93 利用の対価
婚約指輪が消えてしまったことで、ミリアムは予定通り帰宅することができなくなった。
事実が判明したのは夜遅くということもあり、そのままダートランダー伯爵邸に宿泊することになった。
そして、翌朝。
「おはようございます」
ミリアムが泊まった客間に来たのはメアリーだった。
「昨日はお疲れ様でした。よく眠られましたか?」
「……おはようございます」
ミリアムはうっすら目を開けた。
「まだなんとなく疲れが残っています」
「そうですか。体調が悪いのであればおっしゃってください。医者を呼びます。薬もご用意できますが?」
「大丈夫です」
ミリアムはゆっくりと起き上がった。
「メアリーには言います。私は処罰されることになりました。覚悟はしていたのですが、その内容が悲しくて……」
「申し訳ありません。私のせいでご迷惑をおかけしてしまいました」
メアリーはしゅんとした。
「いえいえ! 迷惑をかけたのは私です! だからこそ、処罰されることになったわけですから!」
ミリアムはどうしても知りたいことがあった。
それはメアリーへの処罰。
解雇されてしまうのではないかと心配だった。
「メアリーはどうでしたか? 何か言われたのでは? 処罰されてしまいましたか?」
「そうですね。まあ、いろいろと」
「すみません……恩をあだで返した気分です」
「自分でしたことに対して自分で責任を取るのは当然です。覚悟の上でした。大丈夫です!」
メアリーはにっこり微笑んだ。
「眠り足りないのであれば、もう少しあとで起きますか? ご希望の時間に起こしに来ますが?」
「起きます。それからメアリーへの処罰を教えてください」
「まずは厳重注意がありました。無実の人を庇うつもりが、かえってことを大きくしてしまいました。混乱を広げた責任があります。二度とこのようなことがないように反省し、間違えないようしっかり勉強するよう言われました。次は解雇になるそうです」
「では、解雇されなかったのですね?」
「そうなのです! 解雇かもしれないと思ったので、正直びっくりです! でも、寛大な処置をしていただけたのはミリアム様のおかげです! ミリアム様が私を庇ったことで、モード様、そしてリチャード様も連帯責任を取ると言い出し、結果的に解雇がなくなったと聞いています。本当にありがとうございます! 二度と間違えないようにします! 何かあった時は正直に報告します! 隠すようなことはしません!」
「それがいいです。私も猛反省します。二度と間違えないようにします」
「この件は生涯の緘口令が出ました。あの時に知っている者しか知りません。関係者にも謝罪しました。なので、もう言わないでください。緘口令に背いたらそれこそ解雇になってしまいます」
「わかりました」
「あとですね、いいこともありました! ミリアム様の担当になりました!」
メアリーはミリアムのために行動した。
ミリアムが主人であれば、召使いとして正しい。忠実だったということになる。
一時的ではあるもののミリアムの担当者だったことから、ミリアムのために動くというのは間違いではない。
その真摯さを活かしてミリアムの世話をするようメアリーは言われた。
「ミリアム様がこちらに来た時は私がお世話を担当させていただきます! よろしくお願いいたします!」
メアリーは深々と頭を下げた。
「嬉しいです! メアリーは優しくて親しみやすいですし、髪結いやお化粧も上手です。召使いでも侍女がついてくれたかのような安心感があります。こちらこそよろしくお願いいたします!」
ミリアムの顔が明るくなった。
「こちらこそ光栄です! では、お着替えをご用意いたしましたので、お支度のほうをお手伝いいたします」
「大丈夫です。自分でできます」
「担当者としてお世話をしないと怒られてしまいます。どうか髪結いやお化粧はお任せいただけませんか? お願いします!」
「わかりました」
ミリアムのために用意されていたのは青灰色のワンピースだった。
「昨日、一瞬着て終わった感じの服ですね」
「そうです。せっかくなのでご着用ください」
「わかりました」
「このワンピースは着たままおかえりください。こちらに来た時の服と靴はクリーニング中です。午後には仕上がりますので、ご帰宅は午後でもよろしいでしょうか?」
「大丈夫ですが、ダートランダー伯爵次第です」
「その点は確認済みです。また、ご朝食のあとでレイモンド様がこちらに来るそうです。よろしいでしょうか?」
「私も会いたいです。改めて謝罪したいので」
「わかりました。あとでお伝えいたします。まずはお支度を手伝います」
ミリアムの支度が終わると、メアリーが朝食を運んで来た。
「本当にありがたいです……昨夜は軽食だったのでお腹が空いていました」
「こちらで足りますでしょうか?」
「大丈夫です。家での朝食に比べたら贅沢過ぎて……こんな生活を毎日している貴族は凄いですね」
「こちらはお客様用の朝食です」
「実際は違うのですか?」
「ご家族につきましてはお好みがあると思います。朝からたっぷり食べる方もいれば、違う方もいるのではないかと」
