第183話《甘い煮込みと暗闇の光》
1.甘い煮込み、少し違う夜
暁の盾を待つ数日間、王都は静かだった。
復興の工事は続いているが、緊急の案件はない。
ガルドが傷の経過を医師に診てもらい、ラナが王宮の補修作業を手伝い、デネブが魔法局で地脈の記録を整理した。
智也は設計帳を開いたり閉じたりしながら、次の手を考え続けた。
三日目の夕方、リュミアが食材を抱えて戻ってきた。
「スノウィ村の煮込みを作ろうと思って。だけど、あの薬草が王都では売ってなかった」
「何を使った」
「似た香りがしたやつを選んだ。でも若干、心配」
夕方、食堂に智也、ガルド、ラナが集まった。
リュミアが椀を並べていく。
全員が一口食べた。
しばらく、誰も何も言わなかった。
ガルドが言った。
「……甘いな」
リュミアが、少し俯いた。
「やっぱり。代わりに使った草が甘かったんだ。失敗した」
「いや、美味い」
「甘すぎるでしょ」
「甘いのも悪くない」
ガルドが、立ち上がって鍋の前に行った。
自分で二杯目をよそって、戻ってきた。
ラナが小さく笑った。
エルナが、そこへ小走りで入ってきた。
「わたしも混ぜて。数字ばかり見てたら頭が痛くなってきて」
「どうぞ」
エルナが椀を取って一口飲んだ。
「あまい」
「そう」
「でも、おいしい。えへへ」
全員が椀を空にした。
(……完璧じゃなくても、全部食べる)
(そういう夜がある)
リュミアが、空になった椀を一つ一つ集めながら、何かを言いかけて、やめた。
代わりに、少し微笑んだだけだった。
2.エルナとコルソン、そして四人の帰還
翌夜、廊下を歩いていると、研究室に明かりが見えた。
覗くと、エルナが机に突っ伏して眠っていた。
頬に計算用紙の跡がついている。
コルソンが隣に座って、自分の仕事を静かに続けていたようだったが、ふと顔を上げて、エルナに気づいた。
立ち上がって、上着を肩からかけた。
計算用紙を、そっと端に寄せた。
それだけをして、また座って仕事に戻った。
エルナの首元で、懐中時計の鎖が小さく揺れていた。
コルソンの胸にも、同じ意匠の鎖がある。
(……数字の悪魔の甥が、いちばん静かな仕事をしている)
智也は、廊下を戻った。
翌々日の午後、暁の盾の四名が王都に入った。
カールが、日焼けした顔で言った。
「遅くなった。北方は長引いた」
ニクスが革袋からチーズを出して渡してくれた。
「バランタイン領の山岳チーズ。保存がきく」
「助かる」
セレネが周囲を見回した。
「思ったより、みんな元気そうね。今度は何と戦うの?」
「南南東の遺跡。金属の扉がある」
「また金属ね」
ライラが、少し後ろに立ったままでいた。
普段より静かだった。
カールが小声で言った。
「北の魔物に、ライラがやられかけた場面があった。大丈夫だったが、引きずってる」
ライラが智也を見た。
「次の依頼、受ける。ただ、中に何がいるか、できる限り事前に教えてくれ」
「できる限り」
「それでいい」
3.北の情報、石の準備
その夜、食堂に全員が集まった。
北の話を聞きながら、手持ちのチーズと黒パンを食べた。
バランタイン領は馬の産地として有名だが、今回は別のものを見た。
「ペガサスが三頭いた」とセレネが言った。
「平地でペガサスは珍しい」
「そうなの。あの種は高標高の山にしかいないはずなんだけど。その辺り一帯、マナの濃度が高かった。地面も所々、温かかった。ペガサスはそういう場所を好むみたい」
「地上に塔のようなものは」
「なかった。ただ、地面を手で触れると、パドが言うような振動があった気がする」
(……地上に何もなく、地脈が強い場所)
(地下に何かある可能性がある)
「その座標は後で教えてくれ」
「ああ、ここだ」とニクスが手帳を出した。
話が終わると、自然に準備が始まった。
カールが抜刀して刃の状態を確認した。
ニクスが鎧の接合部を一か所ずつ締め直した。
セレネが、長い柄の金属製の武器を取り出して、重みと重心を確かめた。
ライラが矢を一本ずつ点検し、先端を布で磨いた。
誰も何も言わなかった。
準備の音だけが、静かな食堂に続いた。
(……全員が同じものを想定して、準備をしている)
(言葉にする必要がないほど、共有されている)
4.南南東への再出発、扉が変わった
翌朝、一行が南南東の崖へ向かった。
レオンが飛竜で先行し、上空からの監視を担う。
石段は、棒を向けると現れた。
暁の盾の四名が先に降り、智也たちがそれに続く。
回廊を進む。
ラナが試みに風魔法を放つと、音もなく吸収された。
「ここも、魔法が入りませんわ」
デネブが低く言った。
「マナがこの壁に集まっている。変わらない」
金属の扉が、前回と同じ場所に立っていた。
智也が棒を当てた。
前回は、扉の表面に光のパターンが走るまで数秒かかった。
今回は、ほぼ即座に走った。
(……前回より、反応が早い)
(権限が積み上がっている。梟人族の記録を受け取り、オベリスクに触れ、前任者の痕跡を確認してきた。カイルが言っていた条件が、実際に積み上がっているのかもしれない)
扉が、内側に開いた。
カールが前に出た。
全員が、深く息を吸った。
(……さて、ガーゴイルは何体いるのか?)
5.暗闇の奥の光
暗闇の奥に、何かがいた。
カールが灯りを掲げた。
三メートルを超える背丈。
金属ではなかった。
石だった。
石と土と、何か別の素材が固まったような、重い存在感。
ライラが弓を引いた。
セレネが、金属製の武器の重心を確認した。
しかし、そこで動作が止まった。
「……金属じゃない」
セレネの武器は、金属体を想定した装備だった。
ゴーレムの目が、ゆっくりと開いた。
一歩前に出た。
重い足音が、回廊に響いた。
そして止まった。
攻撃の動作ではなかった。
ただ、前に出た。それだけだった。
カールが低く言った。
「智也、棒を向けてみろ」
智也が棒をゴーレムに向けた。
ゴーレムが止まった。
消えない。
(……フロリーの地下の金属体は、棒に触れると停止した。これは違う)
(棒を向けると止まるが、停止ではない。待機だ)
(管理権限を持つ者として認識して、次の指示を待っている)
「智也、胸に文字がある」
カイルが、ゴーレムの胸に刻まれた古代文字を読んだ。
「……『証明せよ』。それだけです」
その時だった。
ゴーレムの胸の刻み文字が、光り始めた。
淡い、青白い光。
脈動するように明滅している。
(……この光り方)
(梟人族のオベリスクが、棒を近づけた時に亀裂から見えた光と、同じパターンだ)
(あの石柱も、こういう光り方をした。棒が近づいた時だけ、目を開けるように)
(守護しているのではない。認識している。同じシステムの、別の部分だ)
リュミアが、低く言った。
「……敵じゃないのかな」
誰も、すぐに返事をしなかった。
ゴーレムの胸の光が、静かに明滅し続けていた。
ライラが、ゆっくりと弓を下ろした。
「なんなんだ、これ」
「分からない」と智也は言った。
「でも、答えはある気がする」
光が、一瞬だけ強くなった。
まるで、その言葉を聞いたかのように。
誰も、動かなかった。
ゴーレムの青白い光だけが、暗い回廊の中で、静かに揺れていた。
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