86 マーサの証言
「失礼します」
マーサが応接間に来た。
「別室で待機されていましたよね? その間に婚約指輪を探したのですが、まだ見つかっていません。より詳しくお話を聞くことになったので、よろしくお願いします」
「わかっています。ですが、すでに話したと思うのですが?」
「そうですね。でも、レイモンド様がいました。ダートランダー公爵の孫で、いずれ当主になる人物です。言いにくいことだってありますよね?」
「まあ……否定はしません」
「私が話を聞くことになったのは、ダートランダー伯爵家の方々が晩餐会に行っているからです。そして、あの時の状況を知る一人でもあります。一緒に話しながら思い出すことで、そういえばそうだった、言い忘れていたなどといったことがないかと思って」
「そうですか。ですが、話せることは話したと思います」
「そうだと思います。でも、一応は聞かないとなので、ソファに座ってください」
マーサはミリアムの向かい側の席に座った。
「マーサさんは私よりもずっと年上ですし、古参だと聞いています。平民ですよね?」
「そうです」
「私も平民です。なので、平民が貴族のお屋敷で働くのは大変だということはなんとなくわかります。私の父は店を経営していて、ダートランダー公爵家と取引をしています。そのせいもあって気を使います。遠慮だったり、緊張だったり、怖いと思うこともあります」
「そうですか。まあ、平民であれば名門貴族に対してそう思うのは普通ですよ」
「ですよね。ところで、緑色の靴を探していましたよね?」
「そうです」
「見つかりましたよ」
「えっ!」
マーサは驚いた。
「どこにあったのですか?」
「衣装部屋です」
「そんな! あんなに探したのに……見つかりにくいところにあったのですか?」
「靴箱の中にありました」
「まさか!」
マーサはのけぞるような反応をした。
「私が見た時はなかったのに!」
「たぶんですが、箱の蓋をちょっと開けて確認したからです」
「普通ですよね?」
「蓋を全部開けていれば見つかったと思いますよ」
マーサは目を見開いた。
「どうしてちょっとではダメだったのですか?」
「靴の裏が全部黒かったのです。ヒールも全部黒でした。なので、その部分だけを見てしまうと黒い靴だと勘違いしそうです」
「ああ……」
マーサはがっくりした。
「ヒールが黒かったのであれば、黒い靴だと思ってしまいます。緑色の靴ならヒールも緑色のはずですよね?」
「普通ならそうです。でも、デザインのためか汚れ防止のためか、とにかくヒールや靴の裏が全部黒になっていたのです」
「間抜けでした。急いで探していたので……蓋を全部開けて確認しておけばよかったです」
マーサは仕事が早い。
それは長所だが、時と場合によっては短所になる。
クラリスが言う通り、しっかりしているようでちょっと抜けている、意外な落とし穴にはまるということだった。
「このように二人で話すことでそうだったのか、ということもあります」
「まさに証明されました。納得です」
「緑色の靴が見つからないせいで、衣装部屋中を探すなんて大変です。靴以外にもたくさんの物があります。しかも、それをたった一人で片付けないといけません」
「そうです。召使いがいれば手伝ってくれるよう言えますが、侍女には言えません。メアリーは召使いでもミリアム様の担当。やっぱり言えません」
「本当にお疲れ様でした。でも、衣装変更で緑色の靴は必要なくなりました。偶然ですが、良かったですね」
「正直助かったと思いました……白い靴は綺麗に手入れをしていたので、すぐに用意できました」
「白いドレスもすぐに用意できたようですね?」
「お色直しのあと、クラリス様と一緒に白いドレスと靴を確認して、また着用できるよう手入れをしたのです」
お茶会には緑色のドレスと靴で行くが、夜の晩餐会は正装が必要なため、白いドレスや靴になると聞いていた。
そこで白のドレスや靴に汚れがないか、シワが寄っていないかを確認し、問題があっても晩餐会までに何とかしておくことになっていた。
「お茶会に赤いドレスで行くことにならなくて良かったです。脱いだばかりでしたので、ドレスも靴も確認していません。ダートランダー公爵閣下とお会いするのであれば、きちんとしたご衣装でなければ叱責されてしまいます」
「ダートランダー公爵は服装に厳しい方なのですか?」
「そうです。身だしなみや礼儀作法にはとても厳しい方です」
