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198/202

第198話《水と、日陰》— 簡易プール(塩素消毒付き循環型) —

1.水が、腐る

 

梅雨が明けた翌日から、暑くなった。

 

リュミアが朝、子供の集まりから帰ってきた。

 

「智也、子供たちに水で遊ばせてあげたい」

 

「いいな。水場を作ろう」

 

「どんな?」

 

「プールだ。スラグ複合材で防水の槽を作る。ポンプで水を循環させる」

 

リュミアの耳が上がった。

 

設計を進め始めたその日の午後、コルソンが研究室に来た。

 

身長が二メートル近い。

 

扉をくぐるとき、頭を下げた。

 

肩幅が扉の幅の九割ほどある。

 

財務局の文官の服を着ていた。

 

「叔父上より、数字の確認を頼まれてまいりました」

 

「ありがとうございます。で、コルソンさん、実は一つ問題が出ました」

 

「計算上の問題ですか」

 

「そうです。水を張っても、夏の暑さで三日経つと腐ります。藻が発生します。大量の子供が入ると、さらに速く汚れます」

 

コルソンが即座に言った。

 

「一日の使用人数を百人、一人当たりの汗と有機物の排出量を概算で、濁度が許容値を超えるのは気温三十度の条件下で約五十二時間後、誤差プラスマイナス八時間です」

 

「……その計算、どこから」

 

「想定しておきました」

 

(……この見た目で、なぜそんなことを想定しているのか)

 

「つまり、水を消毒する仕組みが必要です」

 

「ご指摘の通りです。何か算段はありますか」

 

「あります。作ったことはないですが、化学的には可能です」

 

 

 

2.二種類の金属と、塩水

 

ハシを呼んだ。

 

「ハシ、お前の嘴で感じる電流、あれは何から来ている?」

 

「水の中を、イオンが動くときに生まれる流れや。金属が溶ける時も出る」

 

「金属が、溶ける」

 

(……ガルバニ電池だ)

 

(二種類の金属を塩水に入れると、片方が溶け、電流が生まれる)

 

(ヴォルタが十八世紀に発見した原理だが、この世界の現象として既にある)

 

「銅板と亜鉛板を塩水に入れると、どうなる」

 

ハシが目を細めた。

 

「……試したことはないけど、二種類の金属を同時に入れたら、嘴がくすぐったくなりそうや」

 

「それが、電流だ。種類が違う金属が同じ液体に触れると、電子が一方から他方に流れる。その流れを、別の塩水に通してやると、塩水が分解される」

 

「分解されてどうなるんや」

 

「水を殺菌できる物質が生まれる。少量をプールに加えれば、藻も菌も増えない」

 

ハシが嘴を動かした。

 

「……ウチが感じてきたもんと、同じもんが、水を消毒できるもんを作る、ということか」

 

「そうだ」

 

ハシがしばらく嘴を止めた。

 

「……それは、なんか、ええな」

 

「なるほど」と思わず声に出た。

 

コルソンが横で手帳に書き始めていた。

 

「銅板と亜鉛板の面積比と、塩水濃度の最適値を計算します。消毒に必要な生成量から逆算して、槽のサイズを決めます」

 

「お願いします」

 

「誤差二パーセント以内で出します」

 

「十分です」

 

 

 

3.走る台車

 

消毒の仕組みは解決した。

 

次の問題は、スラグ複合材の重い防水パネルを現場まで運ぶことだった。

 

固定式のアームでは届かない。

 

台車に乗せてドルグが引いてもよいが、それでは人手を食う。

 

ビトルが紙を広げた。

 

「アームに車輪をつけましょう。台車型の土台に、アームを固定したまま移動させる」

 

「方向転換は」

 

「前一輪、後ろ二輪の三点構造にすれば、前輪の向きを変えるだけで旋回できます」

 

(……三輪は安定する。三点支持は転ばない)

 

「旋回機構の参考になる仕組みはあるか」

 

ドルグが手を挙げた。

 

「あるぜ。俺たちが地下で方向変えるとき、前足だけを回転させて向きを作る。後ろは引きずってくる形だ」

 

「それと同じだ」

 

「……まさか俺たちのやり方が、機械に使われるとは思わなかったな」

 

三日で、試作の三輪台車が完成した。

 

グレンがアームを台座に固定した。

 

試験走行。

 

直進は安定している。

 

旋回は、前輪を横に向けると、後輪が弧を描いて追ってくる。

 

三十キロの荷物を積んで走らせると、止まらなかった。

 

「……じゃあ、やるか」

 

ビトルが計算を始めていた。

 

「設計確定です。量産しましょう」

 



4.三輪ゴーレムのセンサー

  

三輪台車が完成した日の夜、ビトルが図面を広げた。

 

