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第187話《復興局実務者会議》一規格化住宅と避難民台帳一

1.台帳と、二枚の紙

 

朝、研究室に智也一人がいた。

 

机の上に、二枚の紙が並んでいる。

 

昨夜引き始めた「規格化住宅、第一稿」と「復興調整、第一稿」だ。

 

図面は少しずつ形になっていた。

 

扉が開いた。

 

リュミアが、顔を覗かせた。

 

「もう起きてたの」

 

「早く目が覚めた」

 

「嘘、絶対眠れてた」

 

智也は何も言わなかった。

 

リュミアが机の横に立って、紙を覗き込んだ。

 

「これが、台帳の書式?」

 

「そうだ。今日から全領で使ってもらう」

 

リュミアが一枚を手に取った。

 

「私、今日また行く。あのお婆さんのところ」

 

「持っていってくれ。名前と、連絡したい相手の領と名前を書いてもらえれば、照合できる」

 

「分かった」

 

リュミアが紙を丁寧に折った。

 

二人で、少し早い朝食を食べた。

 

 

 

2.実務会議、三十年の付き合い

 

ヴォルが口を開いた。

 

「お忙しい中、お集まりいただきありがとうございます。本日、提案をお持ちいただいた方を、まず紹介させてください」

 

「アイゼル砦の防衛を設計し、魔道列車を敷き、この国の工学を変えてきた方です。王立工学研究所の高瀬智也殿です」

 

室内がざわめいた。

 

二、三人が入口の方を見た。

 

「……あの高瀬殿が」と誰かが呟いた。

 

背筋を伸ばす者がいた。

 

智也は手順書を配り始めた。

 

(……やめてほしい、この感じ)

 

配りながら、五つの解決策を説明した。

 

一つ目、全領が同じ書式で報告する仕組み。二つ目、物資と人材の交換の仲介。三つ目、義肢工房の各領分散。四つ目、家族の再会登録の一本化。五つ目、医療移送の基準策定。

 

室内は静かだった。

 

担当者たちが手順書に目を落としている。

 

フィアレル領の担当者が、遠慮がちに手を上げた。

 

「高瀬殿、おっしゃることは、よく分かります。理屈は正しい」

 

「ただ、正直に申し上げると、今の現場には何一つ余裕がありません」

 

「避難民の対応、農地の回復、インフラの修復。全部が同時に来ています。書式の変更を今やれと言われたら、何かが壊れます」

 

智也が答えようとした時、議室の端から声がした。

 

「一つ聞く」

 

低い声だった。

 

議室の端に、腕を組んで座っている老人がいた。

 

商工ギルド連合の大老、グスタフだ。

 

戦前から王都の工法を守ってきた職人の親玉で、言葉は少ないが、一度決めたら動かない。先の大戦で長男を失っていた。

 

「規格化住宅とは何だ。職人が一軒ずつ設計して建てるのが、王都の千年の工法だ。それを組み立て作業に変えるとは、職人への侮辱ではないか」

 

静かなどよめきが広がった。

 

反対というより、賛同というより、みんなが疲れているのだ、と智也は感じた。

 

「そうなんです、高瀬殿」とスランの担当者が言った。

 

「毎日、上から何かが降ってきます。補修、配給、医療、輸送。今度は書式の変更、今度は工法の変更。現場はもう、変えることに疲れています」

 

コモンスの担当者が続けた。

 

「高瀬殿の仕組みは分かります。ただ、今の私たちには、それを動かす力が残っていない」

 

智也は、答える言葉を探した。

 

論理で返せる。だが今、この部屋に必要なのは論理ではない気がした。

 

ヴォルが静かに立ち上がった。

 

「皆さんの話、よく分かります」

 

「動けない理由のある方たちが、それでもここに来てくださいました。それだけで十分です」

 

「一つだけ、聞かせてください」

 

「今のまま続けて、梅雨入りまでに間に合いますか」

 

部屋が静まった。

 

誰も、答えなかった。

 

それが答えだった。

 

「グスタフさん」

 

ヴォルが、大老の方を向いた。

 

「三十年前、あなたが材木組合を立て直した時のことを、私は覚えています」

 

グスタフ翁が、ヴォルを見た。

 

「あの時も、全員が反対しました。古いやり方を変えることへの抵抗でした。でもあなたは通した。誰も傷つけずに」

 

「……それは」

 

「今また、同じことをお願いしたいのです。智也殿の設計に、あなたの目を貸してください。欠点があれば直してほしい。それが、あなたにしかできない仕事です」

 

長い沈黙だった。

 