「客人付きだと掃除以外にもあれこれしないといけません。侍女の補助ですが、普段しないような仕事もありますよね?」
「あります。普段はドレスや靴に触りません。ですが、長年勤めているのでいろいろな仕事を経験しています。ただ、黒いヒールには騙されました。今度は蓋を全部取って中身を確認します」
「その方が良さそうです」
「まあ、客人付きになることはもうなさそうです。元々掃除が専門ですし、今回のこともあるので……」
マーサは大きなため息をついてうつむいた。
「落ち込んでいますか?」
「もちろんですよ! 客人付きにとって、客人のことで問題が起きたら一大事です。これまでに築いてきた信用が一気に落ちます。侍女の失敗だとしても、失敗しないように補助するのが召使いの仕事です。それができていなかったということで、連帯責任を問われてしまいます」
「じゃあ、侍女と一緒に仕事をするのは……あまり嬉しくないですか? 他人の失敗でも責任を取らないといけなくなりますよね?」
「仕事によります。侍女の方が上なので、責任は全部侍女ということもあります」
「モードの担当になって嬉しかったですか? それとも厄介、面倒、緊張するなどと思いましたか?」
「嬉しかったですよ。だって、この私が貴族の客人付きですよ? しかも、モード様はリチャード様の婚約者、ゆくゆくは奥方です。ご家族の部屋を担当する召使いは、他の部屋を担当する召使いよりも上です。何よりも名誉です。それだけ信用があるということですから」
「マーサさんは古参です。長年働いていますよね?」
「そうです。同期はほとんどいません。近い年齢でもあとから入って来た者です」
「どうしてですか?」
「一番の理由は結婚です。女性は妊娠すると働けません。お屋敷の仕事は二十四時間制です。交代や終業時間になっても、状況次第では難しいこともあります。特別な催事の時は長時間労働が当たり前。小さい子どもを抱えていたら働けません」
「なるほど」
「でも、これは一般的な答えです。ダートランダー公爵家は普通ではありません。最高に素晴らしい職場です」
貴族の屋敷で働くのは簡単ではない。失敗したり問題を起こしたりすると、貴族の家にあるルールで裁かれ、非常に重い罰を受けることもある。
だが、衣食住に困らないという安心、治安の悪さを気にしないでいいという安全を得られる。
その上、立派な屋敷や豪華な部屋などを毎日のように見ることができ、そこに住む高貴な人物たちと関わることができる。
やりがいを感じ、誇りに思える仕事ができる。
ダートランダー公爵家は名門貴族で大富豪。雇ってもらえたというだけでも十分に自慢できるが、給与もいい。
王都や領地にいくつもの不動産を所有しているため、要望を出せば職場の異動もできることをマーサは話した。
「結婚や出産を契機に辞める者もいますが、別の職種や異動によって雇用を継続してくれたり、あとで復帰することを約束してくれることもあります。紹介状を書いて、別の求人に口添えをしてくれる場合もありますよ」
「手厚いですね」
「そうです。普通の勤め先であれば自己都合だということで冷たくあしらわれます。でも、貴族は忠実な者を厚遇します。それがわかっているので、誰もが真面目に一生懸命働きます。そうすれば、ダートランダー公爵家が守ってくれるからです」
「マーサさんもここでできるだけ長く働きたいですか?」
「もちろんですよ! ダートランダー公爵家で働くことが私の生き甲斐です! ずっと真面目に頑張ってきました。でも、さすがに今回のことは……解雇かもしれないと思うと恐怖を感じます……」
「でも、宝飾品の管理は侍女の仕事ですよね?」
「そうですが、補助をしないとですからね。金庫にしまっていない箱があれば、当然指摘しないといけません」
「婚約指輪の箱がないことに気づいていましたか?」
「いいえ、全然。金庫の中を見ることは全くないです。常識的に宝飾品や貴重品が入っていると思うだけです。運んでいるのを見て多いか少ないかはなんとなくわかりますが、数えているわけではないですからね」
「曖昧にしかわからないということですね?」
「そうです。金庫の中身は完全に侍女の管轄です。応接間で箱を見つけた時は驚きましたよ!」
「なんでこんなところに箱があるのかって思いましたか?」
「そりゃそうですよ! 支度をする寝室ならわかりますが、応接間ですよ? しかも宝飾品」
マーサは急に黙り込んだ。