「台車に乗ってもアームのセンサーが使えるか、確認したいんです」

 

「何が問題だ」

 

「今のマナ影センサーは、止まっている状態で周囲を読む設計です。動きながら使うと、センサーの読み方が変わります」

 

(……そうか)

 

(止まっているときは、センサーが読む値の変化は、対象物が動いたということだ)

 

(動きながらだと、センサーが読む値の変化が、対象物が動いたのか、自分が動いたのか、分からない)

 

「車が走りながら、窓から景色を見るようなものだ。景色が変わる原因が、外の景色が変わったのか、車が動いたのかで、意味が違う」

 

ビトルが頷いた。

 

「自分がどれだけ動いたかを、把握する仕組みが必要です」

 

「車輪の回転数で測れる。車輪が一回転すれば、円周分だけ進む。回転数を数えれば、移動距離が分かる」

 

(……現代のエンコーダーだ。車輪に磁石を取り付けて、ホールセンサーで回転を検知する)

 

(この世界では、マナの流れを使う)

 

「車輪の軸に目印を彫る。目印が一回通るたびに、マナのパルスが一回出る。パルスの数が、回転数だ」

 

「マナのパルス……あの、誰かの能力が使えますか」

 

ハシが横で聞いていた。

 

「ウチが感じられるかもしれんな、そのパルス」

 

「そうだ。ハシ、台車の軸から出るマナのパルスを感じてくれるか。それを制御核に送れば、移動距離が計算できる」

 

ハシが嘴を台車の軸に近づけた。

 

「……試してみるわ」

 

台車をゆっくり動かした。

 

ハシが目を閉じて、嘴を動かした。

 

「……感じる。一回転ごとに、ちょっとだけ違う流れが来る」

 

「それがパルスだ」

 

「……なんか、おもしろいな」

 

(……ハシの感知能力が、今度はエンコーダーになった)

 

(水脈を探すセンサーが、速度計になった)

 

「ビトル、制御核に追加命令を入れてくれ。『ハシのパルスを受け取って、移動距離を計算し続ける』。それを、マナ影センサーの読み値と合わせれば、動きながらでも対象の位置が分かる」

 

ビトルが「センサー・フュージョン、ですか」と言った。

 

「そうだ。二つの感知を合わせて、一つの情報を作る」

 

「……それって、パドさんとハシさんが一緒に調査していた時と、同じ発想ですね」

 

(……そうだ)

 

(少数民族が無意識にやっていたことを、機械でやる)

 

「種族が複数の感知を持ち寄って、一つの答えを出していた。あれが、機械の設計に入った」

 

ハシが、また嘴を動かした。

 

「……なんか、ウチらがやってきたことが、あの台車に入るんか」

 

「そうだ」

 

「……それは、またええな」

 

翌日、アリアが追加命令をコアに刻んだ。

 

三輪台車に乗ったアームが、動きながら前方の障害物を感知した。

 

止まった。

 

向きを変えた。

 

また動き始めた。

 

ドルグが「俺の旋回の動き、ちゃんと入ってるな」と言った。

 

ハシが「ウチのパルスも、ちゃんと動いてるで」と言った。

 

「…じゃあ、やるか」



 

 

5.開場

 

一週間後、プールが完成した。

 

スラグ複合材で作った長方形の槽。

 

幅十五メートル、長さ五十メートル。

 

深さは浅い側が五十センチ、深い側が百センチ。

 

魔石ポンプで水を循環させ、砂の濾過槽を通してから戻す。

 

ガルバニ電池で作った消毒液が、少量ずつ供給されている。

 

アラクネ族が日陰の屋根を繊維で編んだ。

 

ミエル族が屋根の継ぎ目を蜜蝋でシールした。

 

三輪ゴーレムが重いパネルを積んで走り、資材を全部運んでいた。

 

コルソンが水質の数値を読んでいた。

 

「消毒効果、計算値と合致。藻の発生確率は三日後時点で〇・〇三パーセント。誤差の範囲内です」

 

「ありがとうございます」

 

「あと、入場人数が一時間あたり三十人を超えると、消毒液の追加供給が必要になります。供給タイミングは、ハシさんの電流感知で知らせてもらえれば計算できます」

 

ハシが「ウチの出番もあるんか」と笑った。

 

 

最初に水に入ったのは、子供たちだった。

 

大声を上げて飛び込んだ。

 

水が飛んだ。

 

「つめたい!」

 

また飛び込んだ。

 

スナルさんが、プールのそばの椅子から、その様子を見ていた。

 

「……夏が来たんだねえ」

 

声が、静かだった。

 

「避難前には、息子家族と川遊びにいったよ。」

 

リュミアが隣に座った。

 

何も言わなかった。

 

