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第190話《瓦礫はまだ、家を知っている》一引き魔石一

1.長屋

 

朝、ヴォル文官が眉間にしわを寄せて研究室に入ってきた。

 

普段から疲労の跡はあるが、今朝のしわは別の種類のものに見えた。

 

「智也殿、急ぎご相談したい件があります」

 

「どうぞ」

 

ヴォルが書類を机に広げた。

 

「今朝、王都外縁部の旧長屋区域で、壁が一棟分崩れました」

 

「死者は」

 

「出ていません。ただ、住人が下敷きになり、二人が骨折しています。隣の棟も傾いており、いつ崩れてもおかしくない状態です」

 

(……戦前から老朽化していた区域だ)

 

(戦後で避難民が一斉に流入して、空き家を埋めた)

 

「該当区域は」

 

「西外環の長屋通り。戦前から朽ちかけていた木造の長屋が二百棟ほど並んでいます。今は避難民が住み着き、一棟あたり三家族から四家族が暮らしている状態です」

 

「規格化住宅への移住は」

 

「呼びかけました。しかし行き場所がない、と」

 

「規格化住宅はまだ全員分が建っていません」

 

ヴォルが続けた。

 

「家賃が払えない者は、規格化住宅にも入れません。あちらは仮の入居ですが、所定の登録と保証人が必要です」

 

(……制度が、住める人と住めない人を分けている)

 

(崩れかけた長屋が、行き場のない人間の唯一の屋根になっている)

 

智也は書類を一通り読み終えた。

 

「現場を見に行きます」

 

「同行します」

 

リュミアが扉のところに立っていた。

 

「私も行く」

 

ヴォルが少し頭を下げた。

 

「ありがとうございます」

 

 

 

2.三つの結び目

 

西外環の長屋通りは、王都の城壁を出てすぐの斜面に広がっていた。

 

木造の二階建てが、肩を寄せ合うように建っている。

 

壁が外側に膨らんで、隣の壁にもたれている長屋がいくつもあった。

 

(……あの傾きは、もう自重を支えていない)

 

(隣の長屋の壁が、互いを支え合う形で、かろうじて立っている)

 

(一棟が抜けたら、連鎖して崩れる)

 

通りの真ん中で、子供が二人、地面に絵を描いて遊んでいた。

 

リュミアが立ち止まって、絵を見た。

 

「何描いてるの」

 

「家」

 

小さい方の子が、地面の丸を指で示した。

 

「丸い家」

 

リュミアが少し笑って、智也の方を見た。

 

笑顔の意味が、智也にも分かった。

 

(……あの子の家は、たぶん今、頭の上で傾いている長屋だ)

 

(それを子供は、丸い家として描いている)

 

崩れた長屋の前まで来た。

 

壁が一面、外側に倒れていた。

 

中の様子が丸見えになっている。

 

布団、鍋、小さな箱。

 

誰かがそこで暮らしていた跡が、無遠慮に並んでいた。

 

家主と思われる中年の男が現場に来ていた。

 

ヴォルが智也を紹介すると、男はあからさまに警戒した顔をした。

 

「ここを取り壊せ、ということだろう」

 

「危険な状態です。残しておけば次の死人が出ます」

 

「分かっている。だが、ここに住む者の行き先は」

 

「規格化住宅に空きを作ります」

 

「いつだ。次の崩落までに間に合うのか」

 

ヴォルが答えに詰まった。

 

智也は黙って、崩れた壁の断面を見ていた。

 

(……壁を構成しているのは古い木材と、その間に詰めた土と石だ)

 

(土と石は使い回せる。木は腐っている部分が多いが、芯はまだ使える)

 

(このまま捨てるのは、もったいない)

 

家主が智也の方を見た。

 

「あんた、何を考えている」

 

「三つの問題が繋がっています」

 

「三つ」

 

「一つ目、住人が動けない。行き先がないから。二つ目、解体しても瓦礫の処分先がない。捨て場が遠く、運搬費が高い。三つ目、新しい長屋を建てるにも建材費が嵩む」

 

「その通りだ」

 

「これは別々の問題に見えますが、一つの結び目です」

 

「どういう意味だ」

 

「瓦礫を新しい長屋の建材に変えれば、二と三が同時に解けます。建材費が下がれば、新しい長屋を安く速く建てられます。建つ場所ができれば、住人を動かせます」

 

家主が、しばらく智也を見ていた。

 

「……瓦礫を、建材に」

 

「そうです」

 

「土と石はともかく、木は腐っている。建材にはならん」

 

「木は燃料に回します。土と石が建材になります」

 

ヴォルが横で書き留め始めた。

 

家主はまだ警戒を解いていなかった。

 

「言うのは簡単だ。実際にできるのか」

 

「やってみないと分かりません。ただ、やる価値はあります」

 

(……問題が三つあったら、三つ別々に解くより、根を一つにまとめてから解いた方が早い)

 

(仕組み(システム)の設計は、結び目を見つけることから始まる)

 

 

 

3.引き魔石と、大槌

 

工房に戻って、ビトルを呼んだ。

 

青年は今日も計算用の板を抱えて現れた。

 

「智也さん、お呼びですか」

 

「引き魔石、王都にあるか」

 

「あります。最近はあまり使われていませんが」

 

「どういう性質だ」

 

「鉄に反応します。距離があれば微弱ですが、近づけると吸い寄せる力を持ちます。古くは鎧の修理で、折れた針を抜くのに使われていました」

 

(……磁石と同じ性質だ。だが反応する金属の種類が現代の磁石より広い)

 

