第104話:紅の思い
ルヴィリスの誕生日会に招待されたグランは、指定された日時に待ち合わせ場所へと向かった。
やがてヴァレンタイン家が手配した馬車が到着し、グランは御者に向かって「ありがとうございます。よろしくお願いします」と丁寧に頭を下げる。
すると、御者は恭しく一礼して口を開いた。
「ルヴィリス様の大切なお方を送迎できる栄誉をいただき、大変光栄でございます」
「え……どういうことですか?」
グランが驚いて尋ねると、御者は微笑みながら理由を語り始めた。
「あなた様は、ヴァレンタイン領の屋敷ではすでに『ルヴィリス様の想い人』として広く認識されております。去年の誕生日会での礼服姿や、あの素晴らしいプレゼントなど、数々の要素がございますが……何より一番の理由は、ルヴィリス様のあなた様に対するご態度です。つい最近までメイドたちの間で身分差の恋物語が流行っていたこともあり、あなた様とルヴィリス様は屋敷内で神格化されているのですよ」
馬車に乗り込んだグランは、あまりの事態に一人で頭を抱えた。
(これ、本当に誰か一人を選んだ結果、他の派閥の誰かに暗殺されるんじゃないか……?)
『ふふっ。マスターの今回の人生は、随分と早めに終わりそうですね』
脳内で楽しげにおちょくってくるアンサートーカーの言葉に、グランはさらに胃を痛める。
そして数日後、馬車はヴァレンタイン侯爵領へと到着し、あの豪華絢爛な屋敷へと続く道を進んでいった。
相変わらず領民たちは領主に対して深い敬愛の心を抱いているようで、侯爵家の馬車が通るたびに道端で深く礼をしていた。
屋敷に到着すると、出迎えてくれたのは去年と同じくルヴィリスとヴァレンタイン侯爵夫人だった。
「グラン、今年も来てくれて本当にありがとう」
ルヴィリスは満面の笑みを浮かべてグランを迎えると、ここまで馬車を走らせてくれた御者に対して労いの言葉をかけ、深く感謝を伝えた。
それを聞いた御者は光栄のあまり身震いし、深々と礼を尽くして去っていく。
ヴァレンタイン侯爵夫人の胸元には、グランがプレゼントしたルビーのブローチが輝いていた。
「立ち話もなんだから、さあ屋敷に入りなさい」
夫人に促されて歩き出すと、ルヴィリスは当然のようにグランの腕に自分の腕を絡ませてきた。
すれ違うメイドや使用人、果ては執事までもが、そんな二人の姿を微笑ましい表情で見守っている。
(……見られてる。完全に出来上がった二人を見る目で見られてるぞ)
グランは周囲からの生温かい視線に耐えきれず、さらに胃を痛めることになった。
その後、侯爵の執務室へと案内され、侯爵夫妻とルヴィリスを交えてささやかなお茶会が開かれる。
「ルヴィリスからプレゼントの話は聞いている。私も同じ意見だから、何も気にする必要はないぞ」
侯爵が優しく声をかけてくれたことで、グランは少しだけ肩の荷が下りた気がした。
「それにしてもこのブローチ、社交界につけていくと本当に皆びっくりするのよ。うちのお抱えの商人なんて『これほどの物は見たことがない』と言って、なんとか出所を探ろうとしてくるくらいだわ」
侯爵夫人が楽しそうに笑う。
「もちろん誰にも言うつもりはないし、暗に詮索するなとしっかり釘を刺しておいたから安心してね」
「ありがとうございます。ご迷惑をおかけしてすみません」
侯爵夫妻の細やかな気遣いに、グランは改めて深く感謝するのだった。
そして屋敷で与えられた部屋で一泊し、迎えた誕生日会の当日。
グランの元には、例のごとく女神アリスティアから新たな礼服が送られてきていた。
去年のものとベースはほぼ同じだが細部が少しアップデートされており、黒を基調としながらルヴィリスを象徴する赤の差し色が入り、金色の装飾も施されたさらに洗練されたデザインになっていた。
やがて迎えに来たメイドは、着替えたグランの姿を見るなり頬を赤く染め、そのまま会場の前まで案内してくれた。
しかし、扉の向こうからは賑やかなざわめきが聞こえており、どうやら誕生日会はすでに始まっているようだった。
(あれ? もしかして遅刻したか?)
グランが不思議に思っていると、メイドが恭しく口を開いた。
「恐れ入りますが、少しこちらでお待ちくださいませ」
しばらくすると、後ろから不意に声がかけられた。
振り返ると、そこには美しいドレスに身を包んだ、息を呑むほど綺麗なルヴィリスが立っていた。
「あれ? パーティーはまだ始まってないのか?」
「今はまだ、皆で雑談をしているところじゃないかしら」
「じゃあ、なんで俺はここで待たされているんだ?」
グランが尋ねると、ルヴィリスは顔を赤く染めながら上目遣いにお願いをしてきた。
「その……私をエスコートして入場してほしいの」
(完全にやられた……!)