ただ、一緒に見ていた。

 

 

◇◇◇◇◇◇





アラクネ族が、水着を縫っていた。

 

蜘蛛糸は薄く、乾きが速い。

 

水着に最適だと、アラクネ族自身が言った。

 

仲間たちに配られた。

 

 

水場が開いた最初の午後は、妙な静寂から始まった。

 

静寂の理由は、デネブだった。

 

魔女が、人間の姿で、水の中に立っていた。

 

普段は猫か、何か別の生き物の姿でいる。

 

だが、結果として、プールに集まった成人男性の視線が、デネブの脚線美に集中していた。

 

避難民の男性も、傷痍兵も、グスタフ翁の弟子の職人たちも。

 

全員が、ちらちらと同じ方向を見ていた。

 

デネブは気にしていなかった。

 

水の流れを試しているのか、手を動かして水紋を眺めていた。

 

(……デネブさんって、そういうことに無頓着だったな)

 

石の上のレオンが、十二分前から同じ姿勢のままだった。

 

「レオン、何か飲むか」

 

「……要らない」

 

「水でも取ってこようか」

 

「……要らない」

 

「暑くないか」

 

「……暑くない」

 

全部「要らない」か「暑くない」か「うるさい」だった。

 

それ以上は聞かなかった。

 

 

ガルドが、プールの縁に仁王立ちしていた。

 

ラナがその後ろで、タオルを体に巻いたまま立っていた。

 

「……ガルド、私のことが見えますか」

 

「見えてる」

 

「ではなぜ、前に立っているんですか」

 

「別に前に立ってはいない」

 

ラナが横から顔を出した。

 

ガルドが横に動いた。

 

ラナがもう少し横に出た。

 

ガルドがまた横に動いた。

 

「……ガルドさん」

 

「何だ」

 

「これは、私の行動を制限していますよね」

 

「そういうつもりはない」

 

「では、なぜ動くんですか」

 

「日差しを遮っている」

 

ラナが空を見上げた。


(...どうも、ガルドはラナの水着姿をほかの男どもに見せたくないようだ。)

 

快晴だった。

 

「……日陰は、あちらのアラクネ族の屋根の下にありますわ」

 

「こっちの方が角度がいい」

 

「角度」

 

「うん」

 

ラナが小さくため息をついた。

 

「……あなたはいったい、誰から私を守っているつもりなんですか」

 

ガルドが答えなかった。

 

答えられなかったのかもしれなかった。

 

(……ガルドは正直な男だが、正直に言えないことがある)

 

(それが、こういう時に出る)

 



コルソンが水温計を手に、プールの端から端まで計測していた。

 

大男だった。

 

身長二メートル近い。

 

肩から背中にかけての筋肉が盛り上がっている。腕が、普通の人間の太ももほどある。

 

顔の造形が整っていた。

 

彫りが深く、顎の線が鋭く、鼻筋が通っていた。

 

古代の彫刻家が理想の人体を石に刻んだとしたら、こういう形になるだろう、と思わせる顔だった。

 

その男が、小さな温度計を持って、腰まで水に入っていた。

 

避難民の子供が一人、その足元を泳ごうとして、足に気づいて引き返した。

 

「……二十一・三度、誤差プラスマイナス〇・二度。循環ポンプの流量と、気温から逆算した想定値が二十一・一度でしたので、〇・二度の乖離がありますね」

 

誰も答えなかった。

 

プールの縁で日陰に座っていたマダムたちが、静かに視線を向けていた。

 

グスタフ翁の弟子の職人の中の、鍛えた体に自負のある若い大工が、少し口を開けていた。

 

「……何か、ありましたか」

 

コルソンが周囲を見た。

 

七人の大人が、自分を見ていた。

 

「数字に身体の大きさは関係ありませんよ」

 

「……そりゃあ、まあ」

 

「次は深さ別の水温を計ります。表面と底面で温度勾配がある可能性を検討したいので」

 

マダムたちが「何を言っているか分からないけど、いい声ね」と小声で話していた。

 

大工が「内容は分からないが、なんか悔しい」と言った。

 


 

そこへエルナが来た。

 

「あーっ、智也くん、私を置いていったね!」

 

「置いてはいない。仕事があると言った」

 

「仕事は終わったよー。えへへ」

 

エルナが水場の縁に立った。

 

水着を着ていた。

 

おっとりした顔で、無自覚に周囲を見回した。

 

「わあ、きれいな水ね」

 

プールにいた人間の視線が、また動いた。

 

デネブ一点に集中していた男性陣の視線が、分裂した。

 

レオンが十二分ぶりに首を動かした。

 

一秒後に、また止まった。

 

コルソンが水から上がってきた。

 

エルナの横に立った。

 

