4.私の居場所はない
赤毛の副官がスープで服を濡らしたまま天幕を出ていくのを、私は黙って見ていた。あのスープに毒が入っていたかどうかは分からない。が、わざわざ飲んでやる必要もない。
誰にも関わってほしくない。それが私の偽らざる思いだ。ただ、先ほど触った皿は、不思議と温かかった。それが少しひっかかったが、深く考えず、私はまた寝台の奥へと潜り込んだ。
『よかったなあ。お前でも役に立てるところがあったんだな。』
『もう帰ってこなければいいのにねえ。』
魔法部隊の一員として戦いに行くと家族に告げた時の第一声がそれだった。伯爵家で働いていた母は、伯爵の目に止まり、程なく妊娠した。それが私だ。
母は伯爵家を辞して私を産んだが、私が10歳になる頃馬車に轢かれて死んだ。その後、伯爵家に引き取られた。息子が一人しか生まれなかった伯爵は、私をスペアとして側に置いておきたかったようだ。
しかし、庶子として生まれ、守ってくれる母もいない私の居場所は、どこにもなかった。マナーがなっていない、物を知らない。何かするたびに蔑まれる毎日。つけられた家庭教師たちも私への教え方はおざなりだった。
そんなある日、私の魔力が人よりも多いことが分かり、待遇が変わった。父は私を魔法学園に入れた。この国で大きな魔法を使えることは、エリートを意味する。それがむしろ義兄と義母の憎しみを駆り立てることになった。
家に帰れば、執拗に命を付け狙われた。私の食事に毒が入っているなど日常茶飯事だ。目をかけてくれていた教師が助けてくれなければ、私はその時点で死んでいただろう。しかし、その教師もまた、私の代わりに殺された。その時点で私は戦いに参加することに決めた。これ以上生きていることに意味はない。
戦いに参加する頃には、私の体はポーションしか受け付けなくなっていた。
「伝令!大佐はおられますか!」
天幕の外で声がする。出なくてはと思いながらも、体は寝台から動くことを拒否している。
「大佐はお休み中です。僕が承ります。」
おそらく先ほどの副官だろう。若い声がした。
「明日9時、出撃せよとの命令です。遅れないように参加願います!」
「分かりました。伝えます。」
私が上半身だけ起こすと、天幕へと赤毛の副官が入ってきた。天幕の中は暗いままで、彼の表情を窺うことはできない。
「大佐。お休みのところ、申し訳ありません。明日出撃せよとの命令です。」
「……聞こえていた。大丈夫だ。」
「……失礼します。」
赤毛の男はそれだけ言うと、出ていった。
そう。そのまま私と関わらないでいてくれれば、それでいい。
私は、死神なのだから。そう思いながら、目を閉じた。
次の日。
銅鑼が鳴った。集合の合図だ。身体を引きずるようにして、天幕を出た。
視界の端に、赤毛の塊が映った。まだいたらしい。
最初金で追い払おうとしたが、あの男は「怖い」と言って袋を突き返してきた。馬鹿な奴だ。金があれば軍を辞めて、どこかで平穏に暮らせるというのに。前の副官もきっとどこかで平穏に暮らしているはずだ。
「その、一緒に行ったほうが良いのでしょうか。」
副官が躊躇いがちに尋ねてくる。
「いらん。邪魔なだけだ。」
「では、その間に部屋の片付けをさせていただきます。ご武運をお祈りしております。」
最後に投げられた言葉が、耳に残った。
今まで誰もが
『また次もよろしくお願いします!』
『大佐ならできます』
期待だけはかけるが、自分を労る言葉をかけてくれたことなどない。
実家に帰ったところで
『死んで帰ってくれたら良かったのに』
と睨まれるだけだ。貰った褒美は山ほどあるが、伯爵家にくれてやる気はない。向こうもくれとは言わないが、死んだら手に入ると待っているのはわかっている。
自分の生きる場所など、どこにもないのだ。
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大佐が輿にに乗せられて戦場へ向かうのを見届けると、僕は腕まくりをして大佐の天幕に乗り込んだ。帰ってくるまでにこの天幕を居心地の良い場所にしておきたい。今の僕にはそれくらいしか大佐にできることを思いつかなかった。
まずは空のポーションを箱に詰め、天幕の外に出していく。木箱に瓶を積めて運んでいると、暑くもないのに汗が吹き出てくる。それでも僕は空のポーション全てを天幕の外へと運び出した。補給部隊の倉庫に持っていけば、後は片付けてくれる。
ポーションもあと一箱しかなかったので、新しく一箱貰っておくことにした。大佐のポーションは有名なようで、ちゃんと専用のポーションが倉庫に入っていた。それをまた天幕へと運ぶ。
「副官なのに、戦場に行かなくていいのか?」
「よせよ。昨日大佐を怒らせてスープをかけられたんだってよ。」
「今日か明日には賭けの結果が決まりそうだな。」
残っている見張りの兵士たちが僕の様子を見て笑いながら話している。
なんとでもいえばいいのだ。僕は僕のできることをする以外に出来ることはない。帰ってきたら出て行けと言われるかもしれないけど。
シーツと前に着て脱いだままになっていた服を洗濯して一息ついたところで、伝令か駆け足でやってきた。
「大佐がお戻りになります。」
「もう?」
空を見上げても太陽はまだ真上にある。ひょっとして戦いになる前に倒れてしまったんだろうか。慌てて寝台を整えていると、外が騒がしくなった。
天幕の外に出ると、輿の上で倒れ伏している大佐が目に入った。
「大佐!」
僕が声をかけても大佐はピクリとも動かない。呼吸はしているから生きてはいる。
「誰か、医者を呼んできてください!大佐は中へ!」
輿のまま天幕に運ばれた大佐は、そのまま寝台に寝かせられた。かすかに震えている。魔力が足りなくなると寒くなると聞いた事がある。僕は自分の天幕から湯たんぽを持ってくると中に水を入れて、温まるよう念じる。ゆっくり温まってきた湯たんぽを大佐の寝台に入れると、気に入ったのか、両手で抱え込んだ。
「どうした。」
軍の医者がやってきた。僕は医者の袖を掴むと大佐の近くへと引っ張っていく。
「大佐が倒れて帰ってきました。診てください!」
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