第194話《0.1ミリの線》— ゴーレムアーム②-刻印回路 —
1.細い火
アリアが来たのは三日後だった。
手紙を受け取ってから、ほぼ即座に出発したはずだ。
扉を開けて入ってきたとき、旅装のまま荷物を持っていた。
(……大きくなった)
最初に思ったのは、それだった。
初めて会ったのは何年前だったか。
あのとき、フィアレル領主の娘として顔を出してきた少女は、ちんちくりんと言っても差し支えない体格をしていた。
今は違った。
背が伸びていた。
旅装の外套の下に、はっきりと女性の輪郭がある。
顔の骨格も、以前の幼さが削れて、凛とした線になっていた。
(……もう十八か)
(少し、デネブさんに似てきた。いや、雰囲気が、か)
(……見ていてはいかん)
リュミアが横で、ほんの少し智也との距離を詰めた。
智也の肘に、かすかに触れる位置に。
「智也、これね?」
アリアが部屋に荷を置く前に、作業台の純化魔石に真っ直ぐ歩いていった。
自分が見られていることに、まるで気づいていない様子だった。
石を両手で持ち上げて、表面を確認した。
磨き上げられた表面に、自分の顔が映っている。
「……命令の回路を、これに刻む」
「全部で百十七の命令。一命令につき、平均三本から五本の線が必要だ。総延長は四十二セントになる」
「線幅は」
「髪の毛ほどの細さ以下」
アリアが石を台に置いた。
「やったことないわ、こんなの」
「分かっている」
「できるかどうかも、分からないのよ」
「一つだけ、確認させてくれ」
「何よ」
「放熱サークレットで百発撃ったとき、全部同じ軌道だったな」
アリアが少し黙った。
「……それが、何の関係があるの」
「水の流れが速いほど、石を投げ込んでも乱れにくい。出力が大きいほど、外部の雑音に影響されない。髪の毛ほどに絞っても、お前の出力は安定して続く」
「……他の魔法使いは」
「細く絞った瞬間に途切れる」
「私だけが、途切れないと?」
「そうだ」
アリアがしばらく智也を見ていた。
「……智也、そういうのを、いつから考えていたの」
「百発撃ち終わった、あの夜からだ」
アリアの頬が少し動いた。
「……ずっと前じゃない」
「お前が必要になる仕事が、いつか来ると思っていた」
アリアが髪を払った。
横を向いた。
「……仕方ないわね」
それから腕を組んだ。
「やってあげるわ。私にしかできないんでしょう?」
「そうだ」
「だったら、最初からそう言いなさいよ」
リュミアが横で、また一セント詰めてきた。
声には出さなかった。
ビトルが位置決め治具(XYステージ)を持ってきた。
「アリアさん、これを使います。ネジを回すと、石が細かく動きます。アリアさんはマナを一点に絞って当て続けるだけでいい。石を動かすのは僕とリックさんがやります」
アリアが治具を覗き込んだ。
「……ネジ一回転で、どれだけ動くの」
「一回転で髪の毛五本分です。十分の一回転で、髪の毛の半分。ここにある目盛りが基準になります」
「曲線は」
「二軸を同時に動かします。XとYを僕とリックさんで一本ずつ持ちます。速度を合わせれば、斜めにも円弧にも引けます」
「……面白いわね、これ」
アリアの声から、高飛車な響きが少し抜けていた。
指先で目盛りをなぞっている。
ビトルが「でしょう」と嬉しそうに言った。
「設計してて、一番楽しかった部分なんです」
「あなたが作ったの?」
「はい。アリアさんが来る前に、三回作り直しました」
アリアが少し、目を細めた。
「……三回」
「最初のは目盛りが粗くて。二回目はネジのガタつきが出て。三回目でやっと」
リュミアが少し離れたところから、二人を見ていた。
ビトルがアリアに目盛りの説明を続けている。
アリアがその横に、ごく自然に肩を並べていた。
距離が、近かった。
「ここの誤差は」
「髪の毛の五分の一以内に収まっています。アリアさんの出力なら、それで十分なはずで……」
ビトルが少し言葉に詰まった。
「……そう」
アリアが頷いた。
ビトルが、息を整えて、次の説明に移った。
アリアがその言葉を待っていた。
リュミアは、その様子を見ていた。
(……いつから、こうなったんだろう)
リュミアは思った。
(アリアさんが、ビトルくんの話を遮らなくなっている)
(ビトルくんが、アリアさんの次の質問を先回りして答えている)
二人とも、気づいていないようだった。
自分たちの距離が、どれだけ縮まっているか。
リュミアは何も言わなかった。
言う必要がなかった。
ただ、前を向いて、小さく笑った。
(……そういうものだよね)
「問題ないわ」とアリアが言った。
「やってみせる」
ビトルが「はい」と答えた。
その返事が、少しだけ嬉しそうだった。
リックが治具の調整を始めた。
純化魔石を固定台に載せて、ガタつきがないか確認する。
その指先は、見ていると不安になるほど細かく動いていた。
(……リックが部品を触れるとき、指が考えている)
(脳より先に、指が正解を知っている)
「準備が整いました」とリックが言った。
アリアが椅子に座った。
放熱サークレットを装着した。
目を閉じて、少しの間、動かなかった。
「……じゃあ、やるか」と智也が言った。
2.四時間
作業が始まった。
