12。宿の主人とスープ作り
次の日。カルダン商会の荷物が大佐あてに宿屋に運ばれてきた。
スープ用の肉、野菜、薬草。暖かそうな毛布。それから着心地のよさそうな長いリネンの寝間着。下着の替えも揃っている。きっと夜の間に準備してくれたのだろう。カルダンさんに頭が上がらない。
この町を出るのは4日後だ。それまでに僕は大佐が飲んでくれるスープを作らなくてはならない。
大佐は今日も寝台の中だ。
「大佐。荷物が届きました。」
大佐は嫌そうな顔で僕を見る。僕は寝台に毛布を置き、リネンの寝間着を広げて見せた。
「こちらの方がよく眠れると思います。手伝いますので着替えましょう。どうせどなたにもお会いになりませんよね?寝間着だからと僕も断りやすくなります。」
僕が引き下がらないだろうと諦めたのか、大佐はしぶしぶ寝台から抜け出し、立ち上がる。僕は手早くローブを脱がせるとリネンの寝間着を着せた。下着?自分でやってもらいました。
「ほう……。」
寝間着を着た大佐の顔が柔らかくなる。気に入ったようだ。いそいそと寝台に戻る大佐の服を片付けながら、僕は扉を開けた。
「洗濯をしてきます。鍵はかけておきますので、ゆっくりお休みください。」
宿屋の裏には洗濯する場所が備え付けられている。宿の者も使うが、宿泊している人も使えるようになっている。僕が行った時にはちょうど宿の主人がシーツを干しているところだった。僕を見ると慌てて片付けようとする。
「これはアルト様。すぐに終わりますので。」
「そんなに急がなくても大丈夫です。洗い桶を借りますね。」
僕は持っていた洗濯物を洗い桶に入れ、水につけ、少し温度を上げる。水温が高い方が汚れが落ちる。最近発見したのだ。手を動かしながら、僕は主人に話しかけた。
「いつもご主人が洗濯を?」
「ええまあ。家族は辺境領におります。宿もやらないといけませんのでね。」
主人は言葉少なく答えた。
いつ魔獣に襲われるか分からない町。時折やってくる兵士たちは気が立っていて何をするかわからない。そんな中に家族を置いてはおけなかったのだろう。リザさんとベスさん以外は、それも商売だと割りれる女性しかこの町では見かけていなかった。一人で宿を切り盛りしているのは大変だろう。
「……手伝います。ちょっと離れてくれますか?」
「え?」
宿の主人を下がらせると、僕はシーツに手を触れた。温度を上げると、白い蒸気が吹き出した。
「え?え?」
何が起こってるか分からず戸惑う主人の前で、シーツから出る蒸気が止まった。
「乾きましたよ。」
おそるおそる主人がシーツをなでるように触ると、目が飛び出るほどまんまるくなった。
「驚いた……。乾いてる!」
「畳んで次を干してください。どんどん乾かしますよ。」
最後のシーツを畳み終わると、宿の主人は僕に深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。本当は、私一人では間に合わないと途方に暮れていたのです。」
「気にしないでください。僕も新しい魔法を試したくてうずうずしているたんです。大佐の洗濯物だけじゃ……あ、洗濯忘れてた!」
慌ててしゃがみ込む僕を見て、主人の顔が柔らかくなった。
「今日の食事の要望などございますか?できる範囲でご用意させていただきます。」
食事の要望と言われても、僕は好き嫌いなくなんでも食べるし、この宿のご飯は普通においしかった。しかし、今の僕に必要なものが、この宿にはある。
「じゃあ、お願いがあるんですけど。」
「なんでしょう?」
「厨房を貸していただけますか?スープを作りたいんです。」
食事の準備がない時間ならいいと、主人が許可をくれたので、夕食後の時間に僕は厨房へやってきていた。大佐は夕食も食べずに寝台の中だ。僕は美味しくいただいた。いつもより肉が大きく感じたのは、昼間のお礼なのかもしれない。
「どんなスープを作るんですか?」
朝の仕込みのために厨房にきた主人が僕の手元を興味深そうに見る。
「基本はボーンブロスですが、それに卵やバターを加えたらどうかなと思いまして。」
ボーンブロスは骨ごと煮込むスープだ。この前リサさんとも作った。
「ほほう。ボーンブロスはこの辺でも良く作られていますよ。病み上がりによく飲んだものです。あとはモリンガですかねえ。」
「ええ。薬屋さんにも同じことを言われました。」
僕は話しながら鶏ガラと細かく切った野菜を鍋に入れる。それが浸るくらいの水を入れたら厨房での仕事は完成だ。火をつけずに鍋を持ち上げた僕を見て、主人は首を傾げた。
「煮こまないのですか?」
「それは部屋でできます。」
「部屋で火は……ああ、そういうことですか。」
昼間の洗濯を思い出したのか、主人は納得した顔をする。
「一晩中ここで見ているわけにはいかないので、部屋でやらせてください。」
毒を恐れる大佐のために、目の前で作る必要があるというところは伏せておいた。
「では、こちらの鍋敷きだけお使いください。」
足がついていて、直接鍋の底が床につかないその鍋敷きは確かに便利そうだ。
「ありがとうございます。お借りしますね。」
部屋まで鍋を持つという主人の好意を丁寧にお断りして僕は重い鍋を運んでいた。腕力に自信はないが、鍋一つ分くらいなら頑張れる。
「戻りました。」
部屋に入ると、鍋敷を敷いて、鍋を置く。それから鍋の水の温度を上げていく。僕のしていることに、大佐は布団の中からツッコミを入れた。
「待て。なんだその鍋は。」
「これから僕は大佐の飲めるスープを作りあげます。そのために、鍋を借りてきました。野菜もここでは切れないので、厨房をお借りしてきました。僕しか触っていないので、毒は入っていません。大丈夫です!」
「私は食事は摂らない。」
大佐がむっつりと言うが、僕は気にしない。
「食事ではありません。薬草以外も入っている薬草茶だと思ってください。大佐はそこでこの鍋に毒が入っていないか見張っていてくれればいいんです。僕もこのスープができるまでは、ここにいますし、誰も部屋には入れません。」
大佐にとってスープを飲むのは、薬草茶よりもハードルが高い。だからこそ、安全だということを見て分かってもらわないといけない。
「……いつまでかかるのだ?」
僕の無茶苦茶な論理から、こいつは何を言っても諦めないと悟ったのだろう。大佐が折れた。
「そうですね。4時間くらい?」
「……分かった。」
そんなに悲壮なため息をつかなくてもいいと思う。
「たまには身体を起こしてみますか?」
「そうだな。頼む。」
大佐が素直に僕の提案を飲んだので、僕は驚いた。今まで寝てばかりだったのに。ひょっとして薬草茶の効果だろうか。寝台の背中の部分に部屋中のクッションを積み上げて、そこに大佐が寄りかかれるようにする。
「眠くはありませんか?」
「今はな。眠くなったら寝る。」
「分かりました。」
大佐が起きている間に、僕は自分の部屋からお玉と皿を持ってきて、浮いてきたアクを丁寧に掬った。鶏ガラのスープは他の骨よりもあっさりしているから、大佐にも飲みやすいと思う。温度を少し下げると、あとはただ時間をかけるだけだ。鶏ガラの脂が熱に溶け、野菜の甘い香りが部屋の隅々にまで満ちていった。
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