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188/202

第188話《老職人の手と、届いた名前》一フィラー材一

1.試作一号、試作二号

 

第二棟と第三棟の骨組みが、昨日より速いペースで立ち上がっていた。

 

智也は工程表に小さく印をつけながら、現場を見渡した。

 

言葉が少なくても手が止まらない。

 

役割が固まった現場は、こういう動き方をする。

 

そこへ、重い足音が砂利を踏んだ。

 

グスタフ翁だ。

 

誰も呼んでいない。

 

白髪を短く刈り込んだ老職人が、ゆっくりと工房エリアに入ってきた。

 

何も言わずに、第二棟の屋根と壁の接合部を眺め始めた。

 

近づいて、指先で継ぎ目に触れる。

 

「屋根と壁の継ぎ目だ」

 

「はい」

 

「このままでは、梅雨が来たら水が入る。特に北向きの面」

 

智也はその継ぎ目を見た。

 

確かに微細な隙間がある。

 

コーキング材を後から塗って塞ぐことはできるが、四万人分の住居すべてに対応するには量が足りない。

 

それに後から塗る材料は剥がれる。

 

「塗る材料で対処するのではなくて」と智也は言った。

 

「接合する材料そのものを、最初から防水にできないか」

 

グスタフ翁が視線を向けた。

 

「……そういう発想か」

 

一言だけ言って、また継ぎ目を見た。

 

智也はシルヴァとミエルを呼んだ。

 

「蚕糸と蜜蝋と、木樹脂。この三つを合わせて試す」

 

ミエルが小さな鍋に蜜蝋を溶かし始めた。

 

蚕糸を混ぜ込んで、木樹脂を加える。

 

板に塗って乾燥させた。

 

一時間後、表面にひびが走っていた。

 

「割れる。失敗だ」

 

ビトルが腕を組んだ。

 

「蚕糸を短く刻んで混ぜ込んだ方がいいと思う。繊維がまとまったまま入ってるせいで、乾く時に偏るんじゃないかな」

 

「それなら、蜜蝋の比率も落として木樹脂を増やそう」と智也が引き取った。

 

「もう一度やってみる」

 

蚕糸を短く刻んだ。

 

繊維の向きをばらばらにして全体に散らす。

 

木樹脂の量を前回より増やした。

 

同じように板に塗って、乾燥を待った。

 

グスタフ翁が、板の端に腰を下ろして待っていた。

 

(……考えると言って、来た。それだけのことだが、それが重かった)

 

乾燥が終わった。

 

智也が板を持ち上げた。

 

表面に水をかけた。

 

端まで流れたが、一か所だけ、わずかに染みが広がった。

 

「まだ入ってる」とビトルが言った。

 

二度目の失敗だった。

 

智也は板を裏返して、染みた場所を見た。

 

(……木樹脂の配合を変えても、根本的な課題が変わっていない。蜜蝋単体は硬化するときに収縮する。繊維を刻んで散らしても、収縮の引力に対して繊維が短すぎれば同じことになる)

 

どこから見直すか、考え始めた時だった。

 

足音がした。

 

グスタフ翁が立ち上がって、作業台に近づいてきた。

 

何も言わなかった。

 

腰の袋から、小さな革袋を取り出した。

 

開けると、細かい灰色の粉が入っていた。

 

石粉だった。

 

「鍋」

 

シルヴァが鍋を差し出した。

 

グスタフ翁が蜜蝋を火にかけて、自分の手で温度を確かめた。

 

熱くなりすぎる手前で火から外す。

 

そこへ石粉を少量加えて、木へらで静かにかき混ぜた。

 

「石粉を混ぜると?」と智也は聞いた。

 

「硬化するとき、石が骨になる。収縮を受け止める」

 

(……フィラー材の発想だ)

 

(樹脂に石粉を混ぜて熱膨張・収縮を抑える。現代でいえば複合材料の基本原理だが、グスタフさんはそれを経験から知っている)

 

「ビトル、刻んだ蚕糸をその中に混ぜてみてくれ。繊維を少し長めに残して」

 

「長め、どのくらい」

 

「一セント。繊維が橋渡しになるくらいの長さ」

 

「木樹脂は、今回は入れない。石が骨になるなら、樹脂で粘りを足す必要がない」

 

グスタフ翁が、温度を維持しながらかき混ぜ続けた。

 

石粉と蚕糸繊維が蜜蝋の中に均一に散った。

 

