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第192話《命令の列》一ゴーレム命令セット一

1.二日、間に合った

 

一ヶ月後の会議は、前回より部屋が明るく見えた。

 

同じ部屋で、同じ顔ぶれが集まっているのに、光の質が違っていた。

 

ヴォル文官が書類を開いた。

 

「報告します。規格化住宅と新長屋の完工棟数、合計で二百三十一棟。当初目標の九割を、超えました」

 

「梅雨入りには」

 

「二日前に間に合いました」

 

(……間に合った)

 

窓の外では、朝から雨が降っていた。

 

その雨が、今、二百三十一棟の屋根を打っていた。

 

「台帳の照合件数は、先月比で三倍になりました。副台帳の稼働が効いています。同じ名前でも、表記が違うと繋がらなかったものが、今は繋がります。今月だけで三百十二件の家族が、再会しました」

 

ヴォルが書類をめくった。

 

「衛生面は、ライラ殿の指揮のもと、感染症の新規発生数が三週間連続で減少しています。予断は許しませんが、最悪期は越えたと判断しています」

 

報告が終わった。

 

ヴォルが書類を静かに閉じた。

 

それから、少しの間だけ、机の上を見た。

 

「……智也殿」

 

「はい」

 

ヴォルが頭を下げた。

 

六十近い、疲労を刻んだ顔が、机に向かって下がった。

 

何も言わなかった。

 

ただ、深く、長く、下げていた。

 

智也は、頭を下げ返した。

 

ヴォルが顔を上げた。

 

いつもと同じ、表情のない文官の顔に戻っていた。

 

「次の課題ですが」と続けた。

 

そのまま次の書類に移した。

 

書類は、机の端にいくつも積まれていた。

 

(……仕組みが動き始めると、解くべき問題が、列を作る)

 

 


2.禁書庫の、読めない命令

 

午後、智也は書類の山を一旦机に置いた。

 

ヴォルの頭の下げ方が、まだ視界の端に残っていた。

 

切り替えるためにも、禁書庫に行く必要があった。

 

制御核の解析の進捗を、デネブとカイルに聞くためだった。

 

扉を開けた瞬間、リュミアが智也の前に立った。

 

「……待って」

 

「どうした」

 

「見ないほうがいい」

 

「何が」

 

「デネブさんが、今ちょうど」

 

禁書庫の中を見た。

 

机の上に、人間の女性が座っていた。

 

黒い長髪が机に広がっている。

 

肩から大きな布を一枚、慌てて巻きつけたところらしい。

 

布の端を片手で押さえながら、もう片方の手で頭を抱えていた。

 

(……人間の姿のデネブだ。さっきまで別の姿だったのが、急に切り替わったらしい)

 

カイル教授が、山積みの資料の向こうから顔を出した。

 

「ああ、智也くん。来たか。タイミングが……すまない。三分前まで猫だったんだ」

 

「服は」

 

「猫の時には要らないからね。人間に戻った瞬間に必要になる。毎度、間に合わない」

 

「先生も慣れているんですか」

 

「慣れていない。三十年経っても慣れていない」

 

デネブが顔を上げた。

 

猫のような目が、眠そうに細まっている。

 

「……智也かい。早かったねえ」

 

「服は」

 

「これで勘弁してくれ。布を取りに行く余裕がないんだよ」

 

そう言って、布の端を一回しっかり巻き直した。

 

リュミアが智也の前で腕を組んだまま、デネブの方を見ていた。

 

視線が動かない。

 

(……リュミアが静かに怒っている)

 

智也は天井の方に視線を逃した。

 

本棚の上の埃が、夕方の光に照らされていた。

 

(……どこを見ていいのか分からない)

 

(こっちに非はないはずなのに、リュミアの視線が突き刺さってくる)

 

(カイル先生はもう諦めて資料を整理している)

 

デネブが布の合わせ目を直しながら言った。

 