「それもそうですね。モードは朝食をあまり食べません」
「お客様の場合、事前に好みがわからない場合はたっぷりコースだと思われます」
「確かにそれがいいですね。ちょっぴりコースで足りないと、配慮不足になってしまいます」
「ミリアム様はたっぷりコースでよろしいでしょうか?」
「今日はそうですね。でも、いつもは普通です」
「わかりました。他には何かありますでしょうか? 何でもおっしゃってください。ミリアム様の担当として全力を尽くします!」
「ありがとうございます。今の気持ちとしては満点です。まるでお姫様になった気分です」
メアリーが朝食を片付けるためにワゴンを押して部屋を出て行く。
しばらくするとドアがノックされた。
「ミリアム、いいか?」
レイモンドの声がした。
「はい! 鍵はかかっていません!」
ドアが開き、レイモンドが入って来た。
「おはよう」
「おはようございます」
「伝言は聞いたか?」
「聞きました。私も会いたいと思っていました。謝罪をしたくて……ご迷惑をおかけして本当に申し訳ありませんでした」
「座って話をしたい。いいか?」
「どうぞ」
レイモンドがミリアムの向かいの席に座った。
「今回の件は生涯の緘口令が出ている。謝罪はもういい。屋敷の内部事情に関わるため、忘れてほしい」
「わかりました」
「クラリス、マーサ、メアリーについては処罰をすべきだが、他の者に知られないようにするため保留になった。三人が十分に反省し、これからも真摯に勤め続けるのであればいい。ミリアムが心配する必要も責任を感じる必要もない」
「はい」
「図書室の件についてだが、あまり落ち込むな。王都の郊外にある別邸のような図書室ではない。興味がありそうなだけに見せてみようと思っただけだ」
「非常にあります! でも、猛反省するためなので仕方がありません……」
「帰宅は午後だ。それまでに何か要望があるか?」
「レイモンド様にお話があります。結構大事な話です」
「なんだ?」
「レイモンド様の瞳は青灰色です」
レイモンドは無言。
「最初は知りませんでした。でも、今は知っています。貴族の常識を!」
「どんな常識だ?」
「男性が自分の瞳の色と同じドレスを女性に贈るのはその女性に好意がある証拠。自分のものだと示すためです。恋人や婚約者や妻などに着せ、それ以外は勘違いされると困るために避けます」
「モードから聞いたのか?」
「マーサさんです」
「そうか。だが、関係ない。なぜあの色になったのかは説明した。私の衣装と同じ色で揃えただけだ」
「ずるいです。言い訳です。さすがに私を利用しすぎです!」
それがミリアムの本音。
「レイモンド様との関係を疑われれば、両親や店に悪い影響が出るかもしれません。別の人を女性避けにしてくれませんか?」
「貴族の社交で話題になるのは貴族のことだ。平民は部外者。何か言われるとすれば私の方であってミリアムではない。心配しなくていい」
「本当に?」
「本当だ」
恋人や婚約者のような相手であれば親しい者に紹介し、仲間内に入れるようにする。
そのようなことをしないのは、そのようにする必要がない者ということ。
とはいえ、無関係ではない。
モードの友人、取引先の令嬢という関係は示した。
ダートランダーの関係者であることがわかるため、周囲はダートランダーの不興を買わないよう慎重かつ様子見になるだろうということが説明された。
「もし何かあれば、私の方で手を打つ」
「信じていいのですよね?」
「気になるならモードや母上から聞けばいい。社交界でミリアムの話題が出れば耳にするだろう。文句を言うのはそれからでも遅くない」
「まあ……そうかもしれません」
「だが、利用したことについては認める。前に園遊会に行っただろう?」
「行きましたね」
「女系避けの効果は園遊会にいる時だけだった。その後の状況における牽制効果はなかった。貴族にとって平民はライバルになりえない存在だ。そこで今回はより強い牽制効果になるよう考えたのは事実だ」
「やっぱり!」
「図書室に連れて行くことで謝礼をするつもりだったが、できなくなった」
「利用することへの対価は払うつもりだったのですね」
「別のことで謝礼する」
「ワンピースをもらえるようなので、それでいいです」
「それは着たまま帰れるように元々贈るつもりだった。私に案がある。一緒に買い物に行くのはどうだ?」
ミリアムは眉をひそめた。
「何かを買ってくれるということですか?」
「財布を贈る。革でも口金がついたものでもいい」
ミリアムはピンときた。
「どっちですか?」
「何がだ?」
「情報源です。マーリアか侍女長のはずです」
「母上から聞いた」
ミリアムの予想はハズレ。
「実用品がいいだろう? 長く使える。パチンと音がするものを選べばいい」
ミリアムはパチンと音がする口金付きの革財布を想像した。
「……やっぱりレイモンド様は策士です。利用されたことに文句を言うはずだったのに、言えなくなりました」
「決まりだ。母上に帽子を借りてから外出する」
レイモンドの口角が上がっていた。
次で第五章は終わりです。