「だまし討ちみたいにしてごめんなさい。でも、あなたはこうでもしないと絶対にやってくれないでしょう?」
少し口をとがらせるルヴィリスに、脳内のアンサートーカーがすかさず煽りを入れてくる。
『もう完全に外堀を埋められましたね』
グランは心の中でアンサートーカーに文句を言いつつも、ルヴィリスに近づいてスッと腕を差し出した。
すると、ルヴィリスは満面の笑顔を浮かべてグランの腕を取る。
そして屋敷の者が高らかに入場の声を響かせると、会場に集まった来客たちは一斉に入り口へと視線を向けた。
そこへ、美しく着飾ったルヴィリスと礼服姿のグランが、仲睦まじげに腕を組んで入場してくる。
それを見た貴族たちは皆一様に苦々しい顔をしたが、侯爵夫妻の手前、表面上は笑顔を作って拍手で出迎えた。
昨年に続き招待された、エルスメリア、ソフィア、ディアドラの三人はその姿を見て、「自分たちの誕生日の時も絶対に彼にお願いしよう」と固く決意しながら二人を迎える。
しかし、オリヴィアやセルフィリアは自身が王族の手前、平民のグランにエスコートをしてもらうのは少し難しいと思っているのか、とても羨ましそうに眺めていた。
一方、皆の前にルヴィリスと一緒に並んで立ったグランは、今にも死にそうな顔をしていた。
侯爵夫妻も隣に並び、貴族たちからの挨拶を順番に受け始める。
貴族たちは時折グランへと探るような視線を向けていたが、侯爵の手前で無粋な質問もできず、そそくさと挨拶を切り上げていった。
その間、ルヴィリスはずっとグランの腕を抱き寄せ、誰が見ても婚約者と見間違えるような幸せそうな顔で挨拶を受け続けていた。
しかし、そんな和やかな空気を破るような出来事が起こる。
会場の入り口に、ルヴィリスの弟であるルークが突然姿を現したのだ。
その姿を見た侯爵夫人はわずかに顔をしかめ、侯爵は毅然とした態度で静かに成り行きを見守っていた。
豪華な礼服を着たルークは、ルヴィリスとグランがいる場所へと真っ直ぐに歩いてきた。
侯爵夫妻はルークを見据えていたが、その表情は平然を装っていた。
ルヴィリスも一度は怪訝な顔をしたものの、流石は貴族らしくすぐに平然とした顔で弟を見つめ返した。
ルークは目の前に来ると、恭しく礼をする。
「姉上、お誕生日おめでとうございます。次期侯爵として、心よりお祝い申し上げます」
ルヴィリスもその言葉には短く礼を返すが、そこから先は会話が続かなかった。
すると、ルークは急に会場全体へ向かって大声を張り上げた。
「私は次期侯爵として、今姉上の隣にいる平民を姉上の婚約者としては絶対に認めない! 我々ヴァレンタイン侯爵家は貴族として栄華を極め、平民を守る剣と盾であることを至上としている。その高潔な意志と血に、平民の卑しい思想と血が混ざることを私は決して良しとしない! 姉上に相応しいお方は、このお方だ!」
ルークの呼び込みに応じ、グレイシア公爵家の次男であるアルフレッド・グレイシアが現れた。
去年の誕生日会でルヴィリスに全く相手にされなかったその男は、一人の騎士を伴って自信満々に近づいてくる。
「ルーク、何勝手なことを言っているの!」
「いい加減に目を覚ましてください、姉上! その者の素性を調べましたが、女にだらしない奴だというのは周知の事実です。そのような者の血をヴァレンタイン家に入れるなどあり得ない! 穢れた血の者は、大人しく地べたに這いつくばって我々貴族の庇護を受けていればいいのだ!」
激昂するルークに対し、グランは何も言い返さず、ただ黙っていた。
(今ここで俺が何を言っても無駄だろうな)
『ええ。それに、侯爵夫妻やルヴィリス様がどう出るかによって、マスターの取るべき行動も変わりますからね』
グランは脳内でアンサートーカーと冷静に会話を交わしながら、静かに状況を見守る。
すると、アルフレッドがグランを指差して傲慢に言い放った。
「高貴なる血は尊い。平民の血が混ざった時点で汚れるのだ。貴様、すぐにそこを退け」
グランが静かにその様子を見つめていると、ルヴィリスが組んでいた腕にきゅっと力を込めた。
そして、アルフレッドと弟を真っ向から睨みつけ、毅然とした態度で声を張り上げる。
「私は、この方を愛しています! それは平民だとか貴族だとか、身分など一切関係ありません。血が汚れると言うのなら、次期侯爵の言う通り、私をヴァレンタイン家から追放していただいて結構です!」