「智也、目を逸らさなくていいよ。私は気にしないんだから」

 

「気にしてるのは俺の方だ」

 

「ふふ。融通が利かないねえ」

 

リュミアの腕が、わずかに動いた。

 

デネブが気づいて、もう一枚、机の上の布を肩に重ねた。

 

「これで勘弁しな」

 

リュミアの肩が、ほんの少し下がった。

 

「智也、資料は揃ってるよ。見な」

 

机の上には、一か月分の解析記録が積み重なっていた。

 

(……ようやく、本題に入れる)

 

「どこで詰まっているんだ」

 

「制御核さ。二週間、読めていないんだ」

 

デネブが机に肘をついた。

 

「制御核というのは」と智也が聞いた。

 

「設計図の中で、機構に命令を出す部品のことだよ。動力源とは別に、いつ動けって、どっちに曲がれって、指示を出す箱があるんだ」

 

「設計図の機械部分は全部読んだ。動力の伝達経路、関節の構造、重心の設計。全部、現代語に翻訳できた」

 

「ただ一点だけ」

 

「制御核に書かれた記号列だけが、読めない」

 

カイルが補足した。

 

「古代語の知識を総動員しました。しかしこの記号列は、どの魔法陣の文法体系にも属さない。円形に展開しても、放射状に読んでも、意味をなさないんです」

 

智也が資料を受け取った。

 

記号の羅列が、紙面を埋めている。

 

(……見たことがある)

 


 

3.読み方が、違う

 

(……どこで見た)

 

二進法の扉。

 

遺跡の扉に刻まれていたパネルの記号。

 

世界の管理座で見た文字列の流れ。

 

(……全部、一方向に流れていた。上から下に。一本の線として読んだ。円じゃない。戻らない。一つ終わったら、次へ進む)

 

「デネブ、一つ聞いていいか」

 

「何だい」

 

「魔法陣は何を定義するものだ」

 

「状態の定義だよ。この陣を展開すれば、この結果になる。原因と結果の対応関係を書いたものさ」

 

「これは、結果を書いていない」

 

デネブの目が細まった。

 

「どういう意味だい」

 

「手順を書いている」

 

「手順」

 

「何をするか、じゃなく、何をどの順番でするか」

 

リュミアが資料の端を覗き込んだ。

 

「順番、って」

 

智也は、少しの間、言葉を探した。

 

「料理で例えると、魔法陣は『完成した皿』を描いた絵だ。一度展開すれば、全部が同時に出来上がっている」

 

「これは、塩を入れる、混ぜる、火にかける、と一つずつ順番に書いた手順書だ」

 

「……手順書、ってこと?」

 

「そうだ」

 

カイルが、ゆっくりと立ち上がった。

 

「……それは」

 

智也は資料を指した。

 

「魔法陣じゃない。命令の列だ」

 

部屋が静かになった。

 

デネブが資料を引き寄せた。

 

記号の頭に視線を置いた。

 

一行ずつ、上から下に追っていく。

 

十数行進んだところで、指が止まった。

 

「……ここだね」

 

「何だ」

 

「条件が書いてある」

 

デネブが、しばらく記号を見比べた。

 

「もしAならBへ進め。そうでなければCへ跳べ……そう読むのかい、これは」

 

「条件分岐だ」

 

デネブが、さらに視線を下に動かした。

 

別の塊で、また指が止まった。

 

「……ここは、同じ記号の塊が繰り返している。繰り返しか、これは」

 

「そうだ。同じ命令を、条件が変わるまで繰り返す」

 

デネブが資料から顔を上げた。

 

「……これは、魔法じゃない」

 

「そうだ」

 

(……古代の設計者たちは、魔法を計算に使っていた)

 

(ゴーレムは動く彫刻じゃない。動く演算機コンピュータだ)

 

 

 

4.同じ言語

 

扉が開いて、ビトルが入ってきた。

 