プールの縁にいた人間が、一斉に沈黙した。

 

二人が並んで立っていた。

 

エルナが腕を組んで水面を眺めていた。

 

コルソンが温度計を手帳に記録していた。

 

誰も動かなかった。

 

大工が「うわ」と言った。

 

マダムの一人が「ため息が出るわね」と言った。

 

別のマダムが「絵みたい」と言った。

 

(……確かに絵になっている)

 

(エルナとコルソンさんが並ぶと、なぜこんなに絵になるんだ)

 

(二人とも気づいていないのが、余計にいい)

 

ガルドが「なんだあれは」と言った。

 

ラナが「絵ですわ」と答えた。

 

「絵か」

 

「絵ですわ」

 

レオンが「あー……」と言って、石の上で天を仰いだ。

 

 

エルナが、コルソンの体格を一秒も見なかった。

 

「コルソンさん! 〇・二度の差って、水面からの蒸発熱が原因じゃないかなって思うんですけど、どう思いますか」

 

コルソンが目を輝かせた。

 

「! 正確には気温と水温の差から計算できます。本日の気温が三十一度で、水温が二十一・三度なら、蒸発による熱損失は毎時間当たり〇・〇四度で、これを踏まえると」

 

「あ、でも湿度が七十パーセントだから、蒸発効率が下がって〇・〇三度になるんじゃないかと」

 

「それは正確な補正ですね! 湿度を加味すると確かに〇・〇三度になります。さらに言えば、循環ポンプの発熱量も加算する必要があって、一時間当たり〇・〇〇七度の上昇を見込むと」

 

「じゃあ実測値との差は〇・〇〇三度の範囲に収まるはずで、そうなると最初の〇・二度はやっぱり蒸発熱で説明できますね!」

 

「完全に一致します! エルナさん、なぜ計算過程なしで最終値を」

 

「感覚ですよー、えへへ」

 

「感覚で〇・〇〇三度を出せるのですか。叔父上と同じ種類の人間ですね」

 

「コルソンさんもオルソンさんと同じ種類じゃないですか!」

 

「はい、同じ種類です。誤差が気になります」

 

「わかります!」

 

二人が向き合って笑った。

 

その笑顔もまた、絵になった。

 

プールの縁にいた人間が、全員その笑顔を見た。

 

誰も話の内容を理解していなかった。

 

「〇・〇〇三度って何の話だ」と大工が言った。

 

「分からないけど、すごそうね」とマダムが言った。

 

「俺には全く分からない」とガルドが言った。

 

ラナが「私も分かりませんが、楽しそうですわ」と言った。

 

「楽しそうだな」

 

「ええ」

 

ガルドとラナが、二人並んで、エルナとコルソンを見ていた。

 

「……ガルド」

 

「何だ」

 

「今、あなたは私の前に立っていませんわよ」

 

ガルドが「あっ」と言って、またラナの前に立った。

 

「遅いですわ」

 

「すまん」

 

「……少しだけ許しますわ」

 

ラナがタオルを少しだけ緩めた。

 

ガルドが前を向いたまま、耳が赤くなった。



 

智也はプールの縁に腰を下ろして、水に足だけをつけていた。

 

リュミアが隣に座った。

 

「智也、みんな楽しそうだね」

 

「そうだな」

 

「智也は?」

 

「俺も楽しい」

 

「入らないのに?」

 

「外から見る方が、全部分かる」

 

リュミアがちょっと笑った。

 

「嘘くさい」

 

「本当だ」

 

リュミアが足を水の中でゆっくり動かした。

 

「ねえ、智也」

 

「何だ」

 

「今日、一万二千人いた避難民が、みんな屋根の下に入れた。ライラが言ってた。患者数も落ち着いてる。台帳もつながってる」

 

「そうだな」

 

「それで、子供たちが水で遊んでる」

 

リュミアが足を止めた。

 

「これが、やりたかったことだよね」

 

智也は水の中に広がる子供の声を聞いた。

 

遠くで、スナルさんが椅子に座ってそれを見ていた。

 

「そうだ」

 

「よかった」

 

リュミアが、また足を動かし始めた。

 

水が揺れた。

 

「……じゃあ入ろうよ、智也」

 

「もう少しだけ」

 

「絶対入らないでしょ」

 

「入る。もう少しだけ、準備する」

 

「なんの準備」

 

「……精神的な準備だ」

 

リュミアが「えー」と言って、智也の腕を引っ張った。

 

夏の午後が、水の音の中にあった。



【読者の皆様へ】

最後まで読んでいただき、心より感謝申し上げます。

日常の忙しさの中で、数分でもこのファンタジーの世界を楽しんでいただき、現実から離れてリラックスできる一助となれば幸いです。


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