自分たちの誕生日会に着てくれた礼服が売り払われたと知った時の彼女たちが何を思うか……想像するだけで恐ろしすぎます』
「……そりゃそうか」
アンサートーカーの的確すぎる指摘にグランは大人しく諦め、送られてきた礼服に袖を通した。
部屋で待機していると、やがてメイドのレインが案内にやって来た。
「グラン様、とても素敵ですね」
「ありがとう」
グランが照れくさそうに返すと、レインはエスコートの段取りに合わせて彼を会場の入り口へと連れて行った。
「こちらでしばしお待ちくださいませ」
言われた通りにしばらく待っていると、華やかなドレスに身を包んだ二人の令嬢が近づいてきた。
「あなたがエルスメリアの婚約者ね。初めまして、私はヴェルデ・ヴァーミリオンの婚約者よ」
「初めまして。私はリケーネ・ヴァーミリオンの婚約者です」
「ご丁寧な挨拶をありがとうございます。私はエルスメリア様とお付き合いをさせていただいている、グランと申します」
グランが丁寧に挨拶を返すと、二人は少し驚いたように目を丸くした。
「あら、まだ婚約者というわけではないの? でも、今からエスコートして入場するんでしょう? ならもう、ほぼ決定しているようなものね」
(また外堀が埋められていく……!)
グランは冷や汗をかきながら、内心でさらに頭を抱えた。
『マスター、相変わらず早死にしそうな人生ですね』
アンサートーカーがいつものようにおちょくってくる中、時間になったのか、二人の令嬢は「それじゃあ、期待しているわね」と言い残して先に会場へと入っていった。
グランがその場で唖然として立ち尽くしていると、ようやく美しくドレスを着飾ったエルスメリアが姿を現した。
グランはそのドレス姿を見て、思わず言葉を失った。
彼女が着ていたのは、体のラインがはっきりと出る大人びたデザインのドレスだったのだ。
決して露出が多いわけではないが、エルスメリアの女性らしい豊かなプロポーションを美しく際立たせており、グランは完全に度肝を抜かれた。
エルスメリアはグランの驚いた反応を見てパァッと花が咲いたような笑顔を浮かべると、そのまま彼の腕にギュッと抱きついて絡ませてくる。
「どうかな、グラン君? 今日はグラン君のためだけに用意したドレスなのよ」
『ふふっ、これはもう今日の夜で大人の階段を卒業ですね』
アンサートーカーがすかさずおちょくってくる中、グランは顔を真っ赤にしながら「と、とても素敵なドレスだね……」と言葉を絞り出すのが精一杯だった。
そして会場から入場の合図が響き、グランはエルスメリアと腕を組んで一緒に中へと足を踏み入れる。
去年と同じように、会場には領民や貴族たちが分け隔てなく入り乱れており、二人の姿を見るなり一斉に温かい拍手で迎え入れてくれた。
皆、まるで自分たちの孫の門出を祝うかのような、とても優しい眼差しで二人を見守っている。
そして例によって、グランは皆の前でエルスメリアと腕を組んだまま、ヴァーミリオン侯爵夫妻や二人の兄、その婚約者たちと並んで来客の挨拶を受けることになった。
グランが今にも死にそうな顔で挨拶に応じていると、年老いた領民の女性たちが嬉しそうにエルスメリアへと尋ねてくる。
「お嬢様、その子のどこがそんなによかったんだい?」
「ふふっ、全部です」
エルスメリアが満面の笑顔で即答すると、領民の女性たちはニコニコと微笑みながらグランへ向き直った。
「そうかいそうかい。それじゃあ、うちのお嬢様をよろしく頼むよ」
(完全に外堀が埋められていく……! もう絶対に逃げられないじゃないか……!)
グランは逃げ場のない現状に、内心で深く深く頭を抱えるのだった。