「呼ばれて来ました」と短く言って、机に近づいた。

 

資料の山を一目見て、目の色が変わった。

 

カイルが古代語の辞書を広げた。

 

各記号の意味を、智也の解釈と照合していく。

 

「これは『取れ』という動詞に当たります。動作の対象を引き込む」

 

「現代で言えば、取り込み命令(LOAD)だ。マナを指定した場所から引き込む」

 

「これは『移せ』」

 

「移送命令(MOV)。引き込んだマナを、指定した関節部に送る」

 

「これは『比べよ』」

 

「比較命令(CMP)。今の状態と目標の状態を照合する。差があれば次の命令に渡す」

 

「これは『跳べ』」

 

「分岐命令(JMP)。条件が満たされていなければ、指定した命令まで飛ぶ」

 

カイルの手が止まらなかった。

 

書き留める速度が上がっていた。

 

ビトルが横で、命令の塊を分類し始めていた。

 

「智也さん。命令の総数、百を超えています」

 

「内訳は」

 

「動作命令は半分未満。残りは全部、想定外の事態への命令です」

 

「……エラー処理だ」

 

「エラー処理」

 

ビトルが頷いて、書き留めた。

 

(……古代の設計者たちも、バグを恐れていた)

 

(機械が誤動作したとき、壊れないように、安全に止まれるように、半数以上の命令を用意していた)

 

デネブが翻訳された命令一覧を見ていた。

 

長い間、動かなかった。

 

「……二進法の扉も。世界の管理座も。このゴーレムの制御核も」

 

「全部、同じ文法で書かれているね」

 

「そうだ」

 

「古代の設計者たちが作ったものは、全部、同じ言語で動いているんだよ」

 

(……俺たちは今、同じ言語を話している)

 

(時代が違う。場所が違う。顔も名前も知らない)

 

(でも同じ言語で、同じものを作ろうとしていた)

 

リュミアが智也の横に立った。

 

「すごいの、これ」

 

「すごい」

 

「どれくらい」

 

「ゴーレムが、なぜ動くのかが、初めて言葉になった。それくらい」

 

リュミアが頷いた。

 

「次は、どうする」

 

デネブが資料を一枚取り上げた。

 

「次の問題は、この命令を新しい制御核に書き込む方法だね。読めた。だがまだ書けない」

 

「……じゃあ、やるか」

 

智也が言うつもりだった言葉を、デネブが先に言った。

 

「そのセリフ、俺のだ」

 

デネブが薄く笑った。

 

「先に言ったもの勝ちだよ」

 

智也が少し笑った。

 

「……じゃあ、やるか」

 

今度は智也が言った。

 

デネブも頷いた。

 

 

 

夕方、ビトルが追加の解析を続けながら声を上げた。

 

「智也さん」

 

「何だ」

 

「エラー処理の命令を全部読んでいたんですが、一つだけ他と違うものがあります」

 

「どう違う」

 

「他のエラー処理は全部、『待機に戻れ』か『動作を止めろ』です。でもこの一つだけ……」

 

ビトルが指さした。

 

「『外部の管理者を呼べ』と書いてあります」

 

部屋が静まった。

 

(……外部の管理者)

 

(ゴーレムは、どうしようもない状況になったとき、誰かを呼ぶように設計されていた)

 

(それは、誰を想定していたんだ)

 

窓の外で、雨がまだ降っていた。

 

朝から続いている、梅雨の雨だった。

 

二百三十一棟の屋根が、その雨を受け止めていた。

 

そして禁書庫の机の上には、千年前の設計者が書いた命令が、翻訳されて並んでいた。

 

「外部の管理者」という言葉が、紙の上で静かに光っていた。


【読者の皆様へ】

最後まで読んでいただき、心より感謝申し上げます。

日常の忙しさの中で、数分でもこのファンタジーの世界を楽しんでいただき、現実から離れてリラックスできる一助となれば幸いです。


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