第16章 東方商人との出会い
王都の市場に庶民の列を作った数日後。
美月は、いつものように食材探しのため市場を歩いていた。炊き立ての米や野菜は手に入るようになったが、料理の幅をもっと広げるためには、新しい調味料が必要だと考えていた。
「でも……この世界の調味料って、塩と胡椒、それに香草くらいだよね」
「味の工夫はできるけど、やっぱり限界はあるな」
カイが肩をすくめる。
その横でリナは楽しげに露店を覗き込みながら、手を叩いた。
「お姉ちゃん、見て! あのお店、変わった瓶をいっぱい並べてる!」
リナが指さした先には、異国風の布をまとった男がいた。浅黒い肌に長い髭を蓄え、怪しげな香りを漂わせている。彼の前の机には、赤や黄色の粉が詰まった小瓶がずらりと並んでいた。
「……あれは……」美月は息をのんだ。「スパイス……?」
男はにやりと笑い、彼女たちに声をかけてきた。
「お嬢さん、目が利くな。これは遠い東の国から運んできた香辛料だ。胡椒よりもずっと香り高く、肉を柔らかく、料理を変える力がある」
瓶の蓋を開けると、強烈な香りが広がった。ターメリックの土のような匂い、クミンの刺激的な香り、唐辛子の鋭い辛さ。
美月の胸が高鳴った。懐かしい匂い。前世で大好きだった料理――カレーの香りだった。
「これ……全部ください!」
思わず叫んでしまった美月に、商人は目を丸くする。
「全部? これは珍品で高価だぞ? 小瓶ひとつで銀貨十枚は下らない」
銀貨十枚。庶民なら一か月分の生活費に匹敵する額だ。
リナが不安そうに美月を見上げる。
「お姉ちゃん……お金、大丈夫?」
「うん。屋台での稼ぎを貯めておいたから」
商人は感心したように顎をさすった。
「珍しいな。ただの料理人が、これほどの香辛料に価値を見出すとは。……よし、取引だ。ただし条件がある」
「条件?」
「この香辛料を使って、わしに料理をふるまってみせろ。それが気に入れば、仕入れを優遇してやる」
◇
その場で簡易的な調理場を借りることになった。
美月は大鍋に鶏肉と玉ねぎを入れて炒め、そこにスパイスを加えていく。クミンとコリアンダーを油に馴染ませ、香りを立たせると、玉ねぎの甘みと合わさって濃厚な匂いが広がった。
やがてトマトを加え、水を注ぎ、塩で味を整える。最後に炊き立ての米と合わせれば――即席の「カレー風シチュー」の完成だ。
漂う香りに、周りの人々が思わず足を止める。
「な、なんだこの匂いは……嗅いだことがない!」
「辛いのか? 甘いのか? わからないけど……腹が鳴る!」
商人は腕を組みながら鍋の中を覗き込み、やがて器を手にした。
ひと口すくって口に入れると――目を見開き、しばらく固まった。
「……これは……!」
「だ、大丈夫ですか?」美月が不安そうに尋ねる。
商人は次の瞬間、声を上げて笑った。
「はははっ! 見事だ! まさか香辛料をここまで使いこなすとは……! ただ辛いだけではない。深みと甘み、そして香りの層がある!」
周りの人々も我慢できずに列を作り、試食を求めはじめた。
一口食べた冒険者は額に汗を浮かべながら叫ぶ。
「熱い! 辛い! でも……美味い! 体の芯から力が湧いてくる!」
別の客が笑いながら頷く。
「酒場の濃い肉料理よりいいな! 明日も食わせてくれ!」
瞬く間に大評判となった。
◇
試食が一段落すると、商人は満足げに頷いた。
「お嬢さん、気に入った。これからは特別に香辛料を卸そう。普通なら金貨単位でしか買えんが、あんたには定期的に分けてやる」
「ありがとうございます!」
リナが目を輝かせて美月に囁く。
「お姉ちゃん、あれで本物のカレーが作れるんだね!」
「うん……ついに、この世界でも作れる」
胸に熱いものが込み上げる。
前世で家族と食べた、あの温かい食卓。
スパイスの香りは、その記憶を鮮やかに呼び起こしていた。
美月は心の中で誓った。
――この世界でも、あの味を再現してみせる。
家族の味を。みんなで笑って食べた、あの「カレー」を。