ルヴィリスの『ヴァレンタイン家から出る』という発言を聞き、会場の貴族たちは騒然となった。
ルークとアルフレッドも一瞬面食らったが、すぐに気を取り直して冷笑を浮かべる。
「姉上がそこまでその平民のことを思うのであれば、私が侯爵になった暁には、必ずこの家から出て行ってもらいますぞ!」
ルークがそう脅すが、ルヴィリスは平然とした態度のまま言い返す。
「あなたが侯爵になって、その考えのままであるなら、こちらから喜んで出ていきます」
「ルヴィリス嬢、今は恋に焦がれて大局的な判断ができていないようだ。高位貴族のご令嬢が市井に流れ出て、まともに生活できるとお思いで? よく考えてくだされ。あなたは貴族社会でこそ華が咲くお方。市井に流れて枯れてしまうのは忍びない。……ゆえに、私が目を覚まさせてあげましょう」
アルフレッドが気取った様子で言い放ち、傍らに立つ騎士に顎で指示を出した。
すると、騎士はグランに向かって無造作に白手袋を投げつけた。
足元に落ちたそれを、グランは静かに拾い上げる。
『マスター、これって決闘の申し込みですよね。拾ったら受けたことになりますよ』
(ルヴィリスが俺のためにここまで覚悟してくれているんだ。まだ誰を選ぶか決められないとしても、ここで逃げるなんて選択肢はありえないだろ)
グランはアンサートーカーに心の中で返し、相手の騎士を真っ直ぐに見据えた。
「それで、決闘のルールは?」
グランが尋ねると、騎士は判断を仰ぐようにアルフレッドを見る。
「もちろん、どちらかが死ぬまでだ」
アルフレッドの残酷な宣言に、周囲の貴族たちはざわめいた。
しかし、王女や皇女、四聖華や侯爵夫妻は全く別の意味で激しく焦り始める。
彼らは皆、このままではグランに挑んだ騎士が確実に殺されてしまうとわかっているからだ。
そんな中、騎士が被っていた仮面をゆっくりと外した。
現れたその顔は、ヴァスティール侯爵家の次男であり、ディアドラの年の離れた兄の一人、グレイ・ヴァスティールだった。
彼は剣の達人として知られる腕利きの騎士である。
「兄上……!」
ディアドラが思わずその姿を見て叫ぶ。
「久しぶりだな。お前の誕生日会には行けなくてすまなかったな」
「そんなことはどうでもいいのです! なぜ、ここにいらっしゃるのですか!?」
「アルフレッド様から、身の程をわきまえない平民がいると言われてついてきたんだが、まさかこんなことになるとはな。……だがディアドラ、この男はお前にも手を付けているんだろう? 兄として、そこはどうしても思うところがある」
「そ、それは……っ。私のことは私が決めます! 兄上、どうか決闘はおやめください!」
ディアドラは真っ赤になりながらも、必死に兄を止めようと声を張り上げた。
グレイはグランに向かって口を開いた。
「ここでは会場が汚れる。場所を変えよう」
グランは自身では答えず、ルヴィリスと侯爵夫妻の判断を待つ。
すると、ヴァレンタイン侯爵が重々しい口調で宣言した。
「我が家の修練場がある。そこですべての決着をつけよう。そしてルーク、お前は謹慎を破り、この場に出て姉の誕生日会を汚したのだから、それ相応の覚悟は受けろ。グランが勝てば、お前の次期侯爵の話は白紙とする。逆にアルフレッド様側が勝てば、望み通りグランにはルヴィリスとヴァレンタイン領に一切関わらないという魔法契約を結んでもらおう」
その言葉を聞いた貴族たちは騒ぎ始め、一部の者はこれで目障りな平民が消えて元通りになると安堵の表情を浮かべていた。
ディアドラはグレイに何度も必死に訴えかける。
「兄上、どうか考え直してください!」
「大丈夫だ、命までは取らない。だがこれだけの騒ぎを起こしたのだから、一生寝たきりにはなるだろうな」
ディアドラは『そうじゃない!』と心の中で叫ぶが、ここで「グランには天地がひっくり返っても勝てない」と兄に伝えたところで、鼻で笑われるだけだと痛いほどわかっていた。
彼女はグレイに何を言っても無駄だと悟り、すがるような涙目でグランを見つめる。
グランは『命までは取らないから安心しろ』という意味を込めて静かに頷き、パーティー会場にいた観客を含めた全員が屋敷の修練場へと移動した。