「一番目の命令、最初の線。開始点は左端から指の幅の五分の一。水平に二セント」とビトルが座標を読み上げた。
リックがネジを動かした。
石の位置が、静かに動いた。
アリアが息を吐いた。
マナを絞った。
石の表面に、細い線が刻まれた。
「一本目、完了。線幅、髪の毛より少し細い。合格です」とビトルが確認した。
「次。垂直に一セント」
また刻まれた。
「三本目。斜め四十五度に、半セントと少し」
また刻まれた。
デネブが古代設計書と照合していた。
カイルが命令の翻訳リストを手に持って、順番を確認していた。
誰も余計なことを言わなかった。
一時間が経った。
「十八番命令まで完了。三十二本の線が刻まれました」
アリアが額の汗を拭った。
「続ける」
「はい」
二時間が経った。
「五十五番命令まで。九十一本」
アリアは何も言わなかった。
目が石に向いたまま動かない。
(……集中が切れていない)
(通常の魔法使いなら、放熱サークレットなしで二時間の精密作業は限界だ)
(アリアは、持っている)
三時間が経った。
「八十二番命令まで。百三十七本」
リックが静かにビトルの横に立った。
「ビトル、ネジの送り、俺が替わるよ」
「え」
「手、震えてる」
ビトルが手を見た。
「……気づきませんでした」
「集中しすぎると、自分が見えなくなるからな」
リックがネジを引き継いだ。
送りの精度は変わらなかった。
むしろ、微かに安定したかもしれなかった。
四時間が経った。
「百十七番命令、最後の線。水平に○.四セント」
リックがネジを回した。
アリアが息を吐いた。
最後の線が刻まれた。
「完了。総線数、二百十一本。全て設計書と一致しています」
カイルが確認のリストを閉じた。
デネブが設計書から目を上げた。
「誤差は」
「最大で髪の毛の五分の一です。許容範囲内」
誰も声を出さなかった。
3.命令と、コア
アリアが放熱サークレットを外した。
台の上に置いて、背もたれに寄りかかった。
「……疲れた」
静かな声だった。
いつもの高飛車な響きが、その一言からは抜けていた。
リュミアが水を持ってきた。
アリアが受け取って、一口だけ飲んだ。
ビトルが治具を片付けながら、アリアの方を見た。
「アリアさん」
「何よ」
「今日、かっこよかったです」
直球だった。
計算も迂回もなかった。
アリアが水の杯を持ったまま、固まった。
「……は?」
「四時間、ずっと集中していて。疲れた顔が全然なくて。……本当に」
アリアの頬に、じわりと色が出た。
「な、なに突然言ってるの」
「本当のことです」
「……あなたって、急に変なことを言うわよね」
「変ですか」
「変よ!」
ビトルが首を傾けた。
「変なことを言いましたか、僕」
「……言った」
「そうですか。でも、本当のことなので」
アリアが横を向いた。
耳の端が赤かった。
「……仕事の話をしなさいよ」
「明日の組み立てですか。段取りはもう決まっています。朝から始めれば昼には」
「そう」
「アリアさんは朝、何時に来られますか」
「……早く来ればいいんでしょう」
「早い方が助かります。一緒に確認したいことがあって」
「分かったわよ」
アリアが立ち上がった。
リュミアが遠くから、静かにガッツポーズをした。
智也がリュミアの方を見た。
リュミアが素知らぬ顔で窓の外を見た。
◇◇◇
刻み終わった純化魔石。
表面に、細い線が網目状に走っている。
一本ずつは見えないほど細い。
だが全体として、何か複雑な模様を成している。
グレンが石を手に取った。
裏返した。
また表に戻した。
「……これが、命令か」
「そうだ」
「何が書いてある」
「取れ。移せ。比べよ。跳べ。百十七個、それだけだ」
グレンが石を台に置いた。
「それだけで動くのか」
「それだけで動く」
「アリアが四時間かけて線を刻んだ。これが、ゴーレムの脳みそになる」
「コアになる」
「コア。……私のマナが、何かを動かす」
「明日、確認する」
アリアが窓の外を見た。
夜が来ていた。
「……明日か」
4.骨と、格子と、コア
アリアが帰った後、智也は工房へ向かった。
廊下の灯りが落ちていた。
扉を開けると、窓から月明かりが差し込んでいた。
作業台の上に骨格が置いてあった。
グレンが仕上げた、腕一本分の金属フレームだ。
誰もいなかった。
ただ、骨格だけがあった。
内部の管が、月明かりを受けて鈍く光っている。
血管のように走る細い流路が、端から端まで一本も途切れていない。
隣の台に、センサー受容体が置いてあった。
リックが組み上げた、脈晶石の格子だ。
智也は格子の端に指を触れた。
工具の跡が一つもない。
どこを触っても、なめらかだった。
(……全部、揃った)
智也は骨格を手に取らなかった。
ただ、見た。
グレンの骨格がある。
リックの格子がある。
明日、アリアのコアがここに組み込まれる。
(……明日、動かす)
窓の外に、王都の灯りが並んでいた。
その灯りの一つ一つの下で、誰かが眠っている夜だった。
その誰かのために作っているものだと、智也は思った。
【読者の皆様へ】
最後まで読んでいただき、心より感謝申し上げます。
日常の忙しさの中で、数分でもこのファンタジーの世界を楽しんでいただき、現実から離れてリラックスできる一助となれば幸いです。




