13 あなたの背中を守りたい
「母が……。」
大佐がボソリと呟く。
「母が、作ってくれたスープの匂いに似ている。」
匂いというのは記憶を刺激すると聞いた事があるけど、今日の大佐はそれだった。何かを思い出すかのように視線が空をさまよっている。
「お母さまはお料理がじょうずだったのですか?」
「ああ。厨房で働いているうちに侍女として召し上げられた。幼い頃、私が熱を出すと、いつも卵の入ったスープを作ってくれた。私は、それが好きだった。」
それは大佐の数少ない幸せな思い出なのだろう。なるべくその思い出に添ったスープを作りたい。僕はその手がかりを探すことにした。
「スープはどんな味がしましたか?」
大佐は困った顔をした。
「味……なんと言えばいいのか。少しピリッとして、飲んだ後身体がポカポカとしてきたのを覚えている。」
刺激を感じて身体があたたかくなる食材。熱を出しているから、唐辛子などの辛味ではないだろう。子供だし。そうすると考えられるのは……。僕は商会からの荷物の中を探しお目当てのものを見つけた。魔力を使いすぎて寒くなる大佐の為に、温まるものを、とお願いしてあったのだ。金色のでこぼことした根っこを見て、大佐は眉をひそめる。
「なんだそれは。」
「ジンジャーです。ちょっと匂いを嗅いでみてください。」
根の端を持ってパキリと折ると、大佐に渡す。素直に受け取った大佐はくんくんと匂いを嗅いで、不思議そうな顔をした。
「嗅いだことのあるような、ないような……。」
「生だと少し匂いがきついですから。試しにこれもスープに入れてみましょう。」
ナイフで薄く削り、スープの中へと落としていく。
「……僕は後方部隊で兵士の皆さんの食事を作っていました。皆さん喜んで食べてくれるんですけど、ふと不思議に思った事があるんです。家族でもない僕の作ったものを疑わずに何故食べられるのかなあと。僕が毒を入れようと思えばいくらでも入れられるんですよ。」
大佐がギョッとした顔をする。
「やりませんよ?絶対。食べ物にも失礼ですから。でも食事っていうのは、そういう信頼関係があるから成立するんだなあって思ったんです。僕のご飯を食べてくれている人は、僕に生命を預けてくれているんだなあって。」
「何が言いたい?」
「大佐は今、この軍全員の命を預かって戦ってくれています。大佐がいたからここまで来れたんです。僕は誰よりもそれを分かっています。僕はそんな大佐を守れる盾になりたい。でも僕は戦っても役に立たない。」
僕は自分の不甲斐なさに項垂れた。
「僕ができることは、食事を作ることだけです。僕に、大佐の命を預けてもらえませんか。」
答えは返ってこなかった。そんなに簡単に答えられる問題でもない。僕はそのままスープが出来上がるのを、アクを掬いながら待つ。
入れていた水がだいぶ減り、スープが琥珀色になってきた。僕は持っていた空の鍋に布をかぶせ、ゆっくりとスープを注いでいく。空の鍋には琥珀色のスープだけが残った。そこに卵を割り入れて、かき混ぜる。ふわふわとした白いものが浮いてきたら、完成だ。僕は木皿にスープを入れて、大佐の前に持ってきた。毒見のために、一口飲んで見せる。うん。味は悪くない。
「……もし、食事に毒が入っていれば、私は遠慮なくお前の命を奪う。それでもいいのか。」
掠れた声で、大佐が言う。
「もちろんです。毒見も僕がしますので、死ぬ時は一緒です!あれ、でもそれじゃ大佐を最後まで守れない……。」
自分で言ってて混乱してきた。深呼吸をして、大佐に向き直る。
「スプーン一杯分でも構いません。試してみてくれませんか?」
大佐のアイスブルーの目は僕をじっと見つめた後、スープへと移された。震える手がためらいがちに伸びてくる。
頑張ってくれ。僕は心の中で応援した。声にしたら、手が止まってしまいそうだったから。ゆっくりと大佐の右手がスプーンを持ち上げ、口まで運んでいく。またしばらくの逡巡。僕はただ、待つことしかできない。
「……!」
声にならない声を上げると、大佐は目を瞑って、スプーンの先をそっと口に入れた。口に入ったのは微量。それでもいい。それを飲んでもらえれば、きっと次につながる。僕は期待を込めて大佐の喉をじっと見つめた。僕の見つめるその先で、大佐の喉仏がごくりと動いた。大佐はスプーンを口から離すと、まじまじと見つめている。
「懐かしい……味だ。」
今度はゆっくりとスプーンに残っていたスープを口に入れた。しばらく味わった後、飲み込む様子を僕はじっと見つめていた。
「なぜ泣く。」
大佐に尋ねられ、僕は自分の目から涙が溢れていることに気づいた。
「泣いてません。ちょっとスープが目に染みただけです。」
ふうっとため息をつくと、大佐はスプーンを皿に置く。今日はここまでだ。僕は皿を大佐から離した。
「飲んでくれて、ありがとうございます。」
僕び頭は自然と下がった。大佐は苦笑する。
「飲んで感謝されるとは思わなかった。身体に何かが染み渡っていくような気分だ。」
その時、ためらいがちに扉をノックする音が聞こえた。
「夜分に申し訳ありません。アルト様はおられますか?」
宿の主人の声だ。大佐を見ると、小さく頷いたので、僕は扉を開けた。
そこには困った顔の主人がいた。
「夜にも関わらず、美味しい匂いをさせないでほしいと苦情が入っております。」
「す、すみません……。」
匂いが部屋から出てしまっていたらしい。僕は小さくなって謝った。
「つきましては、その美味しい匂いのものを食べさせろと。このままでは眠れないと……。申し訳ありませんが少し分けていただく訳には参りませんでしょうか。お代はお支払いいたしますので。」
「ちょっと待ってください。」
大佐のところへ戻って、今の話をすると、大佐は大真面目に頷いた。
「仕方ないな。私も今日はこれ以上飲めないから、下げ渡そう。」
「また明日作ります。今度はバターを入れてみますから。」
卵いりのスープの温度を飲みやすい温度に固定すると、僕は宿の店主に渡した。
「これを持っていってください。お代は入りませんので、また厨房を貸してくださいね。」
「ありがとうございます。」
店主は何度もお辞儀をしながら戻っていった。
その夜。その宿に泊まっていた士官たちの間でスープのことが噂になる。いつまでも冷めず、飲んでからも身体を温め続けてくれる。そのためいつもよりもぐっすり眠れてしまい、寝坊するものが後を絶たなかったと。それでもまたスープを求め、大佐の天幕の見張り役を射止めようと激しい争奪戦が密かに繰り広げられることになるのだが、アルト達の知らないことである。
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