グスタフ翁が、ゆっくりと座り直した。

 

「分かった」

 

それだけだった。

 

会議が再開した。

 

担当者たちが、少しずつ手順書に向かい始めた。

 

智也は書類を見ながら、内心で呟いた。

 

(……俺が話しても動かせなかったものを、ヴォルさんは一言で動かした)

 

(仕組みを作るより、人を動かす方がずっと難しい)

 

 

 

3.換気の角度

 

午後、試作第一棟の組み立てが始まった。

 

ドルグが基礎を掘る。

 

フォルムが工程を管理する。

 

グレンが部材の精度を一枚ずつ確認する。

 

グスタフ翁が、少し離れた場所に立っていた。

 

誰も声をかけなかった。

 

組み立てが半分ほど進んだ時、智也が立ち止まった。

 

(……屋根の角度が合わない)

 

(この設計は王都の標準値で引いた。だがこのエリアは南からの風が強い)

 

(今の角度だと、夏に熱が溜まる)

 

グスタフ翁の隣に立っていた老い職人が、静かに口を開いた。

 

「この一角は夏の南風が強い。軒の角度を三分変えると、熱が抜ける」

 

智也は一拍置いた。

 

「ありがとうございます。その通りです」

 

図面を取り出して、その場で書き直した。

 

「智也、修正してしまっていいんだな」とグレンが確認した。

 

「はい。その方がいいです。グレンさん」と智也が笑顔で答えた。

 

グスタフ翁が、黙って見ていた。

 

夕方、第一棟が完成した。

 

待っていた家族が中に入っていった。

 

夫婦と、小さな子供だった。

 

子供が振り返った。

 

「お母さん、家があるよ」

 


 

4.始まらない返事

 

リュミアが戻ってきたのは、夕暮れ時だった。

 

「コモンスから、まだ返事がない」

 

顔は穏やかだったが、荷物を置いたまま椅子にも座らなかった。

 

「台帳に名前を書いてもらえた」

 

「旦那さんが隣で、妻の手元を見ていた。自分では字が書けないから、奥さんが代わりに書いていた」

 

「息子の名前を書く時、少し手が震えていた」

 

「書き終わった後で、担当の人が言っていた。書式の確認に時間がかかる、明日中には返事できるかどうか分からない、って」

 

「あのお婆さんに、どう伝えたんだ」

 

リュミアが、少し考えてから答えた。

 

「明日、また来るって」

 

「それだけか」

 

「それ以上言えなかった。確かなことは言えないから」

 

智也は答えなかった。

 

「あのお婆さんね」とリュミアが続けた。

 

「私が帰り際に振り返ったら、胸の紙を両手で持っていた」

 

「出発前の日に、旦那さんと二人で息子の名前と住所を書いたって」

 

「もしはぐれたら、これを見せれば誰かが助けてくれると思っていたって」

 

「でも三か月、誰も助けられなかった」

 

智也は、手元の図面を見た。

 

「俺の計算では、台帳が全領に届いて照合が始まれば、一日で分かるはずだった」

 

「でも今日は、この書式を全領が初めて使う日だった」

 

「明日も返事が来ないかもしれない」

 

リュミアが、智也を見た。

 

「分かってる」

 

「でも、明日も行く」

 

智也が顔を上げた。

 

「あのお婆さんが待っている場所が分かってる。私が行けば、一人じゃないって思えるから」

 

「返事が来るまで、毎日行く」

 

智也は、何も言えなかった。

 

(……仕組みが動くまでに時間がかかる)

 

(でも、その間も、リュミアは行く)

 

(俺が作れない部分を、君が埋めている)

 

 

 

5.扉の内側

 

建った第一棟の前に、グスタフ翁が立っていた。

 

ヴォルが横に来た。

 

二人はしばらく、扉を見ていた。

 

扉の内側から、子供の笑い声が聞こえていた。

 

「換気の角度を変えた件は、正解だった」とグスタフ翁が言った。

 

「あの技師(智也)は素直に聞いた。いい顔をしていた。」

 

「...明日も来てくれますか」とヴォルが問うた。

 

「考えておく」

 

グスタフ翁が、歩いていった。

 

智也は、少し離れた場所から、その後ろ姿を見ていた。

 

二人の会話は聞こえなかった。

 

何かが変わったことは、分かった。

 

【読者の皆様へ】

最後まで読んでいただき、心より感謝申し上げます。

日常の忙しさの中で、数分でもこのファンタジーの世界を楽しんでいただき、現実から離れてリラックスできる一助となれば幸いです。


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