16.氷の道
弓兵隊と共に大佐の乗った輿がレゼ川に到着したのは、太陽が中天に差し掛かった頃だった。川を渡る算段もついていないのに大軍を動かすのはただの無駄になるので、他の部隊は野営地で待機となった。騎馬隊は上流に橋がかけられるところはないか、確認しにいくことにしたらしい。
今回の輿には大佐の前に盾が並べられている。魔法を放って倒れた大佐は無防備だから盾をつけて欲しいとお願いしたら、参謀がやってくれた。輿を持ち上げている兵士たちも、盾のような装備をしている。
「重くはないですか?」
と僕が聞いたら「これくらい、平気です。」と笑顔で返された。
さすが兵士は違う。後でスープを差し入れしようと僕は決めた。
今回の作戦は近くで見てみたかった。大佐の魔法も見たことがない。
「大佐の魔法を近くで見せてください。」
ダメもとでそうお願いしたら、
「まあ、いいだろう。」
とあっさり許可してくれた。レゼ川の川幅は広く、魔狼が泳ぐにしても時間がかかるからだと思う。
対岸には魔ろが何匹かウロウロとしていた。この距離では何もしてこないと思ったのか、それほど警戒している様子はない。
泳いで渡ろうとすれば、その間に仲間を呼ぶだろう。向こう岸に辿り着いた兵士から順に襲われていく様子が想像できてしまって、僕はぶるりと身震いした。橋が作れるのが一番だが、その方法が思いつかない。
「アルト。」
大佐が小さな声で僕を呼んだ。
「お前、どのくらいの水の量まで温度を変えられるのか、試してみたことはあるか?」
僕は今までのことを思い返してみた。
僕の魔法は基本的に料理の時しか使っていなかった。最近は洗濯にも使うけれど、料理の方が使う量は多い。なにしろ兵士たちの食糧分だから。
「大きな鍋5つ分くらいまでしかやったことがないです。」
「水の量がどこまでなら制御できるか、自分で想像できるか?」
樽、まではなんとかなると思う。樽いくつ分いけるのか……と考えたところで全く分からなくなった。
「……いえ、全く。」
「ふむ。」
大佐がしばらく考え込む。
「私がこれから対岸に炎を打ち込む。それに紛れて、川を凍らせることができるか、試してみてくれないか。なるべく細くだ。」
大佐は大佐で川を渡る方法を考えていたらしい。しかも僕の魔法を使ってだ。川を凍らせる?できるのか?僕に。
「ただし、危険だと思ったらすぐに魔法を解除するんだ。いいな?」
何が危険なのだろう?真剣な様子の大佐に、僕はそれが分からないまま頷いた。
「……?分かりました。」
大佐の輿が前方に進むと、魔狼の何匹かがこちらを見て、唸り声をあげる。
「行くぞ。"爆炎"」
大佐の手のひらに炎が生まれ、それが渦を巻いて大きくなっていく。僕はそれを見ながら川の水に手をつけた。
「ん?」
ウオオオン!
炎を見て、魔狼達が大きな声で吠え始めた。群れを呼んでいるのか。
「なんだあれは!」
後ろに待機していた兵士たちが騒ぐ。魔狼達の呼び声に応えるように現れたのは、いますまで見たこともない大きさの魔狼だった。傍にいる魔狼が生まれたばかりの子狼にしか見えない。
その巨大魔狼に向けて、大佐が炎の渦を解き放った。炎を睨みつけていた魔狼は、ガッと大きな口を開けた。
「!!!!!!!」
こちらに向けて、風のようなものが押し寄せてくる。距離があるせいか、多少強い風が吹いた程度だが、近くにいたら、吹き飛ばされてしまったかもしれない。その証拠に大佐の爆炎の進みが遅くなった。
「炎が押し戻されてる?」
兵士から戸惑いの声が上がった。僕ははっとした。やらなければならない事があったのだった!
僕は自分の手に視線を戻した。手の周りにある水は、凍り始めている。そのまま対岸までまっすぐ凍るように命じると、氷の道が手のひらの先へとできていくのが見えた。しかし、それと同時に自分の中の何かが急激に抜け出ていくような感覚に陥った。
これが、魔力が抜け出て行く感覚なのか?そう思った僕は慌てて温度の解除を行った。しかし、ものすごい疲労感に襲われて、僕は膝から崩れ落ちた。
このまま川の水に突っ込んだら、僕は溺れるのだろうか。そう思いながらも体を起こすことはできず、冷たい水の中へと沈み込んだ。
「アルト!」
誰かの慌てた声が聞こえたが、僕には答えることもできなかった。
今日の魔法はいつもより抑え目に放ったせいか、意識を手放さずに済んだ。立てはしないが、周りを見る余裕はある。あの巨大混じ狼は、あの群れのボスだ。あれを倒せば、群れは解散する。ただ、私の爆炎だけでは難しいだろう。
アルトは自分が戦いでは役立たずだと自分を卑下していたが、使い方次第だと私は思っている。「温度の固定」は今まで聞いたことのない魔法だった。食べ物を口に入れることへの嫌悪感を忘れてしまうほど、私は興奮した。
もし、伯爵家の庶子でなかったら、これほど魔法が強くなかったら、静かに魔法の研究をしながら魔法学園で教師をしたいと私は学生の頃から密かに思っていた。
魔法は神が授けるものだ、と言われている。その強さも自分で決められるわけではない。ただ、アルトの魔法は異質だ。強さが全く分からない。本人には言わなかったが、水浸しな相手であれば、アルトは相手を倒すことができるのだ。凍らせても、沸騰させても。川だって渡る必要は実はない。相手を川の中に誘き寄せ、温度を変えれば、それで終わりだ。その後で橋などゆっくりかければ良いのだから。
私よりも、ずっと戦争に向いている。
ただ、魔力が少ないというところが引っかかった。
川を凍らせることができるか試してみるよう言ってみたが、果たしてどうか。
アルトは川岸に一人座って、手を水につけていた。その手から氷の道が中央へと伸びている。魔力の使用量は、体積次第ではないかと予想していたが、なるべく魔力を使わないよう指一本くらいになっている。が、慌てたようにアルトは水から手を離した。そのままぶらりと水の中へ倒れ込む。
やはり、無理か。そう考えるのと同時に、勝手に身体がアルトを助けようと動く。
「アルト!」
「大佐、動かないでください!」
輿を担いでいる兵士から慌てて声がかかるが、それよりも、アルトが気になった。キュウっと心臓を鷲掴みにされるような苦しさが襲ってくる。
気になる?私が?今まで誰にも必要とされず、誰との交流も拒んでいたのに。
「誰か、アルトを!」
私の声が聞こえたのか、参謀がアルトの近くに駆け寄り、水の中から拾い上げてくれた。その時、氷の道に気づいた参謀の目が光ったことに、私は気づかなかった。
「もう一人乗せられるか。」
参謀が言うと兵士たちは黙って輿を低く下げた。アルトがゴロンと輿の上に乗せられる。私はアルトの背中を強めに叩いた。水を飲んでいる可能性がある。
ゴホッと水を少量吐いて、うっすらと目を開けたアルトに私は安堵の吐息を漏らした。
「大佐、うまく、できま、せん、でした……。」
話しながらゴホゴホと咳き込むアルトの背中を私は撫でた。
「そんなことはいいんだ。」
私の様子を見て、参謀が手を挙げた。
「撤退!」
参謀の一言で、弓兵隊と輿は野営地へと戻っていった。
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