それを板に塗った。

 

今度は乾燥が早かった。

 

三十分後、智也が水をかけた。

 

弾いた。

 

染みない。

 

端まで流れて、落ちた。

 

ビトルが両手を合わせた。

 

シルヴァとミエルが顔を見合わせた。

 

グスタフ翁が板に近づいた。

 

指で触れる。

 

板の端を押して、たわみを確かめる。

 

しばらく黙っていた。

 

「悪くない」

 

老職人が言った。

 

それだけだった。

 

(……「悪くない」の前の、あの沈黙が長いほど、重くなる)

 

シルヴァの肩が、わずかに上がった。

 

ミエルが小さく息を吐いた。

 

ビトルが「やった」と言いかけて、グスタフ翁の横顔を見て、声をのんだ。

 

場が静かなまま、確かに動いた。




2.コモンスからの返事

 

昼過ぎ、台帳センターから知らせが来た。

 

コモンス王都の台帳管理局から、郵便が届いている、と。

 

リュミアは走った。

 

封を切って、紙を広げた。

 

最初に目に入ったのは書類番号と日付。

 

その下に、照合対象の名前があった。

 

「スナル・ゲルタン家 息子——」

 

次の行を読む前に、一瞬だけ息が止まった。

 

「照合完了。所在確認。」

 

リュミアは、紙を折らずに持ったまま走った。

 

テントの布が昼の風に揺れていた。

 

「スナルさん」

 

老婦人が出てきた。

 

その横に、年老いた旦那さんも顔を見せた。

 

「コモンスから、返事が来ました」

 

老婦人が紙を受け取った。

 

旦那さんが横から覗き込んだ。

 

「息子さん、コモンスの別のキャンプにいます」

 

「歩いて、行ける場所です」

 

老婦人が、紙をじっと見た。

 

読んでいるのか、ただ見つめているのか、リュミアには分からなかった。

 

テントの外のどこかで、子供の笑い声が聞こえた。

 

しばらく経って、老婦人の目から涙がこぼれた。

 

「……生きていた」

 

声が震えていた。

 

旦那さんが、妻の手を両手で包んだ。

 

二人は、何も言わなかった。

 

老婦人がゆっくり、旦那さんの手を握り返した。

 

リュミアが、声を出さずに泣いた。

 

手の中で、紙の端が湿っていた。



 

3.灯りが増える夜、もう一通の名前

 

夕方、智也とリュミアが工房の外で並んで座った。

 

キャンプに灯りが入り始めていた。

 

近いテントから順に、一つ、また一つ。

 

「今日、スナルさんに返事が届いた」とリュミアが言った。

 

「聞いた」

 

「泣いてしまった」

 

「それでいい」

 

リュミアが両手を膝の上で組んだ。

 

手の甲がまだ少し赤かった。

 

紙を握りしめたまま走った跡だった。

 

「トモヤは、泣かなかった?」

 

「……泣かなかった。でも、良かったと思ってる」

 

リュミアが少し黙った。

 

「明日、隣のテントの人にも声をかけてみる」

 

「同じように、紙を抱えている人がいるかもしれないから」

 

「待っているだけじゃ、見つけられない」

 

智也が、リュミアの横顔を見た。

 

「行ってみてくれ」

 

「私が動いたら、トモヤの仕組みが、もっと届く」

 

「届く」

 

それだけ言った。

 

二人はしばらく、灯りが増えていくキャンプを見ていた。

 

灯りの数は、テントの数の半分にも満たなかった。

 

そこへ、砂利の上に重い足音がした。

 

グスタフ翁が来た。

 

老職人は智也の前に立って、短く言った。

 

「うちの若いのを連れてくる。いいか」

 

「ぜひ」

 

「腕はある。口は悪い」

 

「……承知しました」

 

グスタフ翁が、それだけで踵を返した。

 

夜の中に歩いていった。

 

智也は、その背中が砂利の音とともに遠ざかるのを聞いていた。

 

(……防水材が一つできた。返事が一通、届いた)

 

(だが、住居はまだ第三棟までだ。コモンス以外の領との照合は、まだ始まっていない)

 

(届いていない名前の方が、ずっと多い)

 

灯りが、また一つ増えた。

 

 


【読者の皆様へ】

最後まで読んでいただき、心より感謝申し上げます。

日常の忙しさの中で、数分でもこのファンタジーの世界を楽しんでいただき、現実から離れてリラックスできる一助となれば幸いです。



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