「これを杭の先に取り付けて、瓦礫の中の金属片を引き出したい」

 

「できます。先端を球形にすれば、引き寄せた金属がそこに集まります」

 

「設計してくれ。三日で十本欲しい」

 

「分かりました」

 

ビトルが計算を始めた。

 

グレンが横で「金属だけ抜けても、石は残るぞ」と言った。

 

「石は砕いて骨材にする。粒の大きさを揃えれば、スラグ複合材の中で骨格として働く」

 

「砕くのは、誰がやる」

 

「ドルグだ」

 

グレンが頷いた。

 

土竜人族モグラ・ピープルのドルグは、大槌だいつい一振りで一立米の岩を粉砕する怪力を持つ。

 

鉄道のトンネル工事で名を上げた一族の長で、智也とは旧知の仲だった。

 

 

翌朝、長屋通りの解体作業が始まった。

 

最初の一棟は、すでに崩れている例の棟だった。

 

家主が立会人として現場に来ていた。

 

ヴォルが住人を仮設テントに移動させた後、智也がドルグに合図を送った。

 

「やってくれ」

 

ドルグが大槌を肩に担ぎ直した。

 

身長は人間の倍近い。

 

腕は人の胴ほどある。

 

だが動きは、見た目に反して静かだった。

 

槌が壁の根元に当たった。

 

低い音だった。

 

木と土と石の混合物が、ゆっくりと、計算された角度で崩れていった。

 

(……あの一振りで、壁の重心が外れた)

 

(家主が住人を出した後でなければ、絶対にできない作業だ)

 

ドルグは丁寧だった。

 

人が住んでいた場所を、乱暴に壊さなかった。

 

崩した瓦礫の山に、ビトルの設計した引き魔石棒を持った職人たちが近づいた。

 

棒を瓦礫に近づけると、釘や金具や鋸の刃が、ぴたりと吸い付いた。

 

別の職人が、吸い付いた金属を箱に落とす。

 

箱がすぐに満杯になった。

 

(……一棟分でこの量か。長屋通り全体で、相当な金属が回収できる)

 

(家具の金具、鎧の修理跡、戦中に応急で使った釘、全部が宝の山だ)

 

金属を抜いた後の瓦礫を、ドルグが大槌で砕いた。

 

土と石を分けるための仕切りに、ふるいを設置してあった。

 

細かい土はそのまま、粒の揃った石は骨材として、別々の山に積まれていく。

 

木材は腐った部分を切り落として、燃料用と再利用可能な梁とに分けた。

 

夕方には、一棟分の瓦礫が、三つの整然とした山に分かれていた。

 

家主が、無言で山を見ていた。

 

 

 

4.同じ場所に、新しい壁

 

分別した骨材を、スラグ複合材の配合に投入した。

 

(……粒度が揃った骨材は、複合材の強度を上げる)

 

(廃棄スラグも、廃材骨材も、捨てるものが何もない)

 

新しい長屋の設計を引き直した。

 

規格化住宅とは別の形式で、長屋特有の壁共有構造を活かす。

 

スラグ複合材の壁は重いが、長屋なら隣同士で支え合えるため、構造的に有利だった。

 

建設は、解体と並行で進めた。

 

一棟解体する間に、半棟分の骨材が出る。

 

二棟解体すれば、一棟分の新しい長屋が建つ計算になった。

 

住人は仮設テントを経由して、新しい長屋に順次入っていく。

 

 

五日後、最初の新長屋が完成した。

 

入居の朝、例の家主が智也のところに来た。

 

「あんたに言うことがある」

 

「何でしょう」

 

「最初に取り壊した棟、覚えているか」

 

「はい」

 

「あそこに、十二年住んでいた老夫婦がいる。今朝、新しい長屋に入った」

 

家主が、続けるのに少し間が空いた。

 

「奥さんが、壁を撫でた」

 

「……」

 

「『同じ場所に、新しい家があって、不思議だ』と」

 

家主はそれだけ言うと、踵を返して去っていった。

 

リュミアが智也の隣に立った。

 

「あの壁、おばあさんが昔住んでいた壁の、石の粒が入ってる」

 

「そうだ」

 

「分からないと思うけど、入ってる」

 

「うん」

 

「私はそういうの、好き」

 

智也は答えなかった。

 

ただ、新しい長屋の白く乾いた壁を、しばらく見ていた。

 

5.デネブからの覚書

 

夜、研究室に戻ると、机の上にデネブからの短い覚書があった。

 

「ゴーレムの動力部の解析、図面の九割を読めた。残りは『純化魔石コア』の製法だけだ。これが最大の壁になる」

 

(……純化魔石。通常魔石の五倍の密度)

 

(圧縮と熱が要る。人工で出せる圧力じゃない)

 

ドルグの大槌の音が、頭の中に残っていた。

 

(……あの一振りでも、岩を粉砕するだけだ。魔石を密度五倍に圧縮するには、地球そのものの圧力が要る)

 

(地球そのものの圧力)

 

(地脈は、地球の中で圧力を持っている)

 

机の上のメモに、智也は一行だけ書いた。

 

「フィアレル、地脈ポイントの圧力を計測する」

 

窓の外、長屋通りの方向に、新しい灯りがいくつか並んで見えた。

 

それぞれの窓に、人がいるはずだった。

 

それぞれの壁に、誰かの古い家の石の粒が、混じっているはずだった。


【読者の皆様へ】

最後まで読んでいただき、心より感謝申し上げます。

日常の忙しさの中で、数分でもこのファンタジーの世界を楽しんでいただき、現実から離れてリラックスできる一助となれば幸いです。

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