17.敗北の危機
僕は野営地に戻ると、熱を出して寝込んだ。倒れ込んだ水が思ったより冷たかったので、風邪を引いてしまったのだ。輿をを担いでいた兵士達が副官用の天幕に運んでくれた頃には体が冷え切っていた。魔力もないからお湯を作ることもできない。なんとか自分で着替えをして寝台へと潜り込み、ふるえる身体をあたためた。
「……誰か、世話をする者は。」
後をついてきたのだろう。大佐の困った声がする。確かに大佐にそれは無理だ。僕は顔を出し、
「補給部隊のマールを呼んで貰えませんか。」
と頼んだ。大佐の頼みならデズモンド副官も文句を言わないだろう。
「分かった。」
大佐は外の見張りの兵士に頼んだようだ。兵士はマールを本当に連れて来てくれた。マールは僕の様子を見て慌てて駆け寄ってくる。
「アルト!大丈夫?」
「さ、寒い……。」
マールは僕の顔色を見てすぐに、湯たんぽを用意し、部屋を暖めてくれた。
「アルトだったらすぐできるんだろうけど、僕だと時間がかかっちゃう。ごめんね。」
そう言いながら熱が下がるまでの間、ずっと看病をしてくれていた。
それから二日。やっと熱が下がり、起き上がれるようになった。
僕は副官の服に着替えると、マールに礼を言った。
「ありがとう、マール。助かったよ。軍の様子はどうだい?」
僕の質問に、マールは少し暗い顔になる。
「大佐の魔法が効かなかったからみんな動揺してる。ここで魔狼に囲まれたら全滅だって。最近魔狼の夜襲もあるんだ。だから、野営地の周りはずっと松明をつけて警戒してる。」
魔狼が近くまで来れば、大佐の魔法は使えない。自分たちまで巻き添えになってしまうからだ。
「それに、食料がほとんどないんだ。」
「え?」
思わず目が丸くなった。あんなにベルギンの町で買い占めていたはずなのに。
「元々ベルギンにもそんなに食糧がなかったんだよ。一週間分しか仕入れられなかったのに、デズモンド副官が二週間分あるって嘘をついていたんだ。それがバレて、バルトロメウス隊長は、帰ったら軍法会議にかけるってカンカンになって怒ってる。デズモンド副官は雑用をさせられてるよ。」
ベルギンの町を出て、今日までですでに四日は経っている。
「じゃあ、食糧はもう……。」
「切り詰めてるからもう少しはなんとかなる。でも帰りの分の食糧はない。……勝てないと、僕たちはどっちにしろ死ぬんだ。」
マールは疲れたように笑った。
大佐の荷物には、まだ食料がある。僕が寝込んでいる間も誰も料理はしていないだろうから、そのまま残っているだろう。
「あれ、じゃあ、でも寝込んでいる間のご飯は……。」
マールがスープやら柔らかくしたパンを出してくれていたけれど。
「あ、アルトの食料、少し使わせてもらったよ。大佐がアルトに食べさせろって出してきたんだ。私は食べないから君が食べなさいって、残りは僕にくれた。見た目は怖いけど、大佐は優しい人だね。」
自分は食べないくせに、僕には食べさせようとしてくれたのか。自分で並んだ木箱を開けて中身を確認する大佐の様子を想像して、僕はなんだかくすぐったくなった。
「じゃあ、僕は戻るね。」
「うん。看病してくれてありがとう。どうしても困ったら言って。」
「分かった。」
手を振るマールを見送ると、僕は大佐の天幕へと向かった。
「大佐、失礼します。アルトです。」
大佐は寝台に入っていたが、目は覚めていた。なんとローブが脱いでかけてある。そこまで自分で出来たらしい。成長を感じてなんだか嬉しい。大佐は僕を上から下までジロジロと見回した。
「アルトか。熱は下がったのか?」
「はい。もう大丈夫です。あれ。」
薬草茶を淹れた形跡がある。ポットの中に使われた茶葉が入りっぱなしで放置されている。しかもかなりの量だ。僕の視線に気づいて大佐はバツが悪そうに言った。
「……自分で淹れようとしたが、不味くて飲めなかった。」
「お淹れしましょうか?」
「頼む。」
僕は茶葉を捨て、中を綺麗にしてから、薬草茶を淹れる。モリンガの少し甘い匂いが天幕の中に漂った。
「できましたよ。どうぞ。」
「お前も飲め。」
まだ信用されていないようだ。僕が一口飲んで見せようとすると、大佐は首を振った。
「違う。お前のコップも持ってこい。」
病み上がりの僕を心配してくれているのだろうか?僕がじっと大佐を見るが、表情からは何もわからない。僕は大佐の表情を読むのを諦めた。
「分かりました。」
僕は自分のコップを持ってくると、自分のお茶も淹れる。僕が飲
むと、安心したように、大佐も自分のお茶に口をつけた。
「うん。こっちの方がいい。」
口元が少しほころんでいる。どうやら口にあったらしい。
「大佐は茶葉を入れすぎです。ところで、軍が大変なことになっていると聞きました。」
「ああ。撤退か、死ぬのを覚悟で進むのか、隊長たちでも意見が分かれている。初めてボスが出てきたからな。」
大佐が詳細を知っていることに僕は驚いた。
「ひょっとして会議に出たのですか?」
「アルトが代わりに出られないなら、私が出るしかあるまい。私としては一旦撤退する方がいいと思ったんだがな……。」
大佐の歯切れが悪い。
「何か?」
「参謀にお前の魔法がバレた。すまない。私のせいだ。」
素直に謝ってくる大佐のしおらしげな様子にも驚いたけど。
「いやいや、使い物にならない魔法なので、バレても大したことはないですから!」
氷で橋を作れたらかっこいいかも!と思ったが、そんな魔力は僕にはなかったわけで。結局は役に立たないのだ。
「熱が下がったら、なんとしても話が聞きたいと参謀に言われているが、どうする?」
「それ、僕が断れない命令ですよね。行ってきます。」
参謀に話を聞きたいと言われたら、答えはイエスしかない。軍隊だからね。
「待て。私も行く。」
大佐が寝台から出ようとしたので、僕は思わず止めた。
「いや、大佐が動いたら、せっかく貯めた体力を使っちゃうじゃないですか。僕一人で行きます。」
大佐の体力は魔法と直結しているのだ。ただでさえ会議に出て消
耗しているだろうに、これ以上無駄に使ったら僕が叱られる。しかし、大佐も引かなかった。
「参謀は口がうまい。アルト一人には任せられん。私の目の前で話すのでなければ、この命令は却下する。」
「そんな無茶苦茶な……。」
結局根負けして僕が、大佐の書いた手紙を参謀に持っていくことで話がついた。
「大佐から預かってまいりました。」
参謀に手紙を渡すと、すぐに広げて読み始めた。何が楽しかったのか、参謀は肩を震わせて笑っている。その笑顔のまま参謀は立ち上がると、付いてくるように言って天幕をでる。
「大佐は随分君のことを可愛がっているようだ。わかった。私が大佐の天幕に出向くとしよう。臍を曲げられても困るからな。」
歩き出した参謀の後ろを僕は歩きながら頭を下げた。
「申し訳ありません……。」
「なに、自分の世界だけで生きていた大佐が、軍のことを考えるようになっただけ、成長したのさ。」
その言い方は少し毒があるようで、僕は少しもやっとした。大佐が閉じこもるのは、周囲に問題があったからだと思う。僕の雰囲気を察したのか、参謀は僕を振り返った。
「『助けてくれ』と周りに甘えるのも、時には大事なことなんだよ。君が代わりに覚えておきなさい。」
「……はい。」
色々な経験をしてきたからこその意見に、僕はぐうの音も出なかった